87.2人と微睡とお人形
わたしが身体を得る1日は、シエルのやりたいことをするという話をフィイヤナミア様は簡単に認めてくれた。
そもそも予定もないわたし達なので、別に今更気にする必要がなかったともいえる。
一応ハンター組合に行くのは、わたし達の立場が確定してからにしてほしいとは言われた。
立場ってフィイヤナミア様の客人じゃなかっただろうか。
とは言え許可をもらうまで行かなければいいだけなので、構わない。
この日は残りの時間ものんびり過ごして、眠ることになった。
わたしは寝る必要はないのだけれど、シエルの眠りに引きずられるように意識を失った。
◇
目が覚めた。
なんだか頭がぼんやりしている。
そのことが可笑しいなと思うけれど、なんで可笑しいのだろうかと考える頭はない。
しょぼしょぼする目を光になじませるように開けると、目の前には綺麗な寝顔があった。
長いまつ毛に、白い肌。絹糸のように艶やかな髪が一本、口の中に入ってしまっているのすら愛らしい。
閉じられた目は人形のようだけれど、呼吸に合わせて上下する身体が生きているのだと教えてくれる。なんだかとても触れたくなって、その頬に手を伸ばせば吸い付くような肌が心地よい。
触ってしまったせいか、目の前の目がうっすらと開いた。
こちらを確認して驚いたように空色の目を見開いたけれど、すぐに嬉しそうに細められる。
彼女の手が頬に伸ばしたわたしの手に触れた。
そして何かを確かめるように、わたしの手を撫でる。
そうしてにへらと笑うと、ゆったりとした動きで抱き着いてきた。
一気に距離が近づいたけれど嫌な感じは全くなくて、ふわふわとした幸せに自然と瞼が重くなる。
「エインよね? おはようエイン」
間延びした声が聞こえ、わたしも同じように挨拶を返す。
「おはようございます。シエル」
「ふふふ、眠たそうなエインも可愛いわね。このまま寝てしまうのはどうかしら?」
「それも良いですね。なんだかぽかぽかしていて、とっても幸せです」
「提案しておいて何なのだけれど、今日は時間がないから起きましょう?」
「んー……」
のっそりと体を起こして、とりあえず座った状態でゆらゆらと、頭がさえるのを待つ。
そして頭がさえてきたところで、ようやくいろいろなことに気が付き始めた。
目が覚めるという感覚。最近も最高神様のところに行っていたときに眠っていたとはいえ、今日のそれは明らかに違った。
久しぶりに眠っていたこの前は、起きたらすぐに頭がさえていたのだ。こんな微睡に溺れることは無かった。
だからこの感覚を味わうのは、この世界に来て初めてになる。
それから、目の前にシエルがいる。しかも触られる。
つまりわたしの身体が云々って日は、今日ってことなんだろう。昨日の強制睡眠もこれが理由だったのかもしれない。
要するにシエルと一緒に寝ていたわけなのだけれど、緊張や罪悪感はなく、幸福感が強い。
んー、女の子としての生活に慣れてしまったからだろうか。
「エイン、エイン。目は覚めたかしら?」
「はい、おはようございます」
「おはよう、エイン。うんうん、エインは可愛いわ。可愛いわね」
「見た目はシエルと同じですから、シエルが可愛いんですよ」
「いいえ、いいえ! エインだと思うと可愛さが増すのよ。
それに黒い髪も黒の目も、私は持っていないわ」
確かに髪の色が変わるだけでも印象は結構変わるもの。
黒の髪はシエルのものとは正反対の色だから、だいぶ印象が変わるだろう。
肌の色もわたしは黄色人種のそれだ。
シエルは嬉しそうにわたしを見る。
そう言えば今自分はどんな格好をしているのだろうかと思ったら、薄い生地のネグリジェを着ていた。肩とか特に薄い部分は肌が透けていて、なんだか恥ずかしい。
じっと見ていたシエルがおもむろに、わたしに抱き着いてきた。
シエルも似たような格好をしているせいか、シエルの体温が伝わってくる。
「やっとエインに抱き着けたわ。ずっとずっと、触れたかったのよ」
シエルが首辺りに顔を擦り付けるので、頭を抱きしめるように両腕で包んでそのまま撫でる。
シエルがそうだったように、わたしもシエルに触れたいと思ったことは多い。
頭を撫でて褒めてあげたいと、抱きしめて慰めてあげたいと、何度思ったことだろうか。
シエルと触れ合うというありそうでなかった非日常に、トクントクンと静かに、だけれど確かに胸が高鳴っている。
穏やかで、優しくて、1日中この時間に溺れていられる自信があったけれど、シエルが言っていた通りわたしには今日しか時間がない。
ある程度時間がたったところで、シエルの肩を掴んで優しく遠ざける。
わたしから引きはがされたシエルはどことなく不満そうだったけれど、わたしの顔を見ると小さく笑う。
その姿がとても可愛らしくて、思わず目を逸らしてしまった。
それに気をよくしたらしく、シエルはわたしの手を取って「朝食に行きましょう」と歩き出した。
◇
わたしの身体が出来るにあたって、1つ気になっていたことがある。
つまりそれは、今までと同等の結界をシエルに使うことができるのか。
今のわたしなら、劣化した結界でも十分な防御力を発揮できるはずではある。
でもそれはそれ。シエルを守るのに妥協をするつもりはない。
ということで、シエルに手を引かれながら自分の現状を確認してみる。
まず魔力。魔力っぽいのは感じない。代わりに創造神様から感じた力なら感じる。
次に魔法。結界はいつもよりスムーズにシエルに使うことができた。防御力も申し分なさそうだ。
うん。うん。これ、疑似的に神になっている気がする。
流石に昨日の今日で神様になるわけではないし、感じる力も創造神様やフィイヤナミア様から感じるほど絶大なものではない。
何と言うか今の状態は「神様体験」みたいな感じなのだろう。
どうりで屋敷から出てはいけないわけだ。
神様モドキを解き放ったら、たった1日とは言え何が起こるかわからない。
具体的には神力を身体強化に使い、全力で城を攻めれば一国なら滅ぼしかねない。やらないけれど。
攻撃してもダメージにはならないけれど、王族のところに行ってナイフを刺して回れば一国が滅んだと言えるだろう。やらないけれど。
もう1つ言えることは、たぶんシエルかわたし、もしくは両方が神化したら今の状態になる可能性があるということ。
神化なんて未知の話なので断言はしないけど、今のわたしは神の力によって構成されているわけで、それでいて確かにわたしの体であるから。
とりあえず、憂いはなくなったので、シエルに手を引かれるまま朝食の会場に向かった。
◇
フィイヤナミア様はすでに待っていて、シエルはためらわずに椅子に座った。
さてわたしはどうしたものかと思ったのだけれど、メイドさんがシエルの隣の椅子を引いてくれたので、そこに座る。
わたしが座ったところで、フィイヤナミア様が興味深そうな視線をこちらに向けた。
「あらあら、エインセルちゃんはシエルに似ているのね」
「シエルに引っ張られているんだそうです」
「確かにそうなるのかしら? 何にしても双子みたいで微笑ましいわね」
「ところでわたしの分の朝食もちゃんとあるんですね。今朝こうなったことに気が付いたのにびっくりです。屋敷の人たちも驚いていないみたいですし」
「屋敷には人がそれなりにいるから、量もあらかじめ多く作っておくのよ。1人増えたところで困ることはないわ」
言われてみると、メイドさんたちは何人もいるし、コックもいるだろう。
作る量が増えれば、一人分を捻出しても一人当たりの減少分は少なく済むだろうし、確かに問題なさそうだ。
「それにメイドはその道のプロだもの。この程度で驚いたりはしないし、貴女のことを話すこともないわ」
メイド凄い。流石は本物ということだろうか。
わたしが目を丸くしていたせいか、フィイヤナミア様がくすくすと笑い始めた。
「ええ、ええ。さすがに嘘よ。驚いているけれど、顔には出さないように育てられているのよ。だから今裏で驚いているわ。
話すということはないはずだけれど。そうしたら、解雇ではすまないものね」
「それなら安心ですね」
話されて困ることはないと思うけれど。
そして中央で話したら、フィイヤナミア様にバレるのは間違いない。
フィイヤナミア様に「早くお食べなさいな」と言われたので、お喋りはそこそこに用意された食事に舌鼓を打つことにした。
◇
朝食が終わって何をするんだろうかと思っていたら、フィイヤナミア様が「とりあえず、エインセルちゃんの服が必要ね」とつぶやいた。
そう言えば、ネグリジェで歩いていたなー。周りが女性ばかりとは言え、思い出したら恥ずかしい。
それなのに、似たような格好をしているシエルが、わたしを見て笑っているのはなぜなのか。
「ですが今日はわたし外に出られませんよ?」
「全く、全然。心配することはないわ。見たところシエルと体型はまったく同じなのよね?」
「理屈的にはそうなりますね」
シエルをもとにしているのだから、体型は変わらないだろう。
実際ここまで使ってみて、大きな違和感はない。
強いて言えば視界にちらちら入ってくる自分の髪が黒いことくらいだろうか。
シエルの髪ももともと金色だったのが、今の白に変わった経験があるのでさほどでもない。
そう言えば、回路が髪にもあるのだけれど……。まあ、良いか。不便はないし。
ついでにシエルの回路も好きに使える。おそらくシエルもわたしの回路を好きに使える。
単純に回路が倍になっているので、今の状態はそれだけで規格外も良いところだと思う。
「ええ、ええ。それならいくつか用意しているから問題ないわ。
シエルにもちゃんとした服を着慣れてもらわないと困るものね」
「嫌よ。今日はエインを独り占めするんだから」
まさかのシエルの拒否に内心冷や冷やするけれど、フィイヤナミア様は特に気にした様子もなく、むしろ悪戯っぽくシエルを諭し始める。
「あらあら、良いのかしら? 今ならエインセルちゃんを着せ替え人形にできるのよ?」
「それが何かしら? エインは何を着ても可愛いわ」
「確かに、確かに。エインセルちゃんは可愛いわ。だけれど、着飾ることでもっと可愛くなるのよ?」
「本当かしら?」
疑いの目を向けるシエルに、フィイヤナミア様が「ええもちろん」と笑いかけ、パンパンと手を叩く。
そしてどこからともなく――なんてことはなく、普通に現れるメイドさん。
わたしの後ろに来ると、「失礼します」と言って立ち上がらせる。
手に持っていた淡い色のストールをふわりとわたしの肩にかけると、ぐるぐるとわたしの周りを回りながら観察してきた。
最後に大きく頷いたかと思うと「失礼いたしました」と言って、椅子に座らせる。
肌が透けているのは気になっていたので、隠してくれるストールは嬉しいけれど、何だったのだろうか。
あとこのストールが妙に肌触りが良い。これが高級品というやつか。
この触り心地なら、多少高くても買っても良いかもしれない。
これならシエルの肌を痛めることもないはずだから。
「どうかしら?」
「なるほど、そうね……フィイの話にも一理あるわね」
「そうでしょう、そうでしょう。ということで、エインセルちゃんの服を探すのはどうかしら?」
「いいわ。いいわ。やりましょう。でも半日よ?」
「それは分かっているわ。シエルとエインセルちゃんの時間を徒に消費させるつもりはないもの」
「それなら急ぎましょう。どこに行けばいいかしら?」
ストールに意識を持っていかれていたら、いつの間にかシエルとフィイヤナミヤ様が意気投合していた。こうなる予感はしていたけれど、何だか思っていた以上にシエルが乗り気で少しばかり嫌な予感がしてきた。