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うそなき -嘘笑む声無き-  作者: 楠楊つばき
第1章 嘘を言え
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1-5:信仰者の集い

 真夜中に飛び込んできた彼のことが頭から離れなかった。せめて名前だけでも聞いていれば良かったという後悔と、次会うことができれば名前を聞くという楽しみで数日間足が地につかなかった。


「アイラー、アイラーってば」


 耳元で声を出され、頭が真っ白になる。何事かと目を白黒させていると、不満げな親友の顔が目に飛び込んできた。


「まーた考え事? なになに? 面白いことでもあった?」


 レーネにさえあの夜の出来事は話していない。私はなんでもないと首を振り、席を立ち上がった。


 エステル魔法学院には魔法を勉強するために来ている。この喉を治すためにも魔法の知識はあればあるだけ欲しかった。


 目的の場所に向かう前に立ち寄りたいところがあった。学院生であることを示すローブの襟元を正し、心の中を邪念を取り払う。


 学院には寮があり、遠くからやってきた生徒はそこに住む。郷土への思いや習慣をこちらに来てからも変化がないように対策が立てられているのだ。


 学院には実習棟、研究棟、部室棟など様々な施設が乱立している。その中でも特異であるのが特別区、魔法の使用が一切禁じられた一画である。


 特別区に通うにつれ、自分の中に魔法使いではない己を見いだした。絡まった糸をほぐすことのできる貴重な空間に安息を抱けたのだ。


 両開きの扉は閉まっているが、手で押せばあらゆる人を迎えてくれる。


 週に一度、聖堂で祈りを捧げるのが習慣になっていた。赤いカーペットの上を歩いていると、掃除をしていたシスターが私に気付いた。


「こんにちは。神様があなたの救いとなりますように」


 おきまりとなっていたシスターの挨拶に会釈する。特段信仰深いというわけではないが、この学院に入学してから聖堂が自分の居場所の一つになっていた。ここでならば声を発する必要はない。ありがたいお話に耳を傾けていればよい。


 定位置に座り、背を椅子に預ける。頭を上げると神様の像が目に入った。


「この情勢下、定期的に通ってくださるのは貴女ぐらいです。ですがわたくしはいかなる方にも神を信じる心はあると考えています」


 掃除の手を止めて、シスターは呟いた。


 魔法が奇跡ではないと証明されてから人々の心は急速に神から離れていった。センスの差はあれど、コツをつかめば誰もが魔法と称された手品を行うことができるようになる。世間からすればわざわざ魔法学院に通う者は物好きに見えるのだ。それでも私にとって魔法は――。


『私も信じています。魔法も神様も』

「ありがとうございます。信仰者が一人いらっしゃるでも我々は頑張れるものなのです」


 シスターの台詞が鉛となってずしりと胸に落ちた。信じる者は救われるならば、信じられている者はどうなのか。『嘘は真実によって砕かれる』。占い師の予言が頭の中で木霊している。


「いかがなさいましたか? アイラーさん」


 首を傾げているシスター。彼女の水色の瞳は心配で波打っていた。


 ふと背後から扉が開かれる音がした。滅多に人が来ないのに(聖堂としては人気ひとけがないのもいかがなものか)、第三者の足音に興味が沸いて振り返る。


 滑らかな金色の髪に、百人中九十九人は振り返るであろう美貌。鼻は高く目元は優しく。近くで顔の細部まで見たらあまりの整った容姿にうっとりし、その後自身の容姿に思い悩むことになるだろう。


 いつぞやに見たことがある顔に抱いた感情は逃避であった。椅子に座りながら、端っこへと尻を横移動させていく。このまま存在感を消していけば……。


「あれ? 珍しいね。先客がいるなんて」


 声をかけられて、ぎくりと腰が浮きそうになった。小さく会釈して、第三者が先に帰って行くか、自分が逃げるタイミングを再び見つけるまで端っこで小さく固まっていることにしよう。


「軽口もほどほどにしてください、アル力ネットさん。貴方がこちらに来ていると知れ渡れば、貴方目当ての方々が荒波のごとく押し寄せてきますよ」


 シスターの口調は旧友に語りかけるような気軽なものだった。彼も――アル力ネットとシスターは呼んだはず――貴重な常連であればシスターの気心知れる相手だということだろう。


(うん? アル力ネット……あっ!)


 聞き覚えのある名前の正体に思わずスケッチブックを落としてしまっていた。命の次ぐらいに大切なものを拾おうと立ち上がると、横から手が伸びてきた。


「はい。どうぞ。今度は落とさないようにね」


 数々の女性を落としてきたであろう、三年の主席・アル力ネットさんが先にスケッチブックを拾い、私に差し出してきた。


 私は学院の人気者がこんなところにいるとは思わず、しかもこうして声を交わす機会があるなどと予想しておらず、家に帰ったらレーネに殺されそうだなという恐怖にぎこちない笑顔になってしまった。


 スケッチブックを受け取ると即座に紙をめくり、『ありがとうございます』という文字を彼に見せた。


「いやいや。困った人を助けるのが僕の流儀だからね」


 爽やかなはにかみに人の良さが表れていた。この人が模擬戦時にどのような戦術を披露してくれるのかいまいち想像できない。


 アル力ネットさんは上着のポケットに手を忍ばせると、一通の手紙を取り出した。


「シスター。例のものだ」

「お疲れさまです。確かにお受け取りいたしました」


 赤い印鑑で封をされた手紙がアル力ネットさんからシスターに移る。ラブレターならばお疲れさまとねぎらいはしないはずだ。二人が行っているのは一種の取引ではないのか。わざわざ私という部外者の前で行った意図は?


「アイラーさん、手紙の内容が気になりますか?」


 シスターがウインクをしながら手紙を見せびらかす。その行動に挑発的なものを感じ、気にならないと私は首を振る。


「まあ残念。振られてしまいましたね、アル力ネットさん」

「はは、あまりからかわないでくれるかな」


 表情を崩すと、アル力ネットさんは用事を終えたからと片手を軽く上げてきびすを返す。


「声、戻るといいね」


 向けられた言葉は雷となって私の体に落ちた。私は一度も声が出ないこと、戻る可能性があることを話してはいない。ただスケッチブックを見せただけだ。察しの良い人物であったって、私の声の喪失が一時的なものか永久的なものであるかは目で判断できないだろう。一生喪失した可能性も否定できないのに、戻るといいねなんていう希望論を語るだろうか。


 一定の間隔で足音を鳴らす彼の背中を凝視する。底知れなさが好意よりも上回った。


「……貴女と彼、似ていますよね」


 シスターの呟きに『どこが似ているの?』と尋ねてみても、曖昧な笑みではぐらかされるだけだった。






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