86.神と幸せと選択
『これからの話ですが、とりあえずフィイヤナミア様や精霊王みたいに仕事はないんだそうです』
「今まで通り生活できるってことね?」
『それもそういうわけに行かなくなります。すでに少し神が混ざっていますが、どんどん神に近づいていくんだそうです。最終的には神の一柱になるみたいですね』
「エインが神様になるのね?」
シエルが首を傾げる。
いきなりわたしが神になると言われても現実味がないだろうし、正直わたしのことはどうでも良い。
『わたしが神になることは割とどうでもいいんで一度置いておきましょう。
説明を続けますが、わたしの魔力の半分が神力に置き換わると、神の側に足を踏み入れるんだそうです。
そこに至るまでに最長10年と言われました』
「それで問題は何かしら」
『わたしが神に近づいていくと、シエルも引っ張られて神になっていくんです』
一世一代の大勝負。それくらいの意気込みで何とか言葉にしたのだけれど、シエルはよくわからないと言う顔をしている。
体があったら心臓が張り裂けるくらいに緊張していたのだけれど、どうやらその緊張はしばらく続くらしい。
「私が神に近づくとどうなるのかしら?」
『そうですね。ある程度神に近づくと、精霊の声が聞こえるようになったり、精霊とふれあえたり出来るようになります』
「それは素敵ね」
『それから神の側に足を踏み入れた段階で不老になり、徐々に食事や睡眠が不要になったり、死ににくくなったりするそうです。
問題は不可逆であること。一度神の側へと足を踏み入れてしまうと、人に戻ることは出来なくなります』
ここまで言ってもシエルの表情は真面目なまま変わらない。
シエルが理解できていないということはないと思うのだけれど、実感しにくいことなのだろうか。
だから次の言葉を言うのは、少し卑怯かもしれない。
『シエルが神にならないようにするためには、わたしが消える必要が……』
「なら考える必要はないわね。エインが消えるのは無しよ」
言葉の途中で遮られた。
凛とした声は確かにシエルの強さを感じられる。
正直ホッとした。消えることになってもそれを受け入れるつもりでいたけれど、やっぱりシエルと別れるのは寂しいから。
だけれど、ここで安心しきってはいけない。だって勢いで決めて良いことではないから。
『よく考えてみてください。人ではなくなってしまうんですよ?』
大切な選択はもっと慎重に選んでほしい。そう思って問いかけたら、シエルの頬が膨らんだ。
ムッとして、口をとがらせている。ありていに言えば、怒らせてしまったらしい。
「エインこそちゃんと考えているのかしら。言ったでしょう? エインが居なくなったら、私はずっとエインを探すのよ? 死ぬまで探すのよ?
まさか嘘だと思っていないわよね?」
『思ってませんが、人でいたいと思ったときにはもう遅いかもしれません』
「それはエインが消えても一緒だわ。エインに会いたいと思っても、エインが消えたら遅いのよ。
それに神になっても、エインはいるし、精霊もいるし、フィイもいるのよね?
私が必要としているものは揃っているのよ。分かったかしら?」
『はい……わかりました』
シエルの剣幕に押されて頷いてしまった。
シエルに怒られたのは、初めてではないだろうか。わたしが怒鳴ったのも昨日が初めてだったような気がするけれど、あの時は全然違う。周りに人が居たら、どちらが大人なんだかと呆れられるだろう。
威厳もへったくれもないと内心落ち込んでいたら、シエルが静かな声で尋ねてきた。
「ねえ、エインセル。エインは私が嫌いなのかしら?」
『いいえ、大好きです。そうでなければ、今まで一緒に居ませんよ』
「私もね、エインのこと大好きなのよ?
だからね。私は何があってもエインを選ぶの。それでは駄目かしら?」
『いいえ。……いいえ』
シエルの言葉はとても嬉しい。嬉しいのだけれど、どういうわけか引っかかる。
フィイヤナミア様はずっと一緒でもいいと言っていた。
きっと今のシエルは本気で神になっても良いと考えているのだろう。
人であることへの執着はないのだろう。
それならどうして引っかかるのだろう。
何が不安なのだろう。
どうしてわたしはシエルと別れないといけないと思っていたのだっけ?
シエルが自立するために?
――いいえ。
子離れが必要だから?
――いいえ。
ああ、なるほど。自立をしなければ、子離れ・親離れできなければ、幸せになれないと思ったからか。
そうだ。わたしはシエルを幸せにできるかわからないから、不安なのだ。
もしもわたしが死ぬのがもう少し若い時であったなら、どんな困難の中でもシエルを幸せにすると言えただろう。高校生くらいであれば、根拠のない自信で持って豪語出来たような気がする。現実が見えていないから。
しかしわたしは自分を立派な大人だとは思っていないけれど、人の人生を背負うことの大変さがわからないほど子供でもない。
しかも神になったら、そうそう終わりは来ないだろう。数十年しかない人生とはまた重みが違う。
「何か引っかかるのね?」
『わたしは……わたしはシエルと離れたくはないです。
ですが、シエルを幸せにし続ける自信がありません。シエルをわたしに付き合わせて、不幸にさせてしまったらと思うと不安なんです』
あーあ。シエルに弱音を吐いてしまった。
でもちゃんと言っておかないといけないと思ったのだ。ここで無責任に「絶対に幸せにします」なんてわたしには言えない。言えたとしても「今後も守り続けます」がせいぜいだ。
わたしの言葉にシエルは首を傾けて、何かを考える。
「ねえエイン。私はエインのことが好きよ。エインが笑ってくれるのが好きだし、歌ってくれるのが好きだし、楽しそうにしているのも好き。
だけどね、私はエインが困っているのを見るのも好きなの。恥ずかしがっているのも好きだし、私のために怒ってくれるのも好き」
『そう……なんですか?』
「でもねでもね、本当に困っているエインは見たくないし、悲しんでいるエインも見たくないのよ?
えっとね、エインが私を幸せにしたいって思ってくれているのは嬉しいし、それだけで幸せなのだけど、たぶんエインが私を幸せにするって言うのは無理なのよ」
『どういうことですか?』
一生懸命に話すシエルは可愛いのだけれど、要領を得ないというか、うまく理解ができない。
「私とエインは違うもの。エインが困ってしまうことでも、私は困っているエインを見て喜んでしまうわ。そのことをエインは今まで知らなかったでしょう?
それに私がどういうことが嬉しいのか、私も全部わからないの。きっとまたエインの知らない一面を見たら、嬉しいとか悲しいとか思うのよ。
同じように私がどうやったら幸せなのかなんて、私にもわからないの。
だからね。私は私で勝手に幸せを感じるのだと思うのよ。
きっと、エインもエインで勝手に幸せを感じているのではないかしら?
それでもね、私は私が幸せになる方法は分からないけれど、少なくともエインが必要なことだけは分かるのよ。
エインはどうかしら? エインの幸せに私を必要としてくれるかしら?」
確かにシエルが困っているわたしを見て、喜んでいるのは知らなかった。なんだか結構こそばゆい。
それにしても、わたしの幸せにシエルが必要か……か。
シエルと出会う前であれば、必要とは答えられないけれど、出会ってしまった今ではシエル無しの幸せは考えられない。
むしろこの世界に来て、わたしはシエルにしがみ付いていたから、生きてこられたのだ。
『必要……です』
「それなら大丈夫ね。エインは私を幸せにする必要はないのだもの。
これからもずっと、それぞれが勝手に、でも一緒に幸せになりましょう」
シエルは笑う。花が咲いたように、太陽のように。
なんだかちょっとプロポーズみたいだなと思って、わたしも笑ってしまう。
ああでも、そうか。シエルとわたしの関係は、自立とか、親離れとか、そう言う話ではないのか。そう言う話ではなくなったのか。
わたしはシエルを守り続けるし、シエルが喜んでくれることを出来るだけしていくつもりだけれど、それは喜んでくれるシエルをわたしが見たいからすること。
たぶんシエルも同じ。
そう言うことで良いのだろう。
お互いの存在が自然であって、お互いの存在を必要としていて、お互いに相手を幸せにしたくて、お互いがいるだけで幸せに感じる。
ずぶずぶと底なし沼に沈んでいきそうな感じだけれど、それでも幸せならばいい。
わたし達は相互に依存している。だけれどそれは、ネガティブな関係ではない。少なくともわたしはそう思う。
「だからエイン。もう消えるとか言ってはダメよ?」
『わかりました』
「これで話は終わりかしら?」
シエルに言われて思い出した。
今はシエルとわたしの関係を再確認しているのではなくて、これからわたし達がどうなるのかとかそう言う話をしていたのだった。
だけれど、すぐに話しておかないといけないことは話した気がする。
主目的はシエルが神になるにあたっての変化の問題だったから。
あ、でもそう言えば、もう1つ早く伝えておくべきことがあったんだっけ。
『すぐに話しておかないといけないのはあと1つですね』
「何かしら?」
『最高神様がシエルのお願いを1つだけ叶えてくれるそうです。何でもというわけではないらしいですが』
「お願いが叶うのね?」
『叶えることが可能か不可能かは、神託を下してくれるそうです』
制限があるとはいえ、最高神様が直々に叶えてくれるというのだから、無茶なものでも大丈夫だと思う。
でもありがちな、死者蘇生とか不老不死とか世界征服とかは、無理な気がする。
貴族になりたいとかも難しそう。
わたしだったら何にしようかなと、考えていたらシエルが何にするか決まったらしく声を出す。
「私はエインの身体が欲しいわ」
『わたしの身体ですか?』
「だってエインと触れ合いたいのだもの。エインの姿はあるのだから、出来なくはないと思うのだけれど、どうかしら?」
『とりあえず、神託を待ってみます』
うん。神託を待つってすごいな。神託って待っていたら来るものではないと思うのだけれど。
【フィイヤナミアの屋敷で1日だけなら可能です】
『おお……』
「今のが神託なのかしら?」
『シエルも聞こえたんですね。たぶんそうだと思います。
わたしも初めてなので、絶対とは言えませんが』
「1日しか駄目なのね……まあ、仕方ないわ」
『シエルはこれで良いんですか?』
「他に何かあるかしら? できればずっとが良かったのだけれど、駄目だったってことなのよね?」
『シエルが良いなら大丈夫です』
シエルの願いなのだから、口を出す気はないけれど。
むしろシエルは本当に、さも当然と言わんばかりの表情をしている。
それがわたしにどうこうって言うのは、考えていなかった。
そう言えば最高神様がシエルの願いを知っていた風だけれど、予想できていたのだろうか。
と言うか、わたしの身体を用意するのに制限ってかかるんだ。
何かこう、ホムンクルス的なのを用意して入り込めば行けそうな感じするけど。
あー……でも、神の力に耐えうるくらいの性能じゃないと駄目なのか。
そうなると、技術的にかなり難しくなりそうだ。と言うか、神の力を入れたホムンクルスとか、「人造ノ神ノ○○」案件な気がする。
『そう言えば、いつから数えて1日なんでしょうね』
「そうね。今からだと少し困ってしまいそうね。明日かしら?」
『たぶんこの会話聞こえていると思うので、配慮はしてくれるかと思います』
「じゃあ、フィイにも言っておかないとね。
せっかくエインと触れ合えるのだから、出来るだけ邪魔をされないようにしないといけないわ」
『邪魔はされないと思いますが……』
わたしの言葉が聞こえていたかわからないけれど、シエルは勢いよく部屋を飛び出していった。