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クッソ長い回想シーン恥かしくないの?

 無事に本の返却を済ませた俺がそのまままっすぐ家に帰ろうとすると、カウンターの中から谷岡が「ちょっと待って!」と声をかけてきた。

「お? どうしました?」

「いなりが、ではなくて、あの、一緒に帰りませんか?」

「何で帰る必要があるんですか(正論)」

「実はあなたのことをお父様にお話したら、ぜひ連れて来てほしいと言ってまして」

「……うせやろ?」

「本当です」

「冗談はよしてくれ(タメ口)」

「本当です」

 こうしてなし崩し的に谷岡邸行きが決まった。


 図書室を閉める仕事があるという谷岡に「お待ちしてナス!」と言い残した俺は忠犬よろしく校門で彼女を待つことにした。(なんか犬っぽくねえよなぁ?)

 既に衣替えの時期は過ぎており、辺りには蝉くんの迫真の鳴き声が響いている。練習後の汗で湿ったシャツと素肌の隙間を温い風が撫でる。既に沈みかけた夕日が舗装された地面の上にうっすらと俺の影法師を作っていた。

 辺りには俺以外の人影は見当たらない。ただ蝉の鳴き声だけが五月蝿いくらいに俺の頭の中に響き渡っている。そうしてじっと佇んでいるうちに、辺りを支配する蝉の声と夕焼け色の景色が俺の頭の中にある記憶を蘇らせた。


「え? 火野塚君のこと?」

 あれは忘れもしない、俺がまだ中学生で、「淫夢」という言葉の辞書的な意味しか知らなかった頃のこと。教室の中から聞こえてきた声に、ドアの取っ手に掛けられていた俺の腕が止まる。それは聞きなれた少女の声。俺の胸を焦がし続けた響きだった。

「そう、最近なんかよく話しかけてあげてるじゃん。……もしかして、好きなの?」

 教室の中、ドアを隔てた向こう側で交わされる会話。それは当時の俺の想い人である森本ひよりが友人の女子達と繰り広げているものだった。

 その日、俺は下校途中に気がついた忘れ物を取りに自分のクラスへと引き返して来ていた。中へ入ろうとドアの取っ手に手をかけたとき、森本の声が聞こえて思わず動きを止めてしまったのだ。

「マジ? ひよりってああいうのが好みなの?」

 教室内に森本がいるだけで俺にとっては一大事なのに、その会話の矛先が自分に向いていたことで俺は完璧に動揺していた。

 当時クラスに友人がおらず、ぼっちまっしぐらだった俺に唯一話しかけてくれたのが森本だった。だから、当然の如く俺は森本に好意を抱いていたし、相手も自分に対して同じ気持ちを持ってくれているならそれに優る幸福は無いと思っていた。当然そんなことがありえないということぐらいわかっていたけれど。

 しかし、降って湧いた想い人の気持ちを知るチャンスに期待を抱くなというのは当時の俺には難しい注文だった。俺は期待と不安が入り混じった気持ちでその先の言葉を待つ。

 だが、森本の口から出た言葉は俺の甘い幻想を容易く否定した。

「ちょ、やめてよ、好きな訳ないじゃん。ふざけないで」

 予定調和的な落胆。その時の俺の心情を表すならそういう言葉が相応しかった。がっくりと肩を落とし、廊下に佇む俺。

「な~んだ。良かった、あたし、友達がダメ男に嵌っちゃったのかと思って焦ったわー。でも、そしたらなんであいつに話しかけてるわけ?」

「あ、あれはただいつまでもクラスで孤立してる人がいたら可哀相だし、雰囲気も悪くなるからってだけだよ」

「義務感ってやつ? ひよりってばやっさしー。あ、でも気をつけなよ? ああいう手合いは優しくすると勘違いしてストーカーになったりするってテレビでやってたから」

「アハハ、あんたそれ鵜呑みにしすぎ。まあ、でも火野塚ならありえるかも。あいつ何考えてるかわかんないしー。ひよりも用心するに越したことはないんじゃない?」

 言われたい放題だった。だがそこまでならまだなんとか受け止めることもできた。自分がクラスの女子に快く思われていないことは知っていたし、森本が俺に近付く理由が好意ではなく同情であることぐらいまともな判断力があれば分かる。

 俺を完膚なきまでに叩きのめしたのはそこから先の内容だった。

「や、でも実際ストーカー云々は置いといても、ぼっちでいるところに一人だけ女子が話しかけてきたら勘違いするって、男子は馬鹿だから。火野塚も期待してんじゃないの?」

 先程までとは別の声がそう口にした。

 完全に図星だった。俺はいたたまれなくなって、忘れ物のことも忘れてその場を立ち去ろうとする。しかし、直後に聞こえてきた森本の言葉が今でも忘れられないほど俺の脳裏に深く刻み込まれている。


「え~、やめてよそういうこと言うの。気持ち悪い」


 その言葉を聞いて、俺は自分の抱いていた感情がいかに愚かなものだったのかを知る。

 それまでの俺は自分の森本への気持ちがどこか正当な、肯定されるべきものだと無意識に思っていた。恋をすることが素晴らしいことだなどという戯言を真に受けていたのかもしれない。

 しかし、興味の無い相手からの好意なんて悪意と大して変らない。その当たり前のことを俺はその時初めて理解した。

「気持ち悪いって、ちょっ、ひより酷いよ~火野塚泣いてるよ?」

「いや、悪いけど私本当そういう目で見られるのだけは無理なの」

「じゃあさじゃあさ、火野塚以外の男子だったら? 例えば……」

 その先は聞きたくなかった。俺は足早に、しかし足音だけは立てないように教室を離れ、昇降口を抜け、校門をくぐり、そこでようやく走り出した。走って走って、家の近くにある公園まで来た時、俺は自分が上履きをはいたままであることに気がついた。だが、そんなことは最早どうだっていい。ただ、「気持ち悪い」という森本の言葉の残響が俺の頭の中に木霊していた。

 俺は誰もいない公園の中のブランコに腰かけると、失業した中年のようにうな垂れたまま前後に揺られる。

 自分が間違いを犯したことはわかった。ではいったい、それはどこから始まったのだろう。森本が話しかけてきたこと? 俺がそれに応じて、彼女との会話を日々の楽しみにしていたこと? 或いは森本が俺に対する不快感を口にして、それを俺が盗み聞きしてしまったこと?

 どれも違う、或いは、間違いの一部に過ぎないと感じた。仮にそれらがなかったとして、俺は森本以外の誰かを相手に同じ失態を演じていたかもしれない。だとしたら、俺はどうすれば良かったのだろう。どうすれば、こんな気持ちにならずに済んだのだろうか。

 気を抜くと漏れそうになる嗚咽を押し殺しながらそこまで考え、いつのまにか俯いていた顔を上げる。そこで俺は視界の端にある光景を捉えた。それは公園内に設置されているトイレに入っていく二人の男の姿だ。一人はがっしりとした少しワルっぽい風貌で、青いツナギを着ている。もう一人はカジュアルな服装に身を包んだまだ少年と呼んでもよさそうな若者で、いかにも優等生然とした雰囲気を醸し出していた。

 あんな二人が連れ立ってトイレに入っていくなんて、一体どうしたことだろう。

 瞬間的に俺の頭に浮んだ疑問はトイレの中から漏れ聞こえてきた物音によってすぐに解消される。物音と言っても耳を澄ませないと聞こえないぐらいの小さなものだったが、それでも二人が中で何をしているかはわかった。後で知った話だが、そのトイレは近所でも有名な810場だったのだ。

 天啓というものがあるなら、きっとそのとき俺が見たものこそがそうだったのだろう。それまで俺の頭を支配していた疑問が瞬く間に氷解していく。難解な数学の問題を解いた時のように、思考の靄が晴れ、目指すべき答えへの道筋が鮮明に見える。欠けていたピースが今まさに揃った。

 「ノンケであること」、それこそが俺の犯した間違いだ。俺がノンケでさえなければ、森本に対しておかしな期待をすることも、こんなふうに傷つくことも無かったのだ。二度と同じ轍を踏まないためにも、俺はもうノンケでいるわけには行かない。

 その日から、俺はノンケであることをやめようと誓った。そして、それを周囲にアピールするための一番分かりやすい方法が淫夢厨となり、語録を使うことだったのだ。そうすれば、仮に女子と親しくなってしまったとしてもお互い嫌な思いをすることがない。

 淫夢厨となったことで、俺は周囲の人間と上手く付き合えるようになった。人付き合いなど、何か一つでも他人と共通する物を持つことができれば、あとはどうとでもなるということを俺は知った。

 語録を介した表面的な繋がり。馴れ合いと言われればそこまでだが、もとより他人と深く繋がることなどできるはずがない。或いは、それまでの俺は本質的なつながりなどと言う有りもしない物を追いかけていたからこそ、周りに馴染めなくなっていたのかもしれなかった。


「お ま た せ」

 背後から谷岡の声がして、俺の意識は現実へと引き戻された。

「(待っては)ないです」

「あら、そうですか?」

 極めて紳士的に答える俺。淫夢厨として長いキャリアを積んだ俺の口からは、ほとんど無意識的に語録が飛び出す。かくして俺達は谷岡邸へ向けて歩き始める。

「……」

 谷岡の家を目指し、二人横並びで歩く。俺は自転車なのだが、谷岡が徒歩なのでそれに合わせている。女子と並んで下校する、というのは普段から「出会いたい!」と思ってやまない男子小学生には喜ばしいことに違いないが、少なくとも俺にとっては「やめちくり~」と敬遠したいことの一つだ。それ以前に差し当たり俺の頭にはこれから起るであろう事への恐怖しかない。

「やべぇよ……やべぇよ」

「何がですか?」

「(何でも)ないです」

 自分でも気がつかないうちに漏れた呟きを聞かれてしまい、咄嗟に取り繕う。

「ん? 今何でもって」

「ちょっと使い方間違ってんよ~」

 そもそも「何でも」とは言ってないんだよなあ。それじゃ難聴を通り越して幻聴だって、それ一番言われてるから。

「こんなんじゃ会話になんないんだよ(棒読み)」

「あら、すみません。……なかなか難しいのですね」

「そんなんじゃ甘いよ(棒読み)」

 語録の力で会話が弾む。その虚しさに涙が出、出ますよ。

「こ↑こ↓」

 しばらく歩いたところで、谷岡がご満悦顔で道の左側を指差した。その先には以前来た谷岡邸がその威圧的な外観を惜しげもなく晒している。

「はぇ~すっごい大き、ファッ!?」

 一度来た場所ではあるが、マナーとしてその大きさを褒めておこうとしたものの、最後まで言い終えないうちに俺の口から奇声が漏れた。何せ、谷岡邸の門の前に、見事な逆三角形の上半身を鎖帷子のようなもので包んだ男が仁王立ちしていたからだ。これマジ? 上半身に対して下半身が貧弱すぎるだろ……。

「あら、お父様。ただいま帰りました」

「やっぱりな♂(レ)」

 思わず口から正直な感想が漏れた。予想を外さない展開である。

「君が、まさよし君だね?(モルボルの涎に似た感触)」

 そのいかつい容貌からは想像もつかないねっとりボイスが俺の鼓膜を撫で回す。何だこの変態は……。たまげたなあ。

「あ~今日も学校楽しかったな~。帰って宿題しなきゃ」

 ある程度の覚悟はしていたものの、流石にこんな強烈なキャラクターに出てこられるとは思っていなかった俺は回れ右をして何食わぬ顔で立ち去ろうとする。

「おいにゃんにゃんにゃん!」

 しかし背後から伸びてきた大きな手にガッチリと肩を掴まれてしまう。

「やだ、小生やだ!」

「つべこべ言わずに来いホイ」

 そのまま谷岡邸の門の向こうへと連れ去られようとする俺。そんな俺たちの様子を谷岡(娘)がじっと見つめている。

「ライダー助けて!」

 俺は駄目元で谷岡(娘)に助けを求めてみる。

「こ、これは……。K○TIT×ひ○という新たな可能性……?」

 しかし谷岡(娘)は何事かを呟きながらぼんやりとこちらを眺めているばかりで一向に動く気配が無い。これはもう駄目みたいですね(諦め)。

「今回調教する少年はまもるっ」

「ごふっ」

 谷岡(父)が意味不明なことを言いながら放った膝蹴りが俺の腹部に命中する。俺が悶絶する隙に谷岡(父)がその逞しい腕で俺の身体を担ぎ上げた。そのまま運ばれていくのが分かるがこうなってはもうどうすることもできない。

 かくして俺にとって二度目の谷岡邸訪問と相成った。俺は普通の方法でこの家に入る事はないのだろうか。


(自分語り)痛いですね……これは痛い……

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