2-7:家族のカタチ -マルコの場合- 2
5/21 追記
やがて大きな庭をもつ一軒家にたどり着いた。庭には子供の遊具が散乱している。緑の芝生が敷かれているのは怪我防止のためだろうか。少し前まで使っていたであろう小さなプールが夏の残り香を漂わせている。
玄関の扉を開けると子供たちがにこやかに出迎えてくれた。このために先に帰っていったのかと思うと嬉しくて言葉が出ない。この際、マルコさんの入れ知恵なのではないかという邪推はやめておこう。そんなことしなくたって、一人一人のくすぐったい気持ちが伝わってくるから。
潤んだ目元をハンカチで拭い、昼食作りにとりかかる。今日はマルコさんの両親が所用で出かけているために今いる人だけで食事の準備をしなくてはならないらしい。他の年長者も子守はごめんだと予定を入れてしまったようで、なしくずし的にマルコさんに白羽の矢が立ったということだった。
「アイラーちゃんは子供好き?」
嫌な聞き方だ。嫌いと聞かれたら「嫌いじゃない」「むしろ好き」の二通りの答え方があるのに、好きと聞かれたら本人たちの前である以上、「好き」以外の選択肢がない。
『好きですよ。ただあんまり触れあう機会はありませんね』
「だろーだろー? あんなとこにずっといちゃあ、窮屈で腐っていくだけだ。たまには思いっきり羽を伸ばさないとな」
どきりと胸が痛くなる。マルコさんは私とヒース兄妹との関係をどこまで把握しているのだろう。
「兄も妹も一言多いし、揚げ足取りが大好きときた。迂闊なことすると一ヶ月は話の肴にされるから要注意な。
おっしおまえら! これから昼飯に取りかかるぞ。それぞれ食べたいものを挙げていけ」
マルコさんの号令に合わせ、公園のときとは違った回答を耳にしながら料理にとりかかった。
わいわいがやがやと失敗を重ね、形になったのはリゾットにサラダ、ハンバーグという定番メニューであった。スープは薄味に仕上げている。
野菜を丸々一個ぶちこもうとする子供たちをどうにか止められたのは幸運だった。味見と称して手当たり次第口に放り込もうとしていく食いしん坊を止めるのにも骨が折れた。
ダイニングに鎮座するテーブルには椅子がなんと十二個も置かれている。壮観な眺めに、逆にどの席に座ってもいいのかわからなくなった。きょろきょろしていると女の子が空いている椅子を叩いていた。
「ジュイの隣に座りなさい」
落ち着いた命令口調も悪い気はしなかった。スカートの裾を整えて、そわそわしているジュイという女の子の様子に背伸びを感じたからだ。私にもこんな時期があったのかもしれない。口元が緩む。
全員の着席を確認してから食事が始まった。マルコさんや男の子たちは好きなものや苦手なものをもらったり押しつけたりしている。公園で遊んでいたときからご飯のことしか考えていなかった子は一人黙々と食べている。たまにこぼすため口元を拭いてあげても、数秒後にはまたこぼしてしまうため他の子はもう無視を決め込んでいるらしい。
この家庭の独自のルールを一つ知るだけで、自分が歓迎されていることを再確認できた。
「おねえさん。さっきからしゃべっていないけど、というかあなたの声を聞いた覚えが一度もないわね……魔法の代償なのかしら?」
ジュイちゃんの鋭い指摘に言葉が詰まる。どう答えるべきか逡巡し、私は『たいしたものじゃないよ』と(食事中に書くのもどうかと思ったが)スケッチブックを提示する。
「ごまかすのね」
ぐうの音も出ない。
『でも治るって信じてる』
前向きな意思をスケッチブックにぶつけると、それを見たジュイちゃんの目元が和らいだ。
「良い心がけね。言葉には力が宿るっていうもの。……兄さんみたいに痛々しいほどまで頑張らなくてもいい。こうなりたいっていう気持ちは人を動かすわ。声を出せるようになったらまた来て頂戴。おつむのたりない兄弟と一緒にいると馬鹿菌がうつってしまいそうだもの」
「誰が馬鹿だ、ああん?」
「まあ自覚はありますのね、ユワンにいさん」
差し向けられた横槍は軽々と撃ち落とされた。ジュイちゃんが静かにカップに口をつけると、反論する意欲がそがれたのかユワンと呼ばれた少年もジュースで喉を潤している。不服そうな目だけは何か言いたげで、両者はしばらく目で威圧し合う。
横目で盗み見るとマルコさんが苦笑していた。どうやら二人の小競り合いは今に起きたことではないらしい。
私も区切りをつけるために紅茶を含む。口に広がる味わいとは新しい出会いで思わず顔がほころぶ。
「気に入ってくれたのなら淹れたかいがあったわ。マルコにいさんも味には疎い方でね。我が家の食いしん坊さんは味よりも量なの。つまらないでしょう?」
これは私が彼女のお眼鏡にかなったということなのだろう。辛辣な物言いも理想の表れだと思えば可愛らしい。
「おねえさん、本当に食べ方が綺麗ね。どこかで習ったの? わたしに教えてくれないかしら」
食べ方が綺麗と評されたのは初めてだ。レーネは細かいこと気にしない大雑把なタイプだし、クレランスさんは余程のことがなければ他人のことについて首を突っ込んだりしない。おや、放任主義で唯我独尊なところは兄妹でそっくりである。
食事の手を止めて、自分の手の中に行儀良く収まっているナイフとフォークを見やる。記憶を失ったとはいえ、生活するための知識は残っていた。ただ誰にどうやって教えてもらったのかは覚えていない。そのため私のやり方を真似してとしか教えようがなかった。
「難しいわね……けれどできなくはないわ……って、セプ!」
ジュイちゃんが声を荒げたのと同時に、私の皿からにゅいと小さな手が離れていった。何事かとその手を素早く追いかけると、女の子が口をもぐもぐとしていた。
「もう、人のものを横取りしてはいけませんと教えたでしょう?」
「だって……残ってたんだもん……」
奪われたポテトはセプという食いしん坊の口に吸いこまれ、消えた。おしまいと満足そうにセプちゃんは指を舐め、またきらきらとした瞳で私の皿を覗き込んでいた。彼女の前掛けはよだれで濡れている。
そんな熱い視線に負けて、私はポテトを一つつかみ、セプちゃんの口元まで持っていく。すると勢いよく食いついてきて、指まで食べられるのではないかとひやひやした。
もぐもぐと食べるセプちゃんは幸せそうで、この笑顔のためならばもっとあげてもいいかなと思ってしまった。
「ほら、満足なさったらお行きなさい。マルコにいさんがデザートを用意してくださるはずよ」
「ほんと!? あっ、ねーちゃ、あんがとー。またちょーだい」
軽い足取りでセプちゃんはマルコさんの元へと急ぐ。
上手く手綱を握り誘導したジュイちゃんはこういう状況にも慣れっこらしい。
「失礼、お見苦しかったでしょう」
『ジュイちゃんって面倒見がいいよね』
「な、なんでそういう話になるかしら。ふふん、嫌な気はしないわ。わたしもおねえさんだもの」
胸を張る少女の姿は在りし日の自分を見ているかのようだった。