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うそなき -嘘笑む声無き-  作者: 楠楊つばき
第2章 嘘も方便
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2-10:見守り、見守られ

 ――眩暈に襲われて下唇を忌々しく噛む。正気を取り戻そうと瞬きを繰り返しているうちに目の前が極彩色ごくさいしきに塗り変えられていく。周りを檻のごとく植物に囲まれ、方向感覚を失った。状況を整理できずにぽつりと立ち尽くす傍ら、見覚えのある少年少女が楽しそうに視界を横切って行った。


 追いかけてきなさいよ、と強気にいいのける少女。輪郭はぼやけているのに、自分と同じ暗い茶色とはしばみ色の瞳が赤の他人であると感じさせない。それでも他人の空似であると頭を振っていると、アイラーちゃん、と声がかかる。

 声変わりを数年後に控えたボーイソプラノがしきりに少女アイラーの名を呼んでいた。

 返事はなく、追いかけっこは続く。

 少女は手の平をすり抜けていく蝶であった。簡単に人に近付くくせに、優雅にすり抜けていく幻想。今の自分とは似ても似つかないその振る舞いはどうしてか妙にしっくりきた。

 これが私なのだと、これがアイラー・ブラックという魔物の本性なのだと――確信してしまった。






 ぷはっと息を荒く吸い、せき込んだ。

 耳元でささやく、うるさい悪魔を跳ね除けて、オクトーくんの腕を引く。

 昔がなんだ。過去がなんだ。救われるために後悔を重ねたって今を生きられない。

 急いで外へ引き返そうとした瞬間、大きな図体が出口を遮ってきた。

 心の中で舌打ちをしながらオクトーくんの腕をしっかりと握る。さっきまでと状況が逆だなと呑気に思いつつ頭は冷やす。


「そこの坊や、あいつらの一味じゃねぇ?」


 入口かつ出口の垂れ幕が下ろされ、閉じ込められたと悟る。下卑た笑い声は年端もいかないオクトーへ向けられており、それが演技ではないと一目で見抜く。彼らの視線から守るようにしてオクトーくんを腕の中に閉じ込めた。


「ああ、最近出しゃばってきたアレか。なんだっけ、あー……」

「レシート?」

「おい、菓子類の領収書は残しておけよ。タダじゃねぇんだ」

「ベレー帽?」

「オメェの頭ぺったんこ、じゃねぇ!」


 サーカスの団員であろう輩が小粋なジョークとともにわらわらと集まってくる。一気に人口密度が上がり、逃走を困難なものにさせる。彼らの手元で光る獲物はナイフ投げで使われていたものだ。他にもむちやロープ等、物置にはあって当然な品物が一通りそろっていた。手際の良さから考えるに計画犯に違いない。


「……っぐ、怖いよ」


 そう震えていたオクトーくんの顔は決して見ない。

 万事休すという判断を下すにはやや早計だ。言葉をかける代わりに抱きしめてみると彼の小ささがわかる。行方のない矛先を受け止めるには頼りなく、さらりと流れる髪は細く癖がない。

 この子を離すつもりはないと意思表示をすると、団員らは――いや善人の皮を被った集団は刃物をちらつかせて奥を示す。

 素早く視線を動かして隙を伺ってみるも、すでに私達は彼らの手中にあり後退の選択肢はない・

 私は諦めて小さく頷き、背筋を伸ばして前を見据えた。

 一人だけ逃がせば助けを呼ばれてしまうため、ここで連れを処分するか口止めのために一緒にさらってしまった方が得策である。

 まだ最悪へと至ってはいない。従順なふりをしてハンカチをポケットから落とした。


 テントの裏には小奇麗な馬車が三台控えていた。その中の一台に抵抗する間もなく二人一緒に投げ入れられ、外から鍵を閉められた。恐らく閂でも入れられたに違いない。びくともしない扉に意識が遠のきそうになった。

 荷物は取り上げられた。鞄の中にスケッチブックを入れていたので、意思疎通の手段も奪われた。

 やがて馬のいななきとともに馬車が動き出した。

 腕の中に抱いていたオクトーくんの顔を覗き込んでみると、彼が気絶していることに気付く。無理もないと馬車の中にあった毛布で簡易枕を作り横にさせる。

 すきま風が吹き抜けていき、扉に寄りかかる。馬車の中が見えないようカーテンがかけられているので、現在どこら辺を走っているのか見当もつかない。マルコさんらが姿の見えない私達に意地を切らしている頃であろうに、胸騒ぎがやまない。


(……誰か助けて)


 意識が沈みかけていると、足元からごそごそと物音が聞こえてきた。四人ぐらいの小さな乗り合い馬車であるというのに他にも何かいるのだろうか。人が隠れられるほどの空間はない。おずおずと手で探ってみると、指先が何かふんわりとしたものに触れた。

 にゃあ、と一言それは鳴く。

 闇の中から顔を出したのは金色の瞳を細長くさせた黒猫だった。


(きみが助けてくれるの? なんてね)


 テレパシーでもしろというのか。というより猫に人間の言葉が通じるのだろうか。ちなみにこちらは人の言葉しかわからないので期待しないでほしい。

 猫は尻尾をゆらゆら揺らし、ぴょんと私の膝に飛び乗った。体を擦りつけながらペロと私の頬を舐める。

 ざわりとした感覚に身じろぎしていると、またぺろりと舐められる。

 餌付けをしていないというのになぜか懐かれていた。慰められているのだろうか。


(きみは独りでここにいたんだね)


 私も猫を癒そうと撫でた。馬車の中で揺られているのは怖くないのだろうか。落ち着き払っている猫は私しか見えていないというまでに絶えなく鳴いた。

 舐められたと思ったら甘噛みされ、慈しみを感じられる行為にまるで人間にされているかのようで頬が上気してしまう。それから手の甲に口づけを落とされて、とどめの一撃とばかりに体が硬直する。

 体に染み渡る慰みは一朝一夕で与えられるようなものではなかった。そう思い込ませてしまうほどの同情だろうか。あるいはまさか最初から見られていたのだろうか。羞恥で血の気が引いていくと、猫が喉を鳴らした。


『いい、忘れろ。苦しいことは忘れてしまえ』


 人の声が聞こえてくるようだった。

 これからどこかへ連れていかれるというのに焦りは霧散していた。

 誰かが助けてくれるという慢心よりも、すでに助けられているという結果が心の中にあった。

 ほら、救出の先触れは放たれている。私はただ待っていればよい。望んだ結果が転がりくるのを首を長くして待っていればよい。

 夢の中の少女のように。幾度も手のひらをすり抜けて、次は絶対に捕まえてやると相手に思い込ませるように。







 予期せぬ青天の霹靂へきれきに人々は屋内に避難した。

 遅れた者はびっしょりと服を濡らし、軒先で恥ずかしくならない程度に服を絞る。店先に置いてあった品物は雨を被ってしまい、売り物にならなくなった。雨水は石の床を濡らし、軽快な音を鳴らす。

 雨空の下、開けた大地に一人の少年が立っていた。微動だにせず静寂に飲み込まれていた彼はこうべを垂れて何かを待った。きつく握りしめていたのはレースのハンカチ。耳を澄まし、心を研ぎ澄ませていると待ちに待った福音ふくいんを手にする。

 彼が掲げるのは剣でなく、ましてやペンでもなく、新芽のごとき小さな勇気。

 一条の光とともに神託を受けた少年は遥か彼方を射抜く。


「にいさん」

「兄様」

「にーちゃ」


 三人の子供が少年を呼び止めた。


「なんだ、おまえらも来んのかよ」


 やれやれと肩を落とした少年に、当たり前だと三人は頷く。

 さあ総員出立の準備はできているか。

 上着の裾を上げ、長い髪は手で払い、肩を鳴らし、地面に靴底を打ち付けて。

 いざ、ゆかん。助けてと己を呼ぶ声のもとへ。






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