閑話 願いが叶う日4 ※シエル視点
「シエルの身体は綺麗ですから、わたしは役得でしたね」
「エインは私以外の女性の裸をそんなに見たことがあるのかしら?」
ちょっと悪戯心が顔を出して、エインにこんなことを聞いてみる。
エインは元々男の人だったということは、女性の身体に興味あっても不思議ではない。
もしかしたら、そういう関係の人がいたかもしれない。
男性の時のエインはどんな姿だったのかしら?
それはちょっと気になるけれど、エインにそう言った女性がいたとしても私は気にしないわ。
それが理由で元の世界に帰りたいと言っても、私も着いて行くだけだもの。
だから少し困っているエインを見たいだけ。
ちらりとこちらの様子を窺ってくる様は心をくすぐられるようだけれど、私は笑顔で返すだけにした。
「残念ながら比較出来るほど見たことはないです。
実際に見たのはビビアナさんとか母親くらいのものですよ。ですが、わたしはシエルの身体を綺麗だと思いますから。わたし的には役得です」
「そうなのね。ええ、エインに気に入ってもらえてうれしいわ」
エインが誤魔化してきたので、誤魔化されてあげる。
気にしないとは思っていたものの、いなかったとなると少なからず嬉しく思ったから。
それからエインが浴室に促すので、エインの手を取って中に入った。
◇
この屋敷に来て数日になるけれど、お風呂はほとんど入っていない。
エインが好きだからよく入っていて私も好きになったけれど、お風呂は毎日入るようなものではないのだ。
それに屋敷に来てからエインが居なくなってしまったので、お風呂どころではなかった。
でも1度だけエインが戻ってくる前日にフィイに連れていかれたので、勝手は分かる。
さて本題。エインと洗いっこをしないと。でも、洗いっこの事はよく知らない。
たぶんお互いの体を洗い合うということだと思うのだけれど、どうだろうか。
「洗いっこって言うのは、お互いの体を洗えばいいのよね?」
「そうですね。髪は例によって汚れをお湯で流す程度ですけど」
「わかったわ。まずは私がエインを洗ってあげればいいのね」
間違いではなかったらしい。では張り切ってエインを綺麗にしないと。
桶にお湯を溜めて前にエインに教えてもらったように泡を作る。
エインに教えてもらったというか、エインの身体の動きを覚えているの方が正しいのかもしれないけれど、今ではふわふわの泡を体を洗う分には十分なくらいには作ることができるようになった。
でもエインが作っていたものにはまだ及ばない。
どうしてエインはあんなに細かい泡を沢山作れるのかしら?
泡を作りながらなんだか体がポカポカするのは、エインが魔術を使ってくれたからだろう。ちょっと詠唱が聞こえていた。
私が泡を作り終わった時、エインは背をこちらに向けた状態で椅子に座って待っていた。
なんとも無防備な背中に、私の悪戯心が顔をのぞかせる。
そっと近づいて、泡のついた手でエインの背中を撫でた。
「……ひゃっ」
先ほどまでより少し高い可愛い声を、エインが上げる。
歌姫のエインの声は耳に残る綺麗な声だけれど、こんな風に聞いても可愛いなんて反則ね。
「やっぱりエインの声は可愛いわね」
「……シエルと同じだと思いますけど」
「そうかしら? エインは歌姫だもの。エインの方がいい声をしているんじゃないかしら?」
「言われてみればそうかもしれません」
偶にこうやって、エインのちょっと間の抜けた部分が顔を出す。
エインは私のようには踊れないのは確認済みだし、逆もまた然りだというのは想像に難くない。
やっぱり職業が関係しているのだろう。
エインなら少し考えればわかりそうなものなのに、気が付かないのは、たぶんエインがその意識の多くを私を守るために割いてくれているから。
それは同時に自分のことが疎かになっているとも言える。
私はそれを愛おしく思うし、同時にエイン自身のことにも気をかけて欲しいとも思う。
それはそれとして、私の悪戯にちょっとだけ機嫌を損ねたエインもまた良いものだった。
どうしてエインはこんなにも愛らしいのかしら?
話をしながらもエインの体を洗っていくのだけれど、とても触り心地が良い。
今日だけで何回も抱き着いたし、出来るだけくっついていたのだけれど、こうやって直に触れるとまた違う。
エインだからなのか、人がこういうものなのかはわからないけれど。
だけれどたぶん、エインだからなのだと思う。全く同じ手触りだったとしても、エインが相手でなければここまで安らぎは感じないだろう。
本当に、本当に、エインの肌は安らぎを与えてくれるのね。
ずっと触っていても、少しも飽きが来ないわ。それどころか、もっともっと触れたくなってしまうのよ。
このまま抱きしめたくなってしまうわ。
魔性の肌ね。
温かくて、柔らかいの。ぽかぽかでふにふに。
「エインの肌はフニフニね」
「それはシエルも変わらないですよ。おそらくですが」
「そうよね。だとしたら、ここの大きさも変わらないのかしら?」
ちょっと悪戯心が顔を出して、エインの胸に手を伸ばす。「ひぅ」というエインの声に私の悪い子は満足して引っ込んだけれど、この独特な柔らかさに触るのを止められなくなる。
不思議なもので、自分のを触るのとはまた違う。
「大きくはないけれど、柔らかいのね。なんていうのかしら? 少し癖になりそうね」
「さ、されている側は、ちょっと、癖にならないでほしいんですけど……」
ちょっとやりすぎてしまったみたいね。
洗うのもまだ終わっていないし、またエインを洗い上げる仕事に戻るとするわ。
◇
一通り洗い終わったのだけれど、エインの肌の感触を手放すのが惜しくて、ついついフニフニしてしまう。
胸はエインが嫌がるのでやめておくとして、二の腕とかは特に触り心地が良い。
冗談抜きでずっと触っていられるフニフニ具合だ。
あとは、人肌と言うのが純粋に恋しくなってしまう。
相手がエインだと思うと、くっついているだけで満たされるのだけれど、同時に私はエインから離れられなくなっていく。
だけれど私ばかりが洗っていても、洗いっこにはならないので、エインに洗ってもらうことになった。
慣れた手つきで泡を立てて、それを私に乗せてから伸ばしていく。
エインの手が触れたところがなんだか温かくなるようで、とても気持ちが良い。
こちらが動かなくていい分、その心地よさに身をゆだねることができて、ついつい眠たくなってしまった。
だけれどあまり寝てしまうと、エインと一緒に居られる時間が短くなってしまう。
膝枕の時に寝てしまったのは、ちょっと惜しかったと思うのだ。
最高の眠りだったと自信を持って言えるけれど、寝ている間は時間が一瞬で過ぎ去っていったように感じるから。
一瞬でも長く、エインとの時間を記憶に残すには、この心地よさに負けてはいけないのだ。
「エインは洗うのも上手なのね」
「そうでもないと思いますよ。ええ、はい」
エインの手は気持ちが良いのだけれど、話しかけるとなんだか心ここにあらずと言う感じがする。
何と言うか、私を洗うことに必死になっているようだ。
それなら満足するまで洗われようかと、身を任せることにした。
◇
エインと私の髪が湯船中に広がって、模様のようになっている。
確か本当はこんな風に髪をお湯につけてはいけないらしい。痛むのだとか。
だけれど、私の髪はエインが一本一本結界で覆っているから大丈夫だと言っていた。
それって普通ではないと思うのだけれど。
少なくとも私にはできないわ。
広がった髪が重なり合っていて、まるで絡まっているようだ。
いっそ絡まったまま取れなくなれば、エインと離れることもないと思うのだけれど。
さすがにそれはエインが困ってしまうかしら?
つないだ手と、触れ合う肩の感覚に今は満足しておきましょう。
黙って並んで居るのも良いのだけれど、ふとエインがビビアナに抱えられていたのを思い出した。
手を放してエインを持ち上げる。
重たいとは思わないけれど、人ひとり分となればそれなりの重量があるのは仕方がない。
疲れたら身体強化を使うことにする。
腕の中に納まったエインはとても可愛い。
私をくすぐる髪の毛も愛おしい。
何よりこの体勢はエインと沢山密着できるので好き。
私はこのままでもよかったのだけれど、エインは私の足の間に収まった。
エインを感じ取れる場所が減ってしまったのは不満だけれど、私の負担を考えてくれての事だというのは分かる。その気持ちは嬉しい。
抱き着くようにエインに回した腕に、エインが手を添えてきた。
ちょっとした触れ合い。だけれど、ちょっとしたことに心くすぐられる。
そのままエインの肩に顔を乗せてみる。
骨が固いのだけれど、その上を覆っている肌が柔らかで魅惑の感覚。
エインの手が頭に伸びてくるので、私はにやける顔を押さえることができなかった。
とても幸せな気持ちだったのだけれど、エインが改まった様子で話しかけてくる。
「実はシエルに話していないことがあるんです」
「何かしら? もともと男性で、別の世界から来ていて、神様になっている途中で、他にも話していないことがあるものかしら?」
エインが隠していたことと言うか、エインが気にしていたことは全部聞いたのではないのかしら?
今更改まって話すことはないと思うのだけれど。
エインが話しにくさを紛らわすためか、私の髪を梳く。
「エインセルの由来です」
「話してくれるのね?」
「ええ、もう黙っておく必要が無くなりましたから」
「そうなのね。それなら教えてくれるかしら?」
確かにエインセルの名前の由来は教えてくれなかった。
シエルメールはすぐに教えてくれたのに、どうしてだろうかとは思ったけれど、何か特別な意味があったようだ。
そこから語られたのは、エインが元居た世界の物語のお話。
エインセルの名前の由来になった妖精の話。
「エインの名前の由来は分かったわ。でもどうして黙っていたのかしら?」
「エインセルがわたしが消えるスイッチになっているからです」
エインが消える? なんで? どうして?
「エインが消えるのはダメなのよ。ダメって約束したわ!」
エインが本当に消えてしまうんじゃないかと思って、エインを強く抱きしめる。
その腕をエインが優しく撫でた。まるで落ち着けと言わんばかりだ。
「はい。もう消える必要がないかなと思って話すことにしたんですよ」
「本当ね? 嘘じゃないわよね?」
「もちろんです」
なんだか安心して体から力が抜けた。
エインの肌が気持ちが良い。
ずっとこのまま脱力していたい。
そのままエインの話を聞いた。エインはエインが持っている魔術の技量をすべて私に渡したうえで、消えるつもりだったのだとか。
それこそ誰の記憶からも消えるような方法で。
エイン自身出来るかは半信半疑と言っていたのだけれど、エインセルという名前を付けた時から可能性は考えていたのだと思う。
だってエインは私が物心つく頃には魔法を使えていたのだから。
本当にエインには困ったものね。
どうして消えようなんて思うのかしら。
「それなら、今もまだその魔法は使える状態にあるのね?
どうしたら、使えなくなるのかしら?」
「わたしに別の名前を付けて呼べば使えなくなります」
「……それは困ったわ。困ったわね。エインはエインって感じがして、他の名前は違和感があるわ」
エインがエインセルではなくなるというのは何というか、変な感じだ。
もちろん、大事なのは名前ではなくて、エインの存在だとは思うのだけれど、私にエインにぴったりの名前をつけろと言われても困ってしまう。
エインにぴったりな、可愛くて、綺麗で、カッコイイ名前なんて思いつくはずもない。
でも、エインが消える魔法なんて使えなくしなくちゃいけない。
どうしたものかとぐるぐる考えていたら、エインが提案してくれる。
「それなら、1度だけで良いのでユメと呼んでください」
ユメ? それは何かしら?
首をかしげると、エインが私の頭をなでる。
「それは前の名前なのかしら?」
「前の名前のあだ名の1つ……でしょうか。一番今の見た目にはあっていると思いますから」
「そうなのね。
……ねえ、ユメ。私はユメが好きよ。大好き。だからいなくならないでね?」
「ええ、もちろんです」
私の訴えを聞き届けたエインは、私の方に頭を傾ける。
頭と頭がぶつかり、髪越しにエインがいることがわかる。
それで魔法は解けたのだろうかと、エインの方を見てみたら、エインが耳をくすぐるような声量で「使えなくなりましたよ」とつぶやいた。