218. 弛緩と戦慄
これから起こる戦いが革命となるか、テロとなるか。
当人たちにとってそれはどちらでもよかった。
ただ己の信条に従った結果が、誰かの記憶に刻まれる。
彼等は、新たなる選択を手にする為に立ち上がった。
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東海岸の景色には徐々にオレンジが混ざってきていた。
歴史を象る建造物と緑の生い茂る街は、これから戦火に溺れる可能性がある。
出来ることなら最小限に抑える。これは当然だ。
傍から見ればこれから行うことは、現在の国連に反旗を翻す事に他ならない。ブレイジスと同じ、敵と見なされる。
そのような集団が領内にいるとなれば、それは最早戦闘という類には当てはまらないかもしれない。暴動と、その鎮圧でもない。
それは紛れもない、小さな魔術大戦だ。
「予定の時間だ」
「……来ねぇな」
潤、ヘイス、ゲレオン、シャロン、リンジーの五人はアレクサンドリア旧市街に居た。
ペンタゴンのあるアーリントンから少し離れた場所にあり、旧アメリカ初代大統領の故郷としても知られている。
ポトマック川とキングストリートを起点に栄えたこの町の外れに彼らは潜んでいた。
「俺たちよりあいつらのがここに近い所に居たんだろ? どういうことだよ」
ヘイスの不満気な態度をたしなめるようにゲレオンが考察する。
「近いとはいえここは国連の監視下だ。この地域は易々と動けるものじゃない。時間がかかるような事があったんだろう」
「後につっかえるような用なんて、大体碌でも無いですよ」
潤が辺りを見渡しながら放った一言はゲレオンによるヘイスへの静止の言葉を打ち消すようだった。
「例えば……ブラック・ハンターズと出くわした、とか」
「縁起でもないな」
憎まれ口の減らない潤。まるでこの場にいる全員から白い目で見られたいのかと勘繰ってしまいそうになるゲレオン。
リンジー、シャロンと少し離れた場所に立ち彼らが来るのを待つ三人だったが、ヘイスもこの状況は好ましく思っていない。
「カルセドニーって言ったか。ソイツは本当に信用できるんだろうな?」
「彼はオルブライトに忠義を尽くしている。俺達が彼の助けとなり続けるならこの協力関係はどちらにとってもメリットの方が多い」
現在のこの協力はオルブライトの生存、そしてその救助ありきの関係だ。
オルブライトの死亡が確認されれば彼らも国連、ガーディアンズの軍人としての利害を鑑みて損切りされる場合も十分にある。
「オルブライト司令はまだ生きてんですかね」
刻一刻と事態は変化していく。ゲレオン達が最後に確認出来たのは昨夜の通信で得た、今から十数時間も前の情報だ。
この前提が崩されれば彼らは孤立無援の中、追手を振り切らなければならない。加えてここは敵の根城のすぐ近く。攻勢に転じる場合ですらない。
「……最悪のパターンは考えたくないな」
「おい……あれか?」
頭の中からあえて削ぎ落とした展開が来ないよう願うばかりだった彼らに近づく車が一台。車両のナンバーは電話の際に聞いたものと同じだった。
「そうだと思う」
ゲレオンの確認を聞いてから、潤はその車にずかずかと近づく。後ろ姿を見ていたヘイスは潤が左手を上げて背中に装備している剣をいつでも抜刀出来るような体勢でいた。
それを見た潤以外の二人もホルスターの中にある拳銃に手を掛ける。
後部座席のドアが静かに開く。そこから出てきたのは。
「ソフィー?」
驚きと、それから不安がゆっくりやって来る。
「お前……」
潤が一歩踏み込めば届く攻撃範囲に居るソフィーは彼を落ち着かせるような手振りをする。
「大丈夫です」
その一言と共に、車の中に残っていた者達が一斉に出てくる。
「確認したかったんです、一応」
「カルセドニー」
ゲレオンは理解した。彼らもまた、自分達と同じようにリスクを伴ってここへ来ている。聞いていたメンバーが全員確認出来た上で本命と会わせるのは当然だ。
一番最初に出てきたのがソフィーだったのは出せる限りの最高戦力だからだろう。カルセドニーや洸も彼女に続いて来た。
そんな推察をしている内にシャロンとリンジーもやってきて、各々が再会を喜ぶ。もちろん、誰よりも喜んでいたのは。
「ほんと、久しぶりって感じがするな。ヘイス」
「ハッ…………案外、ピンピンしてんじゃねえか」
言葉の抑揚からでも二人が喜んでいるのがわかる。
彼らのような、無二の友の再会は周囲からしても嬉しいことこの上ない。ゲレオンは自分と重ねて見るとこの場にはまだそぐわない涙を流してしまいそうだった。
ここに至るまでの道のりは長く険しく、失敗や後悔もあったが、ヘイスとこうして無事に会えたことはロジオンにとって、ゲレオン達と手を組んだのは間違いでは無い選択だったと信じられた。
その喜びも束の間、奥に居たシャロンと話しているソフィーを見てヘイスは当然の疑問を呈した。
「なんでお嬢ちゃんがこいつらと?」
「もしかして……」
潤の頭によぎったひとつの答えを、口に出すよりも前にソフィーは頷いた。知っていれば誰もがたどり着く結論。
「はい、戦います。それが私たちの選んだ道です」
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先程まで潜水艦内に居たグレイス、バイロン、ワイアット、そしてフェルザーのもとには暗号化されたメッセージが来ていた。
「確かなんだな?」
「ああ、洸が送ってきた」
中身をワイアット達に伝えるよりも先に彼らは動いていた。その内容を見てすぐ、出立するべきだとグレイスが判断したのだった。
「暗号通信で『合流に成功』と来てた。それより少し前に現在地の情報を送って貰っていたから俺達はそこに向かう」
「……ん?」
フェルザーの乗ってきた車の中で話し合う四人。だがフェルザーは自分の持っている携帯が震えていることに気付いた。
「あっ、名前、見せて貰えますか?」
助手席に座っているグレイスが頷きながら、車のセンターコンソールの手前にある収納に置かれた携帯を手に取ってフェルザーに見せる。彼は運転しながら画面に目をやると思わず顔を顰めた。
「非通知……誰なんだろう?」
「……まずいかもしれないな」
「っ、もしかして!」
フェルザーも事の重大さを受け止める。
直接的ではあるが国連側の人間がコンタクトを取ってきたと仮定した場合、それはこちらの動向を把握しようとしているか、もしくは既に掴んでいるかのどちらかに絞られる。
「殺しに特化した部隊がいるんだろ? 切ったらそれこそ襲ってくるんじゃねえのか」
「でも、逆探知とか」
「敵地のど真ん中に行くんだ、フェルザーと俺達の線が少しでもバレないようにするには出る方が時間稼ぎになる」
いずれ戦闘になることは覚悟している。先手を打つにはこの僅かな時間が必要だと考えたグレイスは、電話に出た方が賢明かもしれないと説明した。
電話の呼び出し音が自動で切れる直前にフェルザーはアイコンタクトで全員と確認を取る。ワイアットとも納得しているようだった。
「は、はい」
「フェルザー・エッフェンベルガーか?」
「そうですけど、どちら様で……?」
スピーカーフォンにして車内の全員に聞こえるようにしていたフェルザーの携帯からは、若い男の声が。
「チェスター・ハインズだ、覚えてるか?」
フェルザーは電話越しの男の名前を、頭の中からすぐさま彼という存在を掘り起こした。
忘れるはずもない。あの戦いの中で出会った人間は全て記憶していたフェルザーは彼のことも当然覚えている。
「ええ! 覚えてますよ。ファングシステムの奪取の時に……」
「畏まんないでいいよ、同い年だし。でも悪い、昔話をするほどこっちに余裕が無いんだ」
どうやら急ぎの電話だったようで、チェスターはえらく焦っているような声色だった。
「一体どうしたの?」
「お前、今どこにいる?」
「━━━━━━━━━っ」
取り繕わなければ。冷や汗が止まらなくなるのは悪い癖だと自認しながらフェルザーは思いつく限りの対応でチェスターの追求から逃れようとする。
「……急に電話してきてそんなこと聞いてきて、どうしたの」
悪手だっただろうか。狼狽えながらも答えたが、自然体のように聞こえたのかどうかが心配で手も震えていた。
電波が悪いのか、チェスターが言葉に詰まったのか分からない無言の瞬間が僅かに流れたが、その空気を断ち切ったのは他でもない彼だった。
「言いたくないならそれでもいい。だけどお前を信頼して今、電話してる」
「……? 一体どういう……」
これから話すことは一切の口外を禁ずる。そんなありきたりな契約を口で交わすこともなく、チェスターは頭の中で出来上がっていた文章を読み上げるようにすらすらと話し始めた。
「『ヘヴン』を知ってるか?」
「…………いや」
フェルザーは咄嗟に否定した。まだ彼が信頼に足る人物かどうか、今の時点では判断のしようがなかった。グレイスもそれが安牌だと言うような顔をしていた。
「これは国連の機密中の機密、情報漏洩は当然許されない。だけどお前には伝えとく」
「ど、どうして……」
「お前が、俺の知る人の中で一番あの人に近くて、じっとしてられなさそうな男だからだ」
チェスターとの共通の知り合いでそれに当てはまる人物など、考えなくても出てくる。フェルザーの後ろ向きだった生き方すらも肯定した。
彼を知り信用出来る者ならばというのがチェスターなりの他人への託し方なのだろう。それには応えたいとフェルザーも胸中で気持ちを引き締めた。
「独自のルートで調べたんだが、ヘヴンは暗部の人間御用達のシステムの名前だ。国連領内のネットワークを管理し機密情報の統制、識別情報の操作、ネットの海の端から端まで全てを統括する狂気的な代物……安全保障局が国連統合前に運営してた国際的監視網の上位互換のようなものだって話だった」
人間が作り上げた眼に見えない世界において、作り出すことも消去することも自由自在。
プライバシーも存在せず常に誰かに見られている。ひとたびそれを意識してしまえば嫌悪感は止まらない。だから、誰も知らないまま。
だが、そのシステムがそこまで彼を急かせるものなのか。確かにこの会話を聞かれてしまえばいくらでも居場所が暴かれる。しかしチェスターが焦っている理由はそれだけでは無い気がしてならなかった。
「それだけならまだ良かった……消去されたデータを漁りに漁って、アレの正式名称を手に入れた」
「そんなことをすれば……」
フェルザーが危惧していたことは勿論、チェスターも重々承知の上での行いだった。
「ああ、ヤツら……いや、当の本人に見つかるだろうな。」
「……?」
「まずい、バレるっ」
どこにいるかは分からないが、チェスターに身の危険が迫っているのを四人は声だけでも感じとった。その声に嘘偽りは無いように聞こえた。
「チェスターっ!」
チェスターが本当に伝えたかったであろうことを話せないまま終わるのはどちらにとっても利がない。
フェルザーが声を荒らげるようにして呼びかけ、チェスターも腹を括ったようにして話し出した。
「いいか、ホワイトハウスにいるアレは国連の全てを乗っ取る気だ!」
彼から耳にしたのは『ヘヴン』の真の姿。
それは神秘的にも思え、且つ恐ろしかった。
「『独立思考型並列演算処理プログラム』……奴はつまり……」
チェスター本人が切ったのか定かでは無いが、最後の言葉は聞けずに彼との通話は終了した。
だがその分野の知識が少しでもあればその正体は理解出来てしまう。今の時代でも荒唐無稽で信じたくもない事実。
グレイス達は一体何と戦うのか、それを突きつけられた。
「まさか……!」
「相手は、人工知能……?」




