211. 偶然の目覚め
現代、二〇三四年の不安定さはそこかしこで話題に出る。
食料問題は表面化こそしていないものの、いつ国民にしわ寄せが来てもおかしくは無い。
また一部の過激な思想を持った者達による不安の煽りも問題視されていた。次はどこが戦場になるんだと。
先の戦争で一度、避難させていたとはいえ旧アメリカ領に上陸してきたブレイジスとそれを食い止めたガーディアンズのことは、『新世紀戦争最後の戦い』として記録されている。それを取り上げ現在の国連を批難する者も少なくない。
そんな戦争に、世界に、国民は飽き飽きしていた。
「あの授業理解出来た?」
「いや全然」
「近くで飛行機が落ちたらしいぜ」
「ヤッバ、見に行く?」
「最近ママがぁ……」
「だるいよね〜、うちも」
トムズリバーにある高校でも、噂話は尾ひれがついたまま横行する。学生らしい話題の中に混じってなお、それはひときわ語られる。
「戦争って終わんねーのかな」
「終わんねーよ、だってマッチポンプだもん」
「は? なにそれ」
「革命軍とうちらはお互いの利益の為に戦争やってて本当はいつでも辞められるんだよ」
一介の学生が分かった風に友人に口を利く。
ニュースやネットから無意識に自分が面白がったものだけをすくい上げて、それを真実として受け取る。そして思いのままに象った真実を悪意なく他人に伝播させていく。
あまりにも無秩序で、無配慮で。
でも不意に、そのようなものが本当の事としてまかり通ることもある。
「マジかよ、それホントだったらやべー事なんじゃね?」
「そりゃあ……ああ、センセー」
「こ、こんにちはーっ……」
廊下を歩きながら喋っていた彼らは、向かいから来た教師に向かって挨拶した。
「うぃーす、学校慣れました? 校内の場所把握できなかったらまた言ってくださいね、コイツにやらせるんで」
「て、俺かよ!」
「あ、ありがとうございます」
先生と呼ばれた彼女は、丁寧な口調で感謝を伝える。ふざけあう彼らの姿を見て微笑ましいとも思う一方で、それまでしていた会話にほんの少しの違和感を覚えるが、少しすると気にならなくなっていた。
学校に来て二日、リリー・ネイルは半年ほど前に入学した大学で勉学に励み、その成績や成果を評価され通常よりも早く実習生としてこの高校に来ていた。覚えることは増えるばかりだが彼女はそれを楽しめていた。
彼女の過去の経歴を鑑みた上でも、これほどの成績優秀者はいないと周囲に言われたリリーにとっての勉学は、それが唯一打ち込めることだったからだ。
幼い頃は周囲に馴染めず、家庭環境も決して良いとは言えなかった。だから目の前にあることに取り組むことで、自分を取り戻すかのように張り切っている。
世間は戦争や、それに伴う不況への憂いがついて回るが、彼女が気にする事はない。これほどまでに忙しくて、充実した時間は今までにないんだ。弱気な自分でも、臆病な自分でも頑張れるんだと━━━━━━━━
「いたっ」
そんなことを考えていながら歩いていると目の前を歩いていた男にぶつかる。リリーだけがその場に座り込むような形で、男は手を差し伸べることも、ましてや心配することも無かった。
元は自らの不注意が招いたこと。リリーはすぐさま謝罪をする。
「あ、す、すいませ……」
「おい」
が、彼女の状況の無理解からくる謝罪などどうでもよかった。
リリーは顔を見上げ、その男の顔と着用している服を確認する。
黒に染まった戦闘服。両腕にはラインが計四本。
「お前、奴らを匿っているのか?」
事の深刻さをまだリリーは分かっていなかった。何の話か検討もつかず、男に怯えながらも聞き返した。
「な、なんの、話、ですか?」
「シラを切るようならそれで構わない」
「……え?」
「お前を守っていた者の居場所は無くなった。ならお前はどうなるか、分かるよな」
彼女は男が何を喋っているのか、本当に分からなかった。
分かろうとしなかった。
「偽名まで渡されて、随分手厚い保護だ。だが」
生徒も先生も一人も通らない。人払いは彼によって━━━━━━彼らによって済まされているのだろう。
「お前が奴らの情報を持っているかどうかなどさして問題ではない。いずれお前は不要になるのだから、今ここで殺しても構わないという事だ」
ホルスターから抜き出した拳銃の銃口は、座り込んでいたリリーに、容赦なく向く。
「お前にもう価値は無い」
「…………あ」
その時、彼女は漸く目覚めた。
逃れようとしていたはずの過去と、与えられた現実を交互に感じる。
残酷だった小さな世界の主である母を、包み込むように守ってくれた父を、自分を受け入れてくれた者達を。
大切な人を。自分自身を。
「終わりだ。モニカ・ターナー」
己の起こした現実逃避から無理矢理解き放たれたのと同時に、引き金は引かれた。
だがその銃弾が彼女の脳天を貫くことは無かった。
同時に、窓ガラスが勢いよく破れ、破片がそこかしこに飛び散る。
窓から飛来した何かは二者の間に飛び込んで来る。煙を立てて現れたものの影の形は人間のそれだ。
男は他者からの攻撃に備え、距離を置く。牽制射撃を一マガジン分行うが、声も上げないことから大した感触は感じられなかった。
学校中の人が悲鳴や絶叫を上げて銃声からできるだけ離れるように消えていく。校舎に残る人々が少なくなっていくのを、男は見過ごさないように通信を行う。
「校内に残っていた人物の特定を全員分済ませておけ。以降、なんらかの形で━━━━━━━━━━━━」
「お前…………」
男の話を遮る声が煙の向こうからした。先程まで話していた女とは違う、どこか陰りのある男の声だった。
煙が晴れるのと同時に、邪魔をしてきた男の持っていた剣が業火を伴っていく。
二振りの剣は守る様に、或いは戦う様に。
「俺の部下に何をしてる?」
「隊、長……?」
彼女は気付いた。目の前の男は死んだと思っていた、櫻井潤に他ならないと。
「久しぶりだな。今は……リンジーか?」
そして、彼女が誰であるかを見破るその姿にかつて所属した部隊を思い出す。
「どっ、どうして……?」
「話は後だ」
潤も当然のように、彼女が誰であるかを認識していた。それはあれからずっと変わらずに。
そして眼前にいる男の正体をも。
「……ブラック・ハンターズか」
「よく知っているじゃないか」
「その服は目立ち過ぎる」
拳銃を持ったブラック・ハンターズの男は察しの良い潤を相手に、腰に携えていたレイピアを抜いた。
「思わぬ収穫だ。奴らとは別に反乱分子がいるとはな」
「何が反乱分子だ。合議制からいきなり独裁気取り始めた国を嫌がるのは当然じゃないのか」
「誰からの入れ知恵かは知らないが、いい教育を受けているようだな。櫻井潤」
「…………チッ」
顔が割れていたことに当たり前かと思いながらも、腹を立たせる潤に男は付け入る。
「前隊長様を知らない訳が無いだろう?」
「お前が今の隊長か?」
「ご名答」
「今のブラック・ハンターズは易々と顔を出すんだな」
「お前らの時とは形態が違う」
「そうだろうな。だが裏切り者を追うってのは変わらないな」
「秩序維持には必要な事だ、そうだろう?」
「それには賛成だ、だが……」
ほんの少しリンジーへ顔を向ける。そうするとかつての記憶を見せつけられるようだった。愚かな自分と、共に戦った仲間達と、始末せねばならなかった敵を。
「追われる立場になって初めて分かる事もあるもんだ」
「狩人から獣に成り果てた者の言葉は聞くに堪えないな」
「確かに、俺は誰彼構わず食いちぎる猛獣かもな」
「その始末をするのも狩人の仕事だ」
リンジーを守りながら戦う潤をまとめて殺そうと、エグゼ・マリアーノは狩りを始める。




