1-1:一日の始まり
ジジジと鳴る目覚まし時計を止め、もそもそと体を起こす。カーテンを開けると、淡く澄み渡る夜明けに目を奪われた。そうした中、着替えを手早くすませたら一日の始まりだ。
階段を降り、エプロンを身につけて、早速朝食の用意にとりかかる。火打ち石により生まれた火を調理台に移し、その上に鉄板を設置。卵の中身を垂らすと香ばしい匂いが漂ってきた。
「おはよう」
定刻きっかりにクレランスさんが起き出してきた。よれた襟を直してあげると、ありがとうと返される。彼の感謝に微笑みで応えると、まだダイニングにやってこない親友が心配になってきた。
「愚妹がすまない。起こしに行ってくれないか」
兄が妹の部屋に入りづらい気持ちも察せられる。私は急いで彼の妹かつ私の親友、レーネの部屋へ向かった。扉を叩いても返事はない。まだ寝ているのかもしれないと扉を開けた。
レーネはベッドで気持ちよさそうに寝息を立てていた。毛布は落ちており、枕を抱いて眠っている。両足をこすり合わせているせいでネグリジェが目も当てられないほどまくり上げられていた。どうやら私が来て正解だったようだ。こんな姿、クレランスさんに見せるわけにはいかない。
「ふわぁ……アル力ネットさまぁ……そこは、だめですぅ……」
かなり俗っぽい寝言に手加減はしない。
寝ていたレーネから枕をはがすと、つられて彼女もベッドから転げ落ちてきた。まだ半分夢の世界なのかベッドから落ちたことも気付いておらず、「んー?」と船を漕いでいる。しまいには床で眠ってもいいやと毛布にしがみつく。
この展開には手垢がつきすぎているために溜息が漏れた。
レーネの耳元に対寝ぼすけ用装置を置く。そしてその装置を足で踏みつけると――。レーネが床の上で魚のように飛び跳ねた。
「兄さん聞いてよ! アイラーってばまたアレ使ったんだよ!」
和やかな食事の時間、レーネだけが頬を膨らませて不機嫌といった様子だった。彼女の機嫌を損ねさせたのは自分の行動であるのだが、遅刻という最悪な事態を回避するためならばこれぐらい何回でもやってあげよう。自業自得だという言葉は胸先三寸に収めておくのが大人な対応だ。
「アイラー、いつも愚妹が世話になっている。できればこれからもよろしく頼む」
クレランスさんの頼みに、私は任せてくださいと深く頷いた。
「もう、兄さんってば。アイラーには甘いんだから」
「なに。お前に厳しいだけだ」
クレランス、レーネ兄妹は親を疫病で亡くしてから二人暮らしをしている。そこに数年前私が加わった。
クレランスさんは熱心な研究者であり、こうして学術区の研究棟に住まわせてもらえていることも彼の功績が大きい。レーネは私より二歳下であるが飛び級をしており同じ学年である。新しい生活にすんなり馴染めたのも彼女のおかげであった。
食事を終えて、時間を確認する。短針が示す数字は八。まだ余裕はあるがいつもならば到着している時刻だ。
「わっ、もうこんな時間!? 間に合わないかも! ねっアイラー、あたし、変じゃない?」
素早くレーネの姿を確認する。ゆるくウェーブがかかった桃色の髪。化粧は厚くもなく薄くもない。ぱっちりした目は数多の視線を受けても及び腰にならず、自身の魅力を十二分にわかっているという自信にあふれている。
私は鞄からスケッチブックを取り出して、『問題ないよ』とペンを走らせる。
「気合注入終了っ! 兄さん、行ってきまーす」
『行ってきます』
「はい、二人とも気をつけていってらっしゃい」
普段と変わりない朝。始まりとともに穏やかな終わりを想像できる日常。ただこの日常は絶妙なバランスの上で成り立っていることを、私は――アイラー・ヒースは知ることとなる。