暴力少女
残照の使徒。
それはヴァルハラ帝国を新たな段階へと進め、やがては世界の頂へと至らしめるために結成された組織。
この組織の存在は公表しておらず、大陸条約に基づいて言えば違法団体という位置づけになる。
活動内容も他国家が行っている計画の阻害や要人の暗殺など、直接的にヴァルハラ帝国の力となるわけではなく、一種のネガティブキャンペーンのような活動によって間接的に自国に貢献するというものだ。
そんな組織に勤めていた俺は、ある日を境に記憶を全て失う。
仲間からは療養のために一旦休んだ方がいいと勧められたが、自分の日記に記された怨嗟の言葉と、魂にまで焼きついた復讐心が記憶を失ってもなお自分を突き動かし続けた。
自分が何者かも分からぬまま、衝動的にラク・アルバストル・ブレウマリンとしての役割をこなす毎日。
失楽園の悪徒を滅ぼす。
それがラク・アルバストル・ブレウマリンが真に望むことらしい。
失楽園から二年経った。
今まで失楽園を引き起こした者たちの行方は誰一人として特定できなかったが、ついにイブ・コルヴェアという悪の権化の居場所を組織が突き止めた。
俺は残照の使徒のリーダーから呼び出され、直々に暗殺の命を受けた。
リーダーはホテルのような豪盛な執務室で、高級そうなイスにふんぞり返ったまま、
「うーんとな、お前にしか頼めねぇ。イブ・コルヴェアを仕留めてこい。無理そうなら生け捕りでもいい……とにかく任せたぞ、失敗したら晒し首だ」
とても眠そうな顔でそう告げて、数秒後に寝た。
イスにふんぞり返り、顔を天井へと向けて口をアホっぽくあんぐり開けた状態で寝息を立てていた。
まあ、これはいつものことなので特に気に留めなかった。
とりあえず居眠りを始めたリーダーのことは忘れて、机の上に置かれていた指令書を手に取り任務の全容を把握する。
場所はヴァルハラ帝国よりもずっと南、海を渡った先にあるヘルメス共和国だった。
ヘルメス共和国は人口が多く、とても文明が発達した国家だ。テロ対策も万全なので隠れ蓑にするには丁度いいのかもしれない。
早速、計画をみっちり頭に入れて、ヘルメス共和国へと発つ準備を始める。
自室で必要なものを纏めている最中のことだった。突如背後から何者かの気配を感じ取り、振り向くのと同時に構える。
一人の少女が身の丈よりも大きく今にも天井に着きそうな巨大なトンカチのような得物を持っていた。
それはガラスのように透き通っており、表面には数えきれないほどの幾何学模様が重なり合いながら蠢いていた。
「悪く思うなよ」
少女はそう言うと勢いよく奇怪なトンカチを振り下ろし、それは俺の頭部へとクリーンヒットした。
瞬間、トンカチは光の粒子となって砕け散り、同時に頭にほどほどの痛みが襲う。
俺は声を荒げた。
「なにすんだミルフィー、痛ぇだろ!」
銀髪に緑色の瞳という珍しい容姿をしたこいつはミルフィオリ。同じ組織の仲間であり、みんな親しみを込めてミルフィーと呼んでいる。
残照の使徒の中で唯一の十代であり、わずか十三歳……俺の丁度二分の一の年齢だ。背が低いこともあってマスコットのような存在となりつつある。
そして先ほど持っていたトンカチのようなものは彼女の持つ能力によって生み出された物質──正確にはミルフィオリの能力ではなく、彼女の肉体に埋め込まれた戯弄の宝璃という名の宝器で、自分のイメージした形の物体を生み出すことができる。
ただし生み出した物体の強度はとても低い。
今みたいに人間を殴っただけでも即座に粉砕されてしまう。一応殴られた方もほどほどに痛いわけだが、やはりただのトンカチの方がまだ攻撃力は高い。
ミルフィオリはこちらの顔色を窺いながら眉をひそめた。
「お願い、気絶して!」
なぜか俺に気絶するように懇願してきた。
いつもハチャメチャな言動を取ることで知られているミルフィオリだが、やはり今回もわけが分からず、ただ呆れるしかない。
「意味が分からん。悪いがリーダーから重要な任務を任されてるんだ。それが終わったらいくらでも気絶してやるから、今は邪魔をしないでくれ」
「ラクは行っちゃダメ。その任務は代わりに私が請け負う……だからラクは気絶してて」
「なんで俺が行っちゃダメなんだよ?」
問いかけると、ミルフィオリは顔を真横に向け、そっぽを向いたまま答えた。
「なんとなくそんな気がしただけ。ふ、不吉な予感ってやつだよ」
本人に自覚はないかもしれないが、ミルフィオリは隠し事をする時、必ず顔を九十度回転させて真横に向く癖がある。
なにかちゃんとした理由がありそうだが、こうなってしまっては彼女は口を割らない。
仕方なしに、
「分かったよ。お前がそう言うんなら、今回の任務はお前に任せる」
という嘘を吐くことにした。
これでミルフィオリの魔の手からひとまず逃れることが……と、思っていたら彼女は再び戯弄の宝璃で巨大なトンカチを生成し、
「よかった……じゃあ気絶するまで殴るね」
どこか申し訳なさそうな表情をしているものの、まるで躊躇う様子もなくトンカチを振り回し始めた。
彼女の言う『気絶するまで殴る』とは、この場合『永遠に殴り続ける』を意味する。
なぜならあのトンカチを体のどこにどれだけ当てようが気絶する要素は皆無なのである。
それを分かっていない彼女はきっと、俺に対して延々と痛みだけを与え続けることだろう。
以前から気になっていたことだが……、
「なんでお前はいつも、俺を気絶させようとするんだよ!」
だが、ミルフィオリはその問には答えず、ただ黙々とトンカチを振り回し続けた。
そして、身体能力や戦闘能力で彼女に劣る俺は、その後何度も何度も殴られ続けたのだった。