240. 光差す空模様
「今日はいい天気だな、スレヴィ・パーシオ」
ふと眼を開けると、そこには歓迎したくない人間が立っていた。
「お前は確か……グノーム・メルダース。メイフライ実働部隊員だったっけか」
「敵はリサーチ済みか」
アジトのソファーに腰かけていたスレヴィは、気が付けば十数名のメイフライ隊員に囲まれていた。
テーブルの上に置かれた灰皿には、煙草の吸殻が大量に積まれており、スレヴィの精神状態が窺える。
「調べたら知れる情報を知ろうとしない奴は、将校になれんよ」
「へえ。ならこれも覚えておくといい、将校さん」
今では使い手の少ないレバーアクションライフルの銃口が、グノームの忠告と共にスレヴィに向けられた。
「裏切る相手はよく考えて行動に移せ」
「これでも、精一杯考えたつもりなんだが」
グノームの気まぐれでトリガーを引かれれば、避ける暇もなく死んでしまうスレヴィだが、屈することはなかった。
「恩着せがましく聞こえるかもしれんが、俺は自分のためだけじゃなくイクス使いのためにも事を起こしてるつもりだ」
「本当に恩着せがましいな。誰が頼んだ?」
「いいのか? 奴らは勝つまでこの血みどろの戦争を続ける。今負けたって何年後かにはまた理由をつけて戦争を起こす。それまでに何人死ぬか分からない」
スレヴィは可能性の高い事象として話していたが、グノームは絵空事のように受け止めているようだった。
「戦争に勝てば虐殺が始まる。憎き魔術師も、用済みのイクス使いもまとめてだ。その中に自分は入ってないって言えるか?」
待ち受けている未来は、ブレイジスの兵士たちにとって想像よりも厳しく、苦しいかもしれない。暗い未来はこの世界の何処にいても訪れるものかもしれない。
より明るい明日を求めるならば、自ら行動しなくては変わらないと思ったからこそ、スレヴィは仲間を集めた。
「君だってイクス使いだ。他人事のように考えているのであれば、大変なことになる」
「それが脅しになるとでも思ってるのか?」
しかし、グノームはスレヴィの警鐘を一笑に付す。
「そんなことは百も承知だ。だがそれは、お前の首を持って帰ってから考えることだ」
「そんな悠長にしてていいのか?」
明日は我が身だと思うのならば、早く行動するに越したことはない。そうしない理由が無い限りは。
「別に、俺達の話を聞く相手がひとつな訳ないだろ」
「…………なるほどな」
スレヴィはグノームの一言で、彼を取り巻く周囲の状況を凡そ把握した。
ブレイジスが本当に始末するつもりなら、どこか別の組織に鞍替えすれば済むだけの話だと考えているのだ。
「まあ、ここまで言っても銃を向けてくるってんなら俺ももうとやかく言わないさ。でも話は聞いてくれたんだな」
「今際の際に少しでも吐くならばと思ったが、無駄だったな」
計算づくのグノームにスレヴィは賞賛の拍手でも送りたくなる気分になっていた。
「今、お前のしている説得と同じだ」
「そうか? 俺は無駄だとは思わないけどな」
一蹴したはずのスレヴィの行いは、スレヴィ自身によって拾い上げられ、価値を見出される。
「じゃあな、革命家」
「フフ…………」
間もなく死ぬ。
それでもスレヴィは余裕の態度を延々と見せ続けていた。
「何がおかしい?」
「いや……悪いな、笑ってしまって」
死の象徴が目の前にあるにも拘わらず、こんなにも焦りが皆無な表情を見せられると殺すことすら癪に障るグノーム。
「最後かと思うと……少し、な」
何か情報があるのではないか、最後にはそれを吐くのではないか。僅かな期待を相手に寄せてしまう。
「ただ」
思考を促す。逡巡させる。
殺しに来たことも忘れさせてしまいそうな口振り。
聞こえてくる足音に気付けもせず、スレヴィから放たれる言葉を無意識に待っている時点で。
「話を聞いてくれてありがとう、って言いたいんだ」
「何を━━━━━━━」
斬撃。
大きな一振りに、三人が斃れる。
膝から崩れゆく死人を掻き分け二撃目。
一人を突き刺す。
五歩踏み込み三、四撃目を終わらせる。
敵が握っていた銃が命と共に落ちる。
「だ…………っ!?」
无流。
型は無い。
元より誇りや伝統は薄れていた。
ならば捨て去り、新たな己を受け入れる。
それが生き残る術であるならば。
瞳を閉じ、光を右腰の鞘に納め。
「おま━━━━━━━━━━」
抜刀。
アジトは轟音を立たせ、たった一度の光にあてられてその姿を歪なものへと変貌させようとする。崩壊の合図だった。
グノームの声は途切れ、残っていたメイフライの隊員たちもろとも姿を消された。築かれた瓦礫の下敷きにされたのだ。
光の持ち主は振り抜いた刀を見ながら、こう添えた。
「…………ヤマト」
部屋の中は滅茶苦茶になっていた。こうなることを予見していたスレヴィは姿勢を低くしており、立ち上がってやって来た彼に感謝を述べる。
「助かったよ」
「ただの時間稼ぎですよ、早く出ましょう」
建物を破壊するほどの規模の攻撃は敵を一掃できるが、死角を増やしてしまうことも容易い。この場に留まり続けるのは危険と判断したのは、スレヴィを助けた男だった。
「まだこの落ちこぼれ将校を利用する気になってくれてるのは嬉しい限りだよ」
「前より自虐が酷くなってますね……あなたが言ったんですよ、利用価値が無いと思うなら助けるなと」
その基準すら心に影が差すような台詞回しだが、それに照らし合わせてみればスレヴィは助けるに値すると感じたのだ。その気持ちすら無下にされるのは些か不服だった。
「しまった、悪癖が……すまないな」
複雑な表情をしている彼を見たスレヴィは、額に手を当てて紡いだ言葉を振り返り、猛省する。
「……君がついてきてくれるんだ、これ以上ない助力だよ。それで、例の作戦はどうなった?」
「出来ている実感は湧きませんが……」
「きっと来るさ」
「それはどこから来る自信ですか?」
「俺はあの男もその部下たちも、ある意味で信頼しているんだよ……行こう、健吾」
「フッ…………了解」
━━━━━━━━━━━━━━━
ミュンヘン上空。
大きなエンジンの音に囲まれながら。
「これで四回目……」
暗号通信。
内容は、『ミュンヘン、人による天災』という文章を繰り返し綴ったもの。
「短文でよくもまあ、ここまで切羽詰ってますって感じ出せるな」
「でもこれは俺たちの潜水艦から発せられた通信だ。確実に助けを求めてる」
「わーってるよ。後続は?」
「到着してからの状況次第になる」
「市街上空に着くぞ! 俺達が関与出来るのはここまでだからな!」
「ありがとう、カルセドニー。手伝ってくれなきゃ間に合わなかった」
二〇三五年、四月二十五日。
旧ドイツ時間。午後、二時三十四分。
あの焔が墜ちるまで、十二分。
一色に染まりゆく空に軌跡を描くのは、国連の輸送機。
グレイス・レルゲンバーン。
櫻井潤。
ゲレオン・ブラント。
ワイアット・ヴェゼル。
ヘイス・デ・ブラウン。
ロジオン・エーギン。
彼らを乗せて辿り着いたのは、敵地の中心。
「俺から言うことはただひとつ……」
地獄の一歩手前。
「夕飯はみんなで食べよう」
他愛のない約束は誰かの真似で。
それでも、これから向かう先に微かな希望を見ていた。




