89.歌姫と舞姫とお風呂
着せかえ人形のあと、昼食を食べてシエルの部屋に引きこもる。
もちろんメイドさんも居ない。
広い部屋にシエルと二人きり。なんて言うといかがわしいけれど、いわば朝と同じ状況だ。
しかもやってきたのは良いけれど何をやるのかは決まっていない。
そうなると、シエルとわたしのこと自然とやることは決まるのだけれど、ふと良案が浮かんできた。フィイヤナミア様の許可が必要なので、また部屋から出る必要があるけれど。
「庭を使わせてもらえないか聞いてみましょうか」
「そうね。それが良いわね。楽しみね」
わたしがぽつりとつぶやいた言葉だけでシエルは理解したらしく、年相応のはしゃぎっぷりで立ち上がった。
このままだと、わたしの手を引いてフィイヤナミア様を捜して、屋敷中を走り回ることになりそうだ。
「今から聞いてみますから、少し待っていてください」
「……? ああ、そうだったわね。エインはフィイとすぐに連絡が取れるのよね。お任せするわ、よろしくね」
「と言うことで、屋敷の庭を借りても良いですか?」
どうせ聞いているであろうフィイヤナミア様に尋ねると、いつかのような方法で許可をくれた。
「大丈夫みたいです」
「それなら行きましょうか」
シエルはわたしの手を取ると、駆けださんばかりの勢いで出発した。
◇
フィイヤナミア様の屋敷の庭はやっぱり綺麗だと思う。
テラスから眺めるのも良かったけれど、こうやって実際に庭まで入ってくるとまた違った趣がある。
遠目には分からなかった花の造形とか香りとか。
眺めるだけではなくて、きちんと庭を歩く楽しみも用意してあるんだと感心してしまう。
さて、わたし達が庭まで出てきたのは、別に花を見たいからではない。
花も見たいけれど、本命はこの中で歌うこと。
美しい風景の中で歌うのはさぞ気持ちが良いことだろう。
シエルも待ちきれないのか、こちらをちらちら見てそわそわしているのが分かる。
さて、何を歌おうかと思ったところで、風に乗って歌が聞こえてきた。
柔らかな女性の歌声。
様子から察するに、シエルには聞こえていない、謎の歌声。
その声がなんだかとても耳に残る。
たくさん歌える歌はあるけれど、その中でも特に気に入り1回聴いただけで歌えるようになったものがいくつか有る。
今聞こえている歌は、そんな歌達にも匹敵するほど、もしくはそれ以上にわたしを惹きつける。
だって、まだ聞こえてくる歌は終わっていないのに、もう歌いたいから。
わたしの知らない言語のはずなのに、自然と声に出したくなってくる。
それはまるで吹き抜ける風のようにさわやかで、揺れる木の葉のように柔らかで、降ってくる木漏れ日のようにあたたかなのだ。
森のような歌。森のような曲。
1音1音を大切にしつつ、歌う楽しさを思い出させてくれる曲。
気づけばわたしは歌っていた。
知らないはずの曲を、知らないはずの言葉で。
歌っているのはわたしの意思のはずだけれど、どうして歌えているのか分からない。
呼吸をするかのように自然と口からあふれてくる。
だけれど、今はなぜかを気にしている暇はない。
歌うことが好きだから、歌えていればそれで良い。
シエルの舞を見るのが好きだから、疑問に思うくらいなら目に焼き付けたい。
わたしの歌にあわせて、シエルが舞う。
湖で遊ぶ妖精のように。小さな体を大きく使って、楽しさを表している。
シエルが足を着けた場所から光が広がっていくように、花々がシエルを称えるかのように幻視する。
シエルと視線が交差した。
目を細めるシエルに、わたしも同じように返す。
体があるからこそ出来ること。
体があるから見ることが出来た笑顔。
――ああ、楽しい。
――楽しい、なんて楽しいんだろう。
気付けばシエルが魔術を使っていた。
おもむろに空にとばした大きな水球が、雨となって降ってくる。
雨の中で舞うシエルは、雨にハシャいでいる子どものようでほほえましい。
次にシエルの動きの後に付いていくように、シエルの動きの軌跡を残すように水を操る。
日の光に当たりきらきら光る水のおかげか、幻想的な舞に変わる。
水の軌跡はシエルに操られる龍のようであり、太陽を反射する飛沫はシエルを引き立てる演出のようだ。
わたしの歌もシエルの舞いに合わせて変える。
さすがに一曲終わらないと無理だけれど、曲終わりのタイミングでシエルに合わせるように心がける。
どれくらい、こうやっていただろうか。シエルに疲れが見え始めたので、歌うのをやめた。
シエルもわたしに合わせて舞うのをやめる。
結局何曲歌ったのかは分からないけれど、シエルが肩で息をしているので結構歌ったのだと思う。
たぶんこれ、わたしが歌に体力回復効果を忍ばせていたら、暗くなるまでやっていただろう。
下手したら暗くなってもやっていたかもしれない。
舞姫を使っているときのシエルの魔力コントロールであれば、夜になっても明かりを灯すことは容易いだろう。星空の下、少し雰囲気の変わった庭の中で踊るシエルも見てみたい。
息が整ってきたところで、シエルが話しかけてきた。
「こうやってエインの歌を聴くのは初めてね。
最初の曲は何だったのかしら? 初めて聴いたわ。それにいつもの言葉じゃなかったみたいよね?」
「何処からか聞こえてきたので、一緒に歌ってみたんですよ」
「そうなの? 私には聞こえなかったのよ?」
「今のわたしの状態が関係しているのかもしれませんね」
「ええ、ええ。不思議ね。不思議だったわね。でも良い曲だったわ。
また歌ってくれるかしら?」
「はい。もちろんです」
話をするわたし達の間を気持ちがいい風が通り抜けていく。
どうしようかなと迷ったけれど、シエルも疲れているみたいだし、風景も良いので、シエルを手招きする。
シエルは首を傾げながらも、警戒することなくわたしの方にやってきた。
その間にわたしは庭の芝生の上に座る。
近づいてきたシエルも座らせて、ゆっくりとその頭をわたしの膝の上に乗せた。
いわゆる膝枕という奴だ。
シエルの体は細いので、枕の役割を果たしきれるのかは分からないけれど、でも女性らしい柔らかさもあるので逆に疲れると言うことはないだろう。
膝の上で目を丸くしているシエルが可愛い。
「この素敵な体勢は何かしら、何かしら!」
「膝枕ですよ。疲れているみたいですから、こうやって休んでいてください」
「そうね、そうね。そうさせてもらうわ」
と言いながらも、興奮しているシエルは果たして休めるのだろうか。
わたしはシエルが少しでもリラックスできるように適当な歌を諳んじながら、シエルの頬を撫でるだけだ。
シエルがくすぐったそうに笑うので、止めるタイミングを逸してしまうかもしれないけれど。
程なくシエルもわたしの方へと手を伸ばしてきた。
わたしの頬に触れ、フニフニと感触を楽しんでいたかと思うと、にへらとだらしなく笑う。
シエルのこういう姿はなかなか見られないので、とてもレアだなと思いながら好きにさせることにした。歌いにくいけれど。
それから次に手を繋ぐようにすり寄ってきたので、シエルの頬を撫でていた右手を差し出す。
シエルが満足げに手を繋ぐのを見届けてから、シエルの温もりを感じつつ、目を瞑り風を感じつつ、らららと歌い始めた。
◇
気が付けば夕暮れ。わたしがこうやって体を使える時間もあとわずかといえるだろう。
今日眠った段階で終わりなのか、それとも日付が変わるまで持つのかは知らないけれど。
わたしに膝枕をされていたシエルはいつの間にか眠っていて、目が覚めるとぎゅーっと抱きしめてきた。
生前はこうやって誰かと抱きしめ合っていたことなんて無かった――小学校とか記憶が曖昧なのでハッキリとは言えないけれど――ので、改めてやると少し恥ずかしい。
それでもとても安心するのは事実。体温が温かいとか、女の子の体が柔らかいとかそう言うことではなくて、シエルと一緒にいられるという実感。精神的な満足感がとても高いのだ。
いつまでもこうしているわけにも行かないので、抱き抱えるようにシエルを立たせる。
「そろそろ夕食だと思うのだけれど、それよりも前に汗を流したいわ」
「そうですね。それじゃあ、お風呂に……」
「一緒にはいるのよね?」
「えっと、はい。シエルが良いのであればご一緒します」
勝手に入って良いものか分からないので、フィイヤナミア様に確認をとってから屋敷に戻る。
途中でメイドさんに合流して、着替えやタオルを用意してもらった。
入浴の手伝いも提案されたけれど、今回はシエルと二人きりで入りたいからと遠慮してもらう。
とても残念そうだったのが印象的だったけれど、今日は許してもらおう。
この屋敷のメイドは、お世話をすることに飢えているらしい。
フィイヤナミア様には本来お世話は要らないだろうし、仕事欲しいんだろうな。
でもわたしにも本来はお世話は要らない。
シエルもなんだかんだで、食事さえ用意してもらえれば十分だと言うだろう。
脱衣室まで着いてきてもらって、中に入るのはシエルとわたしの二人だけ。
脱いで籠に入れてと、入浴前にすることはいつもと変わらないのだけれど、今日に限って言えば今の身体で裸になるのは初めてなので緊張する。
シエルの身体をもとにしている以上恥じることはないのは分かるのだけれど、わたしが本来持っている羞恥心を刺激するのだ。
シエルの身体を借りて、ビビアナさんとお風呂に入ったことがあるわたしが何を言っているんだと思われそうだけれど。
でも恥ずかしいので、シエルに背を向けて恐る恐る服を脱ぐ。
これ、着せ替え人形をしているときに、最後にドレスとか着せられていたら一人では脱げなかったかもしれない。
すべて脱ぎ終わった段階でシエルの様子を窺うと、既にシエルは服を脱ぎ終わっていて、しげしげとわたしの身体を見ていた。
うん、いや。シエルの身体みたいなものだから別にいいのだけれど、やっぱり恥ずかしい。
身じろぎしながら、耐えていたら、シエルが「私の身体ってこんな風になっているのね」と妙に感心した声を出した。
「シエルの身体は綺麗ですから、わたしは役得でしたね」
「エインは私以外の女性の裸をそんなに見たことがあるのかしら?」
くすくすと笑うシエルの問いに、どう返していいのか困ってしまう。
世間知らずのシエルも元男性であるわたしが、その多くを見ているということくらいは理解できているのは間違いない。
それで実際問題、見たことがあるかと言われたら、そんなに見たことはない。
リアルで見たことがあるのは、シエルと家族を除けばビビアナさんくらいなものだろう。
とは言え、そういうものを全く持っていなかったわけでもない。
シエルは悪戯っぽい顔をするばかりで、わたしを責めている様子はないけれど、これが元男性だとばらしてしまったことの弊害か。
「残念ながら比較出来るほど見たことはないです。
実際に見たのはビビアナさんとか母親くらいのものですよ。ですが、わたしはシエルの身体を綺麗だと思いますから。わたし的には役得です」
「そうなのね。ええ、エインに気に入ってもらえてうれしいわ」
何とか誤魔化せた。
わたしはともかく、シエルを裸のままで脱衣室に居させるのも悪いので「浴室に入りましょうか」と提案する。
シエルは「そうね」とわたしの手を取って、突撃していった。





