2-6:家族のカタチ -マルコの場合- 1
週の終わり、日曜の朝にマルコさんはやってきた。手ぶらでやってきた彼は普段と何ら変わらず、屈託のない様子で「行こう」と私に手を差し伸べる。これから外に出るというのに気軽さを感じさせるエスコートはデートというより友人や昔なじみのような雰囲気だった。
マルコさんの顔と手を見比べていると、もう片方の手も頭の上に置かれてしまう。
「緊張すんな。行ってみれば、ガキどもがうるさくて目が回るぜ」
「弟妹がいようといまいと、君は大抵騒がしい気がするのは私の錯覚だろうか」
「兄さん、それは錯覚じゃないですー。マルマルはいっつもぴーちくぱーちく鳥みたいですー」
「ああもう、アイラーちゃんはこいつらみたいになるなよ?」
こいつらとマルコさんに指差されたヒース兄妹はどこ吹く風と受け流す。これまでに築いてきた関係性の一端を目にし、私は三人の在り方を感じられた。
「マルマル、アイラーをよろしくね! アイラーも気に入らなかったらマルマルのこと遠慮なく殴っちゃって! あたしのことは気にしなくていいからっ」
昨夜、レーネは大怪我をして帰ってきた。本音を言えば気にせずにはいられないけれど、彼女なりの気遣いだと思うとグッと言葉を呑み込む。掘り下げる時期は今ではない。
そんな感じにレーネにからかわれ、クレランスさんには暖かい目を向けられながら、マルコさんとともに太陽の下へ踏み出した。
休日ということもあって賑わう街を二人で歩く。夜にはスポーツの試合があるのか、人通りが平常より数割増しだ。学院を囲うようにして広がる繁華街には人が絶えず通り過ぎたり、屋台の前でたびたび止まったりしていた。
外を歩いていると秋の到来をじわじわと感じた。吹き抜けていく風や街角を彩る植物は夏の頃とはうってかわって落ち着いたものになっている。私は薄い長袖の裾をつかみ、伸ばした。
どこまで人の波が続いているのだろうと眺めていると、マルコさんが口を開く。
「オレんちはこの先の住宅街にあるんだ。周り一面家ばっかりだからさ、結構騒がしいんだよなあ。うるさいガキどもにはぴったりなんだけど」
恐らく自宅があるであろう方向をマルコさんは示している。
苦笑しながら楽しげに語る彼の横顔を見つめながら、私は腑に落ちず首を傾げてみせた。
「うーん? どうした? ……ああ、なんで騒がしいのにぴったりだって? みんなうるさいから気楽なんだよ。自分だけがうるさかったら異分子で肩身の狭い思いをするだろ? それが全員うるさいときた。咎める奴はいないんだ」
まあ特別な催しがあったら配慮したりするけどさ、とマルコさんは頬をかく。
私は昔から学院の敷地内で暮らしているため、マルコさんの言うような近所付き合いがわからない。家の外に出れば学生や講師ばかりだ。たまに校舎内で事件が起きることもあるとはいえ、その波は研究棟まで伝わってこない。陸の孤島は言い過ぎだとしても、子供の声が聞こえてくるなんてことはない。
突如背筋が震えてマルコさんとの距離を詰めた。スケッチブックをきつく抱きしめて、マルコさんの斜め後ろにぴたりとくっつく。
「……たまにはいいか」
堅く響く足音が心地よく感じられるようになると、街の風景も一変した。屋台は消え、代わって道の両側に住宅が建ち並び始める。等間隔に置かれた玄関はここが同時期に開発されたことを示している。開け放たれた窓からは微かに人の声が聞こえてきた。小さな窓に飾られたブーケを目にして、住民の息遣いまで流れてきそうだった。
そのまま直進すると道が開け、大きな公園につながった。そこでは子供たちが元気いっぱいに遊んでおり、一瞬たりとも時間は止まっていなかった。
(私にもこんな時期があったのかな……)
まばゆい光に目を細めていたら、前にいたはずのマルコさんが公園の中にずんずん入っていった。置いて行かれぬよう小走りで私も続く。
「おーい、おまえらー。飯の時間だぞー!」
マルコさんが声を張り上げると、数人の子供が勢いよく振り向いた。そして遊びの手を止めて――ブランコや滑り台に登っていた子は飛び降りて――彼のもとに駆け寄ってきた。
「にーちゃ――――――!」
いや、訂正しよう。駆け寄ってきたという生易しいものではなかった。マルコさんの腹部を確実に狙った頭突きに、腕につかまって人間ブランコをする子供たち。私に手伝えるのは、へばふ、と鼻に攻撃を受けて立ちくらみをしたマルコさんを支えることだけだった。 最終的にマルコさんは子供の遊具と化し、鼻血が垂れていた。そっとティッシュで鼻血を拭いてあげようとしても、子供たちの容赦のない攻撃は付け入る隙を与えてくれない。
一番勝ち気そうな男の子は肩車されると、マルコさんの茶髪でまるで土いじりのように遊び始めた。髪をひっぱられても「痛いなぁ」と間延した声を上げるだけでマルコさんは本気では怒らない。
「にーちゃ、にーちゃっ。今日のメニューは?」
「メニューはぁ?」
「これから考えんだよ。何がいい?」
子供たちがそれぞれ自分の食べたいものを答えていく。発言のある人は挙手、とマルコさんが指示すると皆が習った。全員の答えを聞いた後、「よし、帰るか」とマルコさんが動き出した。
「おっと……そうだったそうだった。アイラーちゃんは食べたいもんある?」
マルコさんの言葉と同時に、子供たちの十個の目が一気にこちらに向いた。あまりの迫力に尻込みしそうになりつつも、私はしっかりと彼らの視線を受け止めた。様々な色を混ぜ合わせた好奇もあれば、無関心という色のない視線もある。十人十色は個性を尊重した教育の証ゆえに否定しない。
「兄様。後ろの方はどちら様ですか」
「はぁ? それ聞くの? 馬鹿かよ、ガールフレンドに決まってんだろっ」
「ねぇねぇ、ガールフレンドってなぁに? 食べられる? おいしい?」
「食べられないわよ。どこからどう見てもあの人五体満足じゃない」
「……食べられないのと、食べてないは全然違う……」
爛々(らんらん)と輝き始めた瞳から逃げるために、スケッチブックで顔を隠しながら一歩後ずさる。マルコさんもそっと私を守るように立ってくれた。
「お前ら、こいつは客人だ。丁重にもてなすんだぞ」
「客人ですか」「なんだよつまんねーの」「客人? 食べられる?」「食べられませんわ。要するにマルコにいさんの友達ってことよ」「……ようこそ、我が家へ……」
まだ着いていないと全員が突っ込んだ。
子供の心は揺れ動きやすくつかみにくい。一人一人の発言が嘘か本当かまでは判断できず、とりあえず歓迎されているのだろうと私は納得した。
止まない会話に耳を傾けながら歩いた道はいつも以上に短く感じた。しゃべっているのはだいたい子供だけであり、マルコさんは聞き手にまわっていた。私も相づちを打っているだけであったが意外にも簡単に会話は成立した。ただ内容は支離滅裂で、最後は全員で笑い合った。
住宅地の中をじぐざぐに分け入っていくと、突然競争だと言って子供たちが走り出した。ビリはデザート抜きという罰ゲームのせいだろう。やる気に満ちた彼らを見送ると、嵐が過ぎ去ってようやくマルコさんと二人きりになれた……と溜息ついたら、走っていない子が一人だけいた。
「……おねーさん」
彼女は五人の中で最も無口な子であった。手を口元にあてて何か言いたげにしていたので、私は膝を曲げて耳を寄せる。
「……おねーさん……魔法つかいだよね。おにーさんと同じ」
それだけを告げて彼女は最後尾を走り出した。