223. あの美しき思い出に
「櫻井潤。何をそんなに必死になっている?」
左腕と四本の右指を斬り落とされているエグゼが、その傷口から滴る鮮血を無視しながら語りかけてくる。潤は思ったことをそのまま口に出した。
「どの口が」
「確かに、この様では強がりに見えるのも仕方ないか。だがお前が必死なのは変わらない事実だ」
「…………」
「誰へのアピールか知らないがお前が尻尾を振る人間なんてもうどこにもいない」
エグゼの口車に聞く耳を持たず、潤はとある不確定の要素について頭を巡らせていた。それがわかった所でこの戦いそのものがどうにかなる訳では無いが、確かな情報のひとつとして得られることは有意義には違いなかった。
だがその思考を止めたのは他でもない、エグゼ・マリアーノだった。
「お前は捨てられたんだぞ、あんな失態を犯したんじゃ当然だ…………戦争をしたかったお偉方にとっては嬉しい誤算だっただろうが」
「━━━━━━━━━はあ?」
聞いたことの無い事実が潤の思考を止めた。エグゼにとってこの話の種は潤の精神を揺さぶることに長けたものであることを悟ると、その口を能動的に動かし続ける。
「クリアフィールドの戦いはブレイジスによる奇襲攻撃として処理された。旧ブラック・ハンターズとガーディアンズ本部の護衛を任されていた一部隊が対処にあたるも失敗に終わった。そういう筋書きだ」
「それが……嬉しい誤算?」
「だってそうだろう?」
指の欠けた右手で口元を抑えるも隠せていないエグゼの表情は、悪意の笑顔だった。
「別にそれが直接的な理由じゃない。だが蓄積したんだよ、確執が」
当然、ブレイジスはその疑いを否定した。だがブレイジスの人間がいたことは紛れもない事実だった。たとえそれが離反者であろうとも。
「国連にとってブレイジスは世界秩序を乱してなお存在する害悪だ。だがあの二年間、戦争の決め手となる決定的な事由は起きなかった。なら……」
「捏造、したのか!? ブレイジスがやったことだと! あれはレブ……」
「第三師団だっていた。ブレイジスが居たというのはそこにある情報だけを見れば事実だ。それに……」
潤が反論するのを予見してその主張を封殺したエグゼは、もはや着目点はそこには無いのであると突きつける。
「関係ないんだよ、そんなことは。決定的なことはなくとも、どっちもフラストレーションは溜まってたんだ。最後の一押しをしてしまえばあとはあっちが勝手に威嚇してくれる、国連はそれに対抗するという口実が出来る。それが積み重なっていけば……」
この世界に変貌する。血みどろの世界。
あの戦いには意味が生まれた。そこに居なかった人間によって後付けされた、最悪の理屈が付随してきたのだった。
だから。
「国連にとってお前達は尊く、利用価値のある犠牲だったよ」
「………………おい……」
「死に損ないの隊長。ひとり逃げ帰った臆病者」
「だ……ま、れ…………」
「任務に失敗し国連の為になった人間と、無惨に散った魔術師━━━━━━━━━」
「ううヴうッ!!!」
次の瞬間、潤はその男の口に剣を刺して塞いだ。獣のうなり声と共に喉奥まで運ばれた刃に流れる鮮血は紛れもないエグゼの血液だった。
油断していたとはいえエグゼが反応出来ない程の速度だった。お前を黙らせる、そう言われているかのような一突きだとエグゼは感じ取った。
まだ息はある。舌を動かせない状態のまま、エグゼは潤の触れてはいけない部分を逆撫でし続けるように喋り倒す。
「じじつを、いった、までだ…………これがしりたかったんだろう、うがッ!?」
剣を更に奥へと押し込まれ、うなじの上から突き出るとようやく、不快な声が止んだ。聞こえてくるのは生命の灯火を維持しようと逸る呼吸音。
ひゅー、ひゅー、と使い古した笛の音のような息づかいしか出来ず、他人を苛立たせることに幸福を見出したかのような人間の愉悦の表情を潤に見せつける。
「…………」
あろうことか目の前の男は、彼の記憶の中で最も大切に仕舞われていたものに唾を吐き、黒い墨を無秩序に撒いた。
同時に再確認した。
彼女に無意識にも勇気を与えられていたのだと。
彼をもっと知りたかったと。
彼女が自分にとってどれほど大きな存在かと。
本当は彼女こそ、自分にとっての憧れだったのだ。
嫉妬と憎悪の雨に打たれ、汚れた瞳には何が正しいのかを判断する力など皆無だった。
無力さを痛感した、あの業火に囲まれた日でもなく。
その輝きを見せつけられた日々でもなく。
あの日。手を差し伸べてくれた可愛げのない彼女を思い出し、汚れていた黒い瞳に小さな光が宿る。
「お前が何をしたいかは知らないが……」
「…………」
「俺は、お前が死ぬまで何度でも殺してやるよ。それがお前に対する誓いだ」
よくもまあ、人を貶すことにここまでの言葉を尽くせるものだと、潤は湧いて出た蛆虫を見つめるような表情だった。
逆鱗に触れた者がどうなるか、エグゼはその身をもって味わう。剣を口から抜かれ、だらだらと零れる自分の血を見ながらエグゼは、なおも笑った。
「殺す、か…………いい、誓いだ……」
潤はエグゼが見せた表情に少し、ほんの少し驚かされた。
それまでの他人を蔑むようなものとは違う、放たれた言葉を正面から受け止め肯定するような屈託のない笑み。
心中を探らずにはいられないが、エグゼが続きの言葉を上げることは無かった。
「……さて」
それはそうと、潤には確かめるべきことがあった。
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ヘイスに代わって、加筵芥に真っ向勝負を挑むのはソフィー・ロングハーストとなった。
ゲレオンの一発目の狙撃を避けられてしまった以上、囮となることは覚悟していたが、逃げ続けながらも狙いをゲレオンから逸らし続けるという役割は思った以上に難しいと、ヘイスは経験を得た。
加筵はゲレオンを叩こうと行動に移していた。いたちごっこになることを嫌った上での行動だろう。ならばそれに対応せざるを得ないとヘイスは新たな手札を切る事にしたのである。
「出来ればお嬢ちゃんは使いたくなかったが……」
ヘイスは現状に悪態をついた。ソフィーには万が一のことも考え、潤のサポートもできる位置に陣取っていたが加筵の予想以上の力量は彼女を温存させてはくれなかった。
だがこれでヘイスもゲレオンと同じく、奇襲する側に回った。妨害、狙撃、正面からの爆発。これを乗り切るのは誰であろうと至難の業だ。
「テオフラス!!」
散布された粒子に対して剣を一振りするだけではこの魔術を退けることは難しいと、先刻の攻撃で理解していた加筵は自分も魔術を使うことで対応する。
「トライスカーズッッ!!!」
四回。四回だけ剣を振った加筵はテオフラスの粒子の八割をその剣圧で弾き飛ばす。爆発は加筵の至近距離で起きることはなく、ダメージは入っていない。
「はあっ!」
連続して、粒子を撒くソフィー。しかし、二度の防御で得た知見は加筵を有利にしてしまう。
「嘘……ッ!?」
多少の爆発量ならば生身で食らっても傷は浅いと判断したのか、トライスカーズを常時発動して防御しながら近付き近接戦闘に持ち込もうとしてきた。
加筵を対応する人員であるゲレオン、ヘイス、ソフィー、その全員が中遠距離の攻撃を主体とした戦術や魔術。近接戦に持ち込んでしまえば当然ながら彼に軍配が上がる。
それを理解していたソフィーはペースを上げて粒子を放つが。
「一度に生成する粒子量は一定か!」
「くぅ…………!」
弾いた粒子の数からテオフラスの特徴を暴かれてしまう。眼前の男を何とかしなければならない。加筵から見れば、ソフィーは焦燥感に駆られ正常な判断を下せていないような素振りを見せていた。
加筵にとってこれは好機となる。ソフィーさえ殺してしまえば残っている者への対処は先程と同様でいい。これほど簡単な任務もそうそうないだろうとまで考えていた。
トライスカーズでの侵攻は壁や床にまでその爪痕を残しながら終わりを迎えようとしていた。
ソフィーが加筵の攻撃範囲内へと入り、今まさに斬りつけられようとしていた時だった。
「なん……だ……!?」
ソフィーは右手を緩めに握り、僅かに出来た空洞に口を当てていた。加筵はその手に釘付けにならざるを得なかった。
「…………テオフラス」
息を吹きかけると粒子は高い密度をもって加筵に放たれた。
「くっ…………!!」
咄嗟に防御の体勢をとり、トライスカーズを使用しながら弾くが、それでも身体の表面が爆発していくことは免れなかった。
対象に高密度でテオフラスの粒子をぶつける方法として、掌から生み出される粒子の射出する方向を、手の形とで定めることによって、テオフラスに指向性を持たせたのだ。
「アナログなやり方だけど、威力は数段上がる……これなら!」
刹那。
「━━━━━━━━━っ!!」
無数の爆発を切り抜けた加筵が防御を捨ててソフィーにかかった。
ダメージは確実に入っている。だがそれでも止まらない加筵の猛攻に、秘技を乗り越えられたソフィーは魔術を出す暇すらなく。
「うぐッ!!!」
加筵の一撃は右下腹部に突き刺さる。背中にまで抜けた剣に滴る血液がその傷の深さを物語る。
「う、うぅ……」
一体何が、この男にこれほどまでの異常な執念を与えるのだろうか。ソフィーは考えずにいられなかった。そうでもしないと意識が落ちてしまうから。
熱意や怒りなどといった情動に駆られず、淡々と遂行するその姿は不気味に思えて仕方がない。それしか生き甲斐が無いかのようだった。
それを否定するにはソフィーの人生では説得力が無かった。
ソフィーが軍人となったのはほんの気まぐれや偶然によるものだった。
新世紀戦争が終結してから国連領内の一部でも魔術師反対の声は少なからずあった。
直接的な加害はなかった。あるのは冷ややかな視線と小さく聞こえてくる、自分を話題の種にした話し声。
仲の良かったはずの友達が、ソフィーに何気ない冗談をかけることに恐れを感じて躊躇った時、それらの行動に劣等感や憤りを感じず彼女はただ、面倒だと思った。
だから軍人になった。
ガーディアンズとなれば魔術師は普通の兵士だ。区別されることはあってもただの一人だ。
だから軍人になった。
やりたいこともなく、それに足る才能も持ち合わせていた。人生に彩りはなかったが、血の一色が混じろうともさしたる変化はなかった。それが才能だと思った。
だから軍人になった。
どうせ誰も本当の自分を知ろうとしないなら、押し殺して生きていても一緒だ。それこその一人前の兵士だ。
だから軍人に━━━━━━━━。
『ソフィーは優しいね』
『え?』
『だってそうでしょー? 自分のためじゃなくて、周りのためにここに入ったんだから』
『そんなことは……』
『それが出来る人って少ないし凄ーって思うよ。少なくとも、アタシは』
「く、ぐぅ…………!!」
腹部に刺さった剣を握り締める。これ以上、腹の中で暴れ回らないように、この剣を振り回せないようにしてしまおうと考えた、ソフィーのささやかな抗いだった。
「無駄にする気か……」
加筵は呆れているようにも見えた。テオフラスで顔面を爆発させようとしてもおかしくない距離でやる事は剣を掴むだけ。
指向性のテオフラスに戦法としての価値を感じていただけにその抵抗の方法には気を落とさざるを得なかった。
刃を必死に掴むソフィーの手は赤く染まっていくようだった。加筵は根負けして、二本目の剣のグリップに手をかけようとする。
ここで負ける訳には、死ぬ訳にはいかない。
自分を優しいと表現してくれた、本当の自分を見てくれた彼女を思い出した。そんな強い彼女に倣って、強く在ろうとした。
そして自分を強いと言ってくれた彼を心の奥深くで想った。彼女の意志を継ぎ、真似事が真似でなくなった瞬間を見届けてくれた。
彼の憧れでもあるのだ、だからこそ、まだ。
「優しくて強いソフィー・ロングハーストは、まだここに居るよっ!!」
その表明を聞いたのは眼前の加筵だけでは無い。
「…………っ!」
殺気を感じた加筵はすぐさまその方向に身体と意識を向ける。ソフィーを一人で戦わせることしか出来ない非魔術師に、今更どんな策があるのか知る気すら起きず、加筵は無情にトライスカーズの斬撃を放った。
「トライス……」
「トラロカヨトル!!」
「なッ!?」
先手を打ったのは加筵でもヘイスでも、ましてやソフィーでもない。
そこに居ないはずの片眼の狙撃手、ゲレオン・ブラントが拳銃を構えて現れ、トラロカヨトルの風を纏った銃弾は構えていた加筵の右腕の表面を抉りとるようにして通る。
あえて気配を感じ取らせ、先刻まで対峙していたヘイスが近くに居るという警戒をさせる。ほんのわずか、無意識に生まれていた余裕を打ち砕く一発だった。
「狙撃手としては半端もいい所だがな!」
己を笑い飛ばしながら、続けて斉射する。手負いの加筵は先程の一発で右手で剣を持つ筋力を失わされたものの、戦う気力は十分にあった。
「ふうん゛ッ!!」
左手で、逆手で手に取った三本目を剣を抜刀するとトライスカーズの衝撃はゲレオンの全ての弾丸を逸らす。容易に捌かれてもめげることなく次弾の装填を無駄のないよう全神経を尖らせるが。
加筵芥は待ってはくれない。
「諸共だ」
「やらせるかよッ!!」
次は外さない。あの時不意に撃った銃弾を気取られた彼にとって、これは早くもやってきたリベンジの機会だった。
ソフィーとゲレオンとは違う角度から、ドアを叩き破るようにして出てきたヘイスが加筵の注目を集める。ここにいる非魔術師がお前を撃つぞと、脅してみせた。
彼にとってここに居る事はギャンブルではない。
これまで預けてきた信頼と得てきた信用をも武器として、敗北を考えていない男、ヘイスが撃鉄を起こす。
「テオフラス!!」
加筵が刺した剣にゼロ距離の爆発を与える。身勝手な落胆よりも、過去に受けた賛辞が彼女の残る力の全てを振り絞らせる。腹に刃は残ったまま、折れた剣を膝をつきながら投げる。
乾坤一擲の二人の攻撃。それさえいなせば勝機は明確な勝利、任務完了へと変わる。
二人にそれぞれ一振り、六の斬撃は手負いと非魔術師を必ず殺す。その体勢に入る直前。
「トラロカヨトルッ!!」
加筵は視線をゲレオンにやらざるを得なかった。まだリロードが完了する時間ではないのにも関わらず、彼は魔術を発動するのか。
風圧での攻撃はヘイスとソフィーの二方向からの攻撃を潰しかねない。ならば、ゲレオンは━━━━━━━━。
「ブラフか!」
「いいやっ!!」
局員として働いていたゲレオンの狙撃手としての腕はお世辞にも最良の状態とは言えないが。
その場のひらめきが錆びつくことは無かった。
「トラロカヨトルの……曲射弾!?」
緻密な魔術操作、それを気付かせないための動き。空中に停滞していた銃弾は風の加護を受けて、息苦しいようにも思えるこの廊下を最速で奔る。
三方向同時攻撃。着弾の時間を考えてもトライスカーズを六撃以上にすることは出来ない。
されど、任務を失敗することもあってはならない。加筵はその執念を形作った斬撃を放つ。
「終わりだあぁああああっっ!!!」
「はあああああっ!!」
「うおおおオオオォッ!!」
「たあああああッッ!!!」
咆哮は、剣は、魔術は、弾丸は力と成り、九つの攻撃が全て果たされた。




