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アンサーブラッド-果てなき魔術大戦-  作者: 朱天キリ
第二章 焔の影-戦う者達-
242/243

242. 空席は何処に


 現在から、数週間ほど前。



「おはよう」


 聞き慣れない声が耳に入り、半ば無理矢理に起こされる。


「うっ……ここ、は……?」


 条件反射的に身体を動かすが、脳が指示した通りに稼働することは叶わなかった。目覚めた男は両手両足、そして胴体を椅子に縛りつけられていた。




 黒い鎖で。


「寝起きは良い方か?」


「こんなのは、初めてだ……」


 薄暗い部屋の中で顔を覗かせて来たのは中年の男、奥にはそれよりも一回りほど年下に見える女が、一人用のソファに腰かけていた。


「そりゃあ良かった。過去最高って意味で受け取っとくよ……ん? あっちの方がいいか?」


 誰もそんなことは言っていないし、意思表示したつもりもないが中年の男は、女が座っている椅子と交代させてもらいたいと受け取ったらしい。


 女に耳打ちで、席を交換させてもらえるかの交渉に入っている。縛りあげた男の為に。

 場のペースも動かせない身体も、支配しているのはその男であるかのようだった。それが事実であることも段々と受け入れられてきた。



「んー、残念! 誰がやるもんか、だとよ。あ、そういや名前聞いてなかったな」


「メンノ……メンノ・クラウスヴェイク」


 ここで無言を貫いていい事があるとは思えなかったメンノは、大人しく名前という個人情報を明け渡した。


「よろしくメンノ。悪いな、挨拶代わりに攻撃なんて。でもお前の右肩にぽっかり空いてる穴はそんなに気にしなくてもいい」


 この状況でメンノから流れ続けている血と、その発生源である肉を抉ったような穴を気にするかどうか決めるのは、メンノではない。


「俺の名前は……知ってるから()けてきてんだもんな」


「アライアス……レブサーブ……」


 メンノの睨みつけるような眼差しはレブサーブを表面的にのみ怖がらせる。手足が動かせない状態では大した威嚇にもならず、相手にもされていないのだ。


 レブサーブの顔にはずっと、笑みが張り付いている。


「にしても俺も安く見られたもんだ。あの距離でバレないと思われてたとは」


 レブサーブは他人からの過小評価ぶりに腹を立てた。メンノの行動が彼をそうさせていた。


「いつから、気付いてた?」


 メンノとレブサーブが会話したのは目覚めた今が初めてだったが、認知したのは同刻では無かった。


「悪いんだがお前の下っ手〜な尾行には最初から気付いてた。七分も泳がせたのは腕の立つ奴か確かめる為、それとお前を始末する方法を考えてたからだ」


 対象者に存在を気取られた瞬間、任務は失敗となる。メンノはレブサーブを見つけたと同時に無事に帰還することが出来なくなっていたのだ。


 レブサーブの会話の内容を聞いてみせると近付き壁に張り付いていたが、目視で確認しようと半身乗り出した瞬間、銃でも剣でも無いものが頭に飛んで来た。

 避けるのに精一杯だったメンノは上体を逸らすことしか叶わなかった。即死は免れたが、生け捕りという成果は死よりも重い場合がある。


「お前どっちの所属だ? いやっ、待て。言うな。当ててやるよ……」


 メンノが口を割れば済むものをクイズにする余裕まである。レブサーブが頭に手を当てて考えている間の時間は、メンノにとって長く苦痛にすら思えていた。


 聞こえてくるのは彼のわざとらしい唸り声と、女がつまらなそうに読んでいる本のページをめくる音だけ。


「ブレイジスだろ! 集音器使うのも、集音器が音を拾うまでの距離の詰め方もそれっぽかった」


 身に付けているのは衣服のみで、武器装備は全て取り上げられていた。諜報活動に使用するはずだった集音器も回収済みだった。


「……正解だ」


「おっ、マジ? 当たった当たった! 当たったぜ?」


 この喜びを誰かに伝えようにも、出題者と回答者の他には一人しかいなかった。


「その程度で子供のようにはしゃぐとはな」


 レブサーブは喋っていた口の形のまま、しばらく女の方角を見て静止していた。その薄情さに唖然している彼を見て、本当に仲間なのか疑いたくなるほどだった。


「悪い、ああ見えてアイツも悪気がある訳じゃ……あるのか?」


「その壊れた頭でよく考えてものを言え」


 調子を取り戻したレブサーブだが、口角はひしゃげた。彼女の物言いに、彼女に代わって謝罪しようものなら皮肉を吐かれる。


「今の聞いたか。アイツ、私は皆さんとは違いますってオーラで語ってくるタイプでさ。正直口説き落とすの時間がかかったんだよ」


「どうすればその口は閉じる?」


「……俺を、どうするつもりだ?」


 二人の喧嘩じみた会話に割り込んだのは、この中で最も立場の低いメンノだった。

 彼らの機嫌を損ねることがあれば、死ぬのは避けられない。しかしいずれ死ぬ身であるのなならば、聞きたい事を聞いてから死んでやるという腹積もりであったのだ。


「あっ、そうだった。来てくれた所でアレなんだけどな。こっちもやりたいことやる前に邪魔されんのは嫌なんだ。だから……」




「━━━━━━━━━━━、と」


「あ?」


「取引を、しないか」


 気付けば口から零れていた。死という恐怖がこびり付きながら、そこに至るまでの時間が永遠にすら思えた。それが更にメンノを怯えさせた。


「取引ぃ?」


 本人が意図したかは不明だが、レブサーブの一人語りはメンノの精神を削り、果ては有り得ない提案をさせるまでとなった。


「自分の立場は分かってるんだよ、なっ」


「ぐああぁぁ!!」


 右肩の穴を左手の人差し指でそっと突く。血液が指先から掌まで巻いていた包帯に滲むと、レブサーブは自分でやっておきながら顔を顰めた。


 ほじくられた血肉に反応するように声を上げたメンノ。脂汗がゆっくりと身体を伝い、止まっていたように見えた血液はその一手で再度、流れ始める。


「はあ……はあ……」


「━━━━━っと。拷問は苦手だし、趣味でもないんだけどなあ」


「俺は……ブレイジスの内部を、調査っ、できる……」


「諜報員がか?」


「……そうだ」


 痛みに耐えながら、レブサーブの気を引き続ける。

 メンノが今行っているのは、任務ではない。直面しかけた死から目を背け続け、どこか遠くへと追いやるための保身である。


「あんたの知りたい情報なら、なんでも取ってきてみせる」


「なんでも、か……どう思う?」


 レブサーブが顎に手を当てながら相談したのは、適当な所で読書を終えていた女だった。


「ふた月前の海戦でブレイジスに居た貴様の馴染みは死んだのだろう。見苦しいほどの生存欲の持ち主だが、使えるかどうか試しても遅くは無い」


 先程の掛け合いから想定できないほどの真っ当な意見にメンノは救われた。その意見がレブサーブの意向を決めたからだ。


「確かにな……じゃ、メンノ。俺と約束をしよう」


「や、約束……?」


 笑顔の消えぬ男が近寄ってきて、メンノの命を踏み潰さない代わりに持ち掛けてきたのは、約束という名の呪縛だった。


「約束は三つ。俺達から知った情報を口外しないこと。知っている事とこれから知り得る事の全てを提供すること。」


 その中に嘘を混ぜればどうなるかなど、考えたくも無かった。そして━━━━━━━━━。


「……三つ目は?」


「俺の指示にはイエスと答えること。分かったか?」



「…………イエスだ。誓おう」


「よく出来ました」


第一の指示はクリアされたようだ。






━━━━━━━━━━━━━━━






 メイフライ諜報工作班員、メンノ・クラウスヴェイクは統合隊長の名によって実行される作戦にて、後詰めを担当することとなっていた。


 ミュンヘンに使われる兵器(切り札)によって敵は地下やその兵器の射程外に逃げるだろうと予測されていた。

 メンノは地下鉄駅構内にて敵を待ち伏せ、逃げ込んで来た所を確実に処理する役目を負わされており、マリエンプラッツ駅で既に待機していた。


 普段の生活に利用する者も多いが、特に旧市庁舎やマリエン広場などの市内の観光にはうってつけの駅でもあり利用者の数は平時の時もそれなりに居る。



 だが今日は平時ではない。


 構内は逃げ遅れた市民で溢れかえっており、通常ならば待たずして進める階段も遅々として動かない。

 彼ら市民には戦争ではなく自然災害による避難とされており、ラジオもテレビも表向きは非常に強いハリケーンということになっている。


「最早、そうであって欲しいとまで思える」


 悲鳴と怒声、人が行き交う構内の人目につかない隅でぽつりと呟く。


 メンノはニュースと同じレベルの情報しか知らされていなかったのだ。兵士という役割がありながらその実態は、無数の雑踏を刻む市民と持ちうる情報は同等だった。


 表面だけをなぞった情報で彼らが満足するはずもない。満足させられなければ、自分はどういった末路を辿るのか予想も出来ない。メンノは焦燥を抱えたまま任務に挑んでいた。



「情報はどうした?」


 声のした方向に首を動かそうとすると、頸動脈の部分に冷たい感触を得る。


「振り向いたら撃つ」


 視線の移動だけで見えるのは銃身の長い特殊な形状のハンドガンだけで、男の顔は見えなかった。銃口が首筋に当たり嫌な悪寒を覚える。


「……手詰まりなんだ」


 駅構内の人間は例外なく、自分の事で手一杯。そんな中で視界にも入らない者が銃口を突きつけられていても誰も見ようとはしない。


「どういうことだ」


「上に接触するタイミングが無かった、今回の件はこっちにも流れてきてないんだ」


「それを調べるのがお前の仕事なんじゃないのか」


「やってるよ、やってるさ」


 会話の内容だけを聞けば対等にも思えたが、置かれている状況はメンノにとって最悪と言える。レブサーブと出会ってから、会話に近い脅迫は何度も繰り返されてきた。


「どうだか」


「……随分と惚れ込んでるみたいだな」


「は?」


「あの男の為なら俺を消すのを厭わないんだろうな」


 口が滑ったと言うべきか。

 余裕のあるふりをして逆鱗に触れてしまったら元も子もなかったが、メンノはあえて軽口を叩いた。


「あえて言っておく。お前を殺すのに誰かの許可は必要無い。お前の今の発言は聞かなったことにするが、腹が立てばどうなるか……お前は分かっているんだろう」


 冷や汗が銃口に滴る寸前に、拳銃はメンノの首元から離れていった。


「お前は……?」


「お呼びがかかったんでな、ついでにお前の顔を見とけとも言われた」


 お呼びがかかった。その言葉に妙に引っかかった。

 まるでこの地を住処としているような口振り、グラティアとして来たのならばそのような言い回しでは無いだろう。



 ならばあの男は自分と同じ、ブレイジス所属の人間なのではないかと脳が思考を巡らせた。


「俺はどうすればっ!?」


「情報を集めつつ、潜伏がバレないようにしろ。そうすれば少なくとも、生き残れはするんじゃないか?」


 身勝手なアドバイスは何の役にも立たない。

 それは現在のメンノを暗喩しているようだった。



 二〇三五年、四月二十五日。

 旧ドイツ時間。午後、二時四十分。


 あの焔が墜ちるまで、六分。


 気配が遠ざかり、メンノが振り返った頃には人混みの中へと消えていた。あの男は少なくとも、このミュンヘンで表立って動く人間達の仲間ではないと感じていた。



メンノ・クラウスヴェイク

メイフライの諜報工作員。

レブサーブと取引を行い、ブレイジスの情報を流している。

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