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中学生は恋をしない

中学生は恋をしない。と決めた。

作者: もっちょ

 嘘ばっかりの私なんて、粉々になればいいのに。


 

 中学校に上がってうれしかったのはやはり制服だった。男の子の様にふるまっていた私でも、誰にからかわれることなく女性らしい格好ができる春を喜んだ。初めて持つ生徒手帳には、髪を伸ばしかけの私がこちらを硬い表情で見つめている。教室の中には大きめな制服に包まれた生徒たちばかり。見知った顔もいれば見慣れない顔もいて、緊張しているのかみな落ち着きがない。例外なく私もきょろきょろと友人を探しては目配せしてクスクス笑いあった。

 窓の向こうに輝く瑞々しい緑のように、胸弾ませることばかり起こるものだと疑いもなく信じていた。



 できたばかりの友人たちと他愛無い話で盛り上がって帰途についた私は、玄関のドアを開けたとき違和感を感じた。首をかしげながら目線を下にすると、見慣れない男物の靴に気づく。革製だろうか、濃い茶色の鈍い光沢になぜだか胸が騒いだ。



 ダイニングに入っていくのにこんなに気が進まなかったのは初めてだ。楽しげに弾んだ母の声が、熱を入れているイケメン韓流俳優のことを話すときと酷似している。意を決して、かつ何気なさ100%でその場に入っていったが、どんな話をしたのか何も覚えていない。笑顔で乗り切れたのだろうか、背中にかく汗がひどく不快だった。姉や母に聞くこともやぶをつつくようなものだからもちろんできない。記憶に残っていたのは、姉の恋人として紹介された彼の人の微笑んだ口元、光の加減か時折緑にけぶる瞳。耳なじみのよい物静かな声のトーン。震えるような衝撃を受け続け、私の胸は悲鳴をあげ続けた。「これが、恋なのか」声すら発せずに、私の中で生まれようとした小さな何かは砕けてさらわれていった。



 それからしばらく、私は以前と変わらずに暮らしていた。

姉の恋人語りに興味津々と耳を傾け、父の少し不機嫌な顔を見て母とにやにや笑ったりという日課が加わっただけだ。睡眠不足と食欲低下さえ除けば、だが。 

 

 

 目を開けると白い布が見えた。同じ色のシーツに頬ずりして清潔な匂いと硬い感触を味わう。身じろぎした気配に布の向こうから穏やかな声が届いた。養護教諭の声は私が集会中に貧血で倒れたことを知らせ、眠りを促した。これはまずいことになったのではと思うが久方ぶりの眠気に抗う気も起きず、シーツの海に飲み込まれていった。 


 

 カーテンが空気をはらんでかすかに揺れ、意識が浮上する。頭の奥まですっきりしたような感覚に爽快感はあるが今の状況がいまいちつかめない。授業中なのか人の話し声や気配も遠い。気だるい感覚はベッドに腰掛けてもまだ抜けていかず、ぼんやりとするままにしていたらひっそりとドアの開く音と誰かの靴音が入ってきた。「休ませて~」と間延びした声がする。慣れた様子で入ってくる足音の迷いない感じは新入生のものではないのかもしれない。ひょいとこちらに現れた人は私が保健室の主ではないことに気づいたらしく目を見張った。少しの間見つめあう。私の推測は半分当たっていた。現れた人は新入生ではなく大人だった。理科のなんとか先生だ。名前を知らないのは授業を受けたことがないからだ。片眉をあげる仕草が妙に様になる顔立ちの男の人だ。先生は私から視線を外すと戸棚をさくさく開けて電気ポットでココアをつくり、一つをこちらに手渡した。受け取ったものの飲んでいいものか少し迷う。先生は養護教諭の椅子に腰掛けてこちらを見ない。安心して口をつけた。ココアも優しい味だし、沈黙はもっと心にしみた。囁くようにこぼれた「おいしい」という言葉に彼の後ろ頭がかすかに揺れた。


 

 その日家に帰ると両親と姉が私が学校でいじめにあっているのではと問い詰めてきた。確かに普通に考えると一番ありえそうなことだ。歪みそうになる顔を必死に堪えて、学校で問題はないし初めての試験に根を詰めたせいだとごまかした。それに納得してくれたのが良かったのか悪かったのか、姉の恋人が時たま家にいるときに出くわすと勉強を見てあげようかと話しかけてくる。姉と恋人が並んで私を見るのがひどく怖かった。茶化しながら自分で頑張ると毎回断りながら、私は眠れずに机にかじりついた。



 恋に脅えている私に、友達は優しかった。誰それ先輩がかっこいいと盛り上がる彼女たちに着いていけない私を、まだ子供だからと温かい目で見てくれた。私が生物研究部に入って虫やら魚を世話するのに夢中になっているのも要因だろう。誘っても絶対部室という名の生物準備室に足を踏み入れてはくれないが、いい友ばかりだ。


 真っ黒なカーテンに閉め切られた低めの室内、23℃に保たれている水槽の中で、近場の川から捕獲した淡水魚が快調に泳ぎ回っている。餌をやったり水槽の掃除を細々としていたらガラリと戸の開く音がした。私の後ろから水槽を覗き込んで満足そうに目を細めた男は件の理科教師だ。保健室での邂逅の後、なぜか度々話しかけられいつの間にか入部していた。入部して知ったのは幽霊部員が9割だったことだ。この先生は直々にスカウトしておきながら別に活動しなくても気にしないらしい。私にとっては一人エアーポンプのコポコポいう音の中、ぼんやりしたり勉強したりまどろんだりと思うさま堪能できる天国だった。理科教師は顧問を兼ねているのか時折部室を覗いて勉強を教えてくれたので私の成績は上位をキープできた。


 

 学年が上がってからも私は成長しなかった、背は10cmも伸びたけれど。口下手に拍車がかかり無口になったくらいだろうか。ただ、妙に男子生徒に話しかけられるようになった。みな顔が赤く、早口で疲れる。先生とココア飲みたいなぁと思ってしまう。そう先生にこぼすと「お前、無意識でも口に出すなよ」と苦い顔で溜息をつかれた。

 


 卒業式は春らしく暖かい日差しに包まれていた。式の終わった後も教室には生徒たちのはしゃぐ声が消えない。イベント後の興奮冷めやらない空気の中そろりと抜け出して、私は先生に寄せ書きを書いてもらおうと生物準備室に足を運んでいた。結局卒業まで私一人しか活動していなかったかもしれない。心もち控えめに引き戸を開けると珍しく白衣ではない先生がいた。もちろん卒業式だからだと思うがここで一番見慣れた姿でないことに少し動揺した。何も言えない私を気にしないまま背中を向けた先生の手元からココアの匂いが漂ってくる。こわばっていた肩の力が抜けた。

 

 

 水槽の空気の音、手の中のココアのぬくもり、いつも通りの私たち。

私は先生に聞いてほしいと強く思った。少しかすれた私の声に先生の目線がこちらに向いたのを感じたが私は水槽の魚から目を離さなかった。

 

 私の初恋は甘いものではなく、ただの激痛だった。粉々の気持ちすら誰にも知られたくないものだった。ではなぜ先生に罪の懺悔のように告白してしまったのか。多分、先生だけは私のこの未熟な思いを否定しないでくれるのではないかと、祈るような気持ちで口を開いてしまったのだ。長い時間かけてドロドロした気持ちを吐き出すのを先生はずっと黙って聞いていた。告白が終わっても先生は動かず、私は顔をそちらに向けることができなかった。私は怖くなっていた。何も聞かずに走り去ってしまおうかと椅子から腰を上げようとしたその時、先生が立ち上がって窓に近寄りカーテンをさっと引いた。覆われていた空間に光が差し込んで、つぶった目の奥に保健室の風を感じたような気がした。ゆっくり目を開けるとこっちを見た先生が笑っていた。


 「お前はみんなが思ってるほど、子どもじゃなかったな」いつも、と口元を緩ませながら先生が言うのを私は黙って聞くことしかできなかった。こんな優しい表情を生徒たちに見せていたらもっと人気があったろうになと思う。

「自分の気持ちに鈍感にならないといけなかったとはお前らしいが、次の出会いから目をそらすのはやめるんだな」まだ15歳だろ、と先生がココアをすする。背中に春の光を背負っている先生が眩しい。許された気がして視界が潤んだ。ごまかす様に先生の初恋を聞くと、

「ぁん?ハツコイなんて覚えちゃいねーよ。男の初恋なんて大したことないものが大半だ」と少し目をそらしながら言い張った。



 家に帰ってふとアルバムを開いたら、いつ書かれたのか先生の字を見つけた。先生の名前はどこにもなかったが、授業だけでなく部活中の勉強ノートにも書かれている見慣れた筆跡ですぐに分かった。


 「お前がお前らしくいてくれるのが嬉しかった、ゆっくり大人になれ」


 宝物のような言葉を抱きしめてベッドに横になる。私は、きっと恋をする。




 

初恋って相手のことしか見えないと言いますが、逆に周りしか見えなければこういうことにもなりえますかね。経験豊富な大人って有難いですよね。

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