201. 前兆
二〇三五年、初頭。
後に、第二次新世紀戦争と呼ばれる戦いが勃発してから八ヶ月半。
国連領内では五年間もの戦争で疲弊していた市民のストレスや反発心は間を置かずして開幕した二度目の戦争で爆発し、一部ではデモや暴動が起きている地域もあった。
売り言葉に買い言葉のように起きた二度目の戦争では、国連がブレイジスの手綱を握りきれなかったことが主な要因とされている。敗戦したブレイジスに対して支配という手段を行使せず、許容してしまう形をとった国連に皮肉の言葉を投げつける者も少なくない。
国の中心だった都市は戦地にされ、かつて同じように戦場の舞台にされた地域も含め、世界中を巻き込んで今なお続く戦争。前大戦を含めると戦死者は合計で八〇〇万人にのぼる。
その戦争の中で最も重要視されていた兵器は戦車でも、迫撃砲でも、航空機でもない。
力を持った人間だった。
国際連合領内。
アメリカ国防総省本庁舎改め、国連防衛総省本庁舎。
以前よりペンタゴンの名で知られるこの施設には、国連軍に携わるトップクラスの人間が時間を問わず多数在籍、駐在、勤務している。多数の国が統一された国際連合の関連施設の中でも最重要の施設の一つである。
足を止めることの無い人間がそこかしこに居る中、その内の一人は立ち止まってとある人物と邂逅していた。
「来てくれて助かる、まずはこれを見てくれ」
「はい」
誰も使う予定のない部屋に人が二人。男は今しがた入ってきた青年にあるものを手渡す。
「……っ、これは……!」
男が手渡してきたその資料の文字を追うと、信じ難い情報が入ってくる。
「この、情報局直轄部隊を知っているか?」
「情報局、直轄部隊……聞いた事もありません……」
闇夜に紛れて動く事実を知らない青年は、男の言葉に分かりやすい表情を示した。嘘偽りのない表情だった。
「……本当に知らないみたいだな」
「ええ……初耳です」
「情報局直轄部隊は国連領内の人間の対処を主とする部隊……らしい」
「らしい……とは?」
「俺も把握出来ていない事態だからだ」
戦時中、たとえ秘密裏であろうと戦闘を行う部隊の主導にガーディアンズが関わっていないということは青年に大きな衝撃を与える。
なぜガーディアンズが関わっていないと判断出来るのか。それは今、議論のように言葉を交わす男がガーディアンズの全てを知りうる男だからであった。
「ではどうやってこの情報を? オルブライト司令」
「信頼出来る人間の頑張りによるものだ……しかし、狙いが分からない。領内の反乱分子を抑えるだけならここまで厳重に秘匿する意味は薄い」
ガーディアンズの陸上部隊の全権を委任されている司令、セドリック・オルブライトは情報局直轄部隊の在り方に疑いをかけていた。青年に手渡した資料には底知れぬ努力がある。
「司令に隠してまでやること、ですか……例えば軍に秘密裏に行う特殊作戦が予定されている、とか」
発想自体は平凡かもしれないが案外、そのような平凡な発想から糸口を見つけることもある。オルブライトはその意見を尊重した。
「大まかにはそうだと思う。だが、君にまで言わないのはきな臭く感じる」
オルブライトは青年の、情報局所属の人間の眼を見ながら話す。
「お……自分、ですか?」
「ああ、情報局自体が一枚噛んでいるだけに過ぎない場合でも君のような優秀な人材を囲わない訳が無い」
「自分なんかに公開しない情報はごまんとあります。さして気になる程では……」
「それ自体は変わった話じゃないが、問題はこの部隊の素性が分からない所だ」
オルブライトは青年に近付き資料のとある点に気付くよう誘導する。
「ここを見てくれ。把握している限りだと情報局直轄部隊そのものは戦争が始まる以前……二年の間に発足したとみている」
平和な二年間とは言えなかった。あとから一考すると、ブレイジスは旧アメリカ領上陸作戦に失敗すれば停戦という手段を予め用意していたと考えられる。
たった二年で開戦出来たのも前大戦からある程度の余力を残していたことと、二年という時間を次なる戦争に費やした結果である。
当然、その間の国連は万全とは言えなかった。
「だが今までこなした作戦の数はごく僅かだ。それにそれほど重要な作戦でもない上、期間も短く領外へ出た形跡も無い。わざわざ隠すのならば、任務数が少ないのは可笑しい」
今日まで彼らにその存在が露見されなかったのだ。完了済みの作戦は多いと考えていたが予想を下回る結果となった。
「ならば何故その部隊が……」
「そこで、ある仮説を立てた。本来動かそうとする部隊とは別の部隊を用意し、餌を撒いてこちらに注意を向かせる。そうすれば本命の部隊はより暗躍しやすくなる。情報局が一枚噛んでいるだけと言ったのもこの工作の為だ」
「部隊の管轄を別にする事で芋づる式にならないようにしている……?」
オルブライトはその推察に首を縦に振ることで同意を示す。
「人はボロやほつれが気になるものさ。その一点だけを注視してしまえば他のことは身に入らない」
ここまでの全てはあくまで深読みに過ぎない。
だが実際起きていることは、情報局による軍兵士の私兵化とその隠匿である。その時点で看過できるものではなかった。
しかし、情報局が協力をしているに過ぎないのならば。
「では、本命の部隊というのは一体どこが……」
オルブライトはある程度の見当はついている様子だった。
「情報局のトップが恐らく協力を惜しまないであろう相手だ。それだけで限られるさ」
「…………!! まさか……」
「ああ……相手は、国連そのものかもしれない」
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「今日は時間を空けてくれてありがとう」
オルブライトは深く頭を下げる。秘密の共有者は時に安堵をもたらす存在である。
「いえ、俺も……有意義な時間にできました」
どこで何が聞いているか分からないと理解した青年は粗末な隠喩で場を締めくくろうとする。発言した本人も今のはありえない、と思ったほどだった。
「フッ、聞き耳を立てられているかもしれないからな、今の君の対応は当然さ」
彼ら二人の間には確かな結束が生まれていた。しかしオルブライトは忠告する。
「ここで喋ったことは……本当に信頼のおける人間にのみ明かしてくれ」
「分かっています」
「すまないな、本来なら自ら動きたいんだが立場上そう安易に立ち回れるような人間ではないんだ、俺は」
当然だ。セドリック・オルブライトはいまや国連軍になくてはならない存在である。その彼に戦闘部隊の情報を公開しないというのはあまりにも不自然だった。
「君に大役を投げてすまない。だが敵を前にしている今、後ろから刺されでもしたらブレイジスに隙を突かれてしまう。そうならない為にもだ」
敵の規模は不明、どんなことが起こるか予測がつかない。そんな中で青年にこの事態を明かしたのは確実な協力を得られると信じていたから。
彼には確かな信念があると知っていた。
「気付かれない程度で構わない。内部から情報を探ってくれ、ゲレオン」
「分かりました」
国連情報局所属、ゲレオン・ブラントはオルブライトから極秘の任務を承った。
オルブライトに一礼し部屋から退出すると、ゲレオンはすぐさま人の気配のない階段の踊り場に向かった。資料を脇に抱え、誰にも見られたくないかのように小走りで。
ズボンのポケットから携帯電話を急いで取り出す。繋がりの薄い人物まで網羅している連絡先の中からたった一人を見つけ電話をかける。
ゲレオンがこの事実を真っ先に話すべきだと感じた人物だった。
「おかげになった電話は、電源が入っていないか電波の届かない所に……」
「………っ」
呼出音も鳴らずに無慈悲にも機械音声が聞こえてくる。
ゲレオンはオルブライトと交わした言葉を電話をかけようとした相手に包み隠さず話そうとしていた。しかし、相手となんてことない会話をすることすら叶わなかった。
彼は再び歩き出す。今度は明確な目的地があるかのようにその足を進めていった。
セドリック・オルブライトに託された役目は、真実を知ること。
まず解き明かすべき謎はその男が電話に出ない理由だった。
彼の協力を取り付けることが出来るのならば、これほど頼もしい者は居ないだろう。
ゲレオンは幾つかの不安を残しながら謎を明らかにすべく動く。
ゲレオンの携帯電話の画面には、グレイス・レルゲンバーンという名前が表示されていた。
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海に浮かぶ孤島。
そこには限られた資材で作られた住宅らしきものと、それから隔離されているかのように建てられている小さな基地。
基地の中で最も海に近い、階段を上がって右端の部屋は通信室として機能していた。
その部屋から外へ向けて通信を行うことは無い。第三者同士の通信を拾い、世界の情勢がどうなっているのか収集、調査するための部屋である。
こちらからの発信は彼の、不可視の防壁を無意味にする可能性があることからも、進んで行う事は出来ない。必然的に通信が可能な状況は海域に敵影がない場合に限られている。
そうして護られている島の通信室に居座るのは当然、適任の人物である。
「あーもう、バイロンの奴! 自分の部屋がある癖になんで決まって俺の部屋で寝るんだ……しかも散らかしてるし!」
自分を救った男に文句を垂れ流す青年。そんな彼がここにいるのは多くの偶然が積み重なった結果だ。
機材に取り付けられたヘッドセットを首に提げ、多数の軍人たちがばら撒く音をこっそりと拾いながら、彼のその手は別の作業に動かされていた。
忙しなくしているようにも見えるが、実際に通信を拾うことは稀であり、聞いた内容を紙に綴るだけということもあって彼にとっては楽なものだった。
だから、こうして不満を吐く程の余裕もある。
「少しは掃除してくれってはな…………」
ヘッドセットからいつもとは違う異音が聞こえてくる。通信を拾った合図だ。
左手で持ち耳にあてながら、僅かに聞こえてくる言葉をそのまま記録する。表情は強張りながら聞き取ろうとする。
「……………………」
言葉の意味を理解しないまま持っているペンをひたすら走らせる。どのような意図でその言葉を発したかなど、後で考えれば済む話。今は一言一句聞き逃さない為に聞いていた。
「…………………………」
彼の持っていたペンが動くことをやめた。同時にヘッドセットからはいつも通り聞き馴染んだノイズが延々と流れるだけとなった。
書き上げた言葉を文章に直すと、自ずと誰が誰に向けて発したのかが分かっていく。
青年、汐瀬洸は通信室をすぐさま出て廊下を走った。行先は真反対の部屋。
そこにいるのは彼が、ここに居る理由の一つとなった男。
「グレイス!」
「どうした、洸」
勢いよく開けられたドア。普段ノックをする彼が何も言わずに部屋に入ってきた。それだけで今が一体どういう状況か、なんとなく理解出来る。
運動不足で短い廊下を走るだけで息の上がった青年は落ち着きを取り戻そうとしながら、何が起きたのかを彼に話す。
「通信を拾い、ました…………よ、よ、呼んでます」
「呼んでる?」
「ええ……こっちのこと、気付いてるみたいに話しかけてきました。でも戦う意志はないとも」
それは相手が彼を、グレイスを知り近くまで来ているということ。この島の存在を把握しているかもしれないということ。だがそれだけでは戦わない理由にはならない。
その正体とは。
「名前は、言っていたか?」
「はい……言ってました……」
「なんて言ってた?」
「サキエル……サキエル・グランザムです」
グレイス・レルゲンバーンはその名を知っている。
あの日、遺された残火が揺らめいていた。
たとえそれが偽りだとしても構わない。
その冷たい炎に、彼は、触れようと決意した。
「洸、ライズたちに連絡は取れるか?」
「どうする、つもり……?」
「サキエルに接触する」




