閑話 ビビアナとアミュリュート ※ビビアナ視点
フィイヤナミア様の義娘から呼び出されている。
そのことを聞いた私の驚きは言葉で言い表すことが出来ない。
実家で兄がとんでもないことを言い出して、父が突っぱねてはいるけれどどうすべきかと考え始めている段階での呼び出し。
アミュリュート家の立ち位置を決めるための絶好の機会として、父に受け取られてしまった。
そもそも、何故アミュリュート家にそのことが伝わってしまったのか、というのもあるけれど。
恐らくフィイヤナミア様派として、知らせておくべきだと判断したのだと思う。
アミュリュート家が反フィイヤナミア様派になったとして、私は困らないのだけれど、スミアリア姉様が巻き込まれるのは避けたい。
だからこそ、実家の依頼を受けたのだ。
フィイヤナミア様の義娘がどう言った人物なのか、フィイヤナミア様の後継者としてふさわしい存在なのかどうか。それを見極めること。
パーティ単位で受けたのだけれど、何故か対応は私一人ですることになって――そもそも呼び出されたのは私だから仕方ないけれど――、とても胃に悪い待ち時間が始まった。
結論として、私の精神状況としては杞憂だったのだけれど。
まさかシエルメール……シエルメール様が義娘になっているとは。
驚いたけれど、知らない人が相手よりも気分は楽だった。
◇
「どうだった?」
「傍観を決め込んでいたのに、良いご身分ね」
「いや、仕方ないだろ」
シエルメール様との対話を終えて、メンバーのところに戻るとシャッスに状況を聞かれたので、嫌みで返す。
仕方がないのは分かるけれど、私の胃はどうにかなりそうだったのだ。
そう言った不満を表情に出してみると、「悪かった」とシャッスが素直に謝った。
「どうだったと聞くけれど、見ていた通りよ」
「シエルメールちゃんがフィイヤナミア様の義娘、ねぇ。
アタシ達が知らない間に、ずいぶん出世したもんだ」
リュシーがハッハッハと笑うけれど、出世とかそう言ったものなのだろうか。
「リュシー、名前の呼び方は気をつけた方が良いわ。
シエルメール様は気にしないだろうけれど、周りが気にするかもしれないし、最悪シエルメール様に迷惑をかけるかもしれないもの。
彼女と戦うことになっても、私は助けないわよ?」
「言われてみるとそうだね。気をつけるよ」
「それで彼女がフィイヤナミア様の義娘で間違いないのかな?」
信頼していいのか微妙な感じでリュシーが返答した後で、シャッスが尋ねてくる。
パーティのリーダーとして、知らないというわけにはいかないだろう。
「間違いないわね。詳しくは話せないけれど、フィイヤナミア様の義娘になるだけの理由はあると思うわ。
強さだけではない、特別な存在といった感じね。強さだって、既にA級の上位くらいはあると思うけれど」
エインセル様の存在。彼女は1つの身体に2つの魂が宿っていると言っていたけれど、それがあるからこそフィイヤナミア様に目を付けられたのだと思う。
それでなくても、あの年齢であれだけの強さがあるということがどれだけ特別なのか、という話でもある。
「ビビアナは強い強いと言うけれど、本当にそんなに強いの?」
「リュシーは魔術が使えないからね。いえ、生半可に使えたところで彼女のすごさは理解できないと思うけれど。
でも防御力なら、中央随一だと私は踏んでいるわ。師匠の蒼の煉獄を手を抜いた結界で耐えられるほどよ」
「……それは凄いね」
あ、リュシーの目の色が変わった。
自分も思いっきりやってみたいと言わんばかりの表情だ。
「はっきり言って、不意打ちだろうと何だろうと、何人集まろうと、彼女の結界は突破できない可能性があるわ。
そんなのに喧嘩売るだけ時間の無駄よ」
「結論としては敵対は悪手ってことで良さそうだね。
彼女の力を教えるわけにはいかないから、伝えるのは大変だろうけれど」
シエルメール様、ひいてはフィイヤナミア様と敵対するのは馬鹿げている。
結論自体は会う前から半ば決まっていたようなものだけれど、これでさすがに兄も理解してくれることだろう。
◇
少し前まで実家に帰るのは憂鬱でしかなかった。
基本的にたまにしか帰っていなかったし、帰っても基本的にはスミアリア姉様と話すだけで、他の家族とはほとんど話をしていなかった。
それでも貴族としては信頼できると思っていたから、シエルメール様に紹介状を書いたのだけれど、今になって思うと彼女が実家に後ろ盾になってほしいと言いに来なくて良かったと思う。
それはともかく、今となっては向こうから帰ってくるように言うようになってしまった。私が落ちこぼれでは無くなかったから、手のひらを返したのだろう。
一度出された以上縛られることもないし、帰る義理はないのだけれど、姉様がいるので一応実家に帰っている。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさいませ、ビビアナお嬢様」
帰ったときに使用人にこんな風に迎えられるのも、私が魔術をきちんと使えるようになったから。
それまでは、結構ぞんざいに扱われていた。
帰っても声なんてかけられなかったし、最低限のお世話しかしないみたいな感じ。小さい頃はともかく、それなりの年齢になってからは、自分が落ちこぼれだからとわかっていたので気にしないようにしていたけれど。
「父様は?」
丁度いた執事長に尋ねると、「書斎におられます」と返ってきた。
だとしたら、仕事中か。それなら丁度良い。今後のアミュリュート家の存続に関わる話だ。邪魔だと言われることもないだろう。
「わかりました」
それだけ返して、父の書斎に向かう。
勝手知ったる実家の中なので、迷うことはないのだけれど、この書斎への道には思うところが結構ある。
父に呼び出されては落胆される、そんな場所につながる道なのだ。
その道中、見たくもなかった顔と出くわしてしまった。
短い髪に、自信満々の顔。整っているはずなのに、見ているだけでイライラしてくる。
常に私を見下す兄が、父の書斎から出てきた。
「ビビアナ帰っていたんだな」
「兄様こそ、父様に何か? 私は今日の報告をしたいのですが」
何故か道をふさぐように兄が立つので、言外に退けと言う気持ちを込めたのだけれど、兄はなにやら勝ち誇ったような顔をした。
「そうだった、そうだったなぁ。我が家がたかがハンターに依頼したんだった。フィイヤナミアの義娘がいかに凡庸であるか、いかに無能であるかを調べてこいと。
だがな妹よ。その依頼はキャンセルだ。銅貨の一枚たりとも渡すことはないよ」
「どういう意味でしょうか?」
「察しが悪いな。さすがはアミュリュート家のお荷物だ。
今日より、我がアミュリュート家は反フィイヤナミア派として、中央を統べておきながらなにもしない怠惰な王を打ち倒す役目を得たのだよ」
私の実家、私の兄の話ながら、頭が痛い。
兄もここまでではなかったと思うのだけれど、どうにも私が二つ名を得たせいで焦っている節がある。
アミュリュート家の長男として生まれ、次期当主であるとされていながらも、スミアリア姉様の方が優秀と言われ続けていたのだから。
父も父で、姉様を手元に置いておきたいが故に、婚約の話を全て断っている。他国よりも初婚年齢が高い中央ではあるけれど、それでも姉様はもう少しで行き遅れと言われるようになるだろう。
兄の姉様への劣等感は、落ちこぼれであった私の方へと向かう。
それはつまり、私という下の存在がいたからこそ、兄の精神は保たれていたと言えなくはない。
私にしてみればいい迷惑なのだけれど。
そんな私が出世してしまったから、躍起になっているのが今の兄。
「だから、立場を決めるためにした依頼はキャンセルすると言うことですか……」
「ああ、そうだ」
「そうですか」
では、ギルドに報告させてもらいます。と心の中で付け足す。
兄はたかがハンターと馬鹿にするけれど、中央を牛耳っているのは他国で言うところの貴族階級。
それからハンター組合・商人組合・教会の上層部となる。
つまりハンターだからと馬鹿にされる覚えはない。
それなのに、一方的にキャンセルと来たか。
妹だから許されるとでも思っているのだろうか。まあ個人的な依頼なので、泣き寝入りするしかないけれど、ハンター組合に報告すればアミュリュート家の立場は悪くなるだろう。今の私なら、それくらいの立場は持っている。
腹は立つけれど、ここで感情的になるのは悪手なので、努めて冷静に返す。
「そういえば、どのようにして父様を説得したんですか?
簡単には頷かないと思うのですが。是非、兄様の手腕を教えてください」
「ああ、いいだろう」
持ち上げ方が露骨だったかなと思ったけれど、案外すんなり乗ってくれて驚く。
この兄、大丈夫なのだろうか?
「偶然ではあるが、反フィイヤナミア派のトップ、トリアドルと渡りをつけることが出来てな。
アミュリュートが参加してくれるなら、相応の地位をくれると約束してくださった。
少なくとも、今のような中途半端な位置ではなく、より高みを目指すことが可能になったのだ」
「……その見返りにアミュリュートはなにを?」
こういった場合になにが行われるかなど、私の周りではありふれていて今更確認するまでもない。
しかもトリアドルといえば、女好きで有名なところだ。こうやってトップにたてるだけの優秀さを持ち合わせているので、隠れてはいるが。
私が贈られることはない。なぜなら、私は既にアミュリュート家の者とは言えない立場になっているから。
だとしたら……。
「相変わらず不出来で安心するよ。決まっているだろう? スミアリアを嫁に出すのさ」
そうなるしかない。胃の奥が熱くなってくるように感じるが、それを抑えて冷静に兄と会話をする。
「父様はどのように?」
「スミアリアは確かにアミュリュートの為に働いてきた。
だが、もう可愛い妹の幸せを願ってもいいだろうと言えば、納得してくれたよ」
「そうですか。わかりました」
「今日はやけに物わかりが良い。どうやら、自分の立場を自覚したらしいなビビアナ」
「いえ。ですが、とりあえず父様の耳に今日のことを伝えたいですので、退いてもらって良いですか?」
とりあえず父に確認して、姉様の意思を確かめなくては。
上機嫌の兄は素直に道を譲ってくれた。というか、これを言いたくて道を塞いでいたのだろう。
兄は姉様と私が親しいことを知っている。
急に力を付けた私を恨んでいる。優秀な姉様を疎ましく思っている。
姉様を追い出し、私を見返そうと思ったら、確かに良い手かもしれない。
殊勝な態度の私に兄は姉様がいなくなるショックを受けたのだと思っているのだろう。
怒ることも出来ないと思ったのだろう。
だけれど、今怒らずにいられたのは、どうにか出来る宛があるから。
本当は頼るのは気が引けるのだけれど、姉様のためなら私はいくらでも頭を下げよう。
でも、その前に父との対話が先だ。
◇
「先ほど兄様に話を聞きました。姉様をトリアドルに出すそうですね」
「ああ。文句があるか?」
「いえ、父様が決めたことならそれで。私には関係のないことです。
ですが、派閥を変えるには性急だったのではないですか?」
「かもしれんな。だが、アミュリュートのさらなる発展のためには、必要だと判断した。
それにあやつが話をつけてきてしまって、今更どうすることもできん。トリアドルとの約束を反故にすれば、アミュリュートは苦境に立たされるだろう」
なるほど。父としては姉様を出す気はなかったと。
だけれど、兄がすでに引き返せないところまで話を進めてしまったわけだ。
当主ではない兄の言葉で契約が成り立つのかは微妙なところだけれど、相手の方が力が強いので反故にしようとすれば、力づくで何てこともあり得る。
こうなったら、もう乗るしか方法がないと。
「ところでビビアナよ。戻ってくる気はないか?」
「ありません。姉様のように兄様にどこぞにとばされてしまうかもしれませんので」
「そうか」
「それよりも先日の依頼の件ですが」
「必要ない。もう石は転がりだしたのだからな」
緊急のことだったからギルドを経由せずに依頼を受けたのだけれど、本当になんなのだろうか。
愚者の集いの面々に頭を……下げなくても良いか。別に。
「そうですか。では、失礼します」
報告がいらないと言うのであれば、ここにいる意味はない。
さっさと後にして、姉様のところに向かった。
◇
「あら、ビビアナ。帰ってきていたのね」
「はい。スミアリア姉様もお元気そうで何よりです」
「そうね。その様子だともう聞いてしまったみたいね」
物が少なくこざっぱりとしている、スミアリア姉様の部屋。
だけれど淡い水色を基調とした部屋は、落ち着きがあり姉様らしい部屋だとも思う。
そんな中で佇む姉様は、妹ながら美しいと感じる。
長い髪に華奢な手足。普段日に当たらない肌は白く、深い藍色の瞳は吸い込まれそうだ。
「そうですね……」
「寂しくなるわ」
「姉様は良いんですか?」
「家のために嫁ぐ。それが定めだもの」
姉様ならこう言うだろう。
私と違って、アミュリュート家のためにと育てられたのだから。
私には優しいのに自分には厳しいスミアリア姉様。
「この結婚が本当にアミュリュート家のためになるとお思いですか?」
「……いいえ。フィイヤナミア様に弓引くようなことをして、ただですむとは思わないわ。
だけれど、兄様も父様もワタクシの話は聞いてくださらない。
だからもう他に道はないのよ」
いかに姉様であっても、ルールを覆すことは出来ないし、無い物が降ってわいたりするわけではない。
そもそも姉様が優秀なのは、魔術の腕と冷静に物事を見る目。
策略とかが得意なわけではない。
だから今回はフィイヤナミア様についた方が良いと冷静に判断は出来ても、説得には至らなかったわけだ。
「姉様の言うとおり、フィイヤナミア様が負けることはないでしょう。
いえ、その義娘すら倒せる人はいないでしょう」
「ビビアナが見て、それほどなのね」
姉様が遠い目をする。負けるとわかっている戦いに望むかのようだ。
だとすれば、切り出しても良いかもしれない。
「姉様にアミュリュート家を捨てる覚悟はありますか?」
「どうしてそのようなことを?」
「姉様をアミュリュートから引き離すことが出来るかもしれません」