241. 練磨と踏襲
「おいおい……待ち合わせ場所にしては随分賑やかな空模様だな」
「ええ、あなたの予測よりも遥かに早い」
アジトを抜け出したスレヴィ・パーシオと、彼の元部下である黒井健吾。
スレヴィとローワンが議論を交わしたレストランから程近い場所に構えていたアジトは、戦闘の余波で外観もひび割れていた。
しかし気になるのはアジトよりも、見たことの無い色合いとなっているミュンヘンの街並み。民間人のほとんどは避難が終わっているが、出遅れている者も大通りにはいた。
「あっ!」
目の前で転ぶ女性に健吾よりも先に反応したのはスレヴィだった。大丈夫ですか、とすぐさま声をかけて外傷が無いことを確認するとその手を引いて立ち上がらせる。
「今から遠出はオススメ出来ません。この先の地下鉄へ入ってください」
「あ、ありがとうございます……!」
正体不明の恐怖に慌てている様子の民間人に冷静な声色で丁寧に順路を教え、心を落ち着かせて駅へと向かわせる。街中で鳴り響いてるサイレンは、危険が迫っていると言っていても何が来るのかまでは知らせていないのだ。
時を刻む毎に、紅へ移り往く世界を健吾は分析する。
「空の色は、奴らが持つ切り札の影響ですか?」
「恐らくな」
こちらを見ているようにさえ感じる空を俯瞰して考えていると、これから起こる苦難に頭が痛くなる。
「出来の悪いフィクションを見てるみたいだ」
「いよいよ冗談じゃ済まされない規模になってきましたね」
「笑ってられないよ。まさか、こんな……こんなにもヤバいと思わせるようなものだとは思ってなかった」
誰が好き好んで世界滅亡のシナリオを想像し、現実にて再現しようなどと思うか。無慈悲で無意味な破壊に興味が湧くことなどスレヴィはついぞなかった。
だが、世の中にはこれから起こる惨事を求めている人間も居ると知ってもいた。
「ライズからの通信も、フリッツの姿もない。今更合流してもあの早さじゃあな」
安全圏など予想もままならない。空の色が変わる速度はスレヴィ達が予測していた、危機が迫るまでの時間を大幅に縮めた。
「あの空がソレだと決まった訳では」
「国にも等しい共同体の一大事に、突如として空が赤くなってこちらの作戦も上手くいってない。全部あの空のせいにしたくもなるだろ」
原因は上に丸投げ。
それが出来ればどんなに楽だったか想像に難くない。それが出来ないのがスレヴィ・パーシオという男の性でもある。
「奴らの切り札が想像を遥かに超えた代物なら、ここにいる俺達も纏めておじゃんだが……改めてよく来てくれたな」
「剣士として、今の俺の身体は落伍者同然です。鈍になった自分でも、必要だと言うのであれば喜んで参じますよ」
かつての戦いによって右腕を落とされた健吾は、戦闘用の義手を要請せず、後方での安全な職務も断った。
五体満足でなくなったことすら重要な損害である上、失ったのはよりにもよって利き腕。周囲の人間はどちらかを選択することを強く推奨していた。
だが健吾が選んだのは左腕だけで自らの刀を扱うことだった。
非難する人間も僅かに居たが、その選択は落とされた右腕と、落とした人間たちに賭けて曲げることはなかった。
熱心なリハビリを続け、三尺三寸の大太刀を振るい続け、弛まぬ努力の果て、いつしか本当に隻腕の剣士となった。スレヴィから見れば、彼の実力は常に己の最高を維持している。
「鈍だなんて思っていないよ。君もそういうナイーブなこと言うんだな」
「事実ですから」
ひけらかさず、謙虚な点は美徳である。しかし健吾は単純に今の実力ですら満足でないだけなのだ。
更なる研鑽に費やすはずだった時間を、取り戻す時間としてしまった日々。それらを残りの人生をもってして昇華させ続けている。それが黒井健吾という剣士の生き方であった。
「まさかスレヴィさん……」
発作のように自虐をするスレヴィをまた指摘しようとするが、手のひらを向けられて制止させられる。今度は違うぞと態度で示された気分だった。
「安心してくれ、諦めたんじゃないぞ。そも、寸分の狂いなく作戦を遂げるなんてのは出来んものだ」
「なら行き当たりばったりの方が上手くいくんですか」
指揮官としての経験が浅く、現場で刀を振るっていることの方が得意な健吾は、彼からしてみれば真っ当で純粋な質問をスレヴィに投げかける。
「その質問、作戦に沿って動く兵士からしてみれば、そうだと答えられたら嫌じゃないか?」
更に眼前の男の作戦に則って動いている健吾にとっては二重の意味で不安が募りかねない。
これから天王山だというのに雑談によって支障が出るのは、スレヴィもおすすめできない。
「俺が君の立場だったら絶対聞きたくないんだが……」
「で、上手くいくんですか」
「…………難しいな」
元を辿れば自分の言い回しによって健吾が引っかかったのだ。話さない訳にもいかない、とスレヴィは押しに負けて回答を伝える。
「そもそも完璧な作戦というのが基本的には無理な話だ。ゴールは決めてそこに行く着くまでのルートもこっちが考えても、イレギュラーはいつだって起こりうる」
「確かに」
心当たりがありそうな言い方をする健吾だったが、スレヴィは気にせず続けた。
「途中で熊と出くわしてもルートに沿ってゴールまで行って下さい。足を喰われても構わず進んで下さいって言われて普通行くか?」
「熊を斬りますね」
「ちょっと、そういう話じゃないと記憶してたんだが?」
健吾との会話には若干のズレが生じる。出会ってから既に三年以上経っているがそれを知ったのは最近のことだ。
この協力関係を持ちかけてから漸く、彼が心を開いてくたように感じていたスレヴィはそのズレが内心嬉しくもあった。
「熊が出たら逃げるし、土砂で行き止まりなら道を変えるだろ。だが立案した者がそれらを予想、予測していなかった場合、完璧な作戦とは言えなくなる」
「全部のイレギュラーなんて想像出来ないでしょう。それこそ今回みたいに」
「アジトの場所はバレて死にそうになっても健吾のおかげで九死に一生を得た。確かにこれも完璧とは言えんな」
改めて考えても完璧じゃない作戦だと自省するスレヴィ。
自分すら駒として認識しており作戦の全容を把握している人間が複数いることも相まって、自らが死んでも痛手にならず敵方の人員を割くことが出来るとまで考えていた。
他人にはそんなことを押し付けるはずも無いのに、己にはその枷が外れる。生存欲が薄く自己犠牲の強い人間だと俯瞰して見れていなかった。
「個人的にだが、完璧は求めるに越したことはない。色んな道をリサーチして熊の斬り方も覚えておけば、熊じゃなくて人間が襲ってきたときも、別の道に逃げるか斬るか選べる。そしてそれすら予測する。それが求めた結果で、後になって行き当たりばったりだったなって笑われんのは承知の上でもある」
根幹を成す一本の線から派生させる。線を太くする。立体にする。出来ることは何でもする。
その姿勢こそが元来、不出来なものを立派にみせかけることへの一歩となる。
「こと作戦というものに限って言えば、仕掛ける相手も人間だ。相手よりもミスの少ない作戦を組み立てた方が勝つ。行き着いた戦法が『行き当たりばったり』なら、それもいいんじゃないか」
「否定はしないんですね」
「結局そこら辺は色が出る所だ。俺はこう見えても詰めたいタイプだったし、あの男は現場に判断を任せる場面も多かっただろう」
「……買ってますね」
ああ、と二つ返事でスレヴィは答えた。
盤上と戦場で繰り広げた戦。魔術師というカードを相手の手札に持たれていながら三年弱もの間、互角に戦ってきた相手にはそれなりの情も湧いた。
「臨機応変って言葉はあまり使いたくないが、俺でもあの男に倣う部分はある」
「今回の作戦にも使い所があるんですか」
「勿論。例えば…………」
少し間を置いて、スレヴィは腕をゆっくりと上げて人差し指を立てた。
健吾はつられるように指先が向けられている天を見上げる。
「これから来る奴に俺は、指示の類を一切していない」
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朝焼けにも夕暮れにも似ていない、全ての人間を包み込む空は、その濃さを増して、赫くなっていた。
「とにかくこの場を離れよう! 切り札の正体も完全には分かっていないし、どの程度の被害をここにもたらすか分からない以上は、離れる選択肢しかありません!」
ライズはローワンとハンナに提言し、二人はアイコンタクトで承諾していた。
戦闘の痕が酷く残る関係者専用航空機内では、窓から外の景色を見た三人が、事態の急変に気付いて早々にこの場を立ち去る準備をする。
「あれを止める方法は?」
ハンナは撤退の意向には賛成しながらも他の方法を諦めてはいなかった。空を地獄の色へと染めていくものが切り札と断定していることを、誰も疑うことが無い程に三人は焦ってもいた。
「さっきのスーツの人とか知ってるんじゃ……」
「隊長がアンゼルムに随伴している以上、もう一度接触するのは難しい。それにジェイスももうミュンヘンを離れてる」
「この状況でメイフライの追手が来るのは考えたくないですね」
「来るなら切り札の後の追撃だろうね」
ライズがバッグを背負って立ち上がる。ローワンは咄嗟の戦闘に備えて最低限の荷物しか持っておらず、ハンナに至っては自分の武器以外は携帯していない。これはライズが提案したことである。
ボーディングブリッジの無い尾翼側のドアから、地面にスペイルクリイを設置して最小限の衝撃に抑えて飛び降りる。空港から離れるようにして走りだす三人は、周囲の警戒をしながらも空に意識を割かれていた。
「スレヴィさんの所まで戻ってもこの状況じゃあっちも困ってるはずですよね」
「今はとにかく、空が赤くなっていた方向と垂直に逃げよう。離れる方が先決だ」
三人に切り札への防衛策も無く以上、間に合うかどうかは運次第となる。ならば地下へと逃げ込む方が安全なのではないかと思案している最中だった。
「そこの三人! 止まれ!!」
「なんだ!?」
滑走路を横切ろうとしていた時、ローワン達を追うようにサイレンを鳴らしながら車が四台ほど接近してくる。
「ここの警備隊か? 伝達が上手くいっていないのか……!」
「機内で騒ぎを起こしたのはお前らだな!!」
「くっ……街中の避難警報を聞いてないのか! ここはもうすぐ……」
「武器を捨てろ!!」
話を聞いてもらえそうにもなかった。ここで足止めを喰らえばローワン達は勿論、職務を全うしているだけの彼らさえも犠牲になりかねない。だがこの場で捕まってはこれ以降の作戦に支障が出る。
頬を流れる汗は焦りか、空気の暑さか。
ローワンの思案を横目に、足を止めるわけにはいかないと考えたライズはスモークグレネードを放つ。
「ごめんっ!」
ものの二秒ほどで蔓延するほど、勢いよく噴出する煙に絡まれると警備隊の人間たちは更に激昂する。
その間、三人は彼らに背を向けて再び走り出す。ライズは逃げながらもう三個スモークを展開するが、遂に警備隊は拳銃の引き金を引く。
「うわっ!?」
「スペイルクリイ!」
飛んできた銃弾はスペイルクリイによって空中にて留められる。多少の時間稼ぎにはなったが、ローワンのイクスも決して万能ではなかった。
「なっ!?」
すり寄ってくるようなエンジン音は車のものだと思っていたが、応援のヘリが低空飛行で煙を晴らしながら猛スピードで追いついてくる。
「スペイル……!!」
「くっ……!?」
「二人とも……!」
ヘリに乗っていた警備隊の人間が小銃を構えていた。ローワンも出来る限りの反応でイクスを発動しようとしたが、間に合わないと悟ってしまった。
四面楚歌の中、抜きん出て先行していたハンナがその足を切り返して、条件反射で助けに行こうとする。何も出来ないと分かっていながらその身体は行動していた。
「ハンナ……っ」
鍛え上げられたスピードはこういう時の為に役に立つ。
ハンナは自分に感謝しながら、笑っていた。バイロンに倣うように。
マズルフラッシュが視える。
動体視力も、人一倍。
「ラプチャァァァッッ!!!」
ヘリの横腹を殴るように、飛んでやってきた男がいる。
「何者だ!?」
「えっ……?」
ローワン達も今の瞬間、何が起きたのか処理するのに時間がかかったが、二つ目の叫び声が彼らの脳をはっとさせる。
「うおりゃああッッ!!」
二〇三五年、四月二十五日。
旧ドイツ時間。午後、二時三十九分。
あの焔が墜ちるまで、七分。
ライズとハンナは再会に僅かな時間、喜びを得た。
「ワイアット!!」




