110.ビビアナと勢力と不穏
シュシーさんのお店を後にして、シエルがハンター組合に向かっているとき、『そう言えば、エイン』と声をかけられた。
なんだかちょっと楽しそうな色が混じるその声に若干身構えつつ、『どうしたんですか?』と応える。
『入れ替わるときに、髪飾りと指輪は仕舞ってしまったのね?』
『あの……、えっと……。シエルに買ってもらった、わたしのものなので……。シエルが使いたいというのであれば、拒否はしませんが……』
そこをツッコまれてしまうとなんだかばつが悪い。
シエルにも貸さない、という心構えではあったけれど、シエルに頼まれればわたしは断れないだろうし。
でも出来れば、独り占めしたいなとも思う。
我ながら面倒くささを感じるが、そう思ってしまったものは仕方がないと思うのだ。
この面倒くささを表に出さないように気をつけるだけだから。
今の返答に若干滲み出ているかもしれないけれど、動揺してしまっただけなので。
きっと大丈夫。大丈夫。と頭の中で自分を慰めていたら、シエルがクスクスと笑うのが聞こえた。
『良いのよ。良いの。だってエインのものだもの。
それだけ大切にしてくれているということだものね』
そうなのだけれど、くれたシエルに言われるとなんだかとても恥ずかしい。
『だから、これはエインにも貸してあげないわ。
どうしてもと言うなら、貸してあげそうだけれど、とりあえずは貸してあげないの。あげないのよ?』
シエルがうれしそうに首に掛かったネックレスを触りながら、言葉を続ける。
『それは、はい。もちろんです。シエルのために選んだんですから、わたしは使いません』
『私も同じよ。形も色も違うけれど、お揃いね』
『そうかもしれませんね』
お互いが初めて相手を着飾る目的で選んだプレゼント。
見た目は違っても、その気持ちはお揃いだったら素敵かな、なんて思うのはちょっとロマンチックすぎるだろうか?
◇
シエルがハンター組合に到着したら、すでにビビアナさんがハンター組合の中にいた。
ハンター達が自由に使える机と椅子があるスペース、その一画を陣取っている。
何というか、いらいらしているというか、緊張しているというか。
ただならぬ気配に、周りのハンター達が近寄ろうともしない。
何なら「愚者の集い」の面々も一つ隣の席で様子を見守る形を取っている。
はて、どうしてこんなことになっているのか。
どう考えても、ビビアナさんへの情報伝達がうまくいっていないのだろうけれど。
それとも、ビビアナさんの情報不足かな?
周りに耳を傾けてみれば「あの女って愚者の集いの……」「ああ、"速撃の令嬢"だ……。何であんなに威圧感を放っているかは知らんがな」という声が聞こえる。
ビビアナさん「速撃の令嬢」って二つ名なんだ。
魔術の早打ちが得意だったはずなので、速撃はそのあたりか。
令嬢については、良いところの娘には違いないだろうからだと思う。
改めてわたし達なら何になるのかな、と思ったけれど十中八九「フィイヤナミア様の娘」だろう。
いや、二つ名としてどうかと思うけれど、世間の認識でもっとも強いのは間違いなくそれになるだろうし。
それはそれとしてシエルの二つ名は「色彩の踊り子」とかどうだろうか? 速攻で舞姫バレしそうだけれど。
閑話休題。
そんなわけで、ビビアナさんに近づくことすら難易度が高い状況だけれど、シエルは気にした様子もなく台風の目たるビビアナさんのところに向かう。
ビビアナさんはシエルが近づいてもそのことに気がついていないらしく、テーブルの一画をじっと見つめていた。
それから何を思ったのか、シエルはビビアナさんの対面に座って「お待たせ」と声をかける。
声をかけられたビビアナさんは飛び上がるように背筋を伸ばして、「い、いえ。とんでもございません」と裏返りそうな勢いの声をあげた。
うん。たぶん、どんな風に声をかけても同じ結果になっただろう。
「どうしたの?」
「いえ、あの……。あれ? シエルメール……よね?」
シエルの姿をはっきりと認識して、ビビアナさんが混乱したように尋ねる。
これは「フィイヤナミア様の娘から呼び出しがかかっている」とだけ伝えられたパターンかな?
そしてビビアナさんは、フィイ母様の娘がシエルとわたしであることを知らないと。
現状ハンター組合内で、そのことを周知している最中だろうし、タイミングが悪かったのかもしれない。
ハンター組合的にはフィイ母様の娘ということがもっとも大切で、それを知ってもらえていれば良いと思惑もあったかもしれないし。
下手にシエルの容姿を伝えて、勝手に侮ったあげく、見下げた対応をとられるよりはいいのだろう。
「そう。久しぶり」
「ええ、久しぶりね。えっと、フィイヤナミア様の娘というのは……」
「私」
「ちょっと、待ってくれるかしら。混乱してきたわ。あと、切り替えないと駄目よね。ええ、はい」
ビビアナさんの混乱具合がなかなかだ。
シエルとともに落ち着くのを待っていたら、数分の時間があってビビアナさんの様子が戻った。
「今までのご無礼をお許しください。
本日はどのようなご用件でしょうか?」
そしてこの変わりよう。さすがは良いところのお嬢様だ。
知り合いとは言え、これだけの人の目がある場所で今までと同じような対応はいけないと理解しているのだろう。
いや、そんな偉そうなことが言えるほど、わたしも詳しくはないけれど。
シエルもその辺理解したらしく、この場で話し方について言及するつもりはないらしい。
そのかわり、職員を一人捕まえて「2人だけで話したい」と告げた。
一瞬怪訝そうな顔をした職員さんだったけれど、合点がいったらしく緊張した様子で案内してくれた。
横暴っぽく見えるけれど、あの場所で雑談なんて始めようものなら、ハンター組合の方が困るだろう。
それよりも隔離しておいた方がお互い安心だと思う。
2人で使うにしては広めの個室の中で、シエルが魔法袋から一枚の手紙を取り出した。
手紙というか、紹介状というか。
「これ返す。ありがとう」
「いいえ、お役に立てず申し訳有りませんでした」
「普通に話して良い」
シエルに言われて、ビビアナさんが困ったような顔をする。
こちらとしては、急に話し方が代わって違和感がすごいのだけれど、ビビアナさん的には礼儀としてこうなったのだろうし、困るか。
だけれど、身分違いの友人なんて探せばいくらでもいるだろうし、人目がなければ普通に話して良いと思うのだけれど。
そうでなければ、シュシーさんやユンミカさんの説明が付かない。
「ええ、分かったわ。これを返すと言うことは、後ろ盾はもう良いのね?
いえ、聞くまでもなかったわ。フィイヤナミア様の義娘になったのであればこれくらいは不要よね。
貴女なら分からなくもないのだけれど、よくフィイヤナミア様の目に留まったわね」
「中央に入るときに、挨拶しただけ。そしたら客として迎えてくれた」
挨拶することよりも、フィイ母様の魔力に気がつけるだけの能力の方が大事だとは思う。
たぶんシエルでも無理なので、果たしてどれくらいの人が出来るのやらと言ったところだろうか。
だから「挨拶程度で?」と首をかしげているビビアナさんの考えは、間違っていると思う。
「さっきビビアナの緊張はどうして?」
「フィイヤナミア様の娘から呼び出されたのだもの。
貴女だったとは知らなかったし、普通はがちがちに緊張すると思うわ」
「それだけ?」
シエルが追求すると、ビビアナさんが参ったとばかりに首を左右に振った。
「いいえ。実家からの依頼だったのよ。フィイヤナミア様の娘がどう言った人物なのかを調べることが」
「どうして?」
「ここまで話したら、誤魔化しても無意味そうね。
フィイヤナミア様をトップから引きずり落とそうとする勢力があるのよ。何もしていないのに一番上にいることが、気に食わないそうね。
そんな中で、フィイヤナミア様が養子を取ったとなれば、付け入る隙になりかねないのよ」
確かにフィイ母様の娘だからこそ巻き込まれる可能性があるみたいな話はあったけれど、予想はしていたけれど、行動早すぎないだろうか?
わたしも簡単に弱点になってあげるつもりはないので、探知の魔法での監視は念入りに行っていよう。
まさかとは思うけれど、商人組合のシエルに逆恨みしている人もその一派に混ざっているのだろうか? むしろそのつもりだから、シエルに対してあんな行動ができたのかもしれない。
つまりフィイ母様を引きずり落とせると思っているわけだ。
『無謀過ぎません?』
『私もそう思うわ。でもそう思えない人がいるから、こうなっているのよね?』
『折角ですから、ビビアナさんに聞いてもらっていいですか?』
間違いなくわたし達よりも情報は持っているだろう。
フィイ母様に訊いても良いけれど、別の視点からの状況も知っておきたい。
「その人達、大丈夫?」
「結構な戦力は集めているらしいわ。中にはA級レベルの腕前を持っている人もいるって聞いているけれど……」
「その程度?」
「私もそれでフィイヤナミア様をどうにかできるとは思わないけれど、シエルメールは大丈夫なのかしら?」
確かに普通に考えると、A級が複数人いるのだとしたら勝てる見込みはないのかもしれない。
でもたぶんそれくらいなら、全て防ぎきれると思う。
フィイ母様が言っていたことが冗談ではなさそうなので、びくともしないんじゃなかろうか。
『A級って言うと、ワイバーンくらいよね? 全然問題ないのではないかしら?』
『攻撃特化の人がいて、S級クラスまで達していたとしても大丈夫だと思います。フィイ母様の言っていたことが本当ならですが』
『エインはもっと自信を持っていいと思うのだけれど。でも私はエインがいてくれるだけで安心なのよ? 結界だけじゃなくていろんなところを守ってもらっているわ』
『それなら良かったです』
ちょっとだけ、素っ気ない返しになったのは、やっぱり照れてしまうから。
それに調子に乗ってしまうと、足元をすくわれそうなので、わたしはとにかくより強い結界を作れるように頑張っていこうと思う。
なんてシエルと話していたら、ビビアナさんを放置してしまっていた。
あまり長い時間ではなかったけれど、様子を窺うようにこちらを見ている。
そんなビビアナさんに、シエルが一つ問いかけた。
「蒼の煉獄は知ってる?」
「ええ、師匠――フリーレ・イャズィーク師匠の魔術よね?」
「普段使っているのの格落ちの結界で、それも耐えられた」
「……本当、みたいね?」
「嘘を言っても仕方ない」
「だとしたら、何も心配はいらないかもしれないわね。貴女が強いのは知っていたけれど、そこまでとは思わなかったわ」
「自慢の結界だから」
シエルが得意げに言うのは、わたしをほめる意味合いがあるのだろう。
普段は見ないシエルの表情が何だか愛らしくはあるけれど、聞いているビビアナさん的には自画自賛しているように見えていそうだ。
シエルがそれを気にすることもなさそうだけれど。
このまま情報を教えてもらうのも、思い出話に興じるのも良いのかもしれないけれど、その前に1つ確認しておきたい。
『シエル、ビビアナさんに訊いてほしいことがあるのですが、良いですか?』
『何かしら? エインが自分で聞いても良いのよ?』
『入れ替わるのは少し待っていてください。ビビアナさんの前で入れ替わって良いのか決めるための質問でもありますから』
『わかったわ、何かしら?』
『ビビアナさんの家の立ち位置です』
これだけはちゃんと聞いておかないといけない。
フィイ母様の娘を見に来たのが、中央を混乱させないためとか、フィイ母様の統治を守るためかもしれない。だけれど、逆に陥れるために依頼したという可能性もある。ビビアナさんにその気はなくても家の意向に逆らえないという事もあるだろう。
問題は本当のことを言ってくれる保障は何もないことだけれど、それでも訊いておきたい。
「ところでビビアナの家の立ち位置はどうなの?」
シエルが尋ねると、ビビアナさんの表情が陰ったように見えた。