045. たった一人の男
山の上にある切り札を使う為に潤とガルカを本部から送り出して数十分経つ。未だそのカードを切る様子は無かった。きっと到着していないのだろうと彼は考える。
グレイスのあの二人に対するこの思いはきっと誰にも理解できない。
本来ならば誰だって、"人間"だって容易に使える切り札。それをあの二人に託したのは単純な答えだった。
彼らなら出来る。魔術師やイクス、そして人間に対する差別意識などではない。グレイスは彼らの人間性を信頼していた。
作戦立案の間、あの電車の中で話していたことをふと思い出していた。
彼が生死の境をさまようような危険に陥った中、自分に似た背中を見たと。たとえそれが自分の師であろうとなかろうと自分だけの英雄を見た彼を信頼したのだ。
そして、潤が信じるガルカを信じた。
彼女のことは分からないことばかりでも潤は訓練校からの付き合い。
二、三年以上の付き合いは人と人を予想以上に引き寄せる。それはグレイス自身が一番分かっていた。
ニルヴァーナ・フォールンラプス、グレイスには彼を殺せない。たとえニルヴァーナが殺そうと襲撃しようとも反撃することは出来ない。
実際、右腕を奪われようともグレイスは彼が改心し戻ってくる可能性を諦めないでいた。
以前ならばきっと敵がニルヴァーナだということにすら気づかなかっただろう。
アイリーンと触れ合った結果、周りを見渡す瞳を持ち、大切な人を殺せない鈍刀を得た。グレイスは決してアイリーンのせいではないと思っていた。グレイス自ら彼女に寄り添おうとしている以上、彼女に悪意があるわけではない。
出来れば自分の手で殺したくはない。どこかで野垂れ死んでいてほしい。とてもじゃないがグレイスはその可能性を信じていた。
自分が相手取れば説得し続けた結果殺される。グレイスにとってニルヴァーナという存在はそれほど大事なのだ。
生きているということが分かってしまった以上自分には相当なきっかけでも無ければ彼を殺せない。だから任せるしか手段はない、グレイスの身の回りの者の中で最も信頼できる戦友に。
ニンバス・インディルという彼ら二人の親友に。
「大尉!」
司令室で戦闘の状況を見ながらそんなことを考えていると、現場で負傷した隊員の治療を指揮していたシャロンが部屋に入ってきた。
随分と急いで走ってきたと思われる息遣いと戦闘中と言うこの状況。よほど重大な要件だとグレイスは踏んでいた。
「後方に敵が!」
言葉が出なかった。
一体どこから来たんだということすら彼女に聞かずグレイスは足早にその部屋を出た。
廊下を歩きながらグレイスはシャロンに指示を出す。
「後方の対応は俺がする、前線の皆には伝えなくてもいい」
「私はどうすれば?」
「君は治療の続きをしてくれ、万が一俺がいない時に何かあれば人を寄越せ」
簡潔で分かりやすい説明だけを彼女にすると、シャロンは基地敷地内に張られたテントのある方向へ向かいグレイスと別れた。
誰がいるかは分からないだが戦わなければいけないということは確かだ。グレイスは不安を抱きながらも準備を済ませたった一人で後方に現れた敵軍の対処に向かった。




