閑話 エインが帰ってきた日とその翌朝 ※シエル視点
今回から閑話です。区切りが良かったので今回は少し短めになりました。
エインが居なくなってからもう3日目の夜になった。
昼間はフィイと話をしているから気分が紛れるけれど、夜に一人で部屋にいるとやっぱり寂しくなってしまう。
だからついつい「エインはまだかしら?」と呟いてしまうのは仕方がないことだと思う。
『えっと、おはようございます。シエル』
ため息をつきそうに思っていたら、そんな声が聞こえてきた。
毎日毎日聞いていた、大切な人の声。
「エイン、エインなのね。おはようエイン」
さっきまでの憂鬱が嘘のように、楽しい気持ちがあふれてくる。
エインの名前を何度も口にしたくなる。
フィイが言っていたものね。エインが帰ってきたら、元気な姿を見せないといけないって。
だから元気な姿を見せるのよ。エインに心配かけないように。
何よりエインが戻ってきたのだから、元気が出ないわけがないのだ。
『あの、シエルは大丈夫でしたか?』
エインの声が少し暗いような気がして、少しだけ沸き上がる感情にストップをかける。
「ええ、ええ。少し落ち込んだけれど、大丈夫だったわ。
フィイがね、いろいろ教えてくれたのよ」
『そうですか……楽しそうでしたからね』
「あら、エイン。知っていたのね? 見ていたのかしら?」
見ていたのなら、早く声をかけてくれればよかったのに。
そうは思うけれど、エインの声に元気がないのが、とても気になる。
『ええ、見てました。シエルとても楽しそうでしたね』
「そうなのよ、そうなの。だってフィイはね――」
『そうでしょう、楽しいでしょう!
わたしみたいなもともと男のよくわからない存在より、別の世界から連れてこられたわたしより、この世界で生まれた女性であるフィイヤナミア様と話していた方が楽しいですよねっ』
フィイとエインの話をしたときとても楽しかったことを思い出して、それをエインにも知ってほしくて、ついつい感情のままに話していたら、エインが強い口調で私の言葉を遮った。
こんなエインは初めてで、驚いてしまったわ。
だけれどこれが嫉妬なのね。エインが私を大切に思ってくれているからこそ、私がフィイと仲良くしていたことに引っかかってしまうのね。
そう思うとエインがなんだかとてもかわいく見えてしまう。
愛おしく感じてしまう。
「ふふふ、そうなのね。そうなのね。フィイの話は本当だったのかしら?」
『あの、シエル?』
思わず口に出してしまったのだけれど、それでエインが返した呆けた声も可愛いわ!
顔がにやけてしまうのを止められない。
エインは苦しんでいるのに、私だけ喜んでしまうなんていけないことだわ。
「フィイが言っていたの。フィイと仲良くしていると、エインが怒るかもしれないって。
エインはそんなことはしないわ、と返したのだけれど、エインは私が大事だから嫉妬するのよって。
嫉妬はあまり良い感情ではないからエインには悪いのだけれど、嫉妬してくれたのはとてもうれしいの。だってエインが私を大切だって思ってくれている証だものね。
でも、こんなことで喜んでしまうなんて、私は悪い子かもしれないわ」
『わたし……もともと、男なんですよ?』
「ずっとそんな気はしていたわ。
だけれど、それがどうしたのかしら?」
『どうしたのって……』
私はそもそもエインが男性でも女性でも気にしないし、エインが男性かもしれないと予想はしていたから「そうだったのね」くらいにしか思わないけれど。
でも男性だったということは、エインは身長が高かったのかしら? 今のエインの綺麗な声からは想像つかないわね。少し気になるのよ。
だけれど、そうね。エインはずっと女性を演じてきたのよね。
私が男性恐怖症かもしれないと思っていたみたいだから。
「エインは少し勘違いをしていたようだけれど、私は別に男の人が苦手ってわけではないのよ?」
『……違うんですか?』
「男の人も苦手だけれど、基本的に人は皆苦手なのよ?
人を分けるとしたら、まずエインとそれ以外で分けるわ。エインが一番大切なのよ?」
一応愚か者の集いとか、セリアとか、カロルとか気を許しても良いかなと言う人もいるけれど。
だけれど、エインとその他という基準は変わらない。
「それに昔のエインは違っても、今のエインは女の人よね? だって歌姫だもの」
『ええっと、はい。そうみたいです』
「だとしたら問題ないわよね?」
『そう……ですか?』
「問題ないのよ?」
『はい』
エインはエインであればいいのだ。
それだけは、エインが否と言っても認めない。
中身エインであれば、姿がリスペルギア公爵でも構わないわ。
……いいえ、さすがにそれは嫌かもしれないわね。たぶんエインが嫌がるもの。
エインはまだ何か納得できないことがあるのか、おずおずと話を続ける。
『でもわたしはこの世界の人ではなかったんですよ?』
「それって何か困るのかしら? と言うより、そちらも何となくそんな気がしていたもの」
『……そちらもですか?』
「いくつか理由はあるけれど、"シエルメール"のもとになった言葉、ふらんす語だったかしら?
そんな国、今まで聞いたことないもの」
これも同じ。そんな気はしていたけれど、エインが別の世界の人だからと言って、私がエインを好きなことに何の違いもない。
だからエインは何も心配することはない。
私はどんなエインでも受け入れてみせるから。
「だからね、エイン。安心してね。私はエインが居ないと駄目なのよ。
エインが居ないと、不安で不安でしょうがないのよ。
これからも、ずっとそうだって断言するわ。
だからね、エイン。いつまでも一緒に居てね。
エインがいなくなったら私、死ぬまでエインを探すのよ?」
きっときっと。私はエインを探し続ける。
エインが嫌だと言っても、見つけるまで探し続ける。
『……はい。わかりました』
エインが納得してくれたので、あとは安心してフィイに任せよう。
用意していたベルを鳴らして、フィイに準備ができたことを伝える。
きっとこれから先は、私に聞かれたくない話をするだろうから、私は先に寝てしまおう。
むー、でもエインとの内緒話は、それが何であってもちょっとうらやましい。
◇
目が覚めた。体を起こしてみたけれど、エインからの挨拶はない。
ふと数日前のことを思い出して、怖くなってしまう。
「おはよう、エイン」
恐る恐る声を掛けたら『おはようございます、シエル』と普通に返事が返ってきた。
とても安心して、当たり前のことがなんだかとてもうれしくて、何度も挨拶を繰り返してしまった。
私が嬉しいことが分かったのか、精霊たちが私の周りを回るので、楽しさが増していく。
『嬉しそうですね?』
「だってエインがいるのだもの。昨日まではいくら挨拶しても返ってこなかったのよ?」
『えっと、それは……』
ちょっとだけエインを困らせてみる。
だけれど、申し訳なさそうにしているのは見ていられないので、少しだけ様子を見てから左右に首を振った。
「でもね、良いのよ。エインが元気になったみたいだもの」
フィイはうまくやってくれたみたい。
私ではきっと無理だったと思うと悔しいけれど、今はそれを飲み込まないと。
次はきっと私がエインを元気づけて見せるから。
『ありがとうございます』
エインがお礼を言ってくる。私がフィイにお願いしたのがわかったのだろうか?
だけれど、私はお礼を素直に受け取れない。
だってエインを元気づけられなかったのだから。
そもそもエインをここまで追い詰めてしまったのは私なのだから。
私はエインに何もしてあげられていない。
私はエインに頼りっぱなしだ。
「ごめんなさい。いいえ、ありがとう、エイン」
エインに頼りにされることもできない、情けない私でごめんなさい。
エインの大変さに気づけたはずなのに、見て見ぬふりをしていてごめんなさい。
今まで私を守ってきてくれてありがとう。今までの全部にありがとう。
私のもとに来てくれてありがとう。エインセル。