236. トリガーエフェクト
「それは確かな情報か?」
「ええ、熱性を帯びたハリケーンが進路をこちらに据えてやって来ています」
ブレイジス軍事基地の中の人間は、ここが比較的安全地帯のニュルンベルクとは思えない程に慌ただしく動いていた。
重役用に用意された見栄えのいい来賓室の窓からは、兵士が忙しなく行動する様が一望できる。
ブレイジスの結成に一役買ったジェイス・ウールドリッジは、現在も軍事と外交の顔役として世界を飛び回っている。
しかし、今回ばかりは慌てふためくことが無かった。
「この基地の司令官……確かベルガウ司令か。彼は優秀だな、ただの来客である私の命令を聞くより先に防衛体制を整えるとは」
「それは皮肉ですか?」
報告して来た兵士は彼の発言の真意を探る。
ジェイスはその兵士の言葉に、言葉以上の意味があることを理解していた。
「困ったな、純粋な褒め言葉のつもりだが」
「……」
「この状況で一々、確認をとっていては事態に間に合わないだろう。この後どのような処分が下るかはさておき、その行動は正解と言える」
「貴方は分かっていたようにすら感じる」
「…………何を?」
「分からないとは言わせませんよ」
兵士たちが基地とこの街の市民を守ろうと声を荒げてでも努力する中、ふっと静まり返る空間がそこにはあった。
「副長よりもよほど優れているな、君は」
「随分、露骨な手を使うな」
報告に来た兵士、ガルメリオ・ケイオスの言葉から敬意を込めた口調が消えていた。彼の中である確信が持てた事から、彼等と対等の立場に立ったのだ。
「私はそうは思わんが。それで、知ったところでどうするかね。私を殺すか?」
「下らないな」
ジェイスは彼の立ち回りに不満など無かった。殺してみせろと言わんばかりに、自らの命を差し出してみせたがガルメリオに一蹴される。
「俺は従うだけだ、お前達の言う作戦を遂げるだけ、それ以上でもそれ以下でもない」
「この世界の顛末に興味は湧かないか」
「知った所で、一人でどうにかなる問題では無い」
ジェイスの言う世界という大局など心底どうでもいいような口調のガルメリオ。分別のついた彼の心構えはジェイスを喜ばせることとなる。
「やはり君は優秀だよ。アンゼルムもきっと君のような人材を傍に置きたがるだろう。しかしそれでは君の能力は十全に発揮されない。君は前線にいてこそだ」
「ああ。俺もそう思う。だからこんな肩書きも邪魔なだけなんだよ」
司令部直属部隊メイフライ隊長。それは、ガルメリオ・ケイオスにとって枷でしかなく、本人もそれを自覚していた。
「ならば、君には特別な任務を請け負ってほしい」
「……なんなりと」
ガルメリオなりのウィットに富んだ返しのつもりだった。ジェイスはそんな彼に知らされていなかった事実と共に任務を突きつける。
「なに、引っ付いてる虫を払うだけの簡単な仕事だ」
「それは始末してもいいんだろ」
「ああ。食ってかかるといい」
ジェイスはガルメリオを食物連鎖の高みへと誘う。
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二〇三五年、四月二十五日。
旧ドイツ時間。午後、二時十六分。
あの焔が墜ちるまで、三十二分。
「フリッツ、止まれ」
サキエルの一声で、フリッツが走らせていた車が急激な減速を始める。目線の先には人影が一つ、こちらを睨むように立っていた。
「誰だ?」
「お前達に用は無い」
人影が首を前に動かし車の中にいる人間を確認しようとする。
「初仕事は勧誘だけと聞いていたんだが」
「何処へのだ?」
両腕に黒線が二本ずつあしらわれた外套。
サキエルは知識としてそれを知っていたが、現物を見るのは初めてだった。
なにせサキエルの知人が着ていた服は原型を留めていないほどに破れきったのだから。
「ブラック・ハンターズ……」
「……ヤツらの知り合いか?」
「誰の事を言ってるか知らないが、そいつからはまんまと逃げてきたようだな」
ブレイジス領内にブラック・ハンターズの人間、これが普通では無いことを物語っている。
危険な状況に置かれていることを察したサキエルは、フリッツに目線を送り、車のドアを開けてその身を晒す。フリッツもサキエルに続くように運転席を後にした。
「自分の目標の為には任務など二の次だ」
「お前…………」
その口ぶりから、あらゆる可能性を思索するサキエルはひとつの仮定を組み立てる。
その立証にはまず、目の前の男━━━━━━ガルチュード・デイヴィッドから話を聞くことを先決とした。
「何が目的だ?」
「言った通り、此処には勧誘しに来ただけだ」
「博士っ」
グラシアナは後部座席からトランクに手を伸ばす。
簡単に話せるような相手では無いことを感じ取ったフリッツは、彼女からアタッシュケースを受け取り準備を完了させる。
「メイフライの隊長と、めぼしいのを何人か。お前達は━━━━━━━━━」
「…………ッ!」
「不要だ」
ガルチュードが手始めに狙ったのは非戦闘員。車の中に居たグラシアナだった。
彼等に倫理や正当性など皆無だと言うことを今更ながらに思い知ったサキエルは食い止めよう駆けるが。
それよりも先に彼女の作品が、彼女を守護した。
「━━━━━━━━━━━ッ……」
「くっ……」
黒い拳が火花を散らしながら衝撃を与えたのは、アタッシュケースから取り出された剣だった。
その衝撃の余波であるかのように、フリッツの手から純白の鎧が生成されていく。
生まれいでたのは信じるものの為に突き進む白き騎士。
「━━━━━━エルメサイア」
ジェイス・ウールドリッジ
ブレイジス結成の一助となった男。現在は顔役として各地を飛び回っている。




