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うそなき -嘘笑む声無き-  作者: 楠楊つばき
第2章 嘘も方便
10/19

2-2:氷結(後編)

今回もタブレット端末による投稿です。

 講義が全て終了した後、落ちる夕日を背に噴水の前で立ち尽くしていた。

 現在所持しているいかなる道具を使おうと、この噴水は凍らないだろう。自分の実力は自分で一番わかっている。苦肉の策で一部は凍らせても、全体を凍らすことはできない。四方による同時散布がいかほどの威力を持つか。

 こぼれていく水の音が心地よい。袋小路から抜け出そうと揺らめく水面を覗き込む。稀にしぶきが頭上に降り注いだ。

 日が傾くにつれて噴水も橙色に染まっていった。オレンジジュースみたいだなと眺めていると小さなお友達の声が聞こえた。


「ふみゃあ」


 いつの間にかに一匹の黒猫が私の横を陣取っていた。前脚で顔を掻きながらごろごろと喉を鳴らしている。夕焼けと黒猫のコントラストは互いに主張が激しくて目がしばしばしそうであった。その喧嘩もあと半刻もすれば猫の不戦勝で、退く夕日が浮かばれない。

 この前会った猫であるという確信が自分の中にあった。手を伸ばして頭や喉を撫でても拒まれない。やはり先日一夜をともにしたあの猫だ。


(どうやったらあの人みたいにできるんだろう)


 猫と戯れながら、誰に聞かれるのでもなく愚痴をこぼしていた。噴水の水は循環しているため道具を使用するのは難しい。氷点下の物体を放り込んで熱平衡を狙うのも無理がある。


(冬だったら深く考える必要もないのに)


 学生ローブが突風でたなびいた。冷気に富んだ風は雨の予兆なのか体温を著しく奪っていった。黒猫も初秋に似合わぬ風に驚いたのか私の体を風除けにしている。


「あら……? アイラーさん?」


 名前を呼ばれて顔を上げると、シスターがこんにちはとスカートをつかんで腰を折っていた。


「噴水に惚れてしまわれましたか?」


 彼女の手には大量の紙束があった。風に飛ばないようきつく胸の前で抱きしめている姿は庇護欲を駆り立てた。

 シスターこそその紙束はどうしたんですかと尋ねてみると、配布を任されたのだと一枚見せてくれた。


「新入生への歓迎試合です。三年と二年の主席同士を戦わせて、一年生に我が学院で学べば彼らのようになれますよと激励するそうです」


 先月、レーネが話していたものだ。事前情報があったおかげでシスターの説明がすんなり頭に入ってくる。

 あれから二年主席について聞き回ったものの、有力な情報は得られず空振りだった。この試合が初めて二年主席の姿を拝める機会になるかもしれない。


「アイラーさんが観戦しに行かれれば、二人とも喜ばれますよ」

『二人って誰のことですか?』

「言葉が足りませんでしたね。試合参加者のお二方です」

『私は二年主席とは面識ありませんが』


 アル力ネットさんはまだしもと心の中で毒づく。

 長い文章を書き殴って見せると、シスターは口元を隠しながらんでいた。そういえばシスターはどんなときでも笑っている印象しかない。仕事柄といえど、相手にどのような態度をとられても笑顔で返すのは難易度が高そうだ。

 夕焼けが端まで追いやられていた。が食われ、夜が君臨するのも近い。ぴゅううと風に耳を切られそうになり、学生ローブの襟を立たせた。


「……ふふ、いじわるしてしまってすみません。歓迎試合が正式に決まった直後、アル力ネットさんが外に出られたものですから」


 シスターは手のひらを噴水へと向けた。口をかすかに動かすと、地響きが足下を揺らし、噴水のある場所に巨大な氷柱が出現した。噴水は氷柱に閉じこめられても水を流し続けている。氷の檻に守られた水。これも魔法なのかと胸が騒いだ。


「彼は貴女に第一に報告したかったのかなあと、そのときわたくしはひらめいてしまったのです。ふふ、人は素敵ですね。引き裂かれようとも再び結び合おうとする。わたくしも……貴女の声が聞きたい」


 シスターが私の髪を一房つかみ、口付けを落とした。同性だというのに突然の出来事で耳まで真っ赤になり、慌てて一歩下がろうとしたらシスターの手が腰にまわってきた。

 彼女の方が少し身長が高かった。ふんわりと漂ってきた甘い香りが鼻をくすぐる。はしゃいだときや感動したときにレーネとこうして抱擁ほうようしたこともあったが、それとは違う緊張に体が硬直していた。


「きしゃあっ」

「きゃっ⁉︎」


 シスターが腕を押さえながら膝から崩れ落ちた。右の二の腕を左手で押さえ、うずくまっている。見ると二の腕の部分が引き裂かれているではないか。血もにじむ、細く抉るような傷に、何が起きたのか悟る。

 足下で黒猫がシスターを威嚇していた。毛を逆立てて、私とシスターの間に分け入っていき、爪を隠す様子はない。

 とはいえど自分のとるべき行動は決まっていた。

 鞄から常備用の薬草を取り出し、うずくまるシスターに近寄る。黒猫の威嚇だってなんのその。怪我をしている人を見捨てるという選択肢はない。

 薬草をすりつけて、癒せと短く念じる。淡い光が傷口を優しく包むと、瞬く間に血は止まり、服や肌を伝わっていた血も消えていく。

 終わったとシスターの腕から手を離す。

 依然として黒猫は威嚇態勢をとり続けているが、シスターの様子はだんだんと落ち着いてきた。


「ありがとうございます……アイラーさん。これもまた神様のおぼしめしなのでしょう」


 シスターは黒猫を一瞥すると目元を下げて、噴水にかけていた魔法を解く。氷柱が崩れ、欠片が風に舞った。


騎士ナイトが牙を剥く前にわたくしは退散させていただきます。短い間ではありましたが貴女に出会えて楽しかったです。ぜひまた聖堂にいらしてください」


 学院へ戻っていくシスターを手を振って見送った。黒猫の威嚇はまだ続いており、それだけが気残りであった。

 肌寒くなってきたので今日はここで切り上げようと荷物を整理する。研究棟へ足先を向けると黒猫もついてきた。ついてきているという考えは間違いではなかった。家の前まで黒猫はやってきて、みゃあと鳴いた。玄関の中には入ってこなかったが、まるであっちには行ってはならないと教え込まれている忠犬のようであった。

(……気に入られたのかな)






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