238. 五月雨の渦中
「まずは何を?」
「そうだな……私の友の一助になってもらおうか」
「了解……その前にひとつ、忠告だ」
「なんだね、ガルメリオ」
「あいつは見くびらない方がいい」
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先日の会議とは状況も議題も違うが、会話の着地点は同じである事を察していた。
「ミュンヘンの市民には既に避難警報が発令されていることでしょう」
「そうなのか。生憎、発つ準備をしていたもので外がどうなっているのか知らな……」
「知っておいでですよね。このタイミングで出発なんてあまりにタイミングが良い」
切り返しはアンゼルムの想像以上に早かったことだろう。機内に人の気配が感じられないことから、既に飛行機全体がローワンの手によって制圧されていることをアンゼルムも気付いていると踏んでいた。
パイロットやその他スタッフはライズとハンナによって穏便に退避させている。だからこそ腹を割った話し合いができるとローワンは考えていた。
これが最後の説得の機会だと思い、腰に携えていた剣を向けずにアンゼルムと顔を突き合わせる。
「貴方たちの切り札をここに使うのは、俺達のような反乱分子をまとめて排除する狙いがあるのでしょう。ならなぜ、これほど大規模なやり方をするんですか?」
これが、居場所が分からないながら行えるスピード感を持った対処であるのならば、それは間違っているとローワンは説く。
「今の君がそれを聞けるような立場とは思えないな」
正式な手続きを踏まず、武装してここに来たことが何よりの証拠だった。反乱分子そのものが、その他を慮るような言葉を吐くなどアンゼルムにとっては不誠実としか捉えられない。
「いつ暗殺されるか分からないこの現状で、これがもっとも簡単な方法だ。住処が壊されたのなら、獲物は帰る家を失い戸惑う。そこを叩くことはただの兵でも出来る」
「報道通りの規模感ならばその兵士すら死にます! 市民を、ひいては貴方たちを守る兵士が……」
「綺麗事だな。敵を倒す為ならば命を投げ出す覚悟などとうに出来ているのが兵というものと俺は考える。君らを殺す為に必要な犠牲ならばそれは仕方の無い犠牲だ」
ローワンの説得の根底にあるのは薄っぺらい正義感だと言うように責め、ブレイジスの兵士にはある種の信頼を見せるアンゼルム。
だが本当に、それだけの為に街を一つ、破壊するのだろうか。
「……それが本音ですか?」
「君に真意を明かすつもりは……」
「貴方がたにとってのイクスとはどういう存在ですか」
ローワンの質問は、動いていた口を黙らせた。突飛にも思えたがアンゼルムの反応は答えを示しているようだった。
「魔術と酷似した力を受け入れることは当事者にとっては簡単ですよ」
魔術師を絶滅させる為に始まった戦争。だが血みどろの世界での五年は永遠にさえ思えた。
「戦争という殺し合いに身を投じて、文字通り何もかもをすり減らし続けて戦う中で、敵と同じほど強い力を魅せられれば誰もが惹かれる」
日々を生き、戦う者達にとってそれは、あまりに魅力的すぎる。
血に塗りつぶされた理想は、現実という魔物に勝てない。
生き残らなければ、今日すら手に出来ない。最前線の兵士たちは明日を欲する為にその力に手を伸ばした。
「だが貴方たちにとってはどうですか。強い力は所詮、自分たちを脅かすだけの殺しの道具にしか見えないのでしょう」
ブレイジスの原初の思想、魔術遺伝子を持つ者の恒久的な根絶は、未だ果たされていない。それどころか、ブレイジスはイクスという異能を新たに見出した。
「貴方たちだって頼った事実があるというのに、不要になれば無かった物のように扱う気ですか!」
彼らの原点は潰えておらず、その手に握られたままの理想は再び誰かを傷つけようとしている。
「一度生まれた力は、簡単に消せやしない。俺達は向き合い続けなければならないんだ!」
「笑わせるな!」
ローワンの発言に黙っていられなくなったアンゼルムが封殺するように怒鳴る。席から立ち上がり、顔を近付け眉間に皺を寄せた表情をよく見せる。
「理性の効かない獣に力は使いこなせない。人間なら私欲の為に利用するなど当然の行いだ。そんな奴らが存在していいのか?」
魔術遺伝子を持った者による犯罪は少数ながら発生している。アンゼルムはそれらを取り上げてまくしたてる。
「魔術は剣や銃の代替品などではない。それそのものが存在しているだけで、世界はここまで混沌となる。ならば存在しなかった世界を望むのは必定だろう」
「貴方は……!」
「我々が関与せず、共食いするのなら尚更、好都合だ」
魔術も、イクスも否定する。
その全てが憎たらしく見える彼らに説得は通じなかった。
「それが、貴方の真意なんですね」
「魔術とイクス無き理想郷は誰にとっても自由だ」
「……なら、最初から魔術を消す技術を作ればよかったのでは」
「人間は死ねばそこで終わる。遺伝子を取り除いた所で、またいつ復活するかは分からないのなら確実な方法を執る」
どこまでも彼らを敵視している。魔術師やイクス使いは人間では無いと言っているような口ぶりは、一貫してその他人類の為になると信じているようだった。
「イクスを生み出したと聞いた時は心苦しかったよ。要は、人間が魔術師に成り下がるんだぞ。だが理想郷の実現の為の犠牲として、その身を捧げてもらう」
「貴方は……自分を高尚ななにかだと思ってるのか」
自らを上位の存在と格付けるようにも聞こえたが、アンゼルムはローワンの的外れな推察に首を横に振る。
「人間は平等だ。そして俺もその平等の中で役割を果たす。理想の為なら死を選ぶ」
隔絶された思想はどうしても受容出来るものではなかった。
「理想という言葉は聞こえはいいですよ。でも何十年先の未来よりも、明日を積み重ねなきゃ何も始まらない!」
「…………それで、君の言いたいことは終わりか?」
ローワンの顔は露骨に引き攣った。人類を害するものとして睨みつけられた時の心情は他の誰にも推し量れない。
アンゼルムと二人だけで話すという案は、ローワンから出たものだったが、ライズはそれを後押しした。
単なる話し合いで解決するような段階にない状態だと分かりきっていたものの、向き合わなければ理解も示せないとライズは語っていた。
最初からしなければよかった、などという結論にはならなかった。たとえ僅かな望みでも甲斐はあった。
されど、アンゼルムの姿勢は変わらなかった。
ならば。
「止めます……!」
「そうか、やってみろ」
アンゼルムが眼を伏せたその時、尾翼側の客室から飛来してくる何かに、ローワンは瞬時に腰に携えていた剣を構える。
「気をつけろって、言ったはずだ」
「く…………ッ!」
通常よりも僅かに細く、それでいて刀身も少し長い特製の剣が、ローワンに襲いかかってくるが、これを何とか防ぐ。
その特徴の剣を使う人間を、彼はよく知っていた。
「ガルメリオ隊長……!」
「お互い戦い方は分かりきってるんだ。スピード上げるぞ」
ついてこれるという信頼の上に成り立っているガルメリオの発言は、即座に実行される。
急激に上昇する剣戟の速度に対処しきれず、幾つか切り傷を負うが猛攻を切り抜けて後退しつつ、イクスを発動する。
「スペイルクリイ!」
空間を指でなぞり、そこへダイブするとローワンは空中で制止しているような形となるが、何かがめり込むような音が聞こえる。ガルメリオはこの音の正体を知っていた。
「来るか」
スペイルクリイは無機物に柔らかく、そして弾けさせる力を付与する。ローワンはそれを空気に付与しガルメリオへとトランポリンを使ったかのように跳ねていく。
防御を諦め、客席のどこかに隠れた瞬間をその眼で捉えたローワンは剣を握っていた手をスナップさせる。
「ふッ」
その動作に反応して内部の特殊カーボンワイヤーが露出し、ローワンが最も得意とする武器、蛇腹剣となった。
本気でなければ、ガルメリオ・ケイオスを倒せないと踏んでいたローワンは、目星を付けていた客席をガルメリオごと両断する。
「はああああ!!!!」
彼は座席と共に斬られた訳でも、切断されたシートの山の中に隠れている訳でもなかった。ガルメリオは何もかもを見通している力を持っているようだった。
鋭く、それでいて圧倒するようなオーラだけがそこに残っており、ローワンには理解する余裕さえ与えられなかった。背後に迫る殺気にすら気づけておらず。
「…………はっ」
「させない……!」
「ふん……」
二人の間に滑り込んだのはハンナだった。
自らの前腕と同じほどの長さのナイフを逆手に持ち、ガルメリオの一撃をローワンの代わりに受け止める。
身軽な動きでその場の障害物を巧みに扱いながら、ガルメリオに食らいつくが彼はそれを容易くいなす。
「俊敏という言葉が良く似合う」
「それは、どうも!」
渾身のハイキックは片手で受け止められる。苦虫を噛み潰したような表情のハンナだったが、数的優位を得たローワンも黙ってはいない。
天井の低い機内では蛇腹剣の手数の多さを最大限発揮することは難しい。だがこちらにはスピードを活かした攻撃が可能だとハンナの戦い方を見て思いつく。
「好きに動いてくれ、合わせる!」
「わかった」
「…………っ」
ハンナのトップスピードの攻撃はガルメリオの表情を僅かに強ばらせた。
その一撃をもっと早く展開するために、攻撃を加えた反動で別の場所へ反発するように移動、着地点にローワンのイクスを予め設置、こうして最高速度を維持したまま連続攻撃が可能になる。
この攻撃でガルメリオを倒せるなら僥倖。そう易々と倒れることもないのも理解していた。
今までの間に、アンゼルムが別の場所へ退避していたということも確認している。
「ライズッ!」
僅かに出来た余裕で通信機を使い呼びかけると、準備万端の男の声が返ってくる。
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二〇三五年、四月二十五日。
旧ドイツ時間。午後、二時二十三分。
あの焔が墜ちるまで、二十五分。
先頭を見張っていたハンナとは逆方向、ガルメリオが来た尾翼側から抜け出し、予備の専用機へと向かう通路にライズは立っていた。
「はい、こっちに丁度来ました」
「ここまで予想通りか?」
「ええ、でも……」
アンゼルムの前に、予備機へは行かせんと立ち塞がるライズだったが。
「一人じゃないのは予想外です」
彼がメイフライの隊員たちに守られるようにして現れたことは想像したくなかったことである。
「通してくれるなら君を傷つけずに済む」
「ご冗談を」
同士だった者たちの数多の銃口が向けられる。こうなってしまったのは幾つもの偶然が積み重った結果だが、ライズはその経験を受け入れて前に進んでいる。
過去の経験から、世の誤った流れには抗わなければ、己が信じる明日に繋がることは出来ないと学んだ。
明日を見失っていたライズにそれを示したのは、今、共に歩む者たち。
彼らを失いたくない。
そんな明日を求めて、足を一歩ずつ、確かに踏み出す。
「チッ……」
ライズの視線の先、アンゼルムとメイフライの隊員らの更に奥から、嫌悪が入り交じった舌打ちが聞こえてくる。
「話が違うぞ、あの男」
「君の味方か?」
アンゼルムからライズに向かってその言葉を吐くということは、彼の連れてきた兵ではないことは確かだった。
ならば突然やってきたこの、戦う者の顔つきでありながら、あどけなさのようなものが僅かに残っているこの青年は一体誰なのか。
「まあいい…………アクアスパウト」
「なんだ!?」
無から発生した激流、水の竜巻がメイフライの兵士たちを脅かす。アンゼルムを避難させようとするが、安息の地などここには無くなった。
「まとめて殺してやる」
グロリア・ベルファングの介入は、渦巻く混沌に注がれる、激化の一手。
アンゼルム・ハイトマン
ジェイスと共にブレイジスの擁立に一役買った男。
目的の為には自らの犠牲も厭わない。




