202. 分かたれていた道
その島に通信を行う手段は、相手が通信を偶然拾ってくれるのを待つだけではない。相手との関係が強固であれば交信は叶う。
だが、その方法は彼の現状を知る人物でないと出来ない事だ。そして彼に信頼を寄せられていなければならない。
その方法を行える人物の一人。彼女の名は、ソフィー・ロングハースト。
かつてガーディアンズに所属していた彼女は、任務中の事故により偶然にもグレイス・レルゲンバーン達と出会う。
現在彼らと行動を共にしている理由を他人に聞かれても、その経緯を説明するのは非常に難しい。互いの事情が複雑に絡み合ったものだからだ。
ガーディアンズ内では既に行方不明者として扱われているだろうソフィーと、ガーディアンズ及びその母体とも言える国連に命を狙われていると自らを分析しているグレイス。
彼女の身体の自由を保障されているのはひとえに信頼の上に成り立っているとしか言えない。
あの日、彼女の尊敬する人間による選択がなければ、ソフィーの根本も変わっていなかっただろう。
それは、彼女の目の前にいる男も経験してきたことだった。
「それにしても久しぶりだな。そっちはあんま変わってねえな」
「そっちは……死線をくぐってきたのが分かります」
「気遣うの下手なら言うんじゃねーよ」
彼の半身に刻まれている傷跡を視界に入れたのならば、どれほどの戦いを経たのか、容易に想像出来てしまう。
痛々しい火傷跡が身を包む。その男の名は、ヘイス・デ・ブラウンと言った。
深い深い夜。二人を照らす明かりは二人の中心にある焚火しかなかった。グレイス達の居る島より、遥かに小さい島にソフィーとヘイスはいた。
「グレイスにはもう通信出来ないのか?」
「こちらからメッセージを送ること自体は出来ますけど、会話は出来ませんよ」
機材の不備か何かなのか。ヘイスは今、彼女を取り巻く環境を聞き込んだ。
「なんでだ?」
「グレイスさんの魔術の関係で、住んでる島の周りに敵が居ない時だけリスクなく出来るんです。さっき出来たのは海賊の人達が島外周辺を警備しに出る時間が偶然合ってたから」
バイロンら海賊の人数は総勢で三十二。その多くが現在島に残っているのは、彼らのキャプテンが少数精鋭が必須の目的をこなしているからだ。
彼らは二日三日に一度、島から四方に散るように出ていき警備に向かい、合図で通信が可能かどうかを島内に伝える。アナログではあるもののそれが彼らの最適解だった。しかしヘイスはそれよりも、別の点に反応してしまう。
「海賊ぅ? どんな奴らと手組んでんだお前」
「見かけは今の貴方と変わらないですよ」
遠慮が無くて良い奴だ、とヘイスは内心ソフィーを高く買うが口に出すことはなく、ただ一部の人間が見れば腹が立つような笑みを見せた。
その笑顔を見過ごしたソフィーは自分の番だと言うように質問を始めた。
「まだ聞いていませんでしたね。私達と別れてから半年以上……ここまでどうやって?」
「あー……最初から話したらマジで長くなるぞ」
「では、ここに流れ着いた理由だけで結構です。それ以前のことを話せる時間はこの先あるでしょうから」
常日頃から冷たい態度のようだが、心ないように見える発言の注釈も彼女は知っている。ヘイスは彼女の絶妙な気遣いに有難みこそ感じないが、気づいてはいた。
「最近まではロジオンと一緒にいた」
「彼も生きているんですね」
僅かではあるものの、共に過ごした時間がある仲間としての認識を持っていたソフィーは安堵した。何より、ライズがロジオンが生きている事を知れば喜ぶだろうと思っていた。しかし、ヘイスの現状を考えれば彼の所在に対しての疑問が当然浮かぶ。
「アライアス・レブサーブのアジトを突き止めて俺とロジオンと……もう一人、仲間がいてな。三人で奴の顔を拝むまではいった」
ヘイスが見たアライアス・レブサーブは笑顔が顔に張り付いたような男だった。気さくな男のようにも見えたが、気色悪くも思えた。ソフィーは一度も会っていないこともあり、想像に留めていた。
「だけど、奴を倒すことは叶わなかった。俺とロジオンはレブサーブの部下に追われて道中別れて、もう一人の仲間はレブサーブと直接戦ってたが……多分…………」
俯いた顔、握りしめた拳の中には彼のズボンが巻き込まれていた。その仲間は恐らく、死んでしまったのだろうとソフィーは察した。
「でもロジオンは生きてる。アイツと散り散りになる直前にこいつを俺に寄越した」
「それは……?」
ヘイスがソフィーに見せたのは、腰に提げた通信機だった。
「こいつはそのアジトからロジオンが取ってきたものだ。仕組みや通信が可能な距離は電話に近いが、こいつは特殊な仕様らしくてな。盗聴されることの無い特殊な回線をこいつ自体が持ってるらしい」
「どうしてそんなことを?」
「この通信機は元々、ブレイジスで開発されたものだそうだ。ロジオンは第二師団に長い間いたから使ったことがあるんだろう」
試作兵器を扱う集団こそ、ブレイジス第二師団の実情だ。こういったものも当然作戦の中で使用されていたのだろうとヘイスはソフィーに丁寧に説明した。
「ロジオンはこいつへの通信方法を覚えてるって言ってた。生きてロジオンと喋るまで俺はこいつを守んなきゃならねえ…………はずだったんだが」
「……さては。海水で機能しないんですね」
通信機は振れば水の音が内部から僅かに聞こえてきていた。スピーカーに耳に当てても不快かつ不安になりそうな機械音が稀に聞こえ、このままではロジオンが生きていても連絡が不可能であった。
しかし、困り果てた様子のヘイスにソフィーはあっさりと解決策を用意した。
「先程の通信でグレイスさんの居る島に戻ると話しましたよね。そこには通信機を直せる人間もいます。彼に頼めばなんとかなるかもしれません」
「本当か!」
「はい……最初は嫌がるかもしれませんが、煽てればそのうち頷くような人なので大丈夫だと思います」
現状、彼らの中で最も機械に精通しているであろう人間は少しばかり軽視されていた。
「なら選択肢は無いな」
ヘイスが見つめたのはソフィーが乗ってきた、かつてグレイスが逃亡の際に使った小型のクルーザーだった。乗り捨てた後、海賊によって回収されたこの舟は現在も役目を変えて活躍しているのだった。
「アイツにも会わなきゃなんねぇ」
「元気ですよ」
「俺と会ったらどんな顔するかね」
ヘイス・デ・ブラウンの現在の目的は主に三つ。
アライアス・レブサーブとの対抗の為グレイスと顔を合わせ協力を仰ぐこと。
グレイスにつく技術士に通信機を整備してもらい、生きているであろうロジオンからの連絡を待つこと。
そしてヘイス、ロジオン。かねてより二人の共通の目的であったかつての仲間、ライズ・シルヴィアの安否をこの目で確かめること。
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国連領内。
ゲレオン・ブラントはセドリック・オルブライトから極秘の任務を請け負った。しかし、捜査は思うように進まずセドリックと会ってから既に数日が過ぎようとしていた。
情報局直轄部隊についてはセドリックが集めた以上の情報は出ず、その部隊を隠れ蓑にしている本命の部隊の尻尾は掴めないまま。
そんな状況の中でゲレオンはある場所に訪れていた。
自らの足でそこへ出向き、その地に立つが、そこには何も無かった。あるはずのものが、ないのだ。
「そんなはずは……」
彼が来た場所はグレイス・レルゲンバーンの自宅だった。既に家の形は保っておらず、更地と化していた土地にゲレオンは驚いていた。
いつから、なぜこうなったのかを考えるが、それを行うにはあまりにも遅すぎた。ただ、住所を間違えただけかもしれない。確認不足が祟っただけだと言ってくれ。でなければ彼は、グレイスは。
「まさか……国連に……? ……いや!」
一時は気付けなかった己を酷く恥じるゲレオンだったが、グレイス・レルゲンバーンを信じれば自ずとやることは見つかっていくはずだと、やるべきことを見つめ直す。
「あの人がそう簡単に死ぬ訳も無いな……フッ」
ゲレオンは、グレイスが死んだという事実を知れば自分は思っている以上にショックを受けるのだなと実感するばかりだった。
しかし、こうしている内にも国連の企みは着々と進行しているかもしれないと考えると、ゲレオンは更に頭を回すことに注力する。
「…………!」
突然、右耳の近くである音が小さく鳴る。かつての戦いで失った右目からはそこに何があるかは確認できない。だが眼帯の向こう側から聞こえた異音はたしかに危険を孕んだものだった。
「俺も鈍ったな、敵が近付いてることに気付けもしないなんて」
「質問に答えてくれれば危害を加えることはしない」
ゲレオンの記憶に無い、知らぬ男の声が彼の視界外から聞こえてきた。脅迫と殺害、どちらが目的の男かをゲレオンは見極めようとする。
「質問? たった今、俺は何も知らないってことが分かった所なんだが」
「質問はする内容は二つ。この場所の事と、貴方自身の事だ」
「俺?」
男の発言でゲレオンが予想していた敵では無いことが分かった。すると思慮する暇すら与えずに男が質問をしてくる。
それを答えるのは、とてつもなく簡単だった。
「貴方が、ゲレオン・ブラントだな」
「そうだが。誰からその名を━━━━━━━━」
「シルライト」
聞き間違いではない。男は確かにその名を呼んだ。
あの日、見送ってしまった彼女の名を。
「シルライト・ブラースカ、彼女から聞いた」
男のいる方向へ目線をやる。そこにいたのは、首に着けたチョーカーが印象的な青年だった。袖が捲られ露出している腕には古傷が多く残っていた。
「誤解は解けたか?」
「少なくとも、俺が想定していた敵ではないな」
青年は銃を左手に持ち、銃口を地面に向けていた。
かざしていた右手には何も持っておらず人差し指と中指を真っ直ぐ伸ばし、ピストルのポーズを取っているだけだった。
元より殺すつもりなどなかったその素振りにゲレオンは対話が可能だと瞬時に判断した。
彼に聞くべき最初のことはひとつしか無かった。
「シルライトは、生きてるのか?」
「恐らく……駄目だと思う。この目で確認した訳じゃないが……最後は、強敵と対峙していた」
「そうか……じゃあまだ、望みはあるな」
「…………」
青年から告げられた、彼女の事実上の死に悲観することは無かった。
かつての戦友としてそれが彼女に出来る最大限の敬意に等しく、それを聞いた青年は胸中ゲレオン・ブラントという男を高く評価すると同時に、信じるべき人間だと感じていた。
「ここは、グレイス・レルゲンバーンの家か?」
「が、あった場所だ。だが知らない間に跡形もなく消えてた」
「理由は?」
「それを答える前に、君の話も聞かせてくれないか」
ゲレオンの左眼は青年の全てを捉えていた。
今はまだ互いのことを知らずとも、その先にあるものを見据え、掴む為に青年は自身の名を自らの口で紡いだ。
「俺はロジオン・エーギン、元ブレイジス第二師団団長。ゲレオン、今から俺がするのは質問ではなく、取引だ」




