ガラシャと忠興 幼き恋
連載小説 『時読みの詩 乱世のかぐや姫の番外編』として別主人公目線から、書いたものです。
短編だけでも、判っていただけるようコメントつけましたが、判り難かったらすみません。
連載中の小説に、番外編をいれると判りづらくなったので、こちらに移動させていただきます。
(近々、元あった場所からは、削除する予定です。)
時は、戦国、『覇王』とも呼ばれる信長が、安土城に移る前、
信長の家臣 明智光秀の娘 玉子(後のガラシャ)と
信長の家臣 細川藤孝の息子 忠興は、偶然の出会いを果たした。
ただし、玉子の実家 明智家は、唯の信長の家臣ではなかった。
斉藤道三の流れをくむ、『時読み一族』だったのだ。
時読み一族とは、碧き瞳を持つ一族で、乱世で泰平を求める為、『覇王の相』を持つ者を
見つけ、陰ながら、協力し、時には味方として、時には、敵として、乱世の早期収束に務める
者達であった。
覇王である、信長にさえ、内緒で・・・。
斉藤道三 義龍 龍興
竹中半兵衛
後に、光秀と共に、謀反をおこすことになる斉藤利三。
そして、濃姫。
長宗我部一族
稲葉一鉄
その他、隠れた同士達と、志にする、玉。
玉は、五人の娘達と共に、時読み一族の幹部である明智光秀と煕子(本当は、男の疾風 後の明智秀満)
の養女となり、信長には、実子として届けられる。
そして、豪快な義理の母 疾風が煕子として、旅先で路銀に変えるためと嘘をつき、暑さに負けて
髪を切ったことから、織田家中での、明智家の良妻賢母伝説が始まった。
そして、玉子達五姉妹は、『息子の嫁をもらいたい家ランキング』なるものの一位になってしまった
明智家の為に、更なる苦労を背負い込むことになるのだった。
今回は、そんな、光秀三女 玉子の人生の前半の物語である。
【幼き恋 忠興SIDE】
1573年俺は、岐阜城から、踵を返し、細川屋敷に駆け込んだ。
そして、父 細川藤孝の部屋に駆け込んだ。
穏やかに、茶を嗜んでいた父は、突然の俺の剣幕に、湯のみを
取り落としそうになる。
「なんだ!? 忠興、突然に・・・
危なく、この湯のみを取り落とすところであったではないか?
お前はこの茶器の価値がわかっておるのか??」
普段は、当代一の文化人とも評される父が、誇らしいが、今日の俺は、
そんな父がまどろっこしいだけだった。
『父上!!』
俺は、父の目と鼻の先まで、顔を近づけた
「なんだ・・!?」
父は、俺の剣幕に若干後づさりながら・・聞き返した。
『嫁が欲しい!もらってくれ!』
俺は、唐突に父にそう告げた
「は!?・・何を言う・・さすがにまだ早かろう??」
父は、信じられない言葉を聞いたように、目を見開いた。
俺は、まだ十歳であった。
内心その事に、舌打ちし、俺は父に食い下がった。
『では約束だけでもいい。他の男に嫁に行かないように婚約させてくれ』
俺はそう言って、一歩も引かない事を知らしめる為、父の瞳を睨みつけた。
「まあ・・待て・・・
忠興・・・それは、誰か思う人ができてという事か・・・?
結婚とは、そなたが、思うように簡単にはいかぬものじゃ。
家と家の結びつき・・
家格と言うものもあるしな・・・」
父は、気を取り直し、穏やかな表情で俺にそう諭した。
「まあ・・・身分低ければ・・・
側室ということも、できようが、何分お前はまだ十歳・・・
そんな約束を、この時期から・・・するのも憚られよう・・」
父は、困ったように、微笑んだ。
きっと、俺がその辺の、身分低い女に恋慕の情でも抱いたと
思っているのだろう。
『父上・・素性卑しき女などではございません。』
俺は、父にはっきりそう言いきった。
「ほう・・・・
どこぞの家中の者か・・誰を嫁に欲しいというのじゃ?」
やっと、父から、確信を得た問いを受け、俺は、身を乗り出した。
『はい。父上。俺は、明智光秀殿の娘 阿久利殿と結婚したい!』
俺は、父に迷いなくはっきりそう告げた。
瞬間 父の顔色が変った。
「は!?・・・・明智殿の娘とな・・・・」
父は、明らかに狼狽した後、頭を抱え込んだ。
『父上??』
俺は、父のその様子をみて、不安になった。
先ほど、岐阜城で友人から聞いた話は、やはり本当だったのか?
そして、我が家であろうと・・・無理なのであろうか・・・・。
「・・・・忠興・・・・
今の我が家であれば、家中の娘ということであれば・・・
大抵の願いは聞いてもらえよう・・・・。
だが、今回は諦めよ・・」
父は、俺にそう告げた。
『嫌だ!!』
俺は、即座に、父に、首を振って食い下がった。
「忠興・・・明智殿は、我が細川家の盟友でもある家柄。
鷲とて、明智殿の娘をお前の嫁に迎えられるなら、それは嬉しい。」
そう言って、父は、困ったように、俺を見た。
『ならば・・・』
そう言いかけた俺を父は、さえぎって続けた。
「だがな・・・忠興・・。
明智殿の娘は、今の鷲では貰い受けること叶わぬであろう。
明智殿の娘は、5人もおられるが、その5人に対して、有力家臣から
縁組を願う上奏分が信長様の元に殺到していると聞いておる。」
そう言って、父は、ため息をついた。
「よいか・・・忠興。
明智家は、織田家中の『息子の嫁を貰いたい家ランキング』なるものの、
一番の家なのだ。
そのことには、明智殿も、ほとほと困っておられた。
もはや、明智殿に頼んだところで、明智殿にも決定権はあるまい。
決められるのは、信長様のみだ・・・」
そう言って、父は、すんだ話のように、また穏やかに茶をすすり始めた。
『そんな・・・・』
俺は、愕然とした。
実は、友人から明智家が『息子の嫁を貰いたい家ランキング』なるものの、
一番の家というのは、聞いていたのだ。
だからこそ、明智家の盟友でもある、父ならばと・・・急いで家に返ってきたと
いうのに、既に決定権は、明智家にもないという言葉に俺は愕然としていた。
ならば・・・
残る手段は一つしかなかった。
そして、その一つはとても確率の低いものだという事も疑いようがなかった。
『父上・・・ならば・・・上奏文を書いてくれ・・・』
俺は、そう頼んだ。
「う・・うん・・・が、忠興。それとて今、縁組を願うものが殺到しているなかでは
希望叶う事はほぼないに等しいと心得よ。
阿久利殿であったな? もし、阿久利殿が無理なら、他の娘を希望するか?
それさえ、きっと無理であろうがな・・・」
そう俺に問いかける父に俺は、首を振った。
『阿久利だけでいい・・・・。あの人がいいんだ。』
俺は、父にそう呟いた。
父は、そんな俺に、優しい微笑を向けた後。
「そうか・・・。では、一応、書いてやろう。それで駄目なら諦めよ・・・」
父は、俺にそう言った。
諦めたくなど・・なかった。
絶対に・・。
でも、俺は、それ以上父に何も言えなかった。
そして、そんな俺が頼んだ、細川家の上奏文が、信長の元で、思わぬ波紋を呼ぶことに
なることなど、俺に分ろう筈もなかった。
俺の所望した阿久利は、明智家の娘ではなく・・・猫だったのだ。
【岐阜城 信長SIDE 1573年】
久しぶりに濃と、茶を飲みながらゆっくりしていると・・
大量の上奏文が届けられた・・・
最近では、その中に、明智との縁組を願う文を多く見るようになっていた
俺は、仕事の雑務のものと、その手のものが、即座に見分けがつくまでに
なっていた。
そんななか、細川藤孝からの文に目を留めた・・・
(藤孝か・・・。ということは、忠興の・・・・また明智であるか・・・)
細川家は明智の盟友・・・
明智と共に、将軍義昭の仲介をし、俺を上洛に導いた両家であった。
だが・・明智家と縁を結びたいという家は、沢山ありすぎた。
俺は、苦笑しながら、光秀の家に、娘が20人くらいいてくれたら・・
そんな他愛もない事を思いながら、文を開いた。
その文の内容は、縁組を願う内容で思ったとおりだったが・・・
俺の目は、所望する娘の名に釘付けになった。
文には、『明智家の阿久利殿』と書いてあった。
俺は、目を擦って再び見た。
『阿久利』と確かにある。
「殿・・・どうかなさいましたか?」
訝しげに俺を見る濃。
『ああ・・・』
「それは、また、縁組を願う上奏文のようですね。また明智家ですか?」
そう言って、困ったように微笑む濃。
『ああ・・・濃。
光秀の奴・・まだ娘を隠しておるのかも知れぬ。』
俺は、濃にそう告げた。
「は!?・・・隠す?」
濃は、目を見開いた。
『ああ・・細川家が、阿久利 という、娘を所望している。
名指ししているという事は、どこかで会ったのかもしれぬ。
光秀の奴め、真面目な顔をしよって、煕子には言えぬ娘を
隠しているのやもしれぬ。』
そう言って俺は、勝利を確信したような気持ちになり、立ち上がった。
「まさか・・・光秀殿がそのようなこと。
殿では、あるまいし・・・」
そう呟いた濃を、俺は睨みつけた。
『失礼な事を言うでない。
鷲は、出来た子は、そなたに全て報告している!』
そう言いきった俺に、濃は呆れた目を向けていた。
「そこでは、ございませぬ。
光秀殿が、煕子以外の女に子を産ませる事などありますまい。」
そう言う、濃の表情から、俺より、光秀を明らかに人間として
信頼している様子が感じ取れて、俺はまた胸に黒い思いがよぎる。
俺も、既に、仕方のない事とは諦めようとしているが、
やはり、長年連れ添った我が正妻が、未だに、光秀に大きな信頼をおき、
密かな恋慕の情を持っているというのは、苦々しいものであった。
光秀の奴め・・・
よし・・・何が何でも・・光秀を問い詰めてやる。
そして、あわよくば娘を増やし、
濃に、光秀もただの男であることを知らしめてやる。
俺は、そんな事を思い、勢いよく立ち上がった。
『誰か!! 光秀を呼べ 至急こいと!!』
翌日、光秀が坂本城から駆けつけてきた。
至急と聞き、何事かと思って駆けつけたのだろう・・・
おそろしく早かった。
「殿・・・光秀ただいままかり越しました。
何か・・火急のご用件とか・・?」
光秀は、畏まって俺に、話を促した。
まるで、叛意でも疑われたかのような、真面目な顔だった。
『大儀である・・・。
光秀、お前に聞きたいことがある。
決して、嘘は、許さぬ。 よいな?』
俺は、光秀を脅すように睨みつけた。
「は!?・・・・何事でございますか?」
光秀の顔は、瞬時に悪くなった。
これは、何かあるに違いない。
この時の光秀がもっと大きな秘密を抱えているなど知りようもない俺は、
胸に確かな疑惑がわいた。
『お前・・まだ娘を隠しておるだろう?正直に言え。』
俺は、光秀を見据えた。
一分の逃げも許すつもりはなかった。
「は!?・・・今 なんとおっしゃられましたか?」
光秀は一瞬こけそうになり、それでも、体制を立て直して、
俺に問い直した。
『まだ・・娘がいるのだろうと・・申しておる。
煕子に言いにくい娘でも・・・この際・・出せ。』
俺は、光秀にそう告げた。
「殿・・・何を言われておるのですか?
我が娘は5人・・それを全て殿が没収・・いえ・・嫁ぎ先を決めてくださると
言われたではありませんか?」
光秀は、俺にそう告げた。
そう・・確かに全て没収したつもりであった。
だが・・・まだいるに違いない・・・
この俺にも、既に15人以上の子供がいるのだ・・・
『光秀・・・この際、煕子の娘でなくてもよい・・・と言っておるのだ・・』
俺は、再び光秀に告げた。
「仰っている意味が・・この光秀、分りかねますが・・・」
そう、真面目な顔で俺を見る光秀。
『しらばっくれるならば・・・仕方がない。そなた達の仲を不仲にしてはと、
情報の出所は、隠そうかと思ったが・・これをみよ!』
俺は、鬼の首をとったかのように、光秀に、細川藤孝からの縁組を願う上奏分自ら広げて見せ付けた。
「これは・・・まさか・・・!!」
光秀の手は震えていた・・・
やはり・・・娘はいるのだ。
俺は、心の中でガッツポーズをした。
そして、濃にも、後で、言いつけてやろうと俺は、ほくそ笑んだ。
何人いるのであろう・・・
せめて・・あと三人くらいでてこないだろうか・・・。
『どうだ・・光秀・・・それで分っただろう・・・
もはや・・隠し通せるものではない。・・で、娘は何人いるのか??』
俺は、光秀にそう期待を込めて問いかけた。
光秀の顔は青かった。
「まさか・・・我が家の阿久利まで・・・没収されるとは・・・
細川殿は・・・どういうおつもりか・・殿に上奏文までだされて・・・
ずっと、常識人だと信じていたのに・・・・」
そう、信じられない様子で呟く光秀を見て、俺は確信した。
やはり阿久利はいるのだと・・。
『案ずるな・・光秀、俺はまだそなたの娘の阿久利を・・藤孝の息子に
やるとは決めておらぬ。とにかく、娘を全てだせと申しておるのだ。
他に、二人や三人おるのではないか?
お前は、若い頃、随分ともてていたではないか?』
俺は、更なる期待を込めて、問いかけた。
「は!?・・・
殿・・・先ほどから気になっていたのですが・・・何の話かと思いましたら、
よもや・・・私の庶子の事をお疑いですか?」
光秀は今気付いたかのようにハッとした目で俺に尋ねた。
『だから・・さきほどから、そうだと申しておる。』
俺は、不機嫌に応えた。
「この光秀・・不器用な性分にて、妻 煕子以外の女に、子はおりません。」
光秀は、はっきりそう告げた。
『何をいう? 阿久利 がいると、認めたではないか?』
俺は、不機嫌にそう言った。
いまさらしらばっくれても無駄だ。
絶対没収してやる。
俺は、憮然とした表情で、光秀を見据えた。
「殿は・・誤解されておられます。
『阿久利』 は、我が家の『猫』にございます。」
『は!?・・・・・・・・』
俺は、光秀の言葉が信じられず絶句した・・・・
長い両者の沈黙・・・・
(猫だと・・・・
猫といったか・・・・
この信長に、猫を仲介させた・・・だと・・・・・。)
これだけ人を喜ばせておいて・・・・・
猫だったと・・・・
許せぬ 細川藤孝・・・・・・。
『光秀・・・・大儀であった。
猫の事は、追って沙汰する・・・』
俺は、気まずくなって・・・そう伝え、
早々に、退出した。
光秀は・・・放心状態で・・・・そのまま固まっていた。
そして、背中に・・・小さな声が聞こえた気がした・・・
「追って沙汰されるのですか・・・阿久利まで・・・」と・・・。
俺は、この時ばかりは少し・・心が痛んだ。
そして俺に判るはずもなかった。
後に、起った本能寺の変・・・
その理由を俺達を知る、皆が考えたとき・・
ひとつの可能性としてではあるが・・・
この『娘と猫の没収説』がまことしやかに囁かれる事など・・。
俺の選んだ結婚相手の不味さに、光秀がキレたのだと・・。
そして、別の一説では
『濃姫奪還説・・・』
そして、別の一説では
『光秀の母 見殺し説』
そして、別の一説では
『光秀の親戚である長宗我部家征伐説・・』
そして、別の一説では
濃や光秀が兄ともしたう
『斉藤利三 切腹言い渡し説』
そう考えたら・・・
俺は、これだけ、織田家の為に、戦功を挙げ続けてくれた
光秀に謀反の種をいくつ植えてきたのだろう・・・。
全てに理由があったとしても・・・
【坂本城 光秀SIDE】
俺は、重い足取りで、坂本城に戻った。
そして、庭先から、子供達の明るい声が聞こえてくる。
『もどったか・・・』
そういう、疾風の声に振り返った俺は・・
「ああ・・だだいま・・」
そう言って、静かに微笑んだ。
『その顔じゃ・・また難題押し付けられたか?』
そう言って苦笑する美しい顔・・・。
我が親友であり、妻を演じてくれている、煕子こと、疾風だった。
「難題・・・ではないのだろうが・・我が家にとっては難題だな・・」
そう言って、俺はため息をついた。
「娘達はどうしている?」
俺は、声だけ聞こえる娘達の様子を察しながら問いかけた。
『ああ・・どうせ阿久利と遊んでるんだろ・・』
そう言って、煕子こと疾風は、口の端をあげて笑った。
「疾風・・・その阿久利なんだ・・信長の所望は・・・」
そう言って、俺は、眉毛をハノ字にした。
『は!?・・・・』
疾風は、絶句した。
当然だろう・・・。
昨日、突如呼び出されて、謀反でも疑われているのではと気が気ではないなか・・
もしもの為に、昨日から、家中の時読み、
そして、遠方の幹部達にも、異変を連絡し、大慌てしていたなかで、
告げられた・・
『猫』の没収・・・・・
しかも、その猫を娘達から取り上げることが、俺達にどれほどの
苦痛をもたらすかなど・・・信長に分る筈もない。
あいつらにとっては阿久利は家族同然なのだから・・。
そして、その娘達も・・数年の後には、信長に取り上げられる。
その日は、そう先ではないこと・・。
それが、俺の心を重くしていた。
それにしても・・・和歌をはじめ、茶の湯の道に通じ
戦国一の文化人と言われ・・・
そして、我が家の盟友として、長年苦楽を共にしてきたあの教養ある
細川藤孝がこのような、意味不明な無茶な所望をするなど・・・
一体何があったというのであろう。
たしかに、藤孝とは、世間話の一環で、『我が家の猫はかわいい』という
話はしたことがあった気がするが・・。
まさか、信長に上奏文をだしてまで、求めようとするとは・・。
それほどまでに、猫が好きなのであろうか。
それならそれで、欲しければ、自分に一言相談してくれた方が、
まだ、話は早かろうに・・・と思う。
そして、娘達の心を思う・・
これ程に可愛がってきたのだ。
その猫が、信長の命一つで他家に行く事になれば・・
縁談を控えた娘達が・・
自らの姿を重ね合わせ、未来を悲観することに
ならないだろうか・・・と。
そして、俺は疾風と相談して決めた。
命じられて、やるくらいなら、いっそ、阿久利を望む気持ちを確かめた
上で、自ら、阿久利の今後を託そうではないか・・と。
娘達は、もちろん、泣いて反対した。
そんな娘達に、疾風は、微笑んだ。
『細川殿のご子息は、それほどまでに、阿久利を愛しく思われたのです。
きっと阿久利は、幸せになるでしょう。
そして、いつか嫁に行かないと行けなくなったとき、阿久利は連れては
いけませんよ。 ここに一人残されるくらいなら・・阿久利も
大切に思ってくださるかたに、もらっていただくのも幸せかもしれません。』
と母の顔をして告げる疾風・・・。
そして、まさか、忠興が、玉に懸想しているなどとは、思わない俺は、
阿久利を一番可愛がっていた玉を、細川家に向かわせた。
「忠興殿に・・問うてくればいい・・
本当に可愛がってくれるか・・お前が納得したなら、忠興殿に阿久利をお願い
しておいで・・。」
俺は、そう微笑んで、玉の頭を撫でた。
俺は、玉の実の兄でもある、光忠を供につけて、細川家に送り出した。
光忠は、縁者であり、表向きは家臣として、育ててきたのだ。
坂本城の実情は、かつての稲葉山城の『時読みの郷』だ・・。
男は、命の危険なきよう、我が息子とはしなかったが・・
その実情は、皆兄弟同然に分け隔てなく、育っていた。
かつての俺達のように・・。
そして俺は、藤孝殿へ
「猫を所望と聞きました。娘が納得できるほど、阿久利を愛していただけるな
ら、どうぞ、慈しんでください」
そう、手紙をかいて光忠と玉に託したのだ。
俺のこの行為が・・・
忠興の生涯に渡る嫉妬心を育てる事になるなど・・・
この時の俺に分る筈もなかった。
俺はただ・・娘達と阿久利の幸せを願っていた。
この時の俺の行動と・・・
俺の後の苦肉の選択・・・『本能寺の変』
それが・・『戦国を生きる鬼と蛇』と言われる悲しい夫婦を
つくりだすことになろうとは・・・。
運命は皮肉だった。
【細川屋敷 忠興SIDE】
『はあ・・・』
俺は、またため息をついた。
あれから何日になるだろう。
父 藤孝に信長への上奏文を書いてもらい、光秀の娘 阿久利との縁組を
申し入れているが、未だ、何の沙汰もなかった。
俺は、晴れ渡った空を見ながら、あの日の事を想った。
そうあの日から何度も何度も・・同じ光景を思い出していた。
彼女の面差しの隅々まで・・忘れてしまいたくなくて・・。
あの日、父に所用を頼まれ、岐阜城に赴いていた俺は、所用も事のほか
早く済み、久しぶりに会って話そうと言っていた友人との待ち合わせには
まだ早く、城内の池の傍で暇を潰していた。
俺は、池のほとりの木の根元に腰掛け・・・
太陽の日差しが気持ちよく、ついウトウトと浅い眠りについていた。
すると膝のあたりが何か、温かくモゾモゾすることに気付き、眠い瞼を
僅かにあけると、そこには、小柄な白い猫が俺に擦り寄るように、眠ろうと
していた。
(猫か・・・こんなところに・・・)
父 藤孝も猫が好きで我が家にも、一匹猫がいた。
俺は、猫の喉元にふれた。
よく懐いていた猫は、気持ち良さそうに、俺に身を任せた。
(ふ・・素直な猫だ・・・)
俺は、そう思い、猫を抱き上げた。
『お前も・・一緒に眠るか・・今日は事のほか気持ちがいい』
俺は、そう猫に話しかけた。
猫は、泣かぬまでも、俺の言葉がわかったかのように、気持ち良さそうに、
俺の傍に、身を横たえた。
『飼い猫か・・・名は、何と言う・・・っていっても答えられるわけないか・・』
俺は、静かに微笑みながら、猫の身体を撫でながら、再び瞳を閉じた。
そして、俺と猫は、暫くそこで共にまどろんだ・・。
それは、とても気持ちのいい午後の一時だった。
「あの・・・・」
そんな遠慮がちな、声が聞こえた気がした。
「あの・・すみません・・・」
やわらかな・・・澄んだ女の声・・・心地いい・・・
「あの・・・起きていただけますでしょうか?」
そう聞こえたとき・・・
俺は、自分が眠っていた事を思い出し・・・
そして、その声が俺に向けられたものだと気付いた。
俺は、眠い目をこすりながら、目を開いた。
青い空を背景に・・・
碧い瞳に・・・深い空と、宵闇を混ぜ合わせたような・・碧き髪色の女が
そこで、俺を見つめていた・・・。
その美しさに・・俺は呆然とした・・
(なんだ・・・天女か・・・・)
俺は、一瞬そうおもい・・・目を見開いた。
白い顔・・・。長い睫・・。桃色の頬・・。そして、薄紅色の澄んだ唇・・。
この世のものではないに違いない・・・。
それが、俺の第一印象だった。
それでも、その天女は、妙に、現実的に困った顔をして、俺に、
目尻を下げて申し訳なさそうにこう言った。
「あの・・・。その抱いてくださっている猫なのですが・・・
私が、医師に見ていただくために、郷より、連れてきた猫なのでございます。
気に入っていただいていたら、大変申し訳ございませんが、
私にお返し願えませんでしょうか?」
俺は、俺を覗き込む彼女から・・・
目が離せず固まっていた・・・。
鈴のような声で、困る姿が・・・また・・愛らしかった。
青のような・・薄紫のような・・神秘的な瞳・・・。
知的な話し方・・・。
このような容姿が・・・
このような女が・・・・
この世にいたのか・・・。
そして、なかなか、現実に戻れなかった俺は、暫くの沈黙の後・・・
ようやく彼女の言いたいことが飲み込めた。
『は!?・・・猫・・・・?
これか・・・・・』
俺は、そういえば・・猫を抱いて寝ていた・・・
彼女の美しさに、そのことさえ、綺麗さっぱり忘れていたのだ。
猫は、けだるそうに、俺達のやりとりをみて、
『ニャ・・・・』と小さく鳴いた。
(この女は誰なのだろう・・・・猫を返すのはいい・・・・
だが・・・その前に、名前を聞いてもいいものだろうか・・・
それは、不躾なことなのだろうか・・・・)
俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見られず・・・
猫を見つめながら、名を聞こうか、聞くまいか思案した・・・。
でも、どうしても、知りたかった。
また・・会いたかったから・・。
俺は、猫から、彼女に目線をかえ、思い切って名を聞いた。
『どこのご家中か? 返すから・・・名前を教えてくれないか??』
俺は、彼女を見上げた。
俺は、必死だった。
「はあ・・・」
彼女は、驚いたように、俺を見つめ返し。
目尻を下げて、微笑んでくれた。
「明智家のものにございます。
名は、『阿久利』 そう申します。
そして・・・『玉』 と申します。
どうぞお見知りおきを。
短い間でしたが、お世話いただき、感謝申し上げます。」
そう言って、彼女はニッコリと微笑んだ。
俺は、その瞬間胸に・・大きな痛みと切なさがこみ上げた。
初めての一目惚れ・・・人生最大の恋・・・が訪れた瞬間だった。
そして、俺の生涯は、人間性までも・・・
この恋に左右されることになろうとは・・・
この純粋な頃の俺に、判ろう筈もなかった。
彼女は、猫を連れ、柔らかく一礼し、俺の元を去った。
俺は・・引き止めたい衝動にかられたが・・・そんなすべはなかった。
そんな俺達を遠めに見ていた、友人が俺に声をかけた。
「おい・・・今のは・・もしかして・・明智の・・姫じゃないか?
今日の集まりで話題になっていた。
今日は、明智殿の姫の一人が岐阜城下にきているはずだと・・・
お前・・何話たんだよ?」
そう言って、羨望の瞳を向ける友人。
『いや・・・猫を預かっていたら、自分のだから、返して欲しいと・・』
俺は、そういった。
「そりゃ、うらやましいな!!
俺も、早く来て、猫さがしときゃよかったな。
明智殿の娘とお近づきになれたら・・俺だけじゃなく・・
親父殿も大喜びだっただろうにな!!」
そう言って、友人は笑った。
その友人の名は、佐々松千代・・信長の古参の家臣 佐々成政の嫡男だった。
『は!?なんで、親父さんが、喜ぶんだよ!!』
俺は、松千代に突っ込んで聞いた。
「お前・・知らないのか? 明智殿の奥方の良妻賢母伝説を?」
そう言って、松千代は悪戯に微笑んだ。
『良妻賢母??』
俺は、首を傾げた。
「光秀殿の妻 煕子様は、若き頃、清洲の織田家に滞在されていた事が
あったんだ。その時、その美しさに、家中の男達は、心奪われた。
その煕子様の心を奪い結婚したのが、明智光秀殿・・。
当時・・羨望の的だったそうだ。
だが、斉藤義龍の明智城侵攻により、明智殿の郷は、斉藤義龍の手に落ち、
当時、お濃の方様の従者として同行していた、光秀殿は、国を追われ
浪人の身になった。 それでも、煕子殿は、夫の才を信じて、健気に、
10年にも渡る苦しい、放浪の旅に同行され、途中路銀が尽きたとき、
自らの美しい髪まで、切り落とし、路銀にかえ、光秀殿を助けられたそうだ。
その妻の献身に感謝している光秀殿は、織田家の重臣となられた今も、
『妻は、煕子殿だけ』と側室もおかず、とても大切にされているらしい・・。
そして、清洲にいたころ、煕子殿に惚れていた男の中の一人が、我が父
佐々成政・・と言うわけだ・・。
まあ・・・振られちまったってことだろうな・・」
そう言って、松千代は、ケラケラ笑った。
『そうなのか・・・・』
あの、阿久利 の美しさには、そのような裏づけがあったのか・・
俺は、妙に納得した。
「それでな・・今、俺の親父世代の息子を持つ・・父親達が
盛り上がってるんだ。」
そう言って、松千代は苦笑した。
『は・・どういうことだ??』
俺は、再び首を傾げた。
「皆・・当時では想像つかなかったほど・・出世してるからな・・
若かりし日の、憧れを息子でかなえようとしてる・・・
子供っぽい話だよな・・・」
そう言って微笑む松千代をみて、俺は、瞬時 嫌な予感がした。
「当時の煕子殿に憧れていた、重臣になった親父世代の家臣達が、
殿に上奏文を出しまくっているらしい・・
『ぜひとも明智殿の娘を我が息子の嫁にしたい』ってな。
なんて言ったかな・・『息子の嫁をもらいたい家ランキング』
なるものがあって、明智家は、堂々とその一位なんだとよ・・」
松千代はそう言って、困ったように微笑んでいた。
成政も上奏文をだしている・・・そう言っていた。
明智の娘は五人いる。
松千代はそう言った。
では、何かの間違えで、阿久利が松千代の嫁になることもあるのか??・・・・
俺は、首を振った・・・
(だれであろうが・・絶対に・・許さない・・・)
俺は、拳を固めた。
『松千代・・・すまない・・用事を思い出した』
そう言って、俺は、久しぶりに会った松千代と、明智の姫の話しかせずに
踵を返した。
「なんだ・・あいつ・・・
前から短期な奴だとは思っていたが・・・今日はまたどうしちまった?」
背中に、そんな、松千代の呟きを聞いたが俺は振り返る事無く、
父の元に走った。
そして、父に無理をいい、書いてもらった、上奏文。
そして、沙汰がこない事に・・俺は日々、苛立ちを強めていた。
そう・・・苛立っていたのだ・・・。
こうしている間にも・・阿久利が他の男に嫁ぐ事が決められてしまったら・・・
そう思うと・・日々胸が苦しかった。
彼女の事を思わぬ日など、一日いや・・・一瞬たりともなかったかもしれない。
俺の心は・・たったあの一瞬のやり取りで、完全に彼女に奪われてしまったというの
か・・。
知らなかった。
恋とは胸が痛い事を。
自分の気持ちが、自分ではなくなるような恐ろしい感覚を・・。
そんな俺に、侍女が声をかけてきた。
「あの若様・・・」
『なんだ!?』
俺は、不機嫌を顕わにして、応えた。
「明智家のお方が、阿久利を連れてきた・・・
と面会を求められておられますが・・
ご気分がよろしくないようでしたら、お断りした方が、よろしいでしょうか?」
『!?・・今・・・何と申した。』
俺は、息を呑んだ・・・。
許可が下りたのか・・。
直接・・会いに来てくれたのか・・。
縁談が決まったから???
ふて寝の様相をしていた俺は、がばっと立ち上がり、廊下に、出かけて、
ふと・・思い立ち、部屋に戻り、急いで、身づくろいをした。
『美津濃・・・おかしいところはないか??』
俺は、侍女にそう問いかけた。
彼女は、少し、俺の襟元を治してくれ、
「若様は、いつもいつも、とても凛々しくあられます」
そう母のように微笑みかけてくれた。
俺は、その言葉に勇気付けられ、猫を連れているからと、入室を遠慮して庭で
待っているという、阿久利の元に、走った。
庭に彼女の姿を見つけ、微笑みかけた俺は、咄嗟に引きつった・・・
彼女は、一人ではなかった。
彼女の傍には、俺より、2~3才ほど、年上であろうか・・
彼女と髪 瞳の色を同じくしたような・・同じ神が、そろいで創ったのでは
なかろうかという、端正な佇まいの男が立っていた。
俺は、眉間に皺を刻んだ・・。
誰だというのか・・。
俺の心は、黒い霧に閉ざされた。
俺に気付いた、阿久利は、俺の瞳をキッと見据えた。
『!?・・・』
あの日と、同じ美しさ・・。
ずっと・・会いたかったその美貌・・
でも、あの日と同じ、瞳の柔らかさがないことに俺は少なからず焦った。
「やはり・・・貴方様でございましたか。
なぜ・・このような真似を・・。
それほどまでに、阿久利を愛しいと・・そうお思いでしたか?」
彼女は、眉間に皺を寄せ哀しそうに呟いた。
俺は、瞬間、身を引き裂かれた思いだった。
(俺が・・お前に惚れていることが・・そんなにお前には迷惑なことなのか・・・
それは・・その男が、既にお前の傍にいるからなのか・・・?)
俺は、唇を噛み締めた。
でも・・一歩たりとも引くつもりはなかった。
俺は痛みに堪えながら必死で答えた。
『そうだ・・。 阿久利・・・。お前が愛しいのだ・・。
俺は、その事について、言い訳をするつもりはないし、
お前を誰にも譲るつもりなどない・・・』
俺は、彼女を見てはっきりそう継げた。
瞬間、二人の肩は、震えたように感じた。
「そうですか・・・。
忠興様・・。
そこまで、思ってくださっているなら、仕方ありませぬ。
この後、どこに追いやられるか分らぬ、私達の下にいるよりも
考えようによっては、幸せなのかもしれませぬ。
己が求められるところに、参る事ができるのですから・・・。」
そう言って、彼女は、何故か、寂しそうに微笑んだ。
そうして、俺に、近寄ってきた、阿久利は、抱いていた猫に名残惜しそうに
微笑かけると、思い切ったように、それを俺に、そっと渡した。
俺は、とっさに、それを大切に受け取った。
「どうか・・大切にしてくださいませ。
私の分まで・・・・」
そう言って、彼女は、泣きそうな微笑を俺に見せた・・。
俺は・・その彼女の切ない笑顔に一瞬固まった。
見惚れていたのだ・・・
だが、瞬間彼女は、踵を返した。
そして、彼女は、供の美しい男の元に、歩み寄った。
男は、その薄紫の瞳を優しく、細めて、彼女の腰に手をかけて、
彼女を促した。
そして、大人しくそれに従う彼女を、男は庇うようにして、
繋いであった、馬のところに導き、自分が先に馬に跨ったのち、
彼女に手を差し伸べた。
彼女は当然のように、男に手を伸ばし、その腕の中に抱きかかえられる・・
その時・・俺は、やっと硬直状態から解き放たれた・・・。
(ちょっと待て・・・・)
俺の胸の中にいるのは・・・・・猫・・・・
奴の胸の中にいるのは・・・・・阿久利 ・・・・
俺は、とっさに、馬の前に立ちはだかった。
『ちょっと待て・・・納得がいかぬ・・・・』
俺は、男を睨みつけ、そう告げた。
「何が・・納得がいかないと・・・?」
男は、訝しげに、眉を潜めた。
『何故・・・猫を置いていく?
そして、何故・・・阿久利をお前が連れて帰る??』
俺は、一部の逃げも許すまいと男を見据えた・・。
「・・・・何を言っている・・・?
阿久利がほしいのだろう・・・??」
男は、そう言った。
『いかにも・・・阿久利がほしい・・・』
俺は、真顔でそう答えた。
「だから・・・やったではないか・・・」
男も真顔でそう答えた。
『は!?・・・・』
俺は、男のその言葉に、違和感を感じ・・・
胸の中にいる・・・あたたかい塊をみた・・・。
猫は「ニャ・・・?」と俺を見た・・・・
『・・・まさか・・・これが・・阿久利 なのか??』
俺は、引きつった顔で、そう問いかけた。
「いかにも・・・阿久利 だ・・・。そこもとは、何が言いたいのだ・・?」
男は、不審者でもみるような目で、少し引いて俺を眺めていた。
『・・・・・。では、お前が抱いているその女は誰だ・・・・?』
俺は、恐る恐る・・そう問いかけた。
「は!?・・・ 我が縁戚 明智光秀殿の三女 玉子殿だが・・」
男は、訝しげにそう応えた。
『玉・・・・。 猫が・・阿久利 ・・・』
俺は、ガックリと膝を地につけた。
「忠興様・・・何か・・・?」
阿久利 ・・ではなく、玉も訝しげに俺を見つめていた。
今更、猫とお前を間違えた・・しかも上奏文まで、
間違ったまま出したなどと・・言えよう筈もなかった。
『何でもない・・・が、玉子殿・・・
世の中には、不埒な考え方をする者も多い・・・
そなたの、今日のその姿・・俺には、いささか、無防備に思えてならぬ。
婦女であるからには・・・、周囲への警戒は常に必要だ・・。
なんなら・・・俺が籠で送らせようか・・・?』
俺は、彼女にそう提案した。
「「は!?・・・・・・」」
二人は、揃って、そう絶句した。
その様子がまた俺の嫉妬心を煽った。
俺は、心のなかで、呟いた
(この男・・・これ以上玉子に近づいたら・・・絶対殺す・・・・)と・・。
「忠興殿・・心配には及びませぬ。
籠は、時間がかかりますゆえ、馬の方が、安心ですから・・・」
そう言って、玉子は、男と、うなずき合い、俺に一礼した後、
二人で、夕闇に消えていった。
そして俺は、玉・・・いや・・・阿久利 と残された。
空には、カラスが俺を蔑むように鳴いていた・・・。
俺は、決してこの日の屈辱を忘れないだろう・・。
俺は、父の元に向かって、真相を告げた。
父 藤孝は瞬時に青くなった。
「何と言うことだ・・・それでは、鷲は、信長様に・・・猫の仲介を頼んだ
ことになってしまう・・・そのような恐れ多い事・・・。」
そう言って、頭を抱えた父は、信長に、目通りを願う文を早馬で
とばし、岐阜城に俺を連れて赴いた。
俺は、庭で待たされ、父のみが、目通りを許された。
父は、俺に伝えた。
「此度は、己の間違えを詫びに参るのだ。
殿からの叱責は、免れまい。
よいか、忠興、お前を連れてきたのも、必要あらば、お前を詫びさせる
為であるからな・・。
くれぐれも、勝手な発言はするでないぞ・・・」
と・・。
俺は、拳を握り締めた。
このまま猫一匹もらいうけ・・
玉のことを諦めなければならないのか・・・。
(そんなのは、絶対に嫌だ・・・)
俺は、遣り切れない思いで、庭にあった、松の木を拳でたたきつけた。
その瞬間、背後から、女の声が響き渡った。
「おやおやおあ・・まあまあまあ・・・
まだ、お小さいのに・・素晴らしい殺気ですこと・・・
それに、まあ・・なんと美々しいお子でしょう?」
俺は、そんな、俺の気を挫くような、感嘆を込めた声に、訝しげに振り返った。
そこには、侍女であろうか?
簡素な袴姿の長身の美しい女が立っていた。
長刀を担いだ彼女は、目を丸くして、こちらを見ていた。
それは、・・ある意味、俺を驚愕させるほどの・・・美しくも逞しい女だった。
30歳前後であろうか・・
長身で、細身でありながらも、しなやかで、力強い体つき。
艶々とした少し赤い髪色・・。
凛とした切れ長の赤みを帯びた瞳。
表情豊かな、口角のキュッとあがった、魅力的な唇。
周囲を惹き付ける豪気な表情。纏う雰囲気・・・。
今まで、この手の女性は見たことがなかった・・・
玉への恋慕の情とは、また違う・・なんだか・・感動的な美しさだった・・。
何というか・・この容姿に彼女の生き様を感じるような・・
武士として心惹かれるような・・そんな不思議な感覚だった。
そんな風に、目を見開く俺に、彼女は続けた。
「何か嫌な事があったので、ございましょうね。
若いとは、何と素晴らしいのでしょう。
嫌なことさえも、自分を強くする糧として、大きく逞しく育つのです。
あなたは、嫌なことを嫌だと思える、真っ直ぐなお心をお持ちですのね。
それは、とても強くなる要素なのです。
我が息子にも、そのようなところがあれば、もっと完璧ですのに、
残念ですわ。」
彼女は、一人、そんな事を喋り続けながら、俺の瞳を覗き込み、目尻を下げ、
俺の頭をワサワサと撫でた。
その瞬間俺は、放心状態から、解放された。
いくら、織田家の侍女とはいえ、既に大名として歩み始めている、細川家の
嫡男である自分の頭を初対面で、子供扱いして、乱暴に撫でるなど不躾では
ないかと・・・
『何をする・・・突然無礼ではないか!!
子ども扱いしないでいただきたい!!』
俺は、その侍女を睨みつけた。
彼女は、全く気にする様子もなく、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ!! やはり・・ 『見所あり』 で・す・わ!!
男の子は、これくらいでなくてはなりませぬ。
大丈夫です。 あなたのその苛立ち・・・この私にお任せ下さいませ。
何の問題もございませんわ。すっきりさっぱり消して差し上げましょう。」
その女は、そう言って、どこから、取り出したのか、嬉しそうに、
木刀を一本俺に渡して、長刀を身構えて、豪気に微笑んだ。
『は!?・・・・』
俺は、状況が理解できず・・固まった・・。
「さあ・・遠慮は無用にございます。
どこからでも、かかってこられるとよかろう!!」
そう言って、俺の前に立ちはだかる女・・・
(戦えと・・・剣を競い合おうというのか・・・この俺と・・・・。)
子供とはいえ舐められたものだと・・・俺は、眉間に皺を寄せて、
微笑んだ。 子供とは言え、細川家は、武門としても知られた名家だ。
俺も、幼少の頃より、それは大変な訓練を受けてきた。
織田家の侍女と言えど、女子になど、遅れをとる訳がないというのに・・。
俺は、幼いと思われている、屈辱に唇を挙げて、
この女に思い知らせてやろうと、木刀を構え・・女を見据えた。
(えっ・・・・?)
その女には、全く隙がなかった。
この女・・・・。
何者だ・・・?
女は、そんな俺の様子を悟ったのか、一瞬微笑むと、俺に、切り込んだ・・・
瞬間俺の木刀は払い落とされた。
『相手を女だと・・油断などしていたら、命取りとなりますよ。
乱世は、一瞬の油断で・・命を取られます。
常に全力で向かわれますように・・
戦場においては、慈悲も、迷いも不要です。 さあ・・もう一度・・』
女の、瞳・・・ 太刀筋・・言葉を聞いたとき、俺は、
背中に冷たいものを感じた。
(この女は・・・怖い・・・・)
そして、大きな存在感を感じずにはいられなかった。
俺は、目を見開き、唇を噛み締め、再び彼女に対峙した。
負けてなるものか・・
超えなければならない壁・・・そんな風に感じる美しすぎる畏怖の存在。
そうして、俺は、何度も、何度も彼女に挑んだ。
彼女は、豪気に微笑みながら・・俺の剣を何度も払い落とした。
それでも、負けるものかと・・俺は、戦いを挑み続けた。
もうどれほどこうしていただろう・・。
身体が・・ヘトヘトになっていた。
こんなに、ボロボロになるのはいつ以来だろう。
彼女は、額に汗を浮かべながらも、息が上がる事無く、豪気な微笑みを
湛えて、俺の前に立ちはだかっていた・・・。
(クソ・・)
俺は自分の不甲斐なさに・・腹が立った。
(絶対・・超えてみせる)と・・・。
俺は、再び立ち上がり、女に、再度挑もうとフラフラする、頭を元に
戻そうとするかのように、首を左右に振っていると・・
突然、二人の人の気配を感じた。
『は・・母上・・また何をなさっているのですか??』
仰天したような、俺と同世代の男の声
「な・・直子!?・・何をしているのだ・・・?
そ・・それは、細川家の・・!!」
そう、驚く・・大人の男の声・・・
今度は、その声に、振り返った俺が・・・驚く番だった。
「は!?・・・信正様・・・??」
そこにいたのは、信長の息子の織田信正だった・・・。
そして、その隣にいるのは、信正の叔父 原田直政・・・。
信正は・・確かに『母上』・・と言った。
・・・・と・・・言う事は・・・・。
瞬間俺は、状況を悟り・・女に跪いた。
何故・・・気付かなかったのだ・・・これほどの人に・・・。
『こ・・これは、原田御前様でございましたか・・
大変な失礼を致しました。どうか、ご容赦下さいませ。』
俺は、そう言って、丁重に頭を下げた。
何と言うことだ・・・俺は、目の前が真っ暗になる思いだった。
信長の筆頭側妾 今を時めく原田御前。
そして、織田家の重臣・家臣達からも『織田家の巴御前』とも言われ、
絶大な人気を誇る・・そんな原田御前に無礼な態度をとるなど・・・。
「何を・・よいのです。
それにしても、謝り方は、知性的とは・・・。
やはり、見所がございます。」
そう言って、原田御前は、やはり、俺の頭をワサワサと撫でた。
・・。今度は、子ども扱いとは言え、拒むわけにはいかなかった。
「こら・・直子・・・
男子の頭をそのようにワサワサとしてはならない・・・
細川家の嫡男として育ってきているのだ・・
これくらいの年には、男としてのプライドが立派に育っている。
そなたが、思うほど、子供ではないのだから・・・」
そう言って、直政は、原田御前を諭した。
(この人は分っている・・・なんていい人なんだ・・・)
その瞬間俺は、原田直政の実直な人間性を知り・・感動を覚えた。
『それは、この直子 配慮がたりませなんだ。
すみませんね。
そうですか、細川殿のご子息でしたか。』
そう言って、原田御前は、俺を見て、目を細めて微笑んだ。
俺は、彼女の逞しい感動的な美しさにまた固まった。
恋ではない・・
玉子への想いとは、全く違うから分ったのだろう。
でも、俺は、家中に多くいると言う、
『原田御前』を慕う家臣の一人に
加わってしまった自分を確かに感じていた。
「あ~あ・・。
母上・・仮にも、細川の子息を、こんなにボロキレみたいにしてしまって・・。
どうなさるのですか?」
そう言って、信正は、原田御前に非難の目を向けた。
そして、俺より、一・二歳年上の信正は、俺を哀れそうに、見つめた。
「すまない・・忠興・・母の粗暴な振る舞い許してやってくれ。
決して、悪気はないお方なのだが・・いつもやりすぎてしまうのだ・・」
そう言って、困ったように、信正は微笑んだ。
「父、藤孝殿と一緒に来たのか?」
信正のその言葉に、俺は、頷いた。
「そうか・・・何やら、今日は、立て込んでいるようで、
対面の順番待ちが、事のほか・・・時間がかかっていたようだ。
きっと、藤孝殿は、まだ当分は、戻っては来られまい。」
そう言って、信正は何か思案するように、眉を潜め。
「母上・・私の着物を持たせます。
湯殿へ、連れて行き、着替えてもらいましょう。
このままでは、藤孝殿が仰天なさるでしょうから・・・」
信正は、原田御前にそう告げた。
「それが・・いいだろうな・・」
直政も同意した。
そして、俺は湯殿に案内された。
侍女にでも任せればいいのに、律儀についてきてくれた
直政と信正。
それにしても、この原田直政・・
優しげな面差しで、原田御前と同様の美貌・・・
行政面でも頭角をあらわす知略・・・
人当たりの柔らかい、素晴らしい男だった。
そして、ついでだからと、遠駆けから帰った信正も
俺と一緒に湯殿にはいり、身体を清めた。
俺は、信正と並び、それとなく、信正に眼を向けた。
信長よりも、直政に似た美貌と雰囲気をもつ信正・・・・。
家中でも、女たちから一番人気と言われている柔らかな信正の美貌・・・。
この頃の、二歳違いは、随分と体つきに影響を及ぼす。
俺は、子供から、大人への身体に変ろうとしている信正の男らしさに感嘆した。
そしてまじまじと・・
信正の長い睫と、端正な涼しい顔を見て・・
(羨ましい・・・)
心からそう思った。
これ程の美貌に・・信長の息子と言う肩書きがあれば、どんな女でも
望むままなのかもしれない・・。
他人の容姿と・・自分の容姿を比べて、その優劣に一喜一憂するなど・・
初めてのことだった。
そして、それは、俺に、自分は恋をしている事を思い知らせるのだ・・。
そして、玉を思う・・・。
信正の可能性だってあるのだ・・。
玉を嫁にもらうのは・・。
俺は、そんな事を勝手に思っているにも関わらず・・・
何の罪もない、信正に妙な嫉妬で、敵対心を感じる自分に戸惑った。
(・・・俺は・・・おかしいのか??)
俺は、そんな不安に襲われた。
なんだか・・
玉子にあったあの日から・・自分が自分ではなくなっている
そんな気がしてならなかったのだ・・。
「何て顔してるんだよ・・・?」
そう言って、信正が俺を覗き込んだ。
俺は、そんな、信正にすら・・ますますの嫉妬を感じ・・・
その真意を気付かれないように、目を反らした。
「へんな奴だな・・」
そう言いながら、目を細める様子が、原田御前に似ていて俺は泣きたくなった。
好ましい・・そう感じる事さえ・・嫉妬に繋がるなど・・
俺には、人として欠けたところがあるのかもしれない。
そして、原田御前の顔を思い浮かべた時・・
俺は、一つの考えが浮かび、顔を上げた。
『信正様・・原田御前様は、まだこの辺りにおられますでしょうか?』
俺は、信正に尋ねた。
「ああ・・母なら、今頃、俺達と同じように、汗を流して、庭で夕涼みでも
している頃ではないかな・・。いつもそうしているから・・。」
俺は、信正の話を聞き終わらないうちに、
『信正さま・・着替えありがとうございました。
原田御前様にも、お礼を申し上げてきます。』
そう言って、俺は、信正から、踵を返して、用意してもらった着替えに
身を改めて、その場を後にした。
「ほんと・・・変な奴・・・。
何か、ギラギラ・・対抗意識 漂ってたような・・・
俺・・何かしたか・・?」
一人残された信正は、訝しく首を傾げていた。
そうして、庭へ駆け出た俺は、原田御前の姿を追い求めた。
そして、ようやく、見つけた、赤みを帯びた彼女の髪・・・
そして、俺は、目を見開いた・・・
先ほどまで、簡素な袴姿で長刀を持っていた彼女を本気で美しいと思っていた。
そして今、俺の目の前にいるのは、艶やかな深い宵闇色の打ちかけに、
煌びやかな桜模様の描かれた・・それは、趣味のよい、豪華な装いだった。
先ほどまでは、束ねられていた、赤い髪は、宵闇色の打ちかけの上に、赤い波を
描くかのように、見事に、彼女の肩と背中を覆い、化粧を施したその顔は、
妖艶さを帯び、それは、とても美しかった。
そして、俺は悟った。
このギャップが、原田御前の只ならぬ人気の秘密なのだと・・・。
そんな、美しい装いに姿を替えている原田御前は、先ほどと、
まったく変る事のない、気さくな笑顔を俺に向けてくれた。
「まあ!? 忠興殿・・
これは、また小ざっぱりとされて、やはり、美々しいお子は・・
何を着ても、美々しいこと・・・。ねえ・・西条?」
そう言って、目を細めて、後ろを振り返った。
その時俺は、原田御前の影に、もう一人女性が立っていることに気付いた。
今度は、そのいでだちから、身分ある女性であることは人目で察しがついた。
「まあ・・これは、ほんに、可愛らしいご子息ですこと。
さすが、名門細川家のご子息でございますな。」
そう言って、もう一人の女性が、妖艶に微笑んだ。
京都言葉が印象的な古風な雰囲気の女性だった。
「忠興殿・・こちらは、『西条の局』です。」
そう言って、原田御前は、その女性を紹介してくれた。
『西条の局様・・と言えば、能楽、茶の湯、和歌等・・あらゆる芸事に通じた
文化人としても有名な、あの西条の局様でございますか?』
俺は、以前から、信長の側室は職業集団のようで、それぞれに後宮で才を
生かしていると聞いた事があった。
そして、父が、うっとりしたように、この『西条の局』の教養を
褒め称えているのを何度も耳にしていたのだ。
我が父もまた、文化人と言われ、多才な男であるが故に、西条の局の多才な
教養は、我が父の心をとらえ、彼女に一目おいているのだろう・・。
「ま・・まあ・・・
本当に、何と可愛らしい事をおっしゃる、可愛いお子でしょう。
原田御前様・・・ほんに・・愛らしいですわね。
忠興殿・・、藤孝殿は、ご子息にも、あらゆる芸事を伝えていると
聞いた事がございます。 何かお好きなことは、ございますか?」
そう言って、目を細める、西条の局。
『は・・、何分拙いですが、最近は、笛の練習に励んでおります。』
俺は、できるだけ、柔らかく微笑んで、西条の局にそう応えた。
「そうですか、笛ですか・・。
ぜひとも、この西条・・共演してみたいものですわ。」
そう言って、西条は微笑んだ。
『御所望とあらば・・拙いながら、この忠興、お相手仕ります。』
俺は、謙遜して、そう応えた。
それなりに・・自信はあったのだ。
「まあ! それでは、そうさせていただきましょう。
原田御前様 よろしいでしょうか?」
そう言って、原田御前を伺う西条。
原田御前は、目を細めて頷いた。
西条の局の黒い艶々した髪に、漆黒の瞳・・はっきりと紅を引いた口元・・
それは、典型的な日本人の美しさを思わせた。
そして、それとは対極的な、赤みのある薄い色彩に彩られた原田御前の
凄みのある美貌・・。
対極にある美貌が微笑み合い、一層の凄みをだしていた。
俺は、西条の局と、笛の共演をしながらも、思った。
西条の局の笛の見事さ・・
原田御前のあの強さ・・
耳にはいる、噂は、きっと全て本当なのだ・・
信長の後宮とは、なんと奥が深いのだろう・・
俺は、感嘆のため息をついた。
そして、俺は、心配になった。
信長は、このような美しい側室方を、このように、人目に晒しておいても平気
なのだろうか・・。
現に、自分も、原田御前の美しさに目を奪われ・・・
父もきっと、西条の局の美しさに目を奪われている・・。
それは、きっと、俺達だけでないことは容易に想像がついた。
そして、俺だったら・・・
絶対に玉子をこんなところには、置いておけない。
そう思うのだった。
・・・で、あれば、どうするのだろう??
どうすればよいのだろう・・・。
そして、俺は、本来の目的を思い出しハッとした。
(そうだ・・まず第一に、あの男・・光忠の傍においてはおけない・・・)
そして、静かに、曲を吹き終えた俺は、二人を見つめた。
そして、西条の局が、静かに微笑み、俺に話しかけた。
「忠興殿・・・見事な腕前でした。
流石は、当代一の文化人、藤孝殿のご子息・・素晴らしき感性。
そして、並々ならぬ努力・・この西条・・確かに感じました。
でも・・・それが故に・・忠興殿・・途中明らかに・・心乱されましたな。
何か、我らに、伝えたき、悩み事、あるのと違いますか?」
西条は、そう言って、俺の瞳を漆黒の瞳で見据えた。
さすが・・父が惚れ込むだけの西条の局・・・。
芸の中にも、相手の心をみてとれるとは・・・
その西条の局の問いかけに、原田御前も思うところがあるかのように、
頷き、微笑していた。
俺は、自分の不甲斐なさに反省しながらも・・
折角、西条の局から、問いかけてもらったのだ・・・。
俺は、覚悟を決めて、膝を突き、嘆願した。
『原田御前様、西条の局様・・・
どうか、この忠興にお力をお貸し願えませんでしょうか。
初めてお会いしたと言うのに、不躾な事は、百も承知いたしております。
でも、この願いを聞いてくださいましたら、この忠興、織田家に、
そして、お二方に微衷を尽くして、一生お仕え致します。』
俺は、そう言って、二人に土下座した。
「忠興殿・・まあ・・お立ちなさいな・・・
折角、着替えたのに、また汚れてしまっては、私が、また兄上や
信正に怒られますわ」
そう言って、原田御前は、呆れたように微笑んだ。
「そうです・・。せっかくの美丈夫が汚れては、残念です。
どうせ、話を聞くのなら・・きれいなままのほが、私は、好みですなあ」
そう言って、西条も微笑んだ。
(二人とも、暗に・・話だけでも聞こう。
そうおっしゃってくださっているのだ・・)
俺は、神にも縋る気持ちで立ち上がった。
そして、俺は、原田御前と西条の局に、玉との出会い・・俺の誤解・・・
玉への想いが諦めきれない事を話、何とか玉を俺の嫁にしてもらえるよう
信長にとりなしてもらえないか・・頼んだ。
瞬間 原田御前が、噴出した。
「猫の仲介を頼んだのですか・・・あの、殿に・・・クックク・・・」
原田御前は、笑いを堪えるのに、苦心している様子だ。
「これは・・・なんともはや・・・可愛らしいお話ですなあ・・」
そう言って、西条の局も、苦笑を隠せない様子だ。
『・・・。は・・。お恥ずかしい限りにございます。』
俺は、シュンとして・・黙りこんだ。
「それは・・今頃は、藤孝殿は・・・殿に、すごい剣幕で怒られている
でしょう」
そう言って、原田御前は、以前として、笑いが収まらない様子だ。
「それは・・考えただけで、恐ろしゅうございますなあ」
そう言って、西条は、少し、眉を潜めた。
俺は、その言葉に・・胸を重くした。
父は・・大丈夫であろうか・・。
父にあれだけの失態をさせたのに・・未だ自分は、玉を嫁にもらうことばかり
考えているのだ・・。
俺は、信長に恐縮しているであろう父を想い、少し罪悪感を感じた。
「まあ、心配はいりません。忠興殿・・殿は、恐ろしいお方ではありますが、
そのような、可愛らしい勘違いで、本気で罪を問うようなことはなさらない
でしょう。 それより、光秀殿が気の毒でしたな・・。
今のお話聞く限りでは、数日前 光秀殿が血相変えて、坂本城から、参城して
いたのは、きっと、殿が、光秀殿にまだ、他の娘がいると思い込んだから
でしょう。」
原田御前は、そう言って笑った。
「まあ・・それで・・。
翌日早くには、到着されておりましたものね。
まるで何かの疑いを晴らす為のように・・。
光秀殿は、庶子を疑われていたのですね。
明智の姫は、今、大人気でございますからな。」
そう言って、西条の局は、納得したかのように、頷いていた。
(そんなまずいことになっていたのか・・・・・
それでは、光秀殿に迷惑をかけたばかりか・・・
完全に、信長に恥をかかせたことになる・・・・・)
俺は、自分の未来が暗い事をここではっきりと感じ取った。
「原田御前様・・この可愛らしい、忠興殿の頼みごと・・
どういたしましょか・・?」
西条の局が、意味深に微笑んだ。
「そうですね。 忠興殿に頼まれた・・だけでは、猫の件、で臍をまげて
おられる殿を動かすのは、難しいでしょうねえ。」
そう言って、原田御前は、少しの間、思案していた。
そして、顔を上げた原田御前は、俺に、さっぱりとした笑顔を向けた。
「忠興殿、この直子にお任せ下さいませ。悪いようには致しませぬ。」
そう言って、豪気に微笑んだ。
そんな原田御前の顔をみて、西条の局も、意味ありげな微笑みをみせていた。
「忠興殿、よろしゅうございましたな?
原田御前様が、このようにおっしゃられる時は、大抵、
何とかなる時でございますからな。」
そう言って、西条の局は、微笑んだ。
「ただ・・忠興殿・・これはそなたの頼みを聞き入れてのこと・・・
そなたにも、たっぷり活躍してもらう必要がありますよ。
それさえ、上手くいったなら、後は、この直子にお任せ下さいませ。
何の問題も、ございませぬ。」
豪気に微笑んだ、原田御前は、そう言い放った。
『は・・私にできることなら・・何なりと・・
どうか・・よろしくお願いいたします。』
俺は、そう言って、深深と頭を下げた。
そして、数日後、俺は、奥で催しがあるとの事で、
濃御前より、岐阜城に招かれた。
そして、俺は、圧倒された。
他の誰より、人を圧倒する存在感の濃御前。
彼女の美しくも、人を畏怖させるかのような圧倒される気高さを
取り囲むように、それぞれ、大きな存在感で濃の方に仕えるように、
濃の方の周囲に侍る側室達。
圧倒的な存在感 女主の濃御前
そして、筆頭側妾 原田御前
穏やかに微笑む 不思議な美貌の 坂御前
しっかりとした大らかさで、天下の母性を感じさせる 中将の局
古典的な日本の良さを感じさせる 美貌の 西条の局
斬新な柄の着物を見事に着こなす 時代の匠とも言われる 堺の局
そして、俺は、その日、命じられるままに・・
信長の後宮の妻達と・・
あらゆる芸事の相手を務めたのだ。
そして、扉は開け放たれ、あえて目立つように、庭にでたり、
入ったりと・・・
大きな声で歓喜する側室達・・・
その中で、俺は、あるときは、剣術の腕前を披露し
あるときは、詩を読み
あるときは、笛を吹き
あるときは、堺の御前の、衣装のモデルなるものになり・・
あるときは、孔子を朗読し・・
そして、茶の湯を嗜んだ・・・。
そして、西条の局の所望で、敦盛を披露する頃・・庭から、今までと
違う気配を感じた。
俺は、敦盛を披露し終わった後、その気配が、この後宮の主人である
織田信長のものであることを悟った。
俺は、咄嗟に、膝をつき、頭を下げ挨拶した。
『信長様におかれましては、お初にお目にかかりまして
恐悦至極に存じ上げます。
私は、細川藤孝の嫡男 忠興と申します。どうか、お見知りおき下さいませ。』
俺は、そう言って、深深と頭を下げ続けていた。
「で・・あるか、忠興、続けるが良い・・・」
そう言って、信長は、俺に、もう一曲 敦盛を所望した。
俺は、うやうやしく、それに答え、舞い始めた。
そして、濃の方と信長の話し声を聞いた。
『殿・・あいかわらず、耳聡うございますな・・。
折角、我らが、直子から、忠興殿の多才ぶりを聞きつけ、朝から、芸事で
楽しく過ごしておりましたのに・・いつも殿は、私が楽しく過ごしていると
水を差しに参られます。』
そう言って、濃の方は微笑んでいた。
「あれほど、朝から、うるさくしておったら、鷲とて、気が散って
仕事が手につかぬわ!」
そう言って、忌々しそうに、濃御前を睨みつける信長。
その時、原田御前が、二人に歩み寄った
『まあまあ・・それより、殿見てくださいませ。
あの、忠興殿の美々しい事。
まさに、絵巻物から、抜け出てきたようではございませぬか。』
そう言って、微笑む。
『ほんに・・この西条・・・あの忠興殿の美貌には癒されますなあ。
そして、なにより、全ての芸事に秀でておられます。
これは、忠興殿の父 藤孝殿の並々ならぬ、子育ての熱意の賜物でござい
ましょう。 芸の道は一日にしてなりませぬからなあ・・・
そうでございましょう。中将の局様。』
そう言って、西条の局は、中将の局に微笑みかける。
『正に・・忠興殿は、藤孝殿に丁寧に、愛情を持ってそだてられた、
戦国一の教養を持つ殿方となられるかもしれませぬなあ。
これは、私も見習うところが多くございます。
直子殿によれば、これだけの、文化人の教養を身につけているのに、
武門としての力量もしっかり身につけているとか・・・』
そう言って、中将の局が、原田御前に、話を戻す。
『はい!! この直子、二度の立会いで、しかと感じました。
忠興殿の武芸の腕前は、我が息子 信正に引けをとりませぬ。
本当に、頼もしきことにございます。
将来、織田を代表する武将になること、間違いございますまい。
この直子の目に狂いはございません。
殿・・織田家は、ますます安泰にございます。何の心配もございません。』
そう言って、原田御前は、信長を見据えた。
『・・・・で・・・あるか・・・』
信長は・・皆の剣幕に驚いた様子で、座っている。
『そうか、皆の心をこれほどまでに掴むとは、確かに忠興には、
文武両道の魅力を感じますな・・殿・・・』
そう言って、濃の方は、信長に同意を求めた。
「・・・であるな・・・」
何か、違和感を感じている様子の信長・・・。
そして、今まで、静かだった堺の局が口を開いた。
『それにしても皆様・・・忠興殿のこの美貌・・・まだまだこれからという
この若さ・・・この堺・・・いつになく、創作意欲を掻き立てられます。』
そう言って、堺の局は、目を細めた。
『分りますわ・・堺殿・・・。
私も、実は、先ほどから、そのように思っておりました。
これだけの才溢れる、若者ですもの。
是非、書いてみたいですわ。物語を・・・』
そう言って、坂の局が、目をキラキラさせている。
そして、堺の局が、濃の方を見つめた。
『そうですわ!! お方様!!
以前言っておられたでは、ございませんか!!』
堺の局は、期待するように、濃の方を見つめた。
『私が、何を言っていたと言うのだ??』
濃の方は、訝しげに、堺の局を見返した。
『いつか、仲人とやらをしてみたいと!!』
そう言って、堺の局は、濃の方に一歩進み出た。
「ブ~・・・・!!」
思わぬ一言に、呑んでいた酒を噴出した信長は、
目を見開いて、濃の方を見つめた!!
「濃!? そなたにそんな希望があったのか??
仲人と言うのは、夫婦で務めるものと知らぬそなたではあるまいな??」
信長は、目を見開き意外そうに、濃の方を見つめた。
「それくらい知っております。」
そう言って、濃の方は、涼しげに信長を見返した。
「それは、つまり、そなたは、俺と、仲人がしたいと・・・
そう申しておるのか??夫婦として・・」
信長は、妙に期待を込めた表情で濃の返答を待っていた。
俺は、踊りながらも、首を傾げた。
「まあ・・この濃が、仲人をするとして、共に仲人の役を出来るお方は、
殿しかおられますまいな。」
濃の方は、そう応えた。
「そうか・・・。たしかにそうだ・・。そなたと共に仲人ができるのは
この信長だけで・・・ある。」
信長は、そう納得したように、頷いた。
その瞬間、信長には、見えない位置にいた、側室達の顔が、
一斉に、ほくそ笑んだのを俺は、見逃さなかった。
俺は、ここに、信長の後宮の意外な一面をみた。
そして、先ほど、微笑んでいた堺の局が、先ほどとは、違う、
微笑で、信長と濃の方に、話しかけた。
「それでは、この忠興殿の婚儀が一番、燃えますわ。
殿と、お方様が仲人をなさる婚儀なのです。
しかも・・絵になる忠興殿の婚儀ともなれば、この堺、衣装にも会場にも、
創意工夫を凝らし、それは、立派な婚儀にしてみせますわ。」
そう言って、堺の局が息まいてみせた。
「そ・・そうか・・・」
信長は、否定する事無く・・頷きかけている。
「でも・・皆様・・一つお忘れですよ。
忠興殿は、まだ若年。 結婚には早いのではございませんか。
まあ・・あと、4~5年後のお楽しみですわね。」
そう、中将の局が現実的に、告げた。
「確かに・・」
濃の方も、頷いた。
「それにしても、この美々しい忠興殿に釣合う、娘とは、
どなたがおりますかね。」
そう言って、坂御前が、目を細めて、呟いた。
「それは、やはり、同じくらい、絵巻物から抜け出てきたような、
美しい娘がよろしいでしょう。それでこそ、創作意欲がわくというもの」
そう言って、堺の局が、うっとりとする。
「美しい娘か・・・・・」
信長が思案顔になった。
「考えておこう・・・」
そう言って、信長は、
「忠興・・約束がある故に、鷲は、もう行く・・
そなたの敦盛・・確かに見事であった。
皆、久々に、楽しくしているようだ・・ゆっくりしていってくれ・・」
そう言って、信長は微笑み、踵を返し去っていった。
「は・・。ありがたき幸せにございます。」
俺は、そう言って頭を下げ、信長を見送った。
俺は、不思議な違和感につつまれた。
『魔王』とも言われる信長が・・この場では、ちっとも恐ろしく見えなかった。
これが、信長が身内に甘いと言われる由縁だとしたら・・・
この後宮が、信長の一枚上手なのかもしれない・・俺は、そう思った。
そして、信長が去った後、側室達が、一様に、微笑み。
濃の方が、側室達を見回して困ったように笑った。
『堺・・・・私が、いつ仲人などしたいと申した・・』
そう言って、濃の方は、困ったように苦笑した。
「はい・・つい思いついてしまったものですから、ご容赦を・・」
そう言って、堺は、気まずそうに微笑んだ。
『あれでは・・いつか本当にすることになるであろうな・・
仲人を・・・』
そう言って、濃御前は、俺を見つめて瞳を下げた。
それは、宵闇色の美しい微笑だった。
(いつか・・濃御前・そして、信長が、俺の仲人を本当にしてくれると
いうのだろうか・・・)
俺は、そんな前代未聞の婚儀を挙げるのだろうか・・
そして、その相手は、本当に玉子・・彼女になるのだろうか。
そんな不安を抱えていると、先ほどから、信長に従っていた。
美しくも、地味な女が、広間に戻ってきた。
『土方・・戻りましたか・・
して、殿は、何か問われたか?・・・・』
そう言って、その女に語りかける、濃の方。
俺はその時、ようやく悟った。
信長の侍女のように、控えめに、付き従っていた、この美しい女性が、
信長の日常の世話をしている、土方御前なのだと。
近年、信長の子を立て続けに出産しているという、土方殿は、
まるで、濃の方の侍女であるかのように、静かに頭を下げ
「はい・・・。『土方・・絵巻物からでてくるような美しい娘、
お前なら誰を思い浮かべるか』ときかれましたので、
「そうですなあ・・。私でしたら、今話題の明智光秀殿の5人の
娘子の中でも、特に、美貌がずば抜けているといわれる玉殿でしょうか?」
とお答えしておきました。」
彼女は、事も無げな涼しげな、漆黒の瞳でそう応えた。
瞬間、濃の方と、側室達が、静かに頷きあった。
そして、濃の方が、俺に静かに声をかけた。
「忠興・・。おそらくは、これで、そなたの望み叶うだろう。
だが、よく覚えておくといい。
これは、表社会での思惑に過ぎぬことを。
そなたが、真の意味で、その玉という女を手に入れる事ができるとしたら、
そなたが、誠の心を持って、その娘に愛を伝え、その娘が、誠の心を持って
そなたの心を受け入れた時だけだ。
『女を見縊る事なかれ』それだけは、そなたに忠告しておきます。」
そう言って、濃の方は、静かに立ち上がり、踵を返し、この場を後にした。
それに続き、土方殿、坂御前、中将の局、堺の局が退出していった。
そして、俺の元には、原田御前と、西条の局が残って微笑んでいた。
『忠興殿・・よく頑張られましたな。おそらくは、これで上手くいくでしょう』
そう言って、原田御前は、また俺の頭をワサワサと撫でた。
「原田御前様・・その行いは、この間、兄君に、窘められていたでは、
ございませんか。ほんと・・懲りぬお方にございますな。
でも・・不思議にございます。この西条・・昔は、貴方様の不躾な行い・・
嫌いでございましたに・・いつのまにやら、微笑ましく感じてしまいます。」
そう言って、西条の方は、原田御前に目を細めた。
「そうですか。そう言われましたら、私も、最初は、都人以外人では
ないような、貴方様が、苦手でございましたが・・いつの間にやら・・
その嫌味たらしさの中に、貴方の切れの良さを感じるようになりましたな。」
そう言って、原田御前は、微笑んだ。
俺は、ここに、側室同士の絆をみた・・。
そして、それは、主家織田家を支える為・・・
そして、なにより、女主である、濃御前に惚れ込み、彼女を支える為で
あるように、思えた。
俺は、正室と側室は、寵を競い合う存在で・・
側室がいることは、正室の不幸である・・そんな価値観を持っていた。
だが、今日のこの光景を見た俺は、関係さえ間違わなければ、
側室こそ、正室の心の支えとなる、腹心の部下となるものだと・・
考えを改めずにはいられなかった。
それが、正室と側室、そのどちらにも、並外れた才覚と覚悟が
なければ成り立たないものであるとしても・・。
そうして、帰宅した俺の元に、信長から、婚約の知らせが届いたのは、
あの日から、5日後のことだった。
「明智家との婚儀を進める。心積もりをしておくように」との内示だった。
だが、そこに、玉子の名はなかった。
ただ「明智家の娘」とのみの表現にとどめられていたのだ。
俺の年齢を考えると、この先何があるか分らぬ状況で、個人名を挙げる
ことは、あえて憚られたのかもしれない。
俺は、不安を抱えながらも、きっと、『玉』なのだ・・
そうに、違いないと、そうでなかったときを憂う自分を励ました。
そんな、不安を拭うかのように、俺は、日々、自分を律するかのように、
武芸、芸事に一層励んだ。
彼女を迎えるその日までに・・・
彼女に恥じない立派な男になりたかった。
濃御前にいわれた言葉・・
結婚は、表向きの契約なのだ・・。
誠の心をもっていどみ、誠の心をもって、受け入れられる為に、
俺は、彼女に相応しい男になりたかった。
父に負けぬ教養を身につけ、
彼女を決して危険に晒す事のない強い男でありたい・・。
そして、今回の偶然で思い知った事があった。
俺は、計らずも・・・
最短ルートで、この婚儀の権利を手に入れたのではないか・・・と。
原田御前と西条の局に泣きつき、
濃御前と、側室達が動いてくれた。
それは、計らずも、俺に、権力者に取り入る事が、
己の想いを遂げる最短の道であることを思い知らせたのだ。
そうして、それから、二年が経ったころ、
日々精進を重ねてきた俺の身体は、徐々に逞しく、成長を遂げていった。
いまでは、あれほどに、羨ましいと感じた、あの頃の信正に負けないくらい
に筋力を蓄え始めていた。
そして、俺は、感じ始めていた、二年前とは違う、家中の女たちから、
自分に向けられる熱を帯びた視線を。
そんな俺に、屈託のない笑顔を向ける、松千代は、
『たく・・、仕方ねえとは言え、気にいらねえよな!!
最近、家中の女がお前に向ける目線・・。こりゃ認めない訳にいかねえな。
羨ましいってよ』
そう言って、二年前と同じ、豪気な笑顔を向ける松千代に俺は、苦笑した。
「まあな!・・だが、僻むな、松千代。
どれだけ、他の女に、好かれようが、今の俺には、関係のないことだからな・・
きっと、俺は、狂ってしまってる・・ただ一人の女にな」
そう言って、俺は、自嘲気味に微笑んだ。
「玉姫さんか・・・」
そう言って、松千代は、苦笑した。
「ああ・・・」
俺は、静かに微笑んだ。
あれから二年、未だ、婚姻相手の名は、挙がらず、ただ、「明智家の姫」
それのみであったのだ。
信長は、まだ覚えていてくれるのだろうか、二年前の土方御前の口から
でた「玉」という、女の名前を・・。
そして、俺は、玉を思った。
俺が、二年で、これ程に、姿形が代わったのだ・・
きっと、彼女もまた・・美しく成長しているのだろう・・。
会いたかった。
会って、想いを告げたかった。
でも、そんなことは許されなかった。
未だ、自分のものとも、人のものとも分らぬ彼女もまた、
信長の命を受けて、追って沙汰される、結婚相手との婚儀を待つ身・・。
俺も玉も、既に、自分の想いを、自らの権利で遂げられる立場では
なくなっていたのだ。
そしてその年、
そんな風に、自分を律しながら、かろうじて、常識人として生きている俺を、
『つっこみどころ満載の狂気を持つ人間』に変えてしまう事件が起きたのだ。
それは、光秀の家臣、光忠が、明智の娘と、恋に落ち、
その腹に、子供を宿し、その既成事実をもって、
信長が決めた婚姻を破棄したとの情報だった。
俺は、その情報に・・絶望と屈辱の中・・・
拳を握り締めた・・。
あの、忘れもしない、最後に俺の元を訪れた、光忠と玉の
仲睦まじい様子・・
確信に近い・・どす黒い嫉妬の情が身体中を支配した。
きっと、この情報は間違いないのだ・・。
明智光忠の相手は、玉であるのだ・・・と。
その時、俺は、腹の奥底からの嫌悪感を感じ、厠へ駆け込んだ。
そして、現実を受け入れられない、喪失感と、虚脱感から、
吐きまくった。
身体が、受け入れようとしなかったのだ・・・
彼女を永遠に失った人生を・・。
そうして、3日ほど、食事をとる気になれないも、勧められて
無理に口に入れては、吐くを繰り返した俺は、完全に憔悴していた。
(玉・・・俺が、お前に何をしたと言うのだ・・・・
ただ・・お前が愛しかった・・。ただ・・お前と共に歩みたかった・・)
それだけだというのに・・・
お前は、俺に、これ程の苦痛を与えるのか・・・
俺は、情けなさに、頭を抱えた・・・
この数日、寝ては魘され続けていた。
光忠と玉の嫉妬を掻き立てられる夢に・・俺の心は、更に傷つけられていた。
恋ごときで・・これほど、自分が壊れてしまうとは・・。
その時、俺の心は、限界を迎えつつあった。
三日以上、まともに眠れず、まともに、食べれず、食べたら吐く・・・
そんな毎日・・。
いまだ訪れぬ確かな情報・・・。
夢と現実すら混濁する・・以前とは明らかに違う世界・・・。
完全に色あせて見える景色・・
自分すら・・以前と同じものとは、思えない怖さ・・。
そんな俺に、擦り寄る、一つの温かい塊があった。
『阿久利』・・・・
あの日、一つ馬に中睦まじく乗ってやってきた玉と光忠が残していった猫。
あいつは、玉を連れて帰り・・・
俺には、この阿久利だけが残された。
そして、あいつは、この二年間、俺が、これ程に玉を想っているのに・・
玉をあの腕に抱き、子まで、孕ませた・・・。
俺の指先と・・・背中は、完全に、温かさを失い・・
ただ冷たい感覚のみだった。
俺は、その手で、阿久利を触った。
その時の俺には、今まで、温かく感じていた、阿久利の体温すら、
感じられなかった。
心も・・身体も・・完全に冷え切っていたのだ。
俺は、狂気の中、自分を嘲笑した。
(愛など・・求めようとした・・自分が愚かであったのだ・・)と・・・。
そして、俺は、立ち上がり、阿久利を見て、目を細めた。
その時の俺に、今までと同じ感情はなかった。
俺は、あの日、玉と光忠に抱かれていた阿久利を想い、
自らの鞘から、刀を抜いた。
そして、俺は、自らの、苦しみを断ち切るかのように、
一刀の元、小さな、阿久利の身体を切り裂いた。
そして、座り込んだ・・・
そこには、小さな骸が一つ・・・転がっていた。
『阿久利・・・』
あの日から、二年、生活を供にしてきた阿久利・・・
俺がこの手で殺めた命・・・。
俺は、阿久利の血のついた身体を撫でた。
だが・・・
俺の心は、既に、狂気に満ちていた。
(玉・・・俺のものにならないくらいなら・・・
お前も・・阿久利と共に死ねばいい・・・・
俺と供に生きるからこそ・・お前は、美しいのだ・・・)
俺は、阿久利の血のついた両手を見て・・・
泣きながら・・微笑んだ・・・。
それから、10日後、信長から、婚姻についての正式通達が届いた。
『光秀の娘、玉子との婚約を命じる・・。婚儀は3年先とする・・・』と・・。
俺は、静かに、その文書を確認し、取り乱す事無く、家臣に命じた。
『3年ある・・。阿久利と瓜二つの猫を探せ・・・』と・・・。
そして、その一年後、俺は、元服した。
その頃には、俺の身体は、大人のものになっていた。
そして、補佐官たちに、支えられながらも、初陣を遂げた俺は、
迷う事無く、戦国の道を進み始めた。
『戦地では、慈悲と迷いは不要と心得よ。一瞬の迷いが、命を失わせるのです。
常に全力で、前に進まれませ。』
そう、教えてくれたあの日の原田御前の言葉を胸に。
そして、昨年、俺の、親友だった松千代は、
初陣から、数回目の戦で命を落としていた。
そして、翌年1577年。
俺の敬愛していた原田直政が、討ち死にを遂げた。
信長からの信を得たが故に受けたともいえる、仲間からの嫉妬。
それにより、戦場で心理的に孤立し、追い詰められたような
そんな、やりきれない討ち死にであった。
それにより、俺の恩人でもある、筆頭側妾 原田御前と、織田信正は、
一族郎党と共に、罪に問われ、追放となった。
俺は、この戦国の世に生きる空しさ・・・
それでも、強くなければ、正しいとも認められない・・この世を憎んだ。
そして、この頃の俺は、この戦国での生き残りをかけ・・・
慈悲を捨て、迷う事を完全に止めた。
自分と一族を守る為、徹底的に任務遂行に力を尽くしたのだ。
たとえ、残虐と言われようとも・・。
それは、この時代に生きる武将にとっては絶対条件でもあるはずだった。
だが、そんななかでも、俺の行いは、行き過ぎているのだろうか・・。
降伏してくる敵兵に対しても、容赦しなかった俺を、共に、
戦地で布陣していた上官とも言える光秀は窘めた。
『忠興・・、降伏してくる兵をむやみに殺してはならぬ・・・』と・・・。
そして、その頃の俺は、容赦なかった。
戦勝の謙譲として、運びこまれてくる女たちを、家臣達と共に
抱きまくっていた。
戦場の狂気に身を任せる俺・・・
それすらも生き残りの道のような気がしていた。
そして、そんな俺を光秀は、眉を潜めて、蔑むように見つめていた。
そして、1579年、信長に反旗を翻した、荒木村重の乱が、一様の決着
がつく中、俺は、光秀の娘、玉子を正室として、迎え入れた。
俺が、16歳 玉子17歳の事であった。
そして、その時、俺より、一つ年上でありながら、澄みきった瞳を向ける
玉子に対して、俺の心は、すでに、あまりに汚れきっていた・・。
それでも、俺達の婚姻は盛大に執り行われた。
信長と、濃の方が、仲人を引き受け、
多くの大名・家臣達が参列し、祝いを述べ・・
共に並ぶ俺達を『戦国の覇王』織田信長が、『人形のように可愛い夫婦である』
と評し、皆に祝われた祝言であった。
そして、明智・織田・細川の結びつきを確認した政略結婚でもあった。
そして、俺は、その夜、玉子の元を訪れた。
玉子は、薄紫の瞳で、俺を見つめた。
その瞳は・・あまりに澄んでいて・・・
俺は、自分の穢れを見透かされるような気がして、目を背けた。
『忠興様・・・?』
彼女は、訝しげに・・俺の名を呼んだ。
彼女の美しい唇から・・俺の名前が聞こえた。
その時、俺は、ここにいるのは・・・俺の妻なのだ・・・
そんな征服欲に支配された。
ずっと・・求めていた女・・。
ここまでに、俺を狂わせてきた女が・・今 俺の妻となり俺に眼を向け、
俺の名を口にした・・。
そして、その女は、俺が求めていた以上に・・
美しく成長を遂げていた。
細身の身体 白く滑らかな肌 果実のような唇
そして、求めて止まなかった、青空と宵闇を混ぜ合わせたような
不思議な色彩の薄紫色の瞳・・・。
夜着から覗く、滑らかな首筋・・感じ取れる胸の膨らみ・・
はじめてみた時に、天女かと見紛うほど・・
美しかった彼女の完璧なる美貌・・・
そんな、我妻となった玉を目にして・・・
嫌と思うほどの、情欲を掻き立てられながら・・・
俺は、何故か素直に喜べなかった。
(お前は・・美しすぎるのだ・・・・
その美しき姿で・・・今まで・・どこで、誰に微笑みかけてきたのだ・・・)
男なら・・お前が欲しいと思わぬ奴など・・いないに違いないのに・・。
俺が玉を恋しいと・・・
そう思ったあの日から、実に五年の嫉妬に狂った歳月が流れていた。
恋しかった・・今も、いや、あの時よりずっと・・・
だが同時に、俺の胸の中に、憎しみに似た感情も存在していた。
どうして、俺だけをみてくれなかったのか・・・
どうして、こんなにも、俺を苦しめたのか・・・
どうして、俺は、こんなにも汚れてしまったのか。
そして、彼女の純粋な瞳が、俺を今、怯えさせていた。
こんな自分をこの女は、今度こそ愛してくれるのか・・・。
もし・・そうでなかったら・・・。
俺は、そんな恐れにも似た気持ちに襲われ
彼女に一言も喋る隙さえも与えず、彼女の唇に自分の唇を重ねた・・。
彼女は、そんな俺の行動に驚き・・
薄紫の瞳を見開き・・俺を押し返そうとした・・。
俺は、そんな玉にカッとなり・・
玉の手首を、畳に押し付け覆いかぶさり・・
強引な口付けを続けた。
その時、俺は、彼女の瞳に明らかに怯えの色をみた・・。
玉が俺との縁組に心から納得してここにきたのかは、分らない。
信長から、命じられたから、ここにきたのだ。
それだけは、はっきりしていた。
彼女の姉がそうだったように・・
たとえ、この年になるまでの玉に・・
想い人がいたとしても・・・。
そう考えた時、俺の胸にまた痛みが走った。
そうだとしても・・・
この女は、もはや俺のものだ・・
他に想い人がいようが・・
俺のことを好きでなかろうが・・・
泣いていようが・・
怯えていようが・・
玉は、俺だけのものだ・・・
俺は、明らかに戸惑いと、怯えをみせる
玉の首筋に、唇をはわせ・・・
その夜、長年の情愛を彼女に見せ付けるかのように、
彼女をむさぼりつくした。
本当に、怖かったのだ。
彼女の碧き瞳に俺の汚さを見透かされる事が・・。
そして、それを責められ・・・
また躊躇い・・
それによって、また彼女が俺のものではなくなってしまうことが・・
もう・・待ちたくはなかった。
失くしたくはなかった。
たとえ、彼女から憎まれる事になっても・・
俺は、彼女の夫でありたかった。
そして、俺は、その夜、彼女が、初めて夜を共にしたのが・・
この俺であることを知った。
彼女の純潔・・・
それは、とても喜ばしく・・そして、罪悪感を感じるものであった。
(俺は・・・どうして・・阿久利を斬ってしまったのだろう・・・
どうして・・俺は、こんなに、汚れてしまっているのだろう・・・
この先、彼女から・・愛をもらう資格などあるのだろうか・・・・)
玉は、その日、一言も俺と口をきかなかった。
こんな自信のなさが・・俺を、横暴な夫として歩ませる事になることなど・・
六年前の自分は想像さえしていなかったはずなのに・・・。
そして、次の日の朝・・・
俺は、庭先で・・阿久利そっくりの猫を抱き・・・
涙を流す彼女を見た。
俺の姿を、みた彼女は・・・
『阿久利では・・・ありませんね。
何故に・・このような、手の込んだことをなさる必要があるのです・・?』
そう、厳しい瞳で、俺を見上げた。
「・・・・・・。・・・・お前が悪いのだ・・・。
お前が・・俺のことを見ようとしないから・・・・・・・・・・・」
俺は、彼女に、そう応えた。
『何を・・言われているのですか・・・?
阿久利は、どうなったのですか・・・・?』
彼女は、瞬間不安な瞳を浮かべ・・・
恐ろしいものを見るかのように俺の返事を待った。
「・・・・・・・。死んだ。・・・俺が殺した・・・。
遺骸は・・あそこだ・・・・」
そう言って、俺は、玉に阿久利の墓を指差した・・
玉は、絶句していた・・。
「これが、お前の夫だ・・・失望したか?
でも・・玉・・お前は既に我が妻だ・・・・
決して、誰にも渡さぬ・・・そのつもりでいろ・・・」
俺は、自分を嘲笑するように、玉にそう告げ
彼女から踵を返した。
それは、俺が幼き頃想像していた夫婦像とはかけ離れた
皮肉な夫婦のはじまりであった。
【躊躇い 玉 SIDE】
「・・・・・・・。死んだ。・・・俺が殺した・・・。
遺骸は・・あそこだ・・・・」
「これが、お前の夫だ・・・失望したか?
でも・・玉・・お前は既に我が妻だ・・・・
決して、誰にも渡さぬ・・・そのつもりでいろ・・・」
そんな信じられない言葉を夫となった、忠興から聞いた私は、
背中が凍りつく思いだった。
面識は多くなかった。
だが・・・このような人であっただろうか・・・。
私は、初対面の忠興を思い返した。
まだ、子猫であった阿久利の体調不良を心配した私に、
父 光秀が、岐阜で医者にみてもらえる手配をしてくれ、訪れた岐阜城。
そこで、初めてあった忠興は、日差しを浴びて・・
気持ち良さそうに、阿久利を抱き、まどろんでいた。
あまりに、穏やかな寝顔に、声をかけるのさえ躊躇われたあの日、
私は、初めて、同族以外の異性の寝顔を美しいと・・そう思った。
そして、突然告げられた、『阿久利を貰い受けたい』との細川家からの要望。
私には、何故、彼がそのような無茶を言うのかわからなくて、幼い心を戸惑わせた。
そんな私に、父光秀は教えてくれた。
『玉・・細川家は、将軍家上洛以来の、表社会での我が家の盟友でもある。
そして、忠興殿のお父上、細川藤孝殿は、武将としては、頼もしい限りだが、
とても常識的なお方だ。』
「そうなのですか?」
小さな私がそう問うと、光秀は、優しい笑顔で頷いた。
『ああ・・。藤孝殿は、当代一の文化人とも評される多才なお方でもあり、
和歌・能楽・茶の湯の道など、あらゆる分野に深い造詣をお持ちなのだ。
そして、藤孝殿は、嫡男の忠興にも、心血込めて、その真髄を伝えていると
聞いた。 そのような忠興の元でなら、阿久利も幸せになれるだろう。』
光秀は、そう言って、私の頭を撫でた。
それは、阿久利を譲る際の、まだ六年前の小さな私に対して言った言葉だが、
時を越えて、自分が、忠興の妻になると決まったとき、
私は、不思議と、その言葉が、私自身にかけられたもののような・・・
そんな気持ちになっていた。
だから・・『細川忠興の妻となれ・・』
父と言うよりは、戦国の覇王 織田信長から、そう命じられたとき、
不思議と絶望感はなかった。
むしろ・・運命のようなものを感じていたのだ。
そうして17歳になって、嫁いだ私は、どこかで、まだ幼かった
あの人の面影を、追いかけていた。
そうして出会った彼は・・・
もはや少年期の面影などないほどの、逞しい武将に成長していた。
坂本城の侍女達に、嫁ぎ先が決まったとき、羨ましがられた理由が判った。
私よりずっと長身で、均衡のとれた筋肉を蓄えた、しなやかな体つき。
見据えられたら、目が離せないような・・・意思のある青紫の瞳と髪色。
凛々しい端正な顔つきの中に、僅かに感じられる甘さ・・・・。
それが、彼の美貌を他の美丈夫達とは、別の次元に引き上げていた。
私は、その美しさに驚愕し・・
微笑みかけるつもりだった表情が固まったのだ。
そして、彼も私をみて固まっていた。
私は、会話のきっかけをつかもうと思案していた。
もう、少年ではなくなっていた彼に、夫となったこの美しい人にかける言葉が
思い浮かばなかったのだ。
だが・・その時、彼は、痛みを伴った、表情を浮かべ私から一瞬目を背けた。
私は、意味が分らず・・彼の名を呼んだ・・
『忠興様・・・・』と・・・。
私の声に、彼は一瞬固まったように・・思えた・・・
彼の私をみる瞳に・・私は違和感を感じた。
何故に、そのような哀しい目で私を見るのだろう。
そう思わせるほど・・・何かに耐えるような・・・
そんな痛みを伴った、彼の青紫の瞳に・・私はためらいを覚えた。
そして、彼は一瞬、苦痛に耐えるような表情を私に見せた後・・
私に唇を重ねた・・・
咄嗟のことに、私は、驚き、反射的に彼を押しのけてしまった。
そして、私は、その一瞬、彼の瞳に、苦しみと・・・
怒りに似た激しい何かを感じた・・・。
そして、それから、私が、経験した夜は・・・
これから、共に歩むべき夫婦が、契りを結ぶというには・・・
あまりにも・・乱暴な夜だった。
抱かれたというよりは・・征服された・・・。
そんな、屈辱的な初夜だった。
それでも、いやそれだからこそ感じた・・・
彼の私への異常な執着・・・。
何度も、俺のものだ・・・
渡さない・・・
そう自分に言い聞かせるような・・狂気に近い言葉・・・
そして、眉を潜めて思い出す・・・
今朝、自分の身体を改めてみつめて驚愕した・・・
身体のいたるところに付けられた・・彼の唇の後・・・。
私には・・意味がわからなかった。
(お前のせいだ・・・・)
彼は、そういって、苦しそうにしていた・・・
そして、阿久利は恐らく、彼に殺されたのだ・・・。
私の様子を心配した、同胞の小春が、声をかける。
「玉様・・・これは、いったい・・・・」
全てを悟ったように、眉を潜め涙ぐむ・・。
そして、そんな私たちをみていた、一人の年配の侍女が私たちに声をかけた。
「玉姫様・・・・」
と哀れみの瞳で、近づく女は、美津濃と名乗った。
長く、忠興付きとして、働いてきた者だった。
彼女は、全ての状況を察したかのように・・
私の首筋の陵辱の跡を認め、眉を潜めた。
そして、彼女は隠れるように、私達を空いた部屋に案内し、
事の次第を話し始めた。
「玉姫様、事の次第は、この美津濃 大方の予想はついております。
どうか・・どうか若様をお許し下さいませ・・・」
そう言って、美津濃は、畳に頭を擦りつけ私に懇願した・・。
『美津濃・・と申されましたか・・・
何ゆえそなたが謝られる・・。ただ・・私には、訳の分からぬことばかりで
ひたすら戸惑っておりまする。
話していただけるなら、有り難い。』
そう言って、私は、美津濃の瞳を覗き込んだ。
きっと、彼女の様子から、本来は、口止めされていることは容易に想像がついた。
もしかしたら、この事で、彼女に何らかの咎めがあるのかもしれない。
私は、その事は、後で配慮するとしても、今は、自分のおかれている状況が
知りたかった。
美津濃は、覚悟を決めたように頷いた。
「私ごときが、差し出がましくも、このようなお話をお耳にいれる立場で
ない事は重々承知致しております。
でも・・・このままでは、若様も、玉姫様もお労しくて・・・」
そう言って、涙ぐむ美津濃。
心から、忠興を思う忠義のものなのだろう。
それは、本当の忠興が、この者に、忠節を尽くして貰えるだけの本来は
良き主であることを示していた。
そして、美津濃は語った。
六年前のあの日、忠興は、阿久利ではなく、私に幼い恋をして帰ってきたこと。
そして、父である藤孝に私を嫁にしたいと直談判したこと。
その時の明智家に婚姻を願うものが殺到していて、
それは容易に叶うものではなかったこと。
その為、僅かな希望を託して、信長に私との婚姻を願う上奏文をだした事。
私を阿久利と勘違いしたままに・・。
そして、彼は、その返事を首を長くして待ち構えていた事。
そんな時、私と、光忠が、阿久利を連れて訪れた事。
その時の忠興は、何故猫が来るのか分らず、去り際の光忠の言葉で
初めて、猫が阿久利 で 私が玉であることに気付いたこと。
そして、その時の、私と光忠の様子に、並々ならぬ嫉妬の念を
燃やした忠興は、侘びに行った岐阜城で、偶然にも、信長の
側室方の目にとまり、私との縁組の口ぞえを得たこと。
それから、私との結婚を信じた忠興は、美津濃がみていても
健気なほど、私に相応しい男になろうと、自分を律し文武両道に
己を磨いていたという。
そして、彼の人間性すら変える徹底的な出来事が・・
光忠と鞍手の、想定外の結婚だったこと。
その時私は、初めて知った。
彼の私への思いも・・・
私との婚約が相手の名を告げられない不確かなもので・・
光忠と鞍手の結婚が・・・
細川家にどのように伝わり・・・・
忠興にどのような不安をもたらしたのか・・・
「なんと・・・・」
小春は・・絶句した・・・・
私は・・その言葉さえもでないほどの衝撃を受けた。
そして、美津濃は続きを語った。
その知らせに忠興は、心身を壊すほどの衝撃を受け・・・
眠れず・・吐き続けた・・と・・。
それを聞いたとき、私は、背中にゾッとする冷たいものを感じた。
私は、即座に悟った・・
阿久利は・・その時の心身喪失状態の時に、命を絶たれたのだと・・・。
そして、その後、忠興の元には、三年後に私と婚姻するよう
正式な命が下り、それをもって、光忠の相手が、私でなく鞍手であることを
知ったと言う。
でも、その頃の忠興は、既に猜疑心から抜け出せなくなっていて、
異常な嫉妬心から解き放たれる事はなかったと言う。
そして、その頃、彼は、元服し、戦場に赴くようになり、
数々の危険の中で戦い、仲間をなくし、親友を亡くす中で、
一層の狂気の色を深めていったと言う。
そして、美津濃は言うのだ・・・
「そのようなご自身に・・一番苦しんでおられるのは、忠興様ご自身なのです。
せっかくこのように、めでたい形で、玉姫様を御正室としてお迎えする事が
叶いましたのに・・。若様は、既に、玉姫様に、真っ直ぐ顔向けできないほど、
ご自身の狂気を持て余していらっしゃるのでございます。」
そう言って、美津濃は、泣いた。
「もっと、早く、お迎えできていたら、このようなことにはなりませんでしたの
に・・」と悔しい気持ちを隠そうともせず・・・。
『私の・・せいなのでしょうか・・・』
私は唖然とした・・。
無知な事に、罪があるとしたら・・・それは、正に我が身のことなのだ・・・。
私は、忠興に、狂おしいほどに・・愛され・・・
そして、憎まれている・・・?
その結果が・・昨日の夜であり・・・
先ほどの、彼の言葉・・・
私は、全身から血の気が引くような・・
そんな恐怖心に襲われた。
そして、元をただせば・・・
あの日、私が、美しいと・・・初めてそう思った、幼き日の忠興が・・
純粋な思いをもって、私を求めてくれた、
そんな純愛から始まった悲劇なのだ・・。
私は、話してくれた美津濃に感謝を伝え・・
自室に戻った。
完全に、頭が混乱していた。
私は、時読みとしての使命以外に・・・
なんと重い罪を背負っているのだろう・・・。
私は、我が身がこの先、何をどうしていけばいいのか
分らなくなり、涙が溢れてきた。
そして、立っていられない私は、突っ伏して泣くうちに・・
力尽きて、いつの間にか眠りについていたのだろう・・・
室内には、西日が差し込んでいた。
そして、西日を背景に、そこに忠興が仁王立ちしていた。
「酷い顔だな・・・。そんなに我が妻になったことが悔しいか・・」
忠興は、そう言って自嘲するように皮肉に微笑みながらも・・
私の前に、膝をつき、涙で張り付いた私の髪を剥がして、
指先で整えた・・。
そして、彼は、私の肩を、そっと抱いた・・・
そして、私の耳元に顔を埋めるようにしてそっと呟いた
「すまなかった・・・・」と・・・。
そして、彼は、ゆっくり、優しく・・・私に口付けた・・
私は、迷いながらも・・それを受け入れた。
そんな私に、忠興は、驚いた顔をしていた。
それは、拒まれる事を覚悟していた彼の痛みを思い知らせた。
長い口付けの後・・・
「俺は・・・狂っているようだ・・・お前にな・・・
きっと、これから先も・・
自分を律する事ができずお前に迷惑をかけるだろう・・。
だが・・玉・・すまないが・・俺は、この先、お前を手放す気も・・・
自由にしてやるつもりもない・・・。」
『忠興さま・・』
私は、目を見開いた・・・
「でも・・玉・・・
これだけは、胸を張って言える。
お前が・・・好きだ・・・。」
そう言って、忠興は、私を抱く腕に力を込めた。
不思議と昨日のような怖さは感じなかった。
そして、忠興は、小さな声で囁いた。
「だから・・・逃げないでくれ・・・」と縋るように・・。
『逃げたりなど・・致しません。 私は、忠興様の妻ですから・・』
私は、彼の耳元にそう囁いた。
瞬間彼の肩がピクッと震えた・・。
そして、忠興の私を抱く腕が・・
僅かに震えていることに私は気付いた。
そして、首元に感じる彼の目元に熱いものを感じた。
泣いているのだ・・・
私はそう悟った。
そして、私は、自らの意志で、彼の背中に手を回した。
一瞬忠興は戸惑ったように、身体を仰け反らせた。
『一つだけお願いがございます。』
私は、忠興に告げた。
「なんだ?・・・」
忠興は、怯えるように応えた。
顔を見られたくないのだろう・・・。
こちらを向かないままで・・。
『陵辱は許しません。好きだと仰るなら・・愛を持って接してください。』
私は、そう真顔で忠興に告げた・・
忠興は・・・一瞬固まっていた・・・・
そして、フッと肩で息をついた忠興は、私の顔を覗き込んだ。
「承知した。玉子殿。・・・だが、この状況で何を言っているか・・・
分っているのか・・・?」
そう言って、忠興は、愉快そうに微笑んだ。
その顔は、恐ろしいほどに・・美しかった。
『は!?・・・。え・・そういう意味では・・・』
そう言って焦ったときには、既に遅かった。
「もう遅い・・。俺は、そういう意味にとった・・」
そう言って、私の唇に再び口をつけた彼は、私を壊れ物を扱うように
大切に、畳に横たえた。
そして、私の首筋に唇を這わせた彼は、昨日の陵辱の後に、眉を潜め・・
慰めるかのように・・唇を這わせた。
(自分のつけた跡なのに・・・)
思わず、そうつっこみを入れたくなる程の豹変振りに私は驚いた。
その日、昨日の過ちを正し、初夜をやり直すかのように、迎えた二度目の契り・・。
彼の逞しい胸に抱かれ・・・
そして、頭を撫でられながら・・・
私は、考えた。
どちらが・・・本当の忠興なのだろう・・・と。
そんな思案顔の私をみて、忠興は、再び私に口付けて、微笑んだ。
ギュッと私を抱きしめた忠興は
「やっと・・・捕まえた。 もう離さないよ・・玉」
そう言って私の背中を撫でた・・・。
その扱いがまるで、猫であるかのように思え・・・
そして、阿久利の末路を知っているわたしは・・・一瞬震えた。
忠興は恐ろしく勘がするどいのだろう・・
そんな私の一瞬の怯えを見透かしたように微笑んだ。
「大丈夫だ・・・殺したりはしない・・・。
むしろ・・ずっとお前を守り続ける。
だが・・玉・・こんな時代だ。
もし、俺の身に何かあり、お前を守れなくなった時には、
お前は 貞操を守れなくなるだろう・・・。
その時には、自害しろ・・」
彼は、真顔でそう言った・・・・
『は!?・・・今なんとおっしゃいましたか・・?』
私は、あまりの事に聞き返した。
「他の男に抱かれるくらいなら・・自害せよ・・そう言った。」
忠興は、その美しい表情で事も無げにそう言ったのだ。
『・・・・・・』
私は呆れて絶句した。
私の命より・・貞操が大事なのだ・・・。
いや・・・
彼にとっては、嫉妬心は命より恐ろしいと言うのか・・・。
やはり・・この人の言うように・・・この人は狂っているのかもしれない・・。
それが、『戦国一の美貌の文化人』とも言われる裏で、
『戦国一短気な男』との異名をとる・・我が夫、細川忠興との幽閉生活
にも似た結婚生活の始まりだった。
忠興は、嫉妬に狂っていないときは、良き夫であった。
側室を迎えようともせず、私を尊重した。
・・・と言えば聞こえは良いのかもしれないが、困ってしまうぐらい
私に強い執着を持つ彼は、側室さえも、邪魔だったのかも知れない。
忠興の多すぎる、夜の訪れで、私は、結婚した年、その翌年、と
二度に渡って出産をした。
そして、1581年、信長が京で大掛かりな馬揃えを行った。
それは、我が父でもある明智光秀が奉行を務めた行事でもあり、
夫 忠興、 父光秀らも参加する、武装行列だった。
そして、珍しく、忠興が、私の同行を許したのだ。
私は、京までの道のりを忠興と共にし、初めて京の都の地を踏んだ。
それは、私にとっては、本当に久しぶりの外の世界だった。
私は、市女傘に衣を被り、顔を隠してはいたものの・・
こんな風に、忠興と共に歩く機会に恵まれ、京の美しさに目を細めた。
そして、当日、忠興の用意した観覧席で、行列をみようと計画していたが、
朝になり、実家である明智家からの文が届いていた。
『今日は、父が奉行を務める馬揃えゆえ、親族が沢山集まっている。
玉殿も、明智の観覧席で共に見物しようではないか』と。
私は、迷った。
明智の観覧席で皆で楽しみたい気持ちはやまやまであったが、
忠興は神経質なところがあり、私を人前に出すことを極端に嫌った。
でも・・私は、久しぶりに皆に会いたいという誘惑に勝てず、
市女傘を深く被り、明智の観覧席に向かった。
そこには、馬揃えに参加する 光秀 疾風 光忠他、数名の同胞達は
いなかったが、懐かしい顔ぶれがそろっていた。
亜子 倫子 鞍手 篤子 そして、山伏に姿を替えた利三 そして
天海 天翔 重門 そして少しお姉さんになった福に笑顔が毀れた。
そして、私と同じく、市女傘を深く被った秋乃と近江・・。
元親と、四人の息子達も、傘を深く被ってそこに座っていた。
その姿は、数年前に見たときよりも、大人っぽく姿を替えており、
私は、頼もしさに微笑んだ。
亜子と娘たちを前面にだして、自分達は家中の者であるかのように、
奥に座って、控える、時読み幹部達であった。
私は、そっと、利三と元親の影に座ろうとした・・
「ん!? 玉・・お前なんでそんなとこ座ろうとしてんだよ!?
前面にいけよ・・お前らは俺らの隠れ蓑なんだからよ・・・」
利三は、事も無げにそう言った。
『いえ・・少し 仔細がありまして・・・
目立ちたくないのです。 どうかご容赦を・・・』
そう言って、私は、利三の許しを乞うた。
「ま・・いいけどよ・・」
そう言って、利三は、重門と元親の子供達の間を空けてくれるよう、
指示をだした。
私は、好意に甘え、そこに静かに座した。
そして、その場所について後から後悔することになるのだった。
沢山の行列の中、最初に現われた身内の列は、明智衆だった。
光秀初め、今は、倫子の夫となっている疾風、鞍手の夫となっている兄 光忠
その他、同胞たちが、多く混ざる、明智の隊はそれは、美々しいものだった。
光秀達は、我が家の観覧席に気付いたのだろう・・・
暫し、足をとめ微笑んだ。
「まあ皆さん、とても美々しいではありませんか」
そう言って、感嘆する亜子。
「本当に・・・」
そう言って、うっとりしながら、夫と瞳を交わす 鞍手・・。
兄光忠は、観覧席に私を見つけて微笑んだ。
「玉・・そこにいたか? 元気にしているか?」
と、私の身を案じてくれる兄。
「はい・・何とか元気でやっております。」
そう言って私は微笑んだ。
「疾風様・・何と凛々しいお姿でございましょう。
我が・・母が・・このような立派なお姿になられるとは・・・」
倫子がそう漏らす声に・・
「倫子てめえ、やめろ!! 人が聞いてたらどうするんだよ」
そう言って、狼狽する疾風・・・
そんなやり取りを、目を細めて見守る 父 光秀。
光秀も眼があった私に、優しく微笑みかけてくれた。
まるで、大丈夫か・・?と問うように。
私は、父の瞳を受け止め、大丈夫です・・と言うように、瞳を下げた。
少し心配そうに、それでも、少し安堵したかのように頷いた光秀は、
皆に目配せして、行進を続けて行った。
その後、織田の身内衆が、順番に進軍してきた。
一番手の、織田信忠は、穏やかな容貌で、行進を進めていく。
ふと・・我らに目を留めた彼は、一瞬首を傾げ・・物思いに耽るように・・
軍を進める。
時読み幹部達はシンミリしていた・・・
「どうかされたのですか??」
私は、問いかけた。
『・・・・織田の跡継ぎって言ったって・・・愛乃の子なんだよな・・・』
そう言って、利三は困ったように微笑んだ。
『そうだね・・。僕の甥っ子さ・・』
天海の言葉に・・・
周囲が一斉に振り返る・・。
(そう言われたら・・・確かにそうなのだ・・・)
そして、天海の後ろでは、市女傘を深く被った秋乃も苦笑していた。
秋乃にとっても、甥なのだ・・。
しかも・・愛乃と秋乃は、血を分けた双子。
血筋的には、息子達と同等の血の濃さなのだ。
そして、それは、信忠だけではない・・・
二番隊でやってこようとしている、次男 信雄もまた天海と秋乃の甥である。
しかし、今回は、私は、異様なものを感じた。
信雄は・・・明らかに我らの席を意識し、静かに、見回した。
そして、その中に、天海を見つけると、その飄々とした唇を挙げて
目立たぬように、軽く手をあげた。
天海も、信雄を見て微笑んだ。そして、その飄々とした唇を挙げたとき・・
私は・・二人の容姿がとてもよく似ている事に気付いた。
それに気付いた利三は、信雄が去った後、天海に眉を潜めて問いかけた。
『なんだよ・・お前ら・・接触したのか?』
聞いてねえよ・・・とでもいいたげな不機嫌な様子の利三に、
天海は、飄々とした顔で・・
『まあね・・・』
とだけ応えた。
そして、三番隊の信長の弟、織田信包が進軍した後、
四番隊の織田信孝が登場した
少し神経質で、気位の高そうな信孝をみて・・天海と利三はコソコソと
話をしていた。
『信忠と信雄が駄目ってなったら・・こいつか・・・』不満そうな利三。
『いまいちなんだよね・・・』と・・・天海。
私は、訝しげに首を傾げた。
そして、五番隊の織田信澄の番を控えた、篤子は、キョロキョロと
周囲の様子を伺い始めた。
そんなにキョロキョロしなくとも、隊の主役なんだから、
前を通れば分るだろうに・・
私は、相変わらず、不器用で、可愛い篤子に苦笑する。
その篤子の腕には、1歳程の赤子が抱かれている。
その赤子と目が合い、微笑んだ私は、細川家においてきている我が子を思った。
細川家は、文武両道に子供を鍛え上げる事に重きをおく家柄のせいか、
私は、もっぱら、産む事に専念させられていた・・
家臣達に育てられている我が子と
篤子の胸に抱かれている、篤子と信澄の子との待遇の差に私は、
寂しい笑みが毀れた。
そして、五番隊として、篤子の夫、織田信澄が登場した。
家中の女たちは、初めて間近でみる、信澄に息を呑んだ。
残虐非道と噂の多い信澄は、凛々しくも・・穏やかな表情を浮かべ
明智の観覧席に眼を向けると、そこに、篤子の顔を見つけ、柔らかく微笑んだ。
そして、歩みを止めた信澄は、家中に軽く会釈した後、
『篤子・・やはり・・ここであったか・・』
と微笑んだ。
「はい。信澄様・・とてもお似合いにございます。」
そう言って嬉しそうに、微笑む篤子。
人前であるせいか、少し照れたように微笑む信済は、
まるで、照れを隠すかのように、
『良い子にしておったか・・父が分るか?』
と、優しい笑顔で、息子に話しかけた。
瞬間、父に手を伸ばしそうになった我が子に、
はにかんだような困った笑顔を向けた信澄は
『悪いな・・今は駄目なんだ・・・
戻ったら・・抱いてやるからな・・。
では・・篤子頼んだぞ・・』
そう言って、穏やかに微笑んで進軍していった。
『あれが・・信澄様・・・・』
私は、羨望の瞳で、信澄と篤子を眺めた。
『あれが・・信澄か・・。信孝より器はでかいな・・・』利三が呟く
『そうだな、結構いい男だな・・。』元親が頷く。
天海も唇を挙げて、信澄の背中を見詰めていた。
『まあ・・・なんて、綺麗な殿方でしょう・・ねえ 秋乃様!!』
そう言って、近江が感嘆の息をもらす。
『本当に・・・あの柔らかい・・爽やかさは、我らの夫には
ございませんわね。近江様 』
そう、囁きあう秋乃と近江・・。
「くっ・・・訂正する・・俺はあの男は嫌いだ・・」
そう言って拳を固める元親・・。
「おい!秋乃 聞こえてんだよ!!爽やかじゃなくて悪かったな!!」
そう言って、秋乃を睨みつける利三・・
肩をすぼめる秋乃・・。
苦笑いしながら・・様子を見守る、重門と元親の息子達・・・。
「ふく・・大きくなったら今のお兄様のお嫁さんになる~!!」
「「「!!」」」
瞬間・・今の福の問題発言に・・信澄は多くの敵を作った。
利三・元親・盛親・・・
福 溺愛軍団であった・・。
「福・・それは駄目だ・・福が大きくなっても、信澄殿は、篤子殿の
旦那様だからね。」
そう言って、盛親は引きつりながら・・ニッコリ笑った。
「相変わらず、盛親はお前に似て、嫉妬深い奴だな」
そう言ってケラケラ笑う利三。
「何を言う利三殿・・。俺は、決して嫉妬深くなどはない・・。
ただ・・秋乃を愛しているだけだ。」
そう堂々と胸をはる元親。
(本当に・・そうなのかもしれない。ずっと嫉妬深いと言われ続けていた
元親の嫉妬は秋乃への純粋な愛情なのだ・・・)
私は、その事に、我が夫、、忠興との確かな違いを感じ・・ため息をついた。
そんな私の顔を元親が訝しげに見詰めた。
「玉・・どうかしたか? お前表情が冴えなくないか?」
元親は心配そうに眉を寄せた。
『そんな事は、ございません。少し旅の疲れが出ているだけでしょう』
そう言って私は、微笑んだ。
そんな私に、近江が微笑んだ。
『玉様の旦那様も、行列に参加されているとか・・。
文武両道にすぐれた、聡明な方と伺っています。楽しみです事。』
そう言って、ニッコリ微笑んだ。
「は・・はあ・・。
あの・・私は、夫に私がここにいることは、伏せておりますので、
何卒、皆様もそのおつもりでお願いいたします。」
その言葉に、皆一様に怪訝な顔をして振り返った。
「喧嘩でもしてんのかよ・・?」
そう言って、利三は、首を傾げた・・・
「いえ・・そういう訳では・・・」
私は、苦笑した。
「忠興様は、信長様のご側室方・・特に西条の局様にも
可愛がられている、一流の文化人なのですよね。
夫がそう申しておりました。」
そう言って、屈託なく微笑むことのできる篤子が羨ましかった。
忠興の一流の武士・一流の文化人の仮面の下にある、
あの嫉妬心を知る者は少ないのだろうか。
それにしても残虐非道と言われる、篤子の夫 信澄があのように
柔らかい男だとは・・意外だった。
そして、倫子が遠方をみて、異変を感じ取った。
こちらから、僅かにみえる、濃の方初め、側室達の観覧席から
一際大きな歓声が上がったのだ。
目を細めていると・・
そこには、我が夫 細川忠興が、信長の妻達の観覧席の前で、
挨拶をしているところだった。
「旦那さん 大人気じゃねえか?」
そう言って、元親が私をみる・・・
「はあ・・。いいですね。皆さん。
くれぐれも・・私がここにいること・・悟られないようお願いいたします。」
私は、そう言って、被り布を、深く被り俯いた。
「何やってんだ・・おまえ・・??」
利三が訝しそうに首を傾げる。
「・・・・・・」
秋乃が、不安げにこちらをみていた・・。
そうして、忠興が行進を進めてきた。
その美々しさに、付近から黄色い歓声が上がっていた。
「なんと・・・これはまた美しい殿方です事・・・」
近江がため息をつく・・・。
「・・・・・・」
秋乃は、応えず・・無表情に忠興を見詰めていた。
「ふうん」
そう言って、口の端を挙げた、天海は、天翔を連れて、この場を離れた。
天翔は、立ち退く際、元親の手を引いた。
「え!?・・・えっ・・?」
元親は、意味が分らない様子で、手を引かれていった。
私は、その瞬間・・かなりの確率で、私がここにいることがばれるの
だろう事を感じた。
そして、やはり、天海の勘は鋭かった。
ここにいることが、不自然な者は退散したのだ。
ここに残っている者は、いてもおかしくない者のみとなっていた。
光秀の娘たち。妻。
家老の利三と、その家来衆として、時読みの若者達。
近江と秋乃もいつの間にか姿を消していた。
きっと、秋乃が近江を下がらせたのだろう・・。
時読みは気配にするどい・・
自分達を意図して探ろうとする視線には自ずと気付くのだ。
その幹部達の動きに気付いた倫子や鞍手達に、先ほどまでの
大らかさはなかった。
穏やかな表情は、そのままに、警戒心を最大にした時読みの顔になっていた。
そして、夫 細川忠興は・・
明智の観覧席の前で馬を止めた。
そして・・迷う事無く・・私を見据え声をかけた。
「玉子・・。そこで何をしている・・・。
俺は、お前の観覧席は決めていたはずだ・・・。」
そう言って、誰憚る事無く、私を非難する忠興。
私は観念したように
被り布から顔をだした・・・
「実家から・・招きがありましたので・・・
申し訳ございません。」
私は、そう応えた。
「このような・・男衆が混ざった席で・・我妻ともあろうものが・・
この俺に、いらぬ恥をかかすつもりか・・・」
そう言って、苦々しく、明智の男衆を値踏みするかのように馬から見下ろす
忠興の不躾な目に固まる同胞たち・・・。
「決して、そのようなつもりは・・」
そう言って、応える私。
「玉・・・迎をよこす・・・
もう・・屋敷に戻っておれ・・。
他の男など・・見る必要はあるまい・・。
わかったな?」
忠興は、念を押すように、私を睨みつけてそう言った。
「はい・・。帰りますから・・。もう行進下さい。
後の行列の障りになっては大変です。」
私は、そう言った。
「・・・そうだな。 約束は必ず守れ。」
そうしつこく念押しした、忠興は、行進して行った。
「「「「「「「・・・・・・・!!!!!!」」」」」」」」」
同胞達は、完全に固まっていた。
いつの間にか、戻ってきた幹部達もどこかで、様子を伺っていたのだろう。
目を見開いていた・・・。
「マジかよ・・・」
利三が絶句していた。
「・・・戦国一の文化人・・・と言われているお方ですよね・・・?」
篤子が絶句していた。
「あれは・・・父上より酷いな・・」
元親の長男の信親が・・眉間に皺を寄せた
瞬間、元親の拳骨が落ちた。
「一緒にするんじゃねえ!! 次元が違うだろう!!」
元親が睨む・・・
「本当に・・・・。あの瞳は危険だわ・・・」
秋乃が呆然と思案顔をした・・。
この人にまで、心配されるとは・・・。
私は情けなくなった。
「離婚する方法はないのですか?」
倫子が涙目になって、幹部達を見回す・・・
「あれは、離婚なんて許す目ではないわ!!
逃げるしかないでしょう・・」
鞍手が言うと妙に説得力があった。
「皆さん、落ち着いて下さい。玉様のお気持ちもあるのですから・・」
そう言って、近江は皆を落ち着かせる・・。
本当に穏やかで聡明な人なのだ・・。
私は、近江に感謝した。
彼の狂気はよく分っていた。
でも、彼の私への思いも・・・
それに、応えたいと思う自分の思いも・・・確かに存在するのだ。
「皆さん、ご心配いただき、すみません。
でも・・。あのような人ですが、私にとっては、
優しい夫という一面もあるのです。
できるだけ彼の気持ちに応え、その一方では、あそこを我が場所として、
我らの宿命に忠実にありたいとも願っています。」
私は、そう漠然と同胞にだけは分る言い方をした。
自分の運命を受け入れ、
今いる場所で、時読みとしてできることを成し遂げたいのだ・・と。
全国に、同胞たちが散らばっていた。
志を共にする同胞達に恥じない自分でありたかった。
そして、いつか、細川家が、僅かでも天下泰平の為になすべきことが
あれば、全力でそれを後押ししたかった。
きっと、それが、時読みとしても、細川家の人間として生きていくことに
なる我が息子達の為でもあると信じていたから。
偶然に風に吹かれ・・
川の流れに、投げ入れられた落ち葉でも・・・
いつか泰平へと続く流れをみつけたならば、その流れを止めぬよう・・
意思を持って生きていきたい・・・
いつか、濁流に飲み込まれるその日まで・・。
私は漠然とそんな風に思っていた。
そして、私は、苦笑した。
また、しばらく不機嫌な忠興に責められ続ける日が続くのだろうか。
若く美々しい同胞の男たちを一通り見詰めて、繭を潜めた。
今度は・・どなたに・・嫉妬されていることやら・・・。
そして、一人の男がすごい早さで迎に来た。
「嫉妬してる割には、男に迎にこさせるんだな?」
そういう、利三に私は、苦笑した。
すこし厳ついが・・整った顔をしたその男は、
私の警護をいつも申し付けられる敬三という男だった。
「お方様・・お迎えに上がりました。」
そう言って一礼し、頭をあげた敬三は目を見開いた。
「これは・・お方様・・・危険でございますな・・殿が心配なさるはず・・。
何とも・・明智家の方は、美々しい方ばかり・・・」
私は、苦笑した。
最初・・女たちの事を言っているのかと思った
若き同胞の男たちは・・その視線の先にいるのが・・・
自分達であることを悟った時に・・・
恐怖の表情を浮かべた・・・。
そして、その男は・・・重門を見て、目を見開いた・・・
「これは・・私の敬愛していた・・半兵衛様の面影が・・」
そう言って、敬三はもの欲しそうに・・・
重門との距離を詰める・・・。
「え!?・・・え・・・??」
そう言って、重門は後ずさり・・・後ろにいた福に引っかかり
尻餅をついた。
盛親は、福の危険をさとり、福をとっさに引っ張って非難させた。
そして、尻餅をついた重門の手をとって、重門を起した敬三は
重門の身体についた汚れを愛しげに払い・・・
「大丈夫ですか・・?そそっかしいところがおありなのですね。
何か、お困りのことがありましたら、この敬三にご相談下さい。
我らの主家は・・親戚のようですから・・・」
と静かに微笑んだ。
「「「「・・・・・・・・・・・・!!!!」」」」
男達は、とっさに、女達の影に隠れた。
「お前の旦那・・・徹底してるな・・」
利三が、呆れたように目を見開き、そう呟いた・・・
それを聞いた敬三は、私の代わりに応えた。
「はい、我が主は、文武両道。
戦国の猛将にして、戦国一の文化人でございます。
それと同時に、戦国一短気で、嫉妬深く、執念深いお方に
ございますれば、皆様も、玉のお方様の扱いには、
十分にお気をつけなさいますように。」
そう言って、敬三は、微笑んで、玉に一礼した。
「さ・・お方様・・参りましょうか。」
敬三は、そう言って、まるで侍女のごとく、玉を連れて戻っていった。
「「「「「・・・・・・・・・」」」」」
「あれは、ひどいな・・・」
元親が絶句していた・・・
「誰だよ・・玉をあんな奴のとこに嫁にやったのは・・?」
利三はあっけにとられてそう呟いた。
「信長だよ・・・」
天海は、そう言って微笑んだ。
「そうじゃねえだろ・・何とかならなかったのか!?
事前調査はどうしてた??」
利三は不機嫌に言った。
「利さんが命じなきゃ・・誰がするのさ・・・?」
そう天海は飄々と言った。
「は・・・・俺か・・?俺が悪いのか・・・??
玉~!!すまない・・・・」
利三はガックリと膝をついた。
「玉・・・・グスン」
倫子が、目頭を押さえた。
「逃がしますか・・・?」
鞍手の目が光った。
「でも・・・本人が逃げる意思がないんじゃ・・・」
篤子が眉をハの字にして、泣きそうな顔で思案する。
「そうね・・今は、様子をみるしかないかもね・・・。
でも・・注意は必要ね。 危なくなったら・・逃がしましょう。
その時は、わたしも、力を貸すわ・・鞍手・・・」
秋乃は、アーモンド形の瞳を光らせてそう言った。
「秋乃様がそう仰ってくださると、心強いですわ。」
鞍手が、尊敬の眼差しで、秋乃を見上げる。
「ちょっと待て・・我妻秋乃が・・あの男に監禁されたらどうするのだ??」
元親が焦る・・・
「元親さま・・・お気持ちは嬉しいですが、そろそろ私の年齢も
考えて、発言してくださいませ。
言われている私の方が、恥ずかしくなります。」
そう言って、秋乃は、困ったように、元親を非難した。
瞬間息子達が噴出した・・。
「何を笑う!!お前たちは、息子だから、我妻 秋乃の良さが分らぬのだ!!
いいか・・お前たち・・女と言うのは、年齢ではないのだ・・・。
最期に、心に残るのは、生き様なのだ・・・。」
そう言って息子達を睨みつける元親。
そんな、同胞達の様子を、織田家の観覧席から、
失ったまぶしいものを見詰めるかのように、目を細める、
濃の方・・帰蝶の視線に気付く余裕のあるものはいなかった。
そして、敬三により、馬揃えから、連れて帰られた私は、
結局、主役である信長の顔すら見ること叶わず・・・
京にある細川屋敷の一室に・・静かに佇んでいた。
そして、日没を迎えた、夜空には、背景に満月のような、僅かに揺らぐ丸い
光を湛えた、はっきりとした三日月が姿を表していた。
それが、私には、切なくも美しく感じた。
今確かに痛いほどに自分に愛を向ける忠興との夫婦生活。
そして、それにより、帰る事すら許されなくなった・・
過去の同胞達との切なくも、楽しい思い出の数々を
同時に映し出しているかのようで・・・。
共に阿久利と遊んだ・・
幼かった兄弟たち・・。
優しかった 父と母・・
時読みの郷の仲間達・・・。
私たちを時読みとは知らず、大切に仕えてくれた
明智家の陽気な家臣達・・。
私は、月を見上げて、そんな過去に想いを馳せていた。
そんな時、後ろに気配を感じた。
瞬時に私は、抱きすくめられた・・・。
その腕に怒りの色はなかった・・・。
「『昔 竹取の翁というものありけり・・
野山にまじりて竹を取りつつ よろづのことにつかいけり
さぬきの造となむいひける。』
・・聞いた事があるか・・?」
そう言って、忠興は、私と同じように月を見上げた。
『竹取物語にございますね・・・・』
私は、静かに応えた。
「そうだ・・・」
忠興は、静かに微笑んで、目尻を下げた。
「日本最古の物語と言われる 竹取物語だ。
玉・・・小さなころ、俺は、子供だましみたいな・・
この話が・・駄作に思えて好きではなかった・・・・」
忠興は、穏やかにそう言った。
『・・・子供や・・女子に好まれる話でございます。
無理はないかもしれませんね。』
そう言って私は、微笑んだ。
この血なまぐさい戦国の世で、日々命のやり取りをしている
男衆に、この話を判れという方が、難しいことは、十分に理解できた。
「だがな・・・玉・・・
今になって、俺には、この話の奥深さが判るような気がしてならぬ。
古来から、戦いは、日常的にあり・・・
そして、そこには、男と女しかいなかった・・・
そんな中・・女は、時にはもののようにやり取りされ・・・
時に、男と女は、本気で愛し合う・・・。
今も、昔も・・きっと・・何も変らぬ・・・
女は、きっと、古代より、葛藤を抱えて生きてきたのであろう・・」
そう言って、忠興は、私を抱く腕に力を込めた。
『忠興様・・・』
わたしは、なんとなく、今の言葉で・・忠興が言いたいことが判った気がした。
この人は・・やはり・・文化人なのだ。
そして、並ならぬ・・勘の持ち主。
そう実感した瞬間でもあった。
「そして玉・・・夢を壊すような言い方かもしれないが・・・
月など・・・無いのだ・・・葛藤の末、勝った方を月とも想い従い・・
我が子の為に・・生き残る為に、滅びた者を忘れる・・・
古代女はそうして・・いや・・人間はそうして、血脈を残してきたのだ。
それが・・・生き残る唯一の道だったから・・・」
そう言って、忠興は、私の首に顔を埋めた。
私は、静かに苦笑した・・・
「要は・・忠興様・・・
それが、とてもお嫌なのですね。
貴方様は、嫉妬深いお方ですから・・・」
そう言って、私は、忠興の瞳を覗き込んだ。
『判るか・・・?』
そう言って、忠興は、否定をしないことで、肯定した。
そして、私は、再び月を見上げた・・・
古来からの女性達の葛藤・・・
きっと、実家と、嫁ぎ先の間の争そい・・・
そんな今と変らぬ事が・・繰り広げられてきたのかもしれない・・・
そして、我らの祖先も・・・
そんな時代を時読みとして生きてきたのだろうか・・・
嘘を誠として、死に切れなかった、女達が・・・
月とも言われる本来の居場所にもどり・・
誠と想い絆を深めた偽りの生活を、忘れて新しき生活を受け入れていく事。
それは、血の涙を流すように哀しいことだったに違いない。
そして、女達は、切望したのかもしれない・・・
そんな哀しい気持ちを一瞬で忘れる・・・
今もなお・・愛しいと慕う気持ちを忘れ去る事ができる
そんな哀しくも貴重な道具が
あったなら、自分はどれだけ、救われただろう・・・と。
そんな女達の、悲しい切望から生まれたのが、月から迎えが来た瞬間・・
全ての記憶・・憂いを無くしてくれるという・・『月の衣』・・・・
そして、そんなものを、持つ術もない私達人間が・・・真の意味で・・
全てを忘れ・・、憂いを亡くすとしたら・・
それは死を選ぶ事以外になかったのだ。
そして、私は、悟った。
だからこそ・・我が同胞達は・・皆最期に口を揃えたように言うのだ・・。
自分は、偽りを誠にする為に・・・死を選ぶのだと・・・。
そして、いま、私の横で、寂しく月を見上げる、忠興は・・
自分亡き後・・私の貞操が守れないなら・・自害せよという・・。
私は、これまで、何と言う勝手な言い分かと・・そう思っていた・・。
でも・・今、彼の話を聞いた私には、少し判る気がした・・・。
それは、時読みの生き様と通じるところがあるのかもしれない・・。
自分達の愛を偽りにする事無く・・・生きていきたいのだと・・。
そして、例え命に代えようが、この愛が本物であったと言う
事実を貫きたいのだと・・。
それが、子供っぽい、我侭な考えであるのか・・・
全てを受け入れた上での、究極の愛の形であるのか・・・
その時の私には、まだ判らなかった・・。
ただ、この夜の忠興は、昼間の私を一切責める事も無く・・・
私の、家族の話をする訳でもなく・・・
唯一言・・こう言って、抱きしめた・・・
「玉・・・よく戻ってきてくれた・・・」と・・・。
私は、目を細めて微笑んだ・・
「何を言われるのですか・・・我らは夫婦・・・決して逃げは致しませぬ。」
そう言って、私は、忠興の背中を抱きしめた。
逃げない約束はできても・・・
裏切らない約束はできなかった・・・
だから、私は、この夜 心に誓った・・・。
私の志は、貴方のものにならないけれど・・・・
私の命は・・貴方が望むままに・・・・と・・。
それは、私たちが本当の試練を迎える本能寺の変の一年前のことだった。
読んでくださった皆さん感謝致します。
今回のお話は、初めて書いている長編小説 『時読みの詩 乱世のかぐや姫』の番外編として
書いたものになります。
こちらから読んでいただいた方には、解り辛い部分もあったかもしれませんが、ご容赦下さい。
本編である、『時読みの詩 乱世のかぐや姫』は、まだ研究段階の『本能寺の変の真相』に
想いを馳せながら、かなり、妄想をとりいれて描きました。
近年、明智光秀の謀反は、光秀、利三と親戚関係にあった四国の長宗我部一族討伐に絡んでいるとの
説が有力になってきました。
そんな中で、どんな絆があったのか・・・
単に親戚だったからといわれても・・・と、
空想と妄想で書いたのが、本編になります。
主役は、信長・濃姫と共に、 現在 謀反人として後世に伝えられている、明智光秀、その家老斉藤利三そして、家康の黒衣の宰相と言われる天海ら、時読みといわれる秘密組織。
そして、忘れてはならないのが、四国統一を果たしながらも、四国討伐をうけた長宗我部一族などです。
彼らの正体は、信長の敵ではなく、覇王を影から協力しようとする秘密組織だったという設定に
してみました。
不思議な事に、史実に基づいて、スムーズに話が進むのです・・・。
これは、単にみどりこの妄想故なのか・・・!?
きっと、妄想故です(笑)
そんな時代背景の中に、沢山の恋愛要素を取り入れた、比較的女性目線でのオムニバス風の歴史小説を目指しました。
濃姫と信長、光秀の切ない三角関係。
長宗我部元親と斉藤利三の娘といわれている秋乃の恋。
斉藤利三と甲賀忍者の下で、育って、浅井長政に離縁された近江の方(これは完全な妄想)
明智光秀の家老 明智光満と、光秀の娘 倫子の恋。
本当は、信頼し合っているにもかかわらず、覇王である孤独の中で、猜疑心を増して、
哀しい結末を迎えてしまうヒロイン達・・・・。
空想でも大丈夫と言う、歴史と恋愛好きの皆さん、かな~り、長いですが、良かったら、見てくださいね。
よかったら、感想でご意見ください・・・。
ちょっとちょっと、それは違うよとか・・。
真実はこうだったんではないかとか・・・
今後の参考にしてみたいです。
みどりこ。