94.メイドとエインの姿とあの時の人
「うんうん。これで私達は家族ね」
手を叩いて、フィイ母様が嬉しそうに笑うと、リシルさんが何か言いたげに母様の服を引っ張っていた。
昨日は聞こえたのだけれど、今日はもう彼女の声は聞こえない。
それでも昨日声を聴いたからか、無音で動いている口が何を言っているのか聞こえるようだ。
想像でしかないのだけれど。
ちゃんと聞こえているフィイ母様が、何度か頷いた後で「今までと一緒で良いんじゃないかしら?」と返していた。
それに対して、リシルさんが不満そうな顔で頷いた。
リシルさんとの話を切り上げたフィイ母様が、一緒に来ているメイド達の方を見る。
「そう言うわけだから、改めて紹介しておきましょうか。
モーサ、サウェルナいらっしゃい」
母様が呼びかけ、メイドさん達――モーサさんともう一人のサウェルナさん――が声を揃えて「かしこまりました」と言ってから、やってきた。
モーサさんが真面目そうな人で、サウェルナさんが優しそうな人。
『もう一人はモーサって言うのね。昨日エインの近くにいた人かしら?』
『サウェルナさんはシエルの方に居ましたね』
なんてシエルと話をしていたら、母様が二人にわたし達の説明を始めた。
メイドさんたちは勘付いてはいるかもしれないけれど、ちゃんと説明はしたことなかったので、わたし達を担当する人には正確なことを言っておくつもりなのだろう。
むやみにわたしの事を教えるつもりはないけれど、この屋敷に限っては広まっても大丈夫……だと思う。
「見ての通り、この子達は1人の中に2人居るわ。だから基本的に貴女達は一緒に行動して、どちらが表に出ているかでメインとなる方を変えて頂戴」
「かしこまりました」
すぐにモーサさんが頭を下げたけれど、サウェルナさんの方は少し困ったようにこちらを見ていた。
「どうしたのかしら、サウェルナ?」
「申し訳ありません。お嬢様方をどのように見分ければよいのかと考えておりました」
「確かにそうね。言動を見ればすぐには分かるけれど、パッと見ただけだと全く同じ顔だものね」
「ですが母様。そればかりはどうしようもないと思うんですが……」
そうか娘になるから"お嬢様"と呼ばれるようになるのか。
嬢ちゃんは何度か呼ばれたことがあるけれど、お嬢様と呼ばれるのはまた何か違う感じがして耳慣れない。
それはそれとして、たとえ超一流の使用人であっても、黙って座っているわたし達を見分けるのは不可能だろう。
見分けられたら、それはもう読心術を使っているとしか思えない。
そう言った魔法・魔術があったとしても、わたしなら感知できると思うし、わたしの感知を上回るほどの技量を持っていれば、シエルとわたしの入れ替わりくらい見抜けるはずだ。
でもだからと言って、わたしに代わった途端にリボンをつけるとかできるわけでもない。
そして「なぜこちらが配慮しなければならないのか」と頭を過ってしまったわたしは、殺伐とした世界に身を置きすぎたようだ。
たぶん警戒心という意味であれば人に対して、わたしの方がシエルよりも上かもしれない。
『ねえ、エイン』
『何ですか?』
シエルに話しかけられたので、思考を止めて会話に移行する。
『私の身体を使って、エインの見た目にはなれないのかしら?』
『髪が黒くて、って感じですか?』
『ええ! 出来ると思うのよ!』
なんだかシエルが期待したような声で言ってくるので、「無理ですよ」とは言いにくい。
シエルに提案された以上、一度はやってみてから判断するけど。
とは言ったものの、どうすればいいのだろうか。
創造神様はわたしの魂の形があの姿だと言っていたので、魂に任せるままにしていたら、もしかしてうまくいくのではないだろうか。
なんて思っていたら、わたしの中の神力が身体の周囲を覆い始めた。
『ふふ、やっぱりうまくいったわ、うまくいったのよ!』
テンション高めのシエルの声が聞こえてきたところで、自分の肌を見るとシエルのそれよりも色のあるものに変わっていた。
肩から胸の方に流れてくる髪の毛も黒い。
「母様。変わりました?」
「ええ、ええ。これでわかりやすくなったわね。だけれど、その姿は消耗しないのかしら?」
「神力を使っているので、ないわけではないですが、しばらくは大丈夫そうです」
こうやって姿を変えられるなら、他の姿もいけるかなとやってみようとしたけれど、どうやらこれ以外は無理らしい。
それこそ魂の形だからこそ出来るのだと言えそうだ。
それにしても、と首をかしげる。
『どうしてシエルは気が付いたんですか?』
『やっぱり気が付いていなかったのね。今のエインは表に出ていなくても、エインの格好しているのよ?』
一度自分の身体を持ったことで、固定化したからだろうか?
理由はともかく、今朝の事を思い出すと、思い当たる節がないわけでもない。
『……そう言えばシエルのほっぺた触ろうとして、手がすり抜けていましたね』
『エインは私に触れたいと思ってくれたのね? くれたのよね?』
また余計なことを言ってしまった。と言うか、気が付かなかった自分が情けなくなってしまう。
シエルから見た魂だけのわたしはただの光の球体だったはずなのに。
何たる迂闊。そして何たる失態。
嬉しそうなシエルの声に、わたしは恥ずかしながらも答えないわけにはいかない。
『昨日のことが忘れられなくて……その。……寂しかったんです』
『ええ、ええ。私もよ、エイン。
それは嬉しいのだけれど、エインはもっと自分のことに興味を持ったほうが良いと思うわ』
『そうですね。はい……』
何か中央に来てから、わたし抜けすぎではないだろうか? いやエストークにいたころから抜けていたけれど。性別バレていたし、異世界から来たこともバレていたし。
落ち込んでいたら、フィイ母様と目が合った。
なんだかとても優しい目をしている。と言うか放置していたとか駄目だろう。
だから慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。母様」
「いいのよ、いいのよ。貴女達がお互いを大切に思っていることは知っているもの。
外では自由に話せないはずだから、この屋敷でくらい好きに話しなさいな」
「えっと、ありがとうございます」
母様の心遣いに素直に感謝して、今後は遠慮しないでシエルと話そうと思う。
メイド2人もなんだか微笑ましそうに見ている。
……遠慮しないで話そうと思う。
「とにかくとにかく、エインがその姿で居ればこの屋敷では大丈夫ね」
「そうですね」
「それじゃあ、改めて紹介しておきましょうか。貴女達が私の娘になったから、正式にそれぞれのお世話をすることになるモーサとサウェルナよ。
すでに言ってあるけれど、サウェルナはシエル、モーサはエインに付くことになるわ。まあこの区別に意味があるのかはわからないけれど」
フィイ母様が紹介すると、それに合わせて2人が頭を下げる。
それを見て黙っているのも居心地が悪いので、「これからよろしくお願いします」と返す。
その時ふと、彼女たちはわたし達の使用人なのだなということを思い出した。
詳しくはないけれど、使用人に対する接し方も貴族は見られるのではないだろうか。
使用人に対しては毅然としていないといけない、みたいな決まりとかある気がする。
わからないから、ぱちくりとこちらを見ている母様に訊いてみることにした。
「母様。今の話し方は問題ありますか?」
「エインが気にする必要はないわ。その程度で自分の立場を勘違いする人は、この屋敷にはいないはずだもの。
他の人が見て、貴女を侮るようならその人の底が知れるわ。
2人はこの屋敷だけの付き合いになるだろうから気にしなくていいとは思うけれど、一応呼び捨てにしておいた方が後々楽かもしれないわね。
どういうわけか、名前に敬称をつけると煩いのがいるのよね。
最悪全部無視しても大丈夫なだけの実力を、貴女は持っているのだけれど」
つまりモーサ、サウェルナと呼べということか。
日本だと初対面と言うか、親しくならない限りさん付けしておくのが安牌だったけれど、ここは異世界。身分があって、わたし達はいわゆる上流階級の仲間入りをするのだろうから、従っておいた方が軋轢を生まないだろう。
郷に入りては郷に従えということだ。
だけれど、わたし達は人という枠組みから足を踏み外している。
人と調和して生きていくだけがすべてではなく、人のルールに縛られる必要もない。
その辺のバランスを考えて、これからは生きていかないといけないのか。
案外面倒くさい。シエルに害がないなら、いっそ長いものに巻かれていた方が楽に生きられそうだ。
「その辺りはまた時間をかけて考えてみます。
とりあえずモーサとサウェルナには迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いしますね」
それだけ言ってシエルと入れ替わる。
色がシエルのものに戻り、わたしの姿が人型になる。
うん、本当にわたしの姿になっている。つまり黒髪シエル。
よく気が付かなかったな、わたし。
わたしが自分の姿をしげしげと見ていると、目の端でリシルさんがこちらを見ていることに気が付いた。そちらを見ると、ひらひらと手を振ってくるので、手を振り返す。
光の球時代から、精霊たちはシエルとわたしの会話が聞こえているような反応を見せていたけれど、姿も見えていたに違いない。
シエルも2人に声をかけて、ひと段落。フィイ母様が次の話に移る。
「そうね、そうだったわ。シエルはまだハンターを続けるのかしら?」
「たぶん続けるわ。他にお金を稼ぐ方法を知らないもの。
旅をするなら必要でしょう?」
「それなら一度、ハンター組合に挨拶に行った方が良さそうね。私の娘といっておけば、あとは良いようにしてくれるでしょう。
それからシエルを良いように使おうとした職員を覚えているかしら?」
母様に言われて一瞬何のことだと思ったけれど、あれだエストーク王都で会ったギルド長代理だ。
屋敷に来て数日とは言えいろいろありすぎたので、忘れていた。
何だったら、エルフのユンミカさんとか、ドワーフのバッホさんとか、獣人のワングワンさんとかに会ったのも忘れていた。
「あの代理の人ね。そんな人もいたわね」
シエルの認識なんてそんなものか。むしろシエルがちゃんと認識している人がどれくらいいるのだろう。わたしの方針だったとはいえ、これからはもっと交流を深めたほうが良いかもしれない。
そうして、まるで昨日の天気でも話すかのように、2人は代理の話を続ける。
「その人ね、もうハンター組合に捕らえられたわ。
今回のことを重く見て重罰に処すらしいわね」
「ふうん、そうなのね」
シエルの興味のなさがすごい。今食べているクッキーの方が大事と言わんばかりだ。
それはわたしも同感なのだけれど。
シンプルな味ながら、小麦粉や砂糖、バターの味に深みがあって、いくらでも食べたくなる。
「何が言いたいかというとね。ハンター組合は貴女達とは敵対したくないそうよ。
私との関係がなかったとしても、厚遇するつもりだったらしいわ」
「それは活動が楽になりそうね。セリアやカロルのお陰かしら?」
「あらあら、そう言えば彼女とは知り合いだったわね」
母様は、セリアさんかカロルさんと知り合いということか。
カロルさん辺りなら、知り合っていても不思議ではないけれど。
中央のハンターとはそれなりに親しくしてきたと思うので、正しく情報が伝わっていると考えて良いのだろうか?
それとも、単純に強さ目的かもしれない。
「後はそうね。人造ノ神ノ遣イを探すのにも、ハンター組合に所属しているのは悪くないと思うのよね」
「人造ノ神ノ遣イ……ああ、あれね。人が作り出した紛い物。
確かその1つを倒して、エインに神力が定着したのよね。つまり貴女達はこちら側に来る覚悟ができたのね?」
「ええ、だってエインの身体が欲しいんだもの」
シエルの返答にフィイ母様がクスクスと笑いだす。
「本当に貴女達は仲が良いのね」
「エインとはずっと一緒だもの。これからもずっと」
「そうなると中央以外の情報も必要になるわね。確かにそう言った情報なら、ハンター組合が一番かしら? あと単純に国境を超えるときに上位のハンターであれば簡単ね」
「それはフィイの娘じゃ難しいのかしら?」
「入国後が面倒だと思うわよ? 私は普段ここから動かないし、簡単に人を招かないもの。だけれど私と繋がりを持ちたいという人は、少なくないのよね」
つまり入国後、フィイ母様とのパイプ役にするために干渉される可能性があるわけか。
探し物があるなんて言ってしまえば、意地でも恩を売りに来る人がいるかもしれない。
それとなくシエルにそれを伝えると、シエルは詰まんなそうに「それは面倒くさいわね」と呟いた。