//0=3:/0/ インフェルヌス
「う、うう……」
「起きましたか、隊長」
僅かな揺れで目が覚めると、横にはルドルフがいた。手触りのいいブランケット一枚を体に被せられた潤は状況を把握出来ずにいたが、そこが軍用車両の中であることに気付くとある程度を察した。
正面にはガルカとリンジーが座り込み潤がゆっくり起き上がるとそれに反応を示す。
「潤、大丈夫?」
「わぁい、隊長が起きましたぁ」
「ああ、大したことない。リンジー、いや、今はモニカか」
正解です、と彼女はご満悦な表情だった。その口ぶりと軽微な身振り手振りから彼女がリンジーではないと気付くに至ったが、潤が抱く疑問はまだある。車内はブラック・ハンターズが今まで移動してきた車両とは型が違うのが一目見てわかった、その上見知らぬ兵士が数人共にこの車に乗りこんでいる。
周りに質問をしようとするとバックミラーから語りかけてくるように運転手が潤に向けて言葉を放つ。
「随分眠っていたが、大事に至らなくて良かったよ」
「マストさん、ですか。あれから何時間経ったんですか」
その小さな鏡から確認する彼の顔は二年前とほとんど変わらないように見えるほど眉目秀麗で、変化した所は髪を刈り上げていることくらいだろうか。そんな彼からの笑みは女性だったら誰もが虜になってしまいそうなほどだ。マストは潤の確認に優しく返答する。
「聞けば潤が気絶してから俺と合流するまで三時間、それから今の今までで四時間だ。今はクリアフィールドに向かってる最中さ、もう一時間待って潤が起きなかったら無理矢理にでも起こそうとしていた所だよ」
周りの兵士たちはマストが与えられた部下であろうとも推察する。外を見れば太陽はとっくに出ていて、その陽射しが車そのものを照りつけているようだった。
「そう、ですか」
気の抜けた返事をする。先程まで見ていた夢が忘れられない。今頃になってあの時の記憶が掘り返されるなんて思ってもいなかった。潤は頭を振るような動作でかつてのみすぼらしい自分を消そうとする。そんな動きを見せる潤をガルカは黙って見ていた。
「先遣隊との合流を図りたいんだが先程から連絡が一向にない、二時間に一回の定期報告もとっくに来ないんだ」
マストがそんなことをこぼした。仮にもガーディアンズの精鋭と国連情報局で構成された部隊、後者が役に立たなかろうが精鋭は恐らく元アリアステラの魔術師ほどの実力を持つ者だっているとも言い、誰もがまさかと思っていた。
「最悪の結果になっていようとも俺は俺の任務を果たすまでですよ」
「その通りだ、あの男はもう逃れられない」
潤の言葉にマストは同調した。
アライアス・レブサーブという男はアリアステラ戦線に来た時点で戦場とは関係ない場所で殺人を犯したとされる人物、新世紀戦争の長期化の遠因でさえある可能性が浮上している彼は国連としては逃してはいけない。
これ以上の被害が出るまでにレブサーブは殺さなければならない。それは国際連合の意志だった。
「そういえば潤、関係無いんだがグレイスさんって今どうしてるか分かるか?」
「っ…………」
車が起こす振動とともに来たその質問に潤ははっとする。
「いや、知りませんね」
「そうか、もしかしてガルカも?」
「むしろ私も気になっていたところで、任務続きで連絡が取り辛い状況でして」
マストも同じ状況だと話す。最後に話したのは半年以上も前のことでそれすら電話越し、実際には一年も会っていなかった。その時は彼の結婚式でかつて苦難を乗り越えた仲間たちが一堂に会し誰もが笑顔を見せていた。その中にはもちろん、アライアス・レブサーブも居た。
「ゲレオンさんにも聞いたんだけど、職務中だって怒られちゃって。まあ小声で知らないって教えてもらったんだけど」
「ふふ、情報局の人が知らないなら私たちが知るわけないですよね」
「それもそうなんだけどさ」
マストとガルカは笑い合う。
訓練校での教官を務めているはずの彼の音沙汰が無いのは何も不思議な事じゃない、あれほどの実力を持っている人間だ、世界中を飛び回って正しい事をやっている為に忙しくなってしまうのも無理はないとも彼を知っている誰もが思っていた、つもりだった。
「よく知らないんですど、そのグレイスさん、って誰なんですか?」
「ああ、モニカは入隊したのが最近だから知らないのも無理はないか」
モニカは二人に気安く質問する。ルドルフは驚いた表情で本当に知らないのかと彼女に小声で聞いている様子を見せた。
マストはかつての上司である彼を雄弁に語る。
「グレイス・レルゲンバーン、新世紀戦争の当初から優秀な魔術師として活躍して俺やゲレオンさん、潤やガルカも昔アリアステラ戦線で大分世話になったんだ。その人と最近連絡が取れないって話で」
「へぇ〜そんなすごい人がいたんですね」
「あの人の強さは折り紙つきだ。でも俺は最近まで本部の護衛で腕が訛ってるけど、今じゃ潤とガルカはあの人を越えられてるんじゃないか?」
そんなことないですよ、と謙遜をするガルカ。それ程までに彼は強い。だからこそ誰からも信頼されているし、言葉の一つ一つに説得力がある。だからこそ英雄の座につけている。だがそんな彼がいるからこそ、潤は。
「なあ潤?」
「……もういいでしょう」
「もういいって……」
マストはバックミラーで潤の顔色を確認するが俯いているせいか表情を読み取れない。元気づける為にも積極的に話題を振る。
「お前が一番グレイスさんを尊敬してただろ、傍から見てもわかるくらいだったよ」
「私もアリアステラに配属してから何回も聞いたよ」
それに乗っかるように正面にいるガルカもマストと同じように語りかけるが、潤は黙りこくったまま。その様子を見てか、そこからは彼の話をする者は居なくなった。
潤は自分が誰よりも頑張っているつもりなのにまるで自分を否定されているような気がしていた。尊敬していたものがあまりにも大きすぎたのか、自分の実力が未だその席に届かないからなのか。それは今まで抱いたことの無い感情だった。
あんなに優しくしてもらったのに、あれだけの力を目の前で見たのに。どうして自分には。
「もうすぐ着くぞ、はっ!?」
マストが皆に報告する。潤が見上げると同時にそこにいた全員がその景色を見て驚く。かつての光景がどんなものかはわからない、ただ今ある光景とは全く違うと断言出来るほどだった。
マストは出そうになっていた言葉を殺された気分になっていた。その景色を焼き付けられただけであの男への危機感が増えるほどに。
モニカとルドルフは言葉を漏らした。そんな、嘘だろ。まるで現実を受け入れられないかのような顔はその光源によって赤く染まる。
ガルカは潤の表情を見る、酷い有様になった町を彼はどう思うのか。それが確認したかった。
潤は呪った、レブサーブの行いを、自身の無力さを。
クリアフィールド郡は文字通り、地に沈んでいた。
そこから現れ出たのは別の町と思われる地下層だった。マストは風の噂で聞いたことを口走る。
「かつて、国連が開発していたとされる超巨大シェルター。半径五キロにも及ぶ地下街、クリアフィールドに作っていたのか」
結局その最終手段は新世紀戦争において使われることは無かった、そしてその噂が現実になったことにも驚いていたがマスト別の事にも気付いてしまう。
「この地下街を守る人間も先遣隊の姿も見当たらない、まさか」
「全員、殺された……?」
彼らを乗せた車両は煙の手前で止まり各々が車から降りる。断崖絶壁となった平原を見るとそこはまさに地獄だった。
火炎と硝煙に包まれ生まれた被害は数知れず、かつての戦争を想起させるほどの絶望が再びやってきたようで、彼らの背筋に悪寒すらやってくる。
そんな中、潤はたった一人口を開く。
「俺たちはこれ以上の被害を出しては行けないためにここに来たんだ、レブサーブを殺せば全てが終わる。その為に俺たちは今から戦う」
各々が彼の顔を見る。二年前の地獄を知らない彼とは遠く離れた存在に成り果てていた。鋭い目付きからは負の感情が溢れ出ているようだったが、それに気づけるものはおらずただ彼の言葉を聞いて奮起することしか出来なかった。
潤は歯を食いしばり宣言する。奴を殺すために、この地獄から解放される為に、そして。
「行こう。第三師団を、アライアス・レブサーブとの決着を今、ここでつける」
そう言うと彼は一番にその地獄へと降りていった。




