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プロローグ

 初めて使えるようになった魔法は花を咲かせる魔法だった。


 頑なに閉じられていた蕾が呪文とともにゆっくりと開かれていく。あの高揚感は今でも忘れられず、魔法使いとしての一歩を踏み出した瞬間でもあった。


 そういえばなぜ花を咲かせようとしたのだろう。大事な動機を忘れてしまった。子供らしい好奇心ゆえ、といえば聞こえはいいが、初心に戻りたくなった際に苦労しそうだ。


「アイラー! 帰りにケーキ食べに行こっ」


 置いてきてしまった余情に思いを馳せるのも終わり。


 気の置けない友人がかすものだから、ぽぽいと鞄に教科書を放り込んだ。スケッチブックは取り出しやすい場所に入れて、専用のペンは上着のポケットに忍ばせた。


 席から離れて講堂を退出した直後、爆裂音が耳をつんざいた。


 間髪入れずに周囲がざわめき立ち、自分も何事かと立ち往生してしまう。そばにいた友人――レーネに腕を引っ張られてようやくパニックから脱せた。


 レーネは何も言わなかったが、険しい表情はいたずらでも冗談でもなかった。無言のまま腕を引かれて、私は廊下を走る。


 状況確認を行っているのであろう学院の講師らと何人もすれ違った。その誰もが青ざめた顔をしており、普段温和で糸目な人さえも刮目かつもくし凄みをかせている。


 間もなく侵入者を知らせる校内放送が流れた。レーネの突飛な行動が紐解かれたとともに、厳重な警備がされているはずの学院が手をこまねいているという事態に悪寒を覚える。轟音が一つ、二つ。三つ、四つ――。避難指示も出されたが、このだだっ広い敷地内でどこまで逃げればいいのか。


 足元への注意が疎かになっていたせいか、何かにつまずいて転びそうになった。咄嗟に手をついたため、図らずとも私とレーネをつないでいた糸が切れてしまう。


 アイラー、とレーネの声に悲壮感が帯びた。


 顔を上げてレーネに大丈夫だと微笑もうとしていたら、ぐらりと体が傾き、足が地面から離れていた。であるのに来た道を逆戻りする方向へ風景が移り変わっていく。レーネの叫び声がだんだん遠くなっていく。


 私は何者かに横抱きにされていた。抵抗を試みるものの、体が縄か何かで縛られたかのように動かない。


 窓は締め切っており、外部の侵入を許すような出入り口も近くになかった。考えられる可能性は二つ。単純に侵入者に追いつかれたか。二つ目の考えはできれば否定したいのだが、あらかじめ屋内に待機していた潜入班に捕まったか。


 このまま誘拐されるつもりは毛頭ない。荷物をあの場に落としてしまい、その中には意思通達手段であるスケッチブックが含まれていたが、予備の道具は常日頃から携帯するものだ。


 胸ポケットから数粒の凝縮玉を取り出し、横の壁に投げつける。衝撃を加えると爆発するそれ・・はやや行き過ぎる自己防衛手段として学院の中で話題だ。


 予想していた通り、爆発の余波に油断したのか私の体を抱きとめていた力が緩む。私は肘を後ろに突き出し、拘束から逃れた。


「こっちだ!」


 二人の講師が道を示してくれていた。考える暇もなく脇の通路へ滑り込むと、地面が盛り上がり通路を閉鎖する。その場しのぎの方法とはいえ、侵入者とは分断された。今になって冷や汗が湧き出てきて、鼓動が早くなってきた。


 ただし安心できる時間はそう長く続かなかった。


『ザ……ザザ……』


 奇妙な雑音が校内放送に混じった。余計な音を含んでいる放送は自分の頭の中に直接響いているようで気持ち悪い。


『――我々の名はベレシート。此度こたび同胞どうほうアイラー・ブラックを迎えに来た。直ちに引き渡すというならばこれ以上部外者に手を出さないと約束する』


 その放送は学院によるものではなかった。侵入者による犯行声明。標的の名――私の名前が講堂に響きわたり、異常事態を察した講師が私を庇おうと臨戦態勢をとる。


 対して私はこの放送で全てを悟ってしまった。この事件の発端も狙いも霧が晴れたように見通せてしまい、歯がカチカチと震える。


 青ざめる私を見て、教師がねぎらいの言葉をかけてくれた。


 どうやら誤解されてしまったらしい。違うのだ。私が望む行動は守護でも抗戦でもないのだ。


 言葉を紡ぐ時間は与えられず、あれよあれよと背中を押され、より強固な警備体制が敷かれた区画へと誘導される。正確な目的地はわからないとはいえ、学園の奥へ押し込まれるように突き進んでいることは確かであった。


 第一防衛突破、第二防衛半壊……。声が増幅されるシステムは無情な現状を告げている。


 護衛と称された供をまけられず、その上騒ぎの中でスケッチブックを落としてしまった。現在、己の意思を伝達する手段が手元にない。せめてレーネが近くにいればこの誤解も解けるかもしれないというのに。


 いや、これは見せつけなのだ。ゆえに街中で一人いるところではなく、一生徒として通っている学院での私を狙ったのだ。


 追いつめられているという圧迫感に肝が冷える。同時に新たなステージへ上れるかもしれないという、魔法使いならではの向上心が血を沸かせている。


 第三防衛突破という報告が学院内の熱を奪った。


 耳を切ってしまいそうな急激な温度低下に心臓が騒ぐ。護衛の一人が熱を発生させる瓶を投擲とうてきした。効果はすぐになくなってしまい、床は氷上の踊り子をもてなす舞台へ変わろうとしていた。


 狭い廊下では飛行魔法も役に立たないと判断されたのか、護衛がこちらに何かの瓶を投げつけたところを私は目撃した。




 ぱらぱらと頭上から堅い破片が落ちてくる。幸いにも怪我はなく、服がすり切れた程度だった。肘、膝とゆっくり立たせていき、最後に手で床を押して立ち上がる。一瞬ふらつくもたたらを踏んだだけであった。


 振り返ると、回廊が途切れていた。爆発によって天井が崩れたのだと理解したとき、ここまでするのかという恐怖に一瞬飲まれそうになったが、この暴動の原因は自分にあると我に返ると涙も流れなかった。目が異常に冴えてしまった。いつか自分もあちら側になる時がくる――そんな予感がした。


 重い一歩を踏み込んだ。学院の奥にある特別地域は不気味なほどに静まりかえっていた。周囲の音が入りにくい構造なのだろうか。あるいは嵐の前の静けさか。いずれにせよ迎えの時は近い。


 歩きついた先には聖堂があった。珍しく扉と窓が開け放たれている。そのせいか普段と空気が違っていた。ただ匂いは変わりない。


 中に入って深呼吸をすると、詰まっていた息が一気に解放されていく。強烈な赤を宿したカーペットの上を歩き、神様の像の前で私はここにいると心の中で叫んだ。


 突如何者かの足音によって静寂が打ち砕かれる。鷹揚おうようとした足取りは狩りを楽しむそれだった。獲物を震え上がらせるための演出なのである。


 私は音から意識を放し、窓から舞い込んできた青い花吹雪に目を向ける。どこかで見たことがあるような気がするというのに、花の名前もどこで見たのかもわからない。見ていると漠然とした悲しみが胸の中で沸き起こるのも言葉で説明できない。目を奪われて、目頭が熱くなる。


 ――咲いて。花吹雪ではなく本来の姿が見たいから。


 そんなことを考えていたら、目の前に親指の爪ほどもない青い花をつけた茎が一本、どこからか現れた。ワスレナグサに似ているが、色が濃く深い青だ。先ほどまで響いていた足音は消えていた。顔を上げると、私に花を差し出していたのは今回の騒動を起こした張本人だった。


 くれるということなのだろうか。花と顔を交互に見つめる。邪な気を感じない柔らかな微笑。口を開けば親愛にあふれた声で私の名前を呼んでくれるだろう。そう思ってしまうのは私も花を見ながらあなたの名前を心の中でつぶやいたから?


 軽い目眩に襲われ、遠い記憶の糸がたぐりよせられる。青い花、差し出す、喜び――。このようなことが昔にもあったのではないかと事件の犯人に問おうとして口を開く。


「離れろっ!」


 一陣の風が青い花と私の問いかけを散らせていく。散りゆく花は美しくなかった。ただただもの悲しかった。手を伸ばしても散った花は元には戻らない。


 ――そう。自然の摂理に反さなければ。


 手で花びらをすくう。ありたっけの気持ちを込めて両手を合わせた。


 この花を、かつてこの青い花に忍ばせた思いと記憶を取り戻すために。






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