END. 戦場に夜は来ない
アリアステラ戦線。
三年前の二〇二九年、新たな戦線に設定されたこの地域は一面に広がる緑と心を豊かにするよう川で、そこは美しい以上の言葉が無いことに怒りを覚えるほど綺麗だった。
だが三年という時間をかけてそこは少しづつ、だが確かに汚れていった。戦争という人の心をも黒くする戦いの中で。
そしてその世界が再び二人の前に現れた。
間違いなくここはアリアステラだ。だが何かが違う、世界の時間が戻っているかのように緑が生い茂っているのだ。
「これは、一体どういうことだ」
訳も分からない様子のニルヴァーナにグレイスは説明する。
「綺麗だろう? 俺が初めてここに来た三年前、戦いの火種がまだ及んでいなかった頃のアリアステラだ」
それがどうして今になって現れたのか。答えはグレイスが発動した魔術だ。
「エクスマキナ、俺はこいつの能力を勘違いしていた。刃物を創り上げ、他人の命を絶つ。それだけのちゃちな物じゃなかったんだ」
グレイスの魔術、エクスマキナの真の力をやっとこそグレイスは発揮出来たのだ。
「こいつは刃を創り出す魔術。刃とはどんなものでも悪用されれば脅威となりうる物の総称だ。そして誰しもが持つ心というものもまた刃だ」
他人からの心を受け取り続けた彼が器となり収束し、発動したその未完全な世界はニルヴァーナとグレイス、二人だけの空間となっていた。
「俺の心の中で生き続ける全ての人間の全ての感情がこの世界を創った」
―言葉の持つ希望とその人の絶望、言動による生、哀しみを背負う死、グレイスが与えたゼロから一への昇華、グレイスが与えられ渡した愛、戦争への嫌悪感、反骨心、未熟で不安定な心、それに対しての覚悟などグレイスの見て経験し、感じ取ってきた現在までにおける心の表れを自身の器に収め、発動する不完全なる世界。
それが彼の世界の刃だった。
「無駄なことを。アイツと同じように俺のイクス、バニッシュドでお前を消してやるよ」
皮肉めいた言葉を投げつけるニルヴァーナに対して自身の記憶の中にある心を捧げて世界を創ったグレイスはもう過剰に反応する余地はなかった。
ただあるのは今いる目の前の男を。
「行くぞ、ニルヴァーナ。共に戦ったことも、敵として相対することも少なかったが、これがお前との最期の、勝負だ」
もう戦争なんて関係ない。今あるのは二人の力のみ。
あらゆる死地を生き抜いたこの躰と全ての覚悟を決めたこの心を以て。
「ニルヴァーナ……お前を殺す!!」
「こいよ、グレイス」
二人は緑の丘を駆ける。
ニルヴァーナは手元に持っていた剣を、グレイスはたった今創り出した剣を打ち合わせる。
金属音がよく響く。二人は全く同じ速度、同じタイミングで攻撃を繰り出す。
運命のように相手に傷をつけられないその剣はやがて鍔迫り合いとなりとどまる。
「こんな世界を創ったとて俺に勝てる訳が無いだろう!」
「違う、俺は、勝とうとしてこの世界を創ったんじゃ無い。俺は、生きている仲間と死んでいった俺以外の英雄、そして俺自身に希望を持たせる為にこの世界を、彼らの心に渡すんだ!」
緑は戦火に溺れた現在の地を侵食していく。
たとえ人の言葉が不完全であろうとその思いは届くとグレイスが願った、この不完全な世界で二人は未だ戦い続ける。
途端、ニルヴァーナは離れ再度攻撃を仕掛ける。それを読み切っているように受け止めるグレイスに迷いの感情はない。
死に行く者達の顔を忘れたことは一度たりともない、味方だろうと敵であろうとそれは変わりはしない。心に残り続けているから。
「はああ!」
ニルヴァーナは連撃を繰り出す。急所に当たるような箇所は守るも、多少のかすり傷を浴びる。
それを見た彼はグレイスを鼻で笑ってみせる。
「ハッ、何が心に渡すだ、俺はいつだって貴様らへの憎悪で溢れているぞ!」
剣撃に合間に蹴りを一発みぞおちに入れられる。グレイスに追撃をするように機械式銃剣の持ち手は斜めに曲がり、ニルヴァーナはトリガーを引く。
「その証拠にグレイス、お前の身体は俺の攻撃で傷だらけだぞ!」
それが証拠なら弱すぎる。グレイスはもうその程度のことでブレることはない。
「俺はただのグレイスじゃない」
ヘンなことを言うようだ、グレイス自身でもそう思っている。
それでも彼は今この時だけ、この世に生き続けた彼らに敬意を払うように、生き続ける者の象徴となるように。
「俺は英雄、グレイス・レルゲンバーン」
途端、空からグレイスを護るように大剣が盾となる。ヴィクトルが連れてきた兵士に一斉に攻撃を食らった時と同じ防衛方法だ。
今、彼は英雄になることを初めて自ら望んだ。
決して自らなりたいと願う訳では無い。名誉が欲しい訳でも、他人から羨まれたい訳でもない。
ただ願われるのならば、そうで在ろう。そしてそれは、これで最後にしなければならない。
ニルヴァーナ・フォールンラプスは戦いを願い続ける。
その果てにある終焉という大きな目的を叶える為に戦い続ける。全てを消し炭にしてまでも願うのはそれだけだ。
グレイス・レルゲンバーンはこの世が静かに動くことを願う。それが彼に、この世に生きる者達に出来るささやかな願いであるから。
眼に見えぬ明日を欲した結果が戦いだとすればそれでも構わない。
彼は戦いを終わらせるために戦うのではない。他人ではない、仲間を救う為に戦うのだ。自己の欲望で動く彼だが、それが願われ続けた結果である。
今は英雄という形に収まる為に動く、戦う、殺す。
それが生きている、死んでいる仲間を救うことになるのならやってみせよう。
「うおおおおお!!!」
グレイスが甲高い叫びを見せつける。
盾として鎮座していた大剣を大地から引き抜き、ニルヴァーナに投げつける。
荒れた戦い方であることも分かっていた、それでも。
「ふん!」
飛ばされた大剣は呆気なく防がれ反発してどこかへ行く。
グレイスは何の考えもなしに突っ込む。今まではいついかなる時も思考を繰り返してきた。どんな時でも国連軍が、自分たちが勝つことを望むために考えてきた。
だが今は何も考えられない。理由は一つ、死なない為だ。
一見阿呆かもしれない。それでもニルヴァーナに勝つには何も考えないことが重要だからだ。
思考すれば一瞬、彼を救うことを考える。
彼も生き続ける仲間だと錯覚してしまう。でも彼はもう救わない。救えないから考えることを辞める。
きっと後悔の残る戦い方だろう。それでも仕方がない。
英雄である為に、他人の偶像である為に、彼以外の仲間を救うために。
「うおおおおあああああああ!!!!!」
「もう遅いぞグレイス!バニッシュドは貴様を標的に消失させる!」
確実に殺しに来ている、その殺意は何もしてなくても呪いで殺されそうなくらいに溢れ出ている。両手に持っている二つの剣がそれにたじろぎ震える。だが止まってはいけない。
この世界、三年前のアリアステラを創り出したのは自分の心と、心の中にある人の思想、理念だ。希望も絶望も全てひっくるめて明日に変える。大々的な未来予想ではない。一ヶ月先でも一週間後でもない。
明日だ。その為に動く、それに報いるために彼は動く。生き続けなければならないから戦う。
救うという大層な願いを叶えられないなら助ける。それでも無理なら願う。自己犠牲でも自己の欲望でもいい。
救われなかった彼らの為に、救えない彼のために、これから救われる彼らの為に。彼は右腕を振りかざす。
人々が救われることを願うために、俺は動く。
「バニッシュドォ!!!」
刹那、何かが消え去った。
消失した何かは考えることも、動くことも忘れる。禁忌に触れたように罰せられた。
ニルヴァーナのイクス、バニッシュドはグレイスの右腕を消した。
「な、に……?」
「うおおおおおお!!!」
左手に持った剣がニルヴァーナの心臓を貫く。確かに討ち取った、幻想でも幻影でもないニルヴァーナの心の灯火を消した。
世界が消えていく、あったはずの緑はグレイスの心へと還るように光となって集まる。
現在へと帰ってきた二人、ニルヴァーナは刺さった剣を掴み抜こうとするも痛みがその行動をキャンセルするように手を離させる。
転がるように座り込んだニルヴァーナを前に呆然と立ち尽くすグレイス。彼がバニッシュドを受けなかった理由は完全に運だった。
「お前のイクスは一つの対象を目標に消すんだったな、だがお前のイクスは皮肉にもあの時と同じ場所、そして一つの対象として有り続ける右腕を選んだ訳だ」
たまたまグレイスの右腕を選んだニルヴァーナのイクス。その理由もグレイスには分からないし、自身でも分からなくていいと思っていた。
「残念だったな、ニルヴァーナ。お前に今度こそ会えなくなるよ」
息を荒らげ、傷だらけのグレイスは動かずに下を向くニルヴァーナに殺した者とは思えない言葉を投げ掛ける。
「じゃあな」
それでもグレイスは生きる。救えなかった彼に背を向けて生きる。仲間に会うために確かに歩き始める。どこかで会えるなんてもう思うことが出来ないグレイスに、ニルヴァーナが呻き声に似た何かを発する。
「……ぁ」
グレイスが立ち止まり首を少し横に曲げる。ニルヴァーナは確かにその言葉を紡いだ。
「ナイス、ショット」
寒気さえした。ニルヴァーナよりも前、その言葉を聞いた記憶は確かにあった。それは。
「お前、もしかしてし……」
グレイスの問い掛けを聞く前にニルヴァーナが喋る様子も、肩を使って呼吸をすることも無かった。
死んだんだ、確実に。
それでも彼が最期に放った言葉はグレイスは永遠に忘れることは無いだろう。それは彼の言葉ではないから。借り物で、本当の偶像で、今生きているかもわからない者の言葉を。
その存在を知るはずもない彼が紡いだのだから。
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アリアステラ戦線に於いて、ガーディアンズが事実上の勝利を決めた時、他の国連軍もまた優勢を勝ち取っていた。
国連本国、旧アメリカでのブレイジスによる東沿岸部の襲撃も防衛に成功、また、他の主要戦線も勝利を掴んだ。
アリアステラ戦線での最終決戦から三ヶ月後、終戦となったこの戦いでの被害者は人類史上最も多かった。
後に『新世紀戦争』と呼ばれるこの戦いでグレイス・レルゲンバーンは五年間の中で「英雄的魔術師賞」の他、多数の勲章を授かった。
国連と革命軍は少しずつ歩み寄っていった。
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本国にあるあたり一面の花畑、あまり注目もされず穴場のスポットに待ち合わせをしていた。
平和を得たグレイスは彼女のもとに帰ってきた。
腕時計をこまめに確認して彼女がやってくるのを待つ。
こんな時間を過ごすのは初めてかもしれない、そう思いつつグレイスは彼女に逢えるのを心待ちにしていた。
時間も経たないうちに彼女、アイリーンはやってきた。
「すいません、お待たせしちゃいましたか?」
彼女の言葉に耳を貸すことも無く、グレイスはアイリーンの顔を見続けた。
その顔を見るとグレイスは戦場では見せることのなかった涙を見せる。ほろりと流したその涙には溢れんばかりの感情があった。
やっと帰ってこれたのか、希望と悲哀を胸に彼は語る。
「ただいま、アイリーン」
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終戦から一年経った二〇三三年、アイリーン・グリーンフィールドと結婚し、グレイスは第一線での活動を取り止めた。
訓練校での教官としてこれからも軍に携わることを約束し、平和かつ幸福なひと時を過ごしていた。
そして結婚式から半年後、グレイス・レルゲンバーンとアイリーン・グリーンフィールドは自宅から姿を消した。




