2-9:家族のカタチ -マルコの場合- 4
子供たちの賑やかな声で現実に引き戻される。
いつの間にか寝てしまったようだ。久しぶりの懐かしい夢の余韻が後を引く。喉に触れてみると、かすかに動いた。緊張しつつ唾を飲み込んでいると。
「おねーさん」
くりくりと大きな瞳が私を覗き込んでいた。今にも落ちてしまいそうなほど見開かれたその瞳は曇りなく真っ直ぐだというのに、まとう不穏さが不気味であった。嘘か真か、真意さえも覆い隠す霧をまとっている。
「おねーさん、おねむなの?」
この子はそう、公園で私に「魔法つかいだよね」と話しかけてきた子だ。兄弟の末っ子で、個性的な兄と姉に振り回されている控えめな男の子。中性的な面影であるのはどっちつかずな恰好をしているからだろう。
名前は――。
「オクトー!」ユワンくんがこちらに向かって手をぶんぶん振っている。「行くぞ、遅れんなよ!」
「待って、ユワンにぃっ」
どうやら末弟の彼はオクトーというらしい。彼は小さなリュックを拾い、肩に背負って玄関へと向かっていく。突然あっと声を上げると、引き返してきて帽子を手に取って被った。
どこかに行くのだろうかと彼の小さな背中をぼんやり眺めていると、マルコさんが私の名前を呼んでいて、慌てて起き上がった。
どうせならばもっと早く起こしてほしかった。初めてお邪魔した家で爆睡するなんていう姿、見られたくなかったのに。自分の図々しさを責めるべきか度胸があるのだと前向きに考えるべきかもやもやしている間に時間は進む。
七人で家を出た。子供達は皆上機嫌で、今にも走り出そうとするのをマルコさんやジュイちゃんが引き留めている。離れ離れになると合流できなくなるかららしい。そう頭でわかっていても体を突き動かす衝動というものはなかなか止められないようで、男の子達は先に走って行ってしまった。スキップが駆け足となり、本気になる頃には彼らの影は小さくなっていた。
保護者がこのままのんびりしているわけにもいかず、マルコさんは笑いながら走り出した。ジュイちゃんはワンピースの裾が邪魔なのか手でやや持ち上げている。
いつもいつも全力疾走な家族だと私は一人ほくそ笑んだ。
「行こっ!」
一人後ろに佇むという傍観は許されていなかった。オクト―くんに手を引かれて、私も平坦な石の道を駆け抜けた。
つんめりそうになるのをこらえる。駆ける距離に比例して街の賑わいも増していく。ゆったりと動いていた馬車にぶつからないよう蛇行し、街角のプランターを飛び越えて。店頭に並べられていた品物に気を取られてまた転びそうになって。誰もが幼少期に体験するであろう冒険の終わりに目的地はあった。
足を止め、息を整え、深呼吸すると新鮮な香りが体に染み渡った。
食べ物の香ばしい香り。花々の甘い香り。麗しく佇む女性からは香水が、汗水垂らし動き回って仕事している人からは汗の匂いが風に乗って届いてきそうだった。
開けた場所に露天商が並ぶこの光景を市場というらしい。川が海に合流するように、先ほどまで通ってきていた細道が集結する。中央には噴水があり、それを囲うように作られた外観は都の権威を象徴しているかのようだった。
(久しぶりだなあ)
湧き上がってきた喜びとともに胃の中のものまでがせり上がってきた。
胸元に手を置いて、自身に暗示をかけながら呼吸を繰り返す。時間にしてほんの数秒。幸いにも誰も私の異変に気付かなかったようだ。
「おまえらー、時間になったら噴水前に集合な」
保護者の一言をきっかけに、五人は興味のゆくまま散り散りになった。普通ならばあの年齢の子供たちを一人で行動なんてさせないだろうが、そこをなんとかさせるのがマルコさんの手腕である。
かくいう私はそのままオクト―くんに引っ張られるようにして散策していた。まだ十歳にも満たないだろうに力はいっぱしで、あっちこっちと引っ張られてしまいたじたじである。好奇心に従い、思うがままに動く彼の動きは予想できない。ただこうしていた方が安全であるのは確かであるため離れないように手を握り返した。
露店を一軒一軒見回りながら、オクト―くんが指を差して説明してくれた。どこどこのサンドイッチが美味しいとか、綺麗な宝物が売っている場所がある等々。
花屋の前では好きな花について聞かれ、この中にはないと答えるとしゅんとさせてしまった。反射的に『ない』と伝えてしまったけれど、並べられた花はどれも美しく目移りする。ただ決定的な何かがないと胸が訴えているのも事実で、ここにはない色を必死に探す自分がいた。
研究棟で引きこもっていたら気付けないほどの大小様々な欠片が集う場所。けたたましい歓声にときどき耳を閉じたくなりながらも私は広がる世界を心に残した。
他の子供たちの姿を探してみると、食いしん坊のセプちゃんを一番早く見つけれた。大人から餌付けされるがごとく食べ物をもらい、屋台をはしごしている。両手は串焼きやわたあめやらでふさがっており、手で持てなかったものはカゴに入れてもらっている。振る舞いも堂々としていてどこぞの貴族のような扱われっぷりだ。街の人の中で彼女は一体どんな立ち位置にいるのだろう。知らない方がいいかもしれない。
ユワンくんは同年代の子供と遊んでおり、ジュイちゃんは新作茶葉の試飲会に参加している。
マルコさんと射的に参加しているのは五人の真ん中である男の子だ。まだ直にやり取りをしていないせいか、名前を教えてもらっていない。印象としては五人の中で最も落ち着いている。年齢に似合わない聡明さと冷静さを併せ持ち、他の兄弟が無茶できるのも彼のおかげかもしれない。ジュイちゃんのように年上であるために年下を守ろうとする配慮とは本質が違う。生まれてから使命づけられた、というような諦観に凪いでいた。
全員の位置を把握してからオクトーくんへそっと注意を戻す。その直後にぞわぞわと首の後ろに突き刺さるような視線を感じたが、気のせいだと振り払った。
「せっかく来たんだもん、食べよ?」
可愛い提案に私は頷き、イチゴ味とブルーベリー味のマカロンを購入した。イチゴ味をオクトーくんに渡し、自分はブルーベリー味に口をつける。ぱさぱさとした表面に中身のクリームは甘かった。
「わあっ」
何かに気付いたのかオクト―くんが立ち止まった。彼の視線の先には即席の舞台があり、その上で派手な衣装と化粧で彩られた人々が曲芸を披露していた。軟体さを見せつけたり、大玉を足で転がしている。ナイフ投げは正直直視できなかったものの、的であった林檎に突き刺さった瞬間胸がすいた。
出張型のようで空中ブランコといった大掛かりなものはない。とはいえ目に迫る演技に心臓がわしづかみされたみたいで苦しくなる。簡易的な綱渡りはいくら距離が短いとはいえ足さばきや驚異的なバランス感覚には舌を巻く。
「見てみて、サーカスだよっ。おねーさん、すごいよねっ。どきどきするの」
興奮まじりに目を輝かせる彼を見て、私は対照的に熱が冷めた。するとだんだん周囲へ気を配れるようになってくる。
子供連れの家族の大半はサーカスへ夢中になっているようだった。仕事中の労働者や何かの用のついでで来たような人々は一瞥しただけで素通りしていく。
ざわりとした不安に駆られて足元がふらつきそうになる。隣で「おねーさん?」とオクトーくんが小首を傾げる。
何でもないと首を横に振ってみせれば、彼の興味は目の前の舞台へと注がれる。
熱狂的な嵐が吹く中、真顔であった自分だけが異常であった。
終演のお知らせに割れんばかりの拍手が鳴り響く。
ピエロの恰好をした団員が前に出てきて恭しくお辞儀をする。
「皆様、このたびはお忙しい中、足を止めてくださってありがとうございました。この後は奥のテントでお菓子の配布を行いたいと思います。他国から仕入れた珍しいものを用意しておりますので、ぜひ皆様いらっしゃいませ」
舞台の奥に茶色の垂れ幕がちらりとのぞく。この場にあるのだから団員らの休憩場か道具置き場でないのだろうか。お菓子を渡したいだけならば外に出て配ってきてもよいのだろうに。もしや暖かいところだと溶けてしまう類だろうか。
「ねぇ、お菓子だって! ぼく、気になるなあ」
なんだか気になるところはあるものの、オクトーくんの熱意に負けてしまってテントに近寄る。すでにテントに入っていった子は両手に零れ落ちるほどの飴玉を受け取っていった。
(……気のせいか)
耳の良い話に過剰に反応してしまったらしい。オクトーくんの手を絶対に離さないと誓い、
『行っていいのかい? お嬢さん』
耳元に男とも女ともわからない声がさえずる。咄嗟に周囲を見渡すもこちらに視線を向けているような者はいない。
『甘美な嘘に溺れるのも幸せの一つ』
待ってといいかけて、口を閉じる。声を失ってだいぶ経つというのに私は変わらない。かつてあったであろう日々にすがりついている。
想像以上に二章が長くなってしまったので、そろそろ戦いたいですね。