2-8:家族のカタチ -マルコの場合- 3
食事を終えたら一斉に「ごちそうさまでした」と挨拶をして、後片付けに取り組んだ。
調理には積極的でなかった子もこれならばできると手を動かしてくれたので、私とマルコさんの出番はなかった。
「みんなでやると早いなぁ」
感心感心とマルコさんが満足げに頷いている。
そろそろ終わるだろうという頃に、ふいに子供たちの話し声が大きくなってきた。遠くで見守るように距離を保ちながら耳をそばだててみると、子供たちの中で言い争いが起きているようだった。感情にまかせた怒声とともに、高い破裂音が鳴り響く。どうやら誰かが食器を落としてしまったらしい。
子供たちの間に沈黙が降りた一方で、保護者の行動は早かった。マルコさんは箒とちりとりを持ってきて割れた皿の処分を行う。私は怪我をしていないか一人一人に確認をとり、指を切った子の血を拭き取って消毒し、絆創膏を貼り付けた。最後に早く治りますようにと祈るのも忘れない。
後でじっくり経緯を尋ねると、小さなことから口論に発展し、カッとなって皿を振りかぶったところそのまま落としてしまったということだった。皿を振りかぶってしまったことが悪いことだと気付き、我に返った頃には手を滑らせてしまった。
皿の洗い方が気にくわなかった、と皿を落とした男の子――五人の中で最年長である――ユワンくんは言った。活発な印象を受けるのに、他人の行動をつぶさに観察し、口出しするような子だったのだろうか。それにしては漂う空気が気まずさであることに合致しない。
嘘をついている。そう私の直観が告げている。
「終わってから間違いに気付いても遅いんだ。常に冷静な自分を持て。な? それじゃあ解散! 休憩したらここに集合だ!」
大きな怪我がなかったこと、己の行いの善悪に素早く気付いたことをマルコさんは盛大に誉めた。
しんみりとした空気が一気に吹っ飛んだ。飴と鞭は使いよう、とは言ったものである。真面目にやった後には息抜きや褒美を忘れない。マルコさんの人格の良さがにじみでていた。
子供たちが散開してから、私はそっとマルコさんの肩を叩く。
『口論の原因を知りたいとは思わないんですか?』
「思わないな」
言外に「口論の原因は皿洗いでない」と匂わせたのに、迷いなくばっさり切り捨てられたものだから私は呆気にとられた。
「自分のことは自分で解決させよう。オレらが介入しすぎてはいけない」
やけに真剣な彼の横顔は今朝別れたばかりのヒース兄妹を思い起こさせた。
マルコさんと弟妹達の関係もまさしく家族であろう。優しい手で守りながら自立を促す。可愛い子であるがゆえに旅に出す。ただ旅のあれこれについて教えるのは忘れない。無知で送り出されたら路頭に迷ってしまうから。自分は愛されていなかったのだと絶望してしまうから。
思わず手に力がこもっていた。スケッチブックの端がくしゃりと歪む。何か他の話題をと探していたらちょうどいいものがあった。
『マルコさんも魔法使いだったんですね』
話の流れをぶった切ると、マルコさんは表情を柔らかくした。
「あれ、言ってなかったっけ? オレだけじゃなくてジュリアもだよ。協会所属になったらクレスに会ってさ、芋蔓式にレーネちゃんに挨拶して、他協会からの派遣としてジュリアが来た。あの頃のクレスはやさぐれてたなー。危なっかしくて見てるこっちがひやひやしてた。それがさぁ、人は変わるもんだよ」
な、アイラーちゃん、となぜか同意を求められた。解せない。
どう反応すればいいのかわからずに肩をすくめる私を面白がりながら、マルコさんは歯を見せて腕を頭の後ろにまわす。
「あいつは魔法の可能性を信じてる。ならオレは手助けするだけさ」
きっとこれまでマルコさんは表に出ず、裏方で内助の功に勤しんできたのだろう。彼から「自らこうなりたい」という意欲を感じられない。その代わりに気配りができて回りを見ることができる。そうでなければ弟や妹の面倒を任されたりしない。成熟した精悍な顔立ちをなぞるように見つめると、ぼんやりと何かが見えてきそうな気がした。
しばらくの間、互いを理解するために見つめ合っていた。彼のまっすぐとした瞳の中に私が写っている。言葉を介さない交流で確かに成果は得られたと感じた。それは向こうも同じだったら嬉しい。
(言葉にしないと伝わらないものもあるだろうけれど、その前段階も大切にしたい)
そばで子供達の寝息が聞こえ始めていた。だんだんと自分も眠気に飲み込まれていき、そっと目を閉じた。
――雨音しか聞こえなかった。
むせかえるような嗚咽が体を苦しめる。泣いているのか息苦しいのかわからなくなってから、虚無感に襲われた。足は動かせる。まだ歩ける。しかし行き先はない。宝の持ち腐れ――というよりは価値の消失。役立たず。お前の口は飾りかと叱られた日々を思い出す。
一歩一歩踏み出すたびに何かがこぼれていく。それはきらきらしたお菓子だったかもしれない。花壇で摘んだ花びらだったかもしれない。手で受け止めようとしたらすり抜けていく、儚いもの。
「……ぁ」
どうにかして絞り出せた声では行き交う人を止められず、そもそも自分は誰かを呼び止めるために声を発したのか、わからない。頭がくらくらする。
つまずいて倒れた。不注意だったのか、誰かに故意で足をかけられたのかはこの際どうでもいい。水たまりのせいで服もぐっしょり濡れた。寒さがさらに意識をぼやかせる。
立ち上がる気力はない。行き先はない。歩く必要はない。動く意味がない。そのまま泥水に体を沈めていた。
ぼうっとしている間に体からひとひらひとひら何かがこぼれおちいていく。何かと表現し、詳細に表現できない時点で大切なものではなかったのかもしれない。こぼれてしまったものを思い出せなくなっていた。失ったという事象だけを鮮明に覚えている。
忘却の底へと眠りゆく。目が覚めた瞬間に存在するであろう、新しい私に思い馳せながら。
「どうした?」
天より声が降り注いだ。暗雲の向こうに輝きを見つけた。
薄れかけていた意識が覚醒する、引き戻される。雨のせいで滲む視界の中、大きな陰が目の前に立っている。
言いたいことがあって口を動かし、伝えたいことがあって声を出そうとして、欠落を突き付けられる。少し前にできていたことが――声の出し方が――わからなくなっていた。耳は聞こえている。だってこんなにも雨音がうるさいんだもの。自分が声を出したらわかるはず。この耳が拾ってくれるはず。
すがれるのは天よりの贈り物だけだった。声をかけてきた大きな人の足にしがみつく。離さないようきつく。
豪雨が降り注ぐ昼下がり、その大きな陰は紛れもなく私だけを守ってくれる大樹だった。
上からふわりと何かが降ってきて、無意識につかんでしまっていた。柔らかい感触とともに、布地越しに頭を撫でられた。この温かさに包まれていたくて、しばらくその場に縫い付けられていた。