016. 五年前より
「なんで……なんでだ!?」
五メートルほど離れた先に彼は確かに生きていた。
グレイスは彼に大声で問いかける。
「なんで? なんでもなにも、俺は今ここでこうして戦っているだけさ」
グレイスは彼と対峙し、五年前のあの時とは違うものを感じていた。
意味不明な答えを出す彼、ニルヴァーナに対して顔が強ばる。
「だってお前は、あの時…」
「死んでなかったんだよ。理解力が落ちたな、グレイス」
グレイスが驚いていることに嘲笑うかのように否定するニルヴァーナ。
尻もちついていた潤が起き上がると彼の瞳には憧れの男がただ焦り、驚愕の事実を受け止めきれていないグレイスの顔が写った。
一体目の前の男は誰なんだ、そんな潤の推測もかなぐり捨てグレイスはニルヴァーナに問い続ける。
「おかしいはずだ! お前がそっちにいるなんて!」
グレイスが大きく口を開きそう言うと、ニルヴァーナはグレイスの方に一直線に突撃してくる。
「───!?」
咄嗟に創った剣で自分の体を守る。
ニルヴァーナが右手に持っていた、機械式のようなブレードをその剣に打ちつける。
本気をまるで出していないようにすら思えるニルヴァーナとのつばぜり合いに、全力で挑み押し勝つと次はグレイスから詰める。
「はあああ!!」
その声とともに連撃。だがニルヴァーナがその全てを受け止めきると隙を見つけ、腹を蹴飛ばす。
「がはッ!」
単純に高い身体能力を体で受けるグレイス。
腹部にある臓器が揺れそうになるほど、衝撃の強いその蹴りはグレイスを吹っ飛ばした。
「うっ、くっ……」
「グレイスさん!」
地面と擦り合うとその痛みを実感し、左腕で痛みを抑えるように腹を包むグレイスを見て、潤が駆け寄る。
息が荒くなるグレイスを見てニルヴァーナは呆れたような喋り方をする。
「おいおい、こんなはずじゃないぞ、俺の知ってるグレイス・レルゲンバーンってのは」
グレイスがニルヴァーナの方を見つめると、それに気付きさらに煽るかのように話し続ける。
「アラスカの時のまるで英雄みたいなあの姿はどうしたんだ?もしかしたら、俺が強くなりすぎたか?これも"イクス"の力か」
たった一言、最後の言葉にグレイスは目を見開く。
痛みを我慢しニルヴァーナに問う。
「お、お前……今、なんて……」
「ん? ああ……イクスの力、そう言ったんだ」
間違いない。イクス、彼はそう言ったんだとグレイスは頭で理解しようとする。
「まったく夢のあるモンだよ、イクスは。魔術を持たない"人間"に後天的に魔術に似た力を与える。身体的な能力の向上も図れる素晴らしいモノだ」
ニルヴァーナがグレイス達にイクスの素晴らしさを語っていると、少し離れて戦っていたニンバスと健吾がようやくこちらへやってくる。
「すいません、こんな奴らに手を煩わせてしまって」
ニルヴァーナの方へ向かった健吾は彼にグレイス達に手こずってしまったことを彼に謝ると、ニルヴァーナは言い返す。
「俺がやりたくてやっている、お前が謝罪する必要はどこにある?」
「す、すいません」
言われたことに再び謝る健吾。そんな彼ら無視するかのように、ニンバスはひたすらにうずくまっていたグレイスを気にかけていた。
「おい大丈夫かよ! おいグレイス! しっかりしろよ!」
「あぁ大丈夫だ、俺は見ての通り元気にやってる」
未だ走る痛みと深呼吸とともに、やっとの思いで立ち上がるグレイス。
自分の親友であり自分から意見を言わず、周りに流され気味。
そのせいで殆どのことを自分やニンバスに任せていて、いつしか死んでしまった。
なのに急に自分の目の前に現れて、腕力も、ましてや脚力もない彼にこんなにも痛い蹴りを食らわされたグレイスは、頭の中で何が何だかすぐに整理出来なかった。
「ニルヴァーナ、お前」
自身の友を傷つけたニルヴァーナに対して驚きと怒りを見せていたニンバス。
何故ここにいるか、そんなことは彼にとってどうでもよくニルヴァーナに言いつける。
「お前、仲間を、親友を傷つけてもいいってのか?」
健吾との戦いで息を荒らげ怪我を負っていたニンバスが、かつての仲間であるニルヴァーナに問う。
すると、ニルヴァーナは大きなため息を吐き、何も無い土色の大地の中でニンバス達に返答する。
「そうやって感情や関係を押し付けてくるお前達に嫌気がさし、何より魔術師を殺し尽くす為に俺はブレイジスにいるんだ。これからは傷つけるなんて生温いものじゃないぞ」
「てめぇ……」
怒りのあまり言葉の出ないニンバス。そんな彼とグレイスの横にいる潤はニルヴァーナの気迫を少なからず感じ、足が震えていた。
かつての仲間を見る目付きをしていないニルヴァーナはニンバスの顔とグレイスの表情、潤の脚を見て鼻で笑い後ろを向いた。
「ではまたな、次に会う時も戦場で」
「そうか、彼が……か」
クライヴ・ヴァルケンシュタインは彼ら三人を司令室の机の前に立たせていた。
椅子に座り込んで頭を悩ませるクライヴは昔からその青年の顔を拝むことが出来ていなかった。訓練校で短期間教官を務めた時も魔術の座学のみで会うことは叶わず、グレイスから彼の話を聞くだけに過ぎなかった。
話には聞いていたニルヴァーナが、敵軍の上官として敵対したというグレイスに彼は感嘆の声を漏らしていた。
「彼は死んだはずです。あの日、あの時の右舷塹壕隊は……」
「全員喋らないただの肉の塊になっていたと聞いた」
当時、アラスカに配備されていなかったクライヴは書面でその事実を確認していた。
肋骨骨折の為、腹部に包帯を巻きつけて戦線の報告をしたグレイスは続ける。
「今回は挨拶程度に俺の骨だけ折って帰ってくれましたが、次だって必ず来ます。あの力で向かってこられちゃ、次はどうなるかも」
「……」
イクスに対し、未だ解決方法は見つかっていない。
そんな中、小規模拠点であるアリアステラ戦線が打開策を出せる訳もなくクライヴは言われるがままだった。
「ただ、そんなこと知ったこっちゃない言いたいほどには国連は俺達にスパルタだ」
「異動の……話ですか?」
その言葉に反応した潤が口を開くと、クライヴは静かに頷く。
右の胸ポッケから箱を取り出すと、中に入っていた煙草をおもむろに抜く。
一番上の段の引きだしに入っていたライターを掴み、着火させる。
先端に火種ができ、その反対側を口にくわえ吸う。
煙とともに息を吐き彼の質問に答える。
「あいつら、異動の日時を変えないんだ。前線に出張って常日頃死んでる奴より、狙われもしない自分の命を優先したんだよ」
それでも腐ってしまった上層部に反対することは軍人としては許されない。
受けいれることしか出来ずにいるクライヴは煙草を吸いながら申し訳なさそうに話す。
「だが、次来る俺の親友は人一倍明るいし、うるさい。それだけじゃなくちゃんと実力もある」
代わって入ってくる上司は彼の友。グレイス達は不安と同時に期待もしていた。
「俺は何もしちゃいないが、どうかよろしくしてやってくれ」
「了解」
覇気のない返事、その気持ちを理解していたクライヴは叱咤せず彼らに部屋から出ることを命じた。
一体彼はなぜ自分の目の前にいたんだろう。その気持ちだけが頭の中で渦巻いていたグレイスは、ニルヴァーナ・フォールンラプスという存在に振り回されていた。




