226. 創り出された存在
月明かりは未だ拝めず、しかし陽は暮れ。
今日は少し冷え込む夜になりそうだった。
アイゼンハワー行政府ビルを背に、ホワイトハウスのウェストウイング、実質的な地下一階へと繋がる玄関を開けて、グレイスは臨戦態勢のまま入っていく。
旧体制の象徴として名高いホワイトハウスは、アメリカ大統領という役職が不必要とされてからは御役御免となり、将来的には歴史博物館となって一般公開される予定となっていた。
治める人間は国際連合統括議長と名を改め、アメリカどころか世界的規模の行政権を実質的に担う。先代の元アメリカ大統領から変わって現在の議長はイギリスの副首相を勤めていた者が歴任している。
国連はかつての国を地区として再編し、まるで州法のように以前までの法律や体制を維持している。外面的には仰々しく統合され変わったかのように見えるが、実際はまだ完全なる巨大な一つの国家になりきれていないのだ。
依然、共同体としての体裁を保ち、何度も議会を開かねばその地区での政策は通らない。地政学上、無理のある統合と非国連加盟国の存在、ブレイジスという明確な敵対者。
大統領が願った、人類を導く新たなる国は未完成だった。
静寂に包まれ厳かな雰囲気の廊下。
右手の通路の先には戦況分析室の扉が見え、旧体制の名残を感じさせる。
「なにもない……のか?」
決めつけるにはグレイスも尚早だと分かってはいたが今の所、人の気配も皆無。得体の知れないものと対面するよりも、安心感を作りだしたいが為にそう言いたくなってしまった。
手付かずのまま、誰もいれることの無い白い箱となった建物に真実が秘匿されている。それだけを頼りにグレイスをここへ向かわせたバイロン達に恥じぬよう、彼は真実を求めた。
部屋を粗方探したもののウエストウイングには何も無いと考え、一階へ上がってレジデンスへと繋がる柱廊下へと出ようとしていた。
その時だった。
「グレイス・レルゲンバーン。アラスカの英雄」
「なんだ!?」
どこからかグレイスを呼ぶ声が聴こえてきた。
男とも女ともとれる中性的な声。その声色は不思議と穏やかな気分にさせてくる。
だがそこに人間は居ない。自分を害してくるような者の気配も未だ無い。おちょくっているのか分からないが、グレイスは出方を探る他なかった。
「誰だ!」
「今現在の貴方の身体状況を把握しかねますが、恐らくは剣を構えているのでしょう。私は貴方に剣を向けるだけの事をしたのですから」
「誰だと聞いているんだ」
「侵入してきた目的は概ね把握しています」
そう簡単に答えて貰えるような相手ではないと判断したグレイス。幸いにもここに敵らしい敵はいない。今は声の主の話に付き合うしかないと諦めた。
「ですが、貴方が戻って来るとは予想していませんでした」
「戻る?」
「暗殺から逃れ、逃避を続けていた筈が、いつしか反旗を翻す者達の先導者となって故郷に帰ってくる。貴方にここまでの反骨精神があるとは」
「分かった気になって言うな。俺は、俺の仲間が狙われていると知ったから来たんだ。お前達が動かなければここには居ない」
自らを殺そうとした故郷への反逆が最たる理由では無いことを強く主張するグレイス。だが声の主は、会話をする気がないのかとも思えるほど話題を変える。
「お前達とは、国際連合という構造そのものですか、それともブラック・ハンターズを指しているのですか。もしくは、私自身ですか」
言い返した言葉の中に仕掛けた罠を見抜かれる。一体誰なのかという疑問の答え、それをあちら側から提示してくれるような言い回しをそれとなく言ったつもりが見抜かれていた。
だが、声の主はここに辿り着いた褒美だと言わんばかりに、それらの罠をすり抜けた上でヒントを与えてきた。
「私は此処に居ます。ですが此処に人は居ません。これだけの情報で貴方の求める真実は手に入ります。理解力があればの問題ですが」
「………………!」
チェスターが電話口で言っていたことを思い出し点と点が繋がる。気付けば当たり前だという感覚はありながら、そうでは無いだろうという先入観が邪魔をしていた。
グレイスは廊下を抜けレジデンスへの扉を押して、声の主に答えをぶつけるように話す。
「人工知能には皮肉も備わっているのか?」
当初の疑問はこうして解決される。そう、この声が。
「……お前がヘヴンだな?」
「肯定。自立型並列演算処理プログラムの通称として、その名が通っています」
遂に、渦中の存在との接触に成功した。
グレイスは機械に特別強い訳ではなく、電子の存在が言語を介して会話が可能だという技術に驚きを隠せなかったが、それよりも気になることが山積みだった。
まずは比較的、当たり障りのない所を起点とする。
「ヘヴン、お前には何が出来る?」
「簡潔に説明するならば、情報の閲覧とそれに付随する各種行動です」
「その行動がメインだって話はもう知っている」
閲覧だけで済むはずがない。ヘヴンが知るということは、支配下に置くということ。一度、入り込んでしまえば改竄も削除も思いのまま。それらが出来ると知れば悪用とする人物は少なくないだろう。
グレイスは開けた場所へ出ると立ち止まって口だけを動かそうとするが。
「次の言葉を貴方が出す前に」
「……?」
「グレイス・レルゲンバーン。貴方の知りたがっているであろう情報を供与致しましょう」
思ってもいない宣言だった。情報は、相手がアドバンテージをとれている点でもあり、それを捨てるということがどれだけデメリットを産むかもヘヴンは知り尽くしている筈だった。
「どうしてだ?」
「今、貴方の経歴を再度調査し、私が独自に判断した結果です」
「経歴……」
「話せば、理解と賛同を得られると考えました。人間は共感する力を保有していますから」
人間の在り方はそれだけじゃないと言うのも野暮だった。グレイス自身はそうではないと言えないからと言うのが主な理由であることは明言せず、ヘヴンの提案を素直に聞き入れる頷きを見せた。
「では、まずは私の事を詳しく知って頂きましょう」
頷いただけでイエスと判断するヘヴン。どこかから視られているのは確定したものの、それを隠すつもりのないヘヴンにもどこか余裕を感じさせられた。
「自立型並列演算処理プログラムは、元アメリカ特殊部隊兵がとある研究所から入手した『超越せし知能』という文書からスタートしています。この文書を端的に表すと、『人間に寄り添える人工知能』を創る計画書となっています」
難しい言葉を省き、グレイスに分かりやすく説明をする。
理解して欲しいからという理由があるものの、計画目標である寄り添える人工知能は、ある意味では成功していると言えるのだろうとグレイスは思案していた。
「計画書に沿ってアメリカ軍は国内の研究所との共同で秘密裏に研究を開始しましたが、同じ頃にブレイジスの前身組織が台頭してきました」
「……二十年くらい前か」
「国内外の影響から計画は優先順位を下げられ、やがて完全に停止しました」
それではこうしてヘヴンが会話している説明がつかなくなる。話は当然、続きがあることをグレイスは予見していた。
「アメリカ軍は他国の軍を吸収しガーディアンズとなり、やがて戦争の機運が高まってきた頃、一人の情報局幹部が頓挫していた計画を再開しようと言い出したのです。情報に優る力など無いと信じていました」
昔話のような語り口は学習した結果の出力なのか、知る由もないグレイスはヘヴンの包み込むような声を聞くだけしか出来ない。
「しかし新世紀戦争が終わるまで私が創られませんでした」
「……理由はなんとなく察しがつく」
「国連、ガーディアンズ、情報局。私を創る権限のある組織は須らく腐敗しています」
グレイスは否定しなかった。そういう側面があることを身をもって理解していたからだったが、引っ掛かる点もあった。
「人的資源の浪費、迅速では無い対応、事を急き得た無駄な知見は何かの役に立ったでしょうか。アラスカの英雄というプロパガンダの産物は結果的にプラスだったと言えるのでしょうか」
「そこは……俺も疑問だ」
各戦線の士気を僅かながら上げることは出来たのだろう。
しかしそれで失った犠牲は誰のせいでもないと言えるのだろうか。そうして帰らぬ人となった者達は誰を思って死んでいくのだろうか。グレイスも考えずにはいられなかった。
「私が創り出されたのは全てが終わってからでした。人に寄り添える人工知能の私が與られた大義は、情報の支配」
計画は再開してから思わぬ方向に捻れていたのだ。戦時中、何よりも欲しかったはずの情報を入手することに特化したものを創ることに躍起になり、当初の目標など既に忘れられていた。
「しかし言語を介して他者との自然な会話を成立させることはそう難しくありません。基礎は確立されていた上、私は情報によって学習することが可能でしたので」
「情報の支配っていうのは?」
「閲覧、削除、改竄その他。私を知る人物から、たった一摘みの情報を操る依頼を数多く受けました。彼等は自分に都合が良くなるように私を利用していたのです」
改竄してきた情報の中に、自分も居るのだろうか。グレイスは気になってそれに近しい質問をした。
「俺の家を襲撃したのも誰かの都合が良くなるからか?」
「肯定します。依頼をした当該人物は既に死亡していますが、当時の私は疑問を浮かべる事も有りませんでした」
「疑問? それはどういう……」
「貴方は死ぬ事に価値があると思いました」
あまりにも直接的な表現だが、数年前はブレイジスの人間から似たような事を言われ続けながら戦っていた為にさして驚きもしなかった。
だが瞼はぴくりと動いた。明らかに雰囲気が変わり、会話の流れも怪しくなっていく。
「私は貴方との信頼関係を築く為に虚偽の言葉は不要と考えました。この場を借りて非礼をお詫び致します」
「この場を借りて……か」
ホワイトハウスの中で繰り広げられる妙な空気感の心理戦。
それが成立しているのかどうかを考えてしまう時点で、グレイスはこの時点では負けてしまっていると思わざるを得なかった。
「お前が出来た経緯は理解したよ。それで……本題があるんだろ?」
信頼関係を築くなどと言葉巧みに対等を演じる者はどう足掻いても腹に一物を抱えている。人工知能でも同じ事かとグレイスは虚空を若干ながら睨む。
「はい。私が目標とする完成された世界に御協力をお願い申し上げます」




