033. 薫陶
「ふーっ、ふーっ」
耐えかねる目の激痛はシャロンがいる医務室にいても続いていた。
ゲレオンは彼女の下にやってきたものの応急処置しか出来ない短い時間の中で許されるのはシャロン直々の治療。
シャロン・リーチ衛生兵長、彼女の医療魔術"アポロン"は生物の空いた傷口を塞ぎ止血が出来る。一見とても万能にも思えるが軽傷にしか効果がないため、臓器の損傷は自らの腕に頼ることしかできない。
今回もそのケース。目の周りの止血は出来るが、眼球の治療は不可能と言っても過言ではない。
治療が終わると傷を負った各部位に包帯を巻いて共に司令室へ向かう。
足に負った怪我は壁に寄りかかることで多少は楽できていた。
ドアを開けるとそこにはやはり三人がいた。
潤、ホラーツ、そしてグレイス。彼らにゲレオンは報告をする。
「イクス使いを一人殺した、女スナイパーの奴だ」
「そうか、よくやった」
ホラーツの返答に陰りが見える。
ゲレオンはどうしたのか聞こうとするとグレイスがすかさず答えた。
「こっち側にいた一般兵が大勢やられたんだ」
ゲレオンは話しているだけにも関わらず息をあげる。ここまで来るのにさえ苦労すしたのだろうと感じているグレイスは、心配しながらも落ち着いて話を続ける。
「気絶していた潤を支えながらここに戻ってくる時、敵側の方から何台もの車のエンジン音が聞こえた。ここはもう終わりと言ってもいい」
「すいません、俺が足を引っ張ったばかりに」
それを聞いたグレイスは気に病むことはないと肩に手を置き首を縦にゆっくり振る。
これからどうするのか、それしか今はみんなも頭にないと考えるグレイスは、ホラーツに意見を求めようとする。
「どうします少佐、この戦線の全ての権利はあなたにあります。貴方が決めたことに皆はついていきますよ」
難しい顔をしていたホラーツはグレイスの方を向き目を丸ませる。そんなことは一度も考えたことがなかったと言わんばかりの目だ。
ホラーツは部屋にいる全員を見る。彼らとひとりひとり見合うと彼は椅子から立ち上がりこう言う。
「撤退だ。今ここに、この戦線を放棄すると宣言する」
「了解」
全員が声を合わせて反応する。彼が一体どんな気持ちでグレイス達を見て、どんな気分だったのかは誰も聞かなかった。全員は部屋の外に出て各々、戦闘前の会議のあとで準備を済ませていた荷物を取りに行く。
全員が準備を済ませると残った後方支援の一般兵、その数約二、三十人と共に八台ほどの軍用車に乗り込む。
勿論そこにはゲレオンやシャロン、潤とホラーツの姿もあった。
配置を指示したのはホラーツ。グレイスを先頭にゲレオンとシャロンを続かせ中央に潤、殿はホラーツというものだった。
それを聞いた兵士たちはゲレオンやグレイス自身も含めてホラーツを批判した。
「なぜあなたが最後尾なんだ、少佐は彼らにとってたった一人の指揮官だ」
グレイスに詰め寄られるも目を瞑ったままのホラーツ。グレイスはそんな彼に話を続ける。
「なにもあなたが全ての責任を取らなくてもいいんだ、俺が後ろに行きます」
「俺はそれこそダメだ思うぞ」
目を見開きホラーツは反応する。一体どうしてなのか聴きたそうな顔をするグレイスを見てか、彼は素早く答えた。
「俺には才能がない、それは昔からだった。大地を司る魔術師なんて格式ばったあだ名さえ貰ったが、それは結局ヴァルケンシュタイン大佐やレブサーブ中佐のおまけとしてとりあえず付けてもらっただけだ」
何を言い出すかと思えば真相も分からない作り話かとグレイスは考える。ホラーツに対して彼は指摘する。
「少々自虐が過ぎていますよ、作り話はやめて下さい」
「そう思うなら結構だ。だがグレイス、お前には才能も人望もある。こんな弱っちい男より一回り年下の未来のある人間が生き残るべきだ」
何をする気かも分からない彼の頭の中にグレイスは追いついていなかった。だが、その瞳は何故か安心出来るようだった。
「少佐の自信のなさは重々承知しています、だから俺達が少佐を評価するんだ。今回もまた戦果をあげて帰ってくるんでしょう?」
ゲレオンが皮肉めいた言葉を吐き出すと周りの兵士たちもそれに同意する。仮にも指揮官をしてきたホラーツは不器用で自分に自信が無いながらも、他人からの信頼はあったようだ。
深呼吸をしてホラーツ・エッフェンベルガーはちょっとした荷物の上に立ち、この場にいる全員に向けて言い放つ。
「俺は良い指揮官でも善い人格者でもない。だが格好と決着はつけておきたい性分なんだ。たとえ先が死の道であろうと喜んでついてきてくれる程の仲間を持てたのなら、その道から仲間を突き飛ばしてひとりでにカッコつけておきたいのさ」
遺言とさえ受け取れるその言葉は、彼の全てを体現しているようだった。その姿を見たグレイスはかつての自分を重ねていた。
アラスカにいたあの時、人を殺しても殺しても何にもならずにいたその瞬間から心に地獄が住み憑いていた。
それに自覚せず、自覚しようともせずに自分をただの悪魔に仕立てあげたのは紛れもない自分自身だ。
自信が無いながらも殺しを続けたグレイスは、仲間達が死んでいく重圧などに耐えきれずに自らロボットになりきったのだ。
だが、そこに諦めず血反吐を垂らしながら一歩一歩を踏みしめて歩く男がいた。彼の姿は頼りなくどうにかしなければと言わせたくなるようなものだった。彼はずっと逃げずに戦い続けてきていた。
自分は状況を見極めて逃げたつもりが、把握出来ずに逃げられなかった者がいることに最初は驚いた。それでも彼は戦い続けていると分かった時、自分という存在がどうしようも無くなってしまった。
グレイスにとってホラーツという存在は見習うべきものとなっていた。
他の者たちとは違う、頼りなく親近感を臭わせるその背中は、車に乗ったあと先頭にいたグレイスより遥か遠くにあった。




