93.目覚めと心機一転と親子
意識が覚醒する。
ぼんやりとしながらも幸せな微睡の時間などなく、スッと意識が覚醒した。
昨日のことがまるで夢であったかのような心地だけれど、シエルの温もりをわたしは覚えている。
確かにあった温もりが、昨日のことが現実だったと思い出させてくれる。
だからこそ、今の状態がなんだかとても物足りない。
ベッドで眠っているシエルの頬を撫でようとしても、すり抜けてしまう。何度触れようとしてもわたしの手は、シエルの頬をすり抜けてしまう。
仕方がない、仕方がないのだけれど、なんだかとても寂しさが胸を覆う。
幸いなのはシエルの感覚を共有していることだろうか。
これで感覚がなければ、寂しさでどうにかなってしまっていたかもしれない。
早く自分の身体が欲しいと思ってしまう。なんて贅沢になってしまったのだろうか。
そんなことを考えていたら、「うー……ん……」とシエルが目を覚ました。
目をこすりながら体を伸ばす姿も、今となっては見慣れたもので温かいものが胸を満たしていく。
『おはようございます。シエル』
わたしが挨拶をすると、シエルは何かを探すように手を動かしていた。
それから探し物が見つからないことがわかったのか、残念そうに手を自分のところに戻した。
「ええ、おはようエイン」
その声はどことなく元気がない。
シエルもわたしと同じ物足りなさを感じているのだろう。
シエルも同じような気持ちになってくれているのは、どうしてだか嬉しくなる。
『シエル……早く神になりましょうね』
「ええ。ええ! 昨日を一日だけの夢にしたくはないもの」
『そのためにも今日も元気にやっていきましょう』
「もちろんよ」
シエルに元気が戻ったところで、朝食に行くように促した。
◇
「フィイ、昨日はありがとう」
『ありがとうございました』
「いいえ、いいえ。良いのよ。1日や2日、何だったら数年くらいなら私は気にならないもの」
朝食の席。先に来ていたフィイヤナミア様にシエルが頭を下げる。
何と言うか、自然にお礼が言えるようになっていて、成長が見えるようでうれしい。
と言うか、わたしが素直にお礼を言えるように気をつけておかないと。
前世だとひねくれていて、照れくさくて素直にお礼を言えないことなんてざらにあったから。
それにしても数年で気にならないのか。
「それでそれで、今日は何をするのかしら?」
子供に今日の予定を聞くかのようにフィイヤナミア様が尋ねてくるけれど、たぶん今日の予定はない。少なくともわたしは思いつかない。
昨日1日のせいでちょっと、すべてに対するやる気はなくなりつつある。
昨日の余韻を少しでも長く味わっていたいから。そうすると浸りすぎるだろうから、シエルを促してこうやって朝食にやってきたのだけれど。
「特に思いつかないわ。一応いくつかエインに訊きたいことはあるけれど、すぐに終わるんじゃないかしら?」
『わたしに訊きたいことですか?』
『ええ、エストークから出てきたけれど、人とどうやって付き合えばいいのかしら? とか、エインのいた世界はどんなところだったのかしら? とかね。
後者についてはエインが話したくないなら、聞かないけれど。あとはそうね、今のエインの状態かしら?』
確かにエストークを出た今、人とかかわりを持っても問題はないと思う。
と言うか、エストークでも中央出身の人とはかかわりを持ってきたのでひとまずはその延長で良いような?
地球についても、話そうと思うとそれなりにちゃんと時間を掛けて話したほうが良いだろう。
『一度ちゃんと考えてからお伝えしますね。わたしがいた世界についても、追々話していきましょう。
今日はフィイヤナミア様のお手伝いがあれば、それをしても良いかもしれませんね。
それから、わたしの状態ですか?』
『気が付いていないのなら、後でお話ししましょう?』
何かわたしに変なところがあるのだろうか?
気になるけれどシエルが言う通り、今はフィイヤナミア様との会話を優先したほうが良いだろう。
「ということで、強いてしないといけない事もないわ。
フィイは私に何かしてほしいことはないかしら?」
シエルがわたしの言葉をフィイヤナミア様に伝えると、フィイヤナミア様は「そうね、そうね」と首を傾げた。
「それでは、今後の事について話をしておきましょうか」
「わかったわ」
「その前に食事ね。話をするときにはモーサとサウェルナも呼ぶけどいいかしら?」
「エイン、良いかしら?」
『えっと、はい。大丈夫だと思いますよ』
「大丈夫だそうよ」
サウェルナさんが誰だかわからないけれど、たぶんモーサさんがわたしの担当と言っていたように、シエルを担当するメイドさんなのだろう。
シエルが嫌そうな感じを出していなかったので、顔は合わせているのだと思う。
「それじゃあ、後はその時にね。いただきましょうか」
フィイヤナミア様に促されて、シエルが美味しそうに朝食を食べ始めた。
◇
改まって今後の話と言われたので、何か真面目な話をするのかなと思ったけれど、朝食後に連れていかれたのはいつもの庭の見えるバルコニー。
お茶の準備もされていて、楽しくお話という雰囲気だ。
ここから見える庭は変わらず目を楽しませてくれるし、庭で遊ぶ精霊達が時折こちらを気にしているのもなんだか可愛らしい。
そしてリシルさんは今日はフィイヤナミア様の膝に乗っていた。
人に座るのが好きなのだろうか?
というか、フィイヤナミア様は上司の同僚みたいなポジションだと思うのだけれど、リシルさん的には気にならないのだろうか。
いやわたしも立場的にはフィイヤナミア様と同格になるのだろうか? よくわからない。
「さてさて、シエルとエインセルちゃんは、今自分がどのような立場か覚えているかしら?」
『フィイヤナミア様の客ですよね?』
「フィイのお客様よね?」
「そうね。現状私の客人はこの中央に貴女達しかいないわ。
なかなか挨拶をして入ってくる人がいないのよね」
困ったわと言わんばかりだけれど、普通気が付かないと思う。シエルレベルでもまだ気が付けないのだから、フィイヤナミア様が意図することができるのは世界に数人とかではないのだろうか?
それとももしかして、本来はそれくらいの実力がないとフィイヤナミア様は会う気がなかったのだろうか。うん、そちらの方がありそうだ。
別にフィイヤナミア様は人を導くような神の使いではなくて、世界の管理が目的だという話だから。
そもそも人とかかわりを持つ必要はない。
「だから貴女達が中央の実質的なナンバー2になるのよ」
「えっと、偉いってことで良いのかしら?」
「そうね、そうよ。貴女達は偉いのよ。別に私も偉くなりたくてここにいるのではないけれど。
中央にいる人で煩わしいのがいれば排除しても構わないわ」
「そうなのね?」
フィイヤナミア様も意外と過激と思ったけれど、さっき人を導く存在ではないと思ったばかりだったっけ。
「そうはいっても、貴女達の力でどうにかなる人だけね」
「それはそうね。無理はしちゃいけないもの」
「貴女達が負ける相手はたぶんいないと思うけれどね」
「そうかしら? いいえ、そうね。エインの結界を壊せる人がいるとは思えないもの。
フィイでも無理だと思うもの」
シエルが胸を張って言うけれど、なぜそんなに自信満々なのか、と言うかフィイヤナミア様に張り合うのはやめてほしい。
それだけわたしの事を信頼してくれているということだろうけれど、フィイヤナミア様も大地の方が先に大変なことになると言っていたけれど。
こういう時にどう反応して良いのか、やっぱりわからない。
「ふふ、確かに私でも骨が折れるわね。
数年のうちに、私では太刀打ちできなくなるかもしれないわ」
「エインは凄いのよ?」
「ええ、ええ。凄いわね」
『あの……できれば話を進めてほしいですが……』
デジャヴを感じる。でもわたしの話ばかりされても困るのだ。
わたしの声が聞こえていたであろうシエルが、クスクスと楽しそうに笑う。
こうやって、わたしが困っているのもシエルは好きなのだろうか?
そうだとしたら、仕方がないかと苦笑い程度で許してしまいそうだ。
「それで本題は何かしら? それだけではないのよね?」
「そうだったわね。シエルとエインセルちゃんさえよければ、私の子供にならないかしら?」
「フィイの子供?」
「私としては、すでに家族のつもりだもの。姉妹でもいいのだけれど、さすがに年齢が違いすぎるものね」
朗らかに笑うフィイヤナミア様の言葉に、ちょっと面食らってしまった。
確かに家族のようなものだと言っていたけれど、実際にそうなるとは思っていなかった。
だけれど、悪い話ではないと思う。中央のトップの後ろ楯を得ることになるのだから。その実、何かあったとしても対応はわたし達に委ねられそうだけれど。
シエルはどう思っているのかしら? と反応を待っていたら、シエルがわたしにだけ聞こえるように話しかけてきた。
『エイン、エイン。子供になるってどういうことかしら?』
『そうですね。養子になるってことでしょうか』
『養子?』
確かにシエルは知らないのかもしれない。
そもそも、家族という感覚が薄いだろうから。強いて言えばわたしがシエルの家族……になるのだろう。関係性は最近はよくわからなくなってしまった。
親代わりのつもりだったのだけれど、シエルがしっかりしていることもあって、どちらが大人なのかわからないことが良くあるし。
『別の家の子供を自分の家の子にすることでしょうか。
直接的な血縁のない親子ということで良いと思います』
『……なるほどね。確かに貴族で子供が生まれないと大変だものね』
『そう言うことですね。世間的にも認められますから、フィイヤナミア様の客人と言う立場よりも、さらに強固な立場と言えるかもしれません』
『エインはフィイの提案をどう思うかしら?』
『悪くない提案だと思いますが、少しフィイヤナミア様と話をしていいですか?』
『ええ、構わないわ』
シエルに許可をもらって入れ替わる。
フィイヤナミア様もそれに気が付いたのか、何度か瞬きをした後、わたしに笑いかけた。
「悪くない提案だと思います。ですが、いくつか質問しても良いですか?」
「ええ、もちろん。こういう時にはやっぱりエインセルちゃんの方が良いのかしら?」
「どうでしょう? すぐにシエルも判断できるようになると思いますよ。
それで質問なんですが、フィイヤナミア様は後継者を求めているわけではないですよね?」
「それはないわ。私の役割は私のものだもの。
だから子供になったからと言って、何かが変わるわけではないわ。さっきも言ったけれど、すでに家族だと思っているんだもの。
私としては対外的な紹介が楽になるというだけね。それだけ面倒くさいのも集まってくるけれど、貴女達なら蹴散らせるでしょう?」
「フィイヤナミア様が教えてくれた通りなら、わたしをどうにかする前に中央が壊れそうですね」
そう言うことなら、受けても良い内容だろう。裏があるということもあるまい。あったとしたら、それはそれでわたし達に対処できるものではないだろうし。
これなら安心かなと何気なく返事をすると、フィイヤナミア様がなんだか不満そうな顔でわたしを見ていた。
それから何かいい考えでも浮かんだとばかりに、表情を一転させる。
「そうね、そうね。貴女達を子供にするのは良いけれど、条件が1つあるわ」
「条件とは何でしょうか?」
「私のことはフィイと呼んでほしいわね。少なくとも名前に直接様なんて付けたらいけないわ、だって親子だもの。
それから私もエインと呼ばせてほしいわね」
ニコニコとこちらを見るフィイヤナミア様が言っていることは間違っていない、と思う。
こちらの世界の常識は分からないので何とも言えないけれど、少なくともわたしの前世では親に様付けをすることはなかった。
条件としては破格だと思うのだけれど、どうにもフィイヤナミア様をフィイと呼ぶのには抵抗がある。目上の人を愛称で呼ぶことには抵抗がある。
「それが嫌なら、私がエインセル様と呼ぼうかしら」
「それはやめてほしいです。あとシエルと話す時間をください」
「もちろんね。待っているわ」
『エインは何が気になっているのかしら? フィイは信用しても良いと思うのだけれど』
『フィイヤナミア様を信用していないわけじゃないんです。
ただフィイと呼ぶのに抵抗があるんですよね』
『そうなのね? そんなに嫌なら私は今のままでも構わないわ』
『……いえ。わたしが慣れれば良いだけなので、話は受けようと思います。
シエルはそれで構いませんか?』
『フィイが相手なら大丈夫よ』
それなら腹をくくるとしよう。シエルが呼べているのに、わたしが呼べないというのは何だか格好悪いし。
でもまあ、親子か。
「決まりました。お話をお受けします」
「それじゃあ、私の事を呼んでみてくれるかしら?」
「分かりました。フィイ母様」
「ええ、ええ。それはちょっと予想外ね」
フィイヤナミア様――フィイ母様が驚いたとばかりの表情を見せる。
何でも知っていそうなフィイ母様がこんな顔をするのは何だか新鮮で、ちょっとだけしてやったという感じがする。
「ですが親子ですから、問題はないですよね?」
「そうね。それにその呼ばれ方は新鮮で面白いわ」
どうやらお気に召してもらえたらしい。
心の中でシエルにもばれないようにほっと息を吐いた。