後編&エピローグ
さらに三年が経った。
この日、もともと高齢者だった被験者の脳が死んだ。本物の死者が出るのは二年ぶりのことだ。
こういうことが起こると、まともに仕事しなければならない。
「脳を埋葬してあげないとね……」
サンプルとして保存しておくべきなのかもしれないが、もう研究員がいない以上、意味はないだろう。毎回、私がやりたいように処置している。ちなみに、遺族に連絡を取ろうとしても連絡がつかないか、迷惑がられることしかなく、今はそういうことをしなくなった。
半日費やして、施設の裏手に簡単な墓を作って葬る。
「一万年以上も人生を繰り返したのだから、もう満足したでしょう? おやすみなさい」
こうして作った墓は十五個めになり、さすがにお坊さんでもない私がこんなことをしていいんだろうかと後ろめたくなるし、こういう日の夜は寝付きが悪くなる。
翌朝、寝付きが悪かったおかげで寝不足気味のぼーっとした意識のまま、外に出る。
水や食事は地下のバイオプラントですべてまかなえるので問題ないが、たまには外で自然の食物を口にしたいと思うこともある。
「お、いい感じに実ってるわね。うんうん、おいしそう」
栗とリンゴをひとつずつ取り、施設へと戻る途中でリンゴを歩きながら食べる。
今のところ、私の体は健康だ。精神的にも、退屈だけど安定はしていると思う。
年を経るごとに地上の人口は減少の一途をたどっているらしい。こんな施設がどんどん増えているらしいし、当然だろう。
最近では、もしかして地上に肉体を持ったまま存在しているのは自分だけなのではないかと錯覚するぐらい、この近くは静かだ。
もちろんそんなことはなく、まだ遠くまでいけば街はあるだろう。でも、私は訪れる気はなかった。人恋しさがふいに募ることはあるけれど、我慢できるレベルのものだし、ここにいたほうが気楽だった。
こうした性格を、もしかして『彼』は把握していたのだろうか。訪れる前に私のことを調べあげていたとしたら。
一人で過ごすことを比較的苦にしないと見ぬかれていたのなら、管理者に指名されたことも説明がつくのだが。さすがに考えすぎかな。
しかし、もう確かめるすべはない。脳髄だけになった『彼』と会話する手段は、実のところなかった。
なぜなら、被験者は通常、こちらからの呼びかけを知覚することができないからだ。
コミュニケーションを取ることができるのは、死んで新規人生の設定画面が出たタイミングだけなのだが――
「いったい、いくつアイデアを用意していたのか知らないけど、あの人、設定決めるの早すぎるでしょう……」
『彼』は設定画面が開いた途端、瞬時に入力を終えて生まれ変わってしまう。話しかけるのは難しそうだった。
ただ他の利用者は、たまにこちらに訴えかけてくる。
くるのだが……
『お願いだ、もう生まれ変わらないようにしてくれ!』
またか。
つい、うんざりといった感情丸出しのため息をついてしまう。どうせ文字情報でしかやりとりができないのだから、態度はどうでもいいだろう。入力する文字さえ丁寧であればいい。
『どうしました?』
『もう生きているのは飽き飽きだ! しかも、こんな世界、結局はつくりものじゃないか! 新しい人生なんて言っても、どうせ機械が作って見せている夢でしかないんだ!』
『落ち着いてください。コンピュータには膨大なデータが組み込まれ、時代設定や性別など、ありとあらゆることがリアルに体感できるようになっているはずです。元データを忠実に再現しているのですから、気にさえしなければ、それは本物の人生と同じように感じられるはずですよ』
『私が何千年生きていると思ってる! お前のような肉体を持っているような者より、何もかも深く理解しているんだぞ!
こんな世界、まやかしだ! たとえ子供を産んでも、私が死ねばそれは無かったことになってしまう!
私の死後に歴史が続いていかないような世界など、なにかを成し遂げる意味もないじゃないか』
『それでは、産んだお子さん本人となって、新しい人生をスタートされてはいかがでしょう』
『そういう問題ではない! ここで何をしても、自己満足にすぎないと言っているんだ! もううんざりだ!』
要するに、自分が人生で生み出したものが物理的に残り、死後にも他者の記憶に残る、そういうことが一切ないのが嫌なのだろう。
私は再び嘆息する。そんなの当たり前だ。この生き方を選んだ時点で、他者や世界との交流は一切無くなったのだ。それがいやなら肉体を持ったままいるしかなかったのに。
今さら何を言っているのか、と言いかけて私は自制し、かわりに彼をなだめるような文面を打ち込む。
『おっしゃりたいことはわかりました。では、お望み通りにいたしますので、気を楽にしてお待ちください』
『お、おお、そうか。では、よろしくお願いする』
私は淡々とコンピュータを操作する。
男性の新しい人生の設定を入力して、実行した。
『む? なっ、こ、これは!』
男性が戸惑いの声をあげる。そうだろう、なにしろ、何度も繰り返してきた、新しい人生が始まる際の感覚と同じなのだから。
『話が違……』
最後まで言い切ることができずに、男性は新しく生まれていった。前の人生で彼が産んだ子供として。
ここにいる彼らは、何も生み出すことはない。男性の言うとおり、子供を作ったとしても、それは彼らの脳内だけにいる架空の存在にすぎないし、どんなに偉大な業績を打ち立てたとしても、他者に讃えられるようなことはない。
なにしろ歴史は続かないのだ。死んだ瞬間、その世界は無くなってしまい、またリセットされて新しい人生がはじまる。
そのことに気づいてしまうと、虚しさだけが胸を満たすことになるというわけだ。
……気にしなければいいだけなのに、そんなこと。
本当の人生だって、自分が死ねば世界が無くなったのと同じだ。死んだ後のことを知る手段なんてないのだから。
自分の死=世界の死、だ。
でも、それをどうでもいいと思えないのが人間という生き物なのかもしれなかった。遺伝子を残そうとする本能がそうさせるのだろうか。少しでも、自分の痕跡を世界に刻みたいのだろうか。
しかし後悔先に立たず。もはや肉体を取り戻すすべはなく、彼らは今のまま生きていくか、死ぬかの二択しか許されていないのだった。
で、自分の人生が虚構であることに耐えられなくなった人たちが、精神の均衡を崩し始めたとき、私は彼らから記憶を奪い、さらに、設定画面に進むことができないようにしている。
設定は私がランダムに決める。先ほどの操作は、そうなるように入力したのだ。
すると、彼らは人生が虚構であることを把握できなくなり、精神的に安定する。設定画面に進めない、つまり前世の記憶を思い出す機会が無くなるのだから。
これはまさに本来の意味での生まれ変わりと言えるかもしれない。さしずめ私は彼らにとっての神ということになるのかな。
あるいは、こういうことを見越して、『彼』は私をここに残したのかもしれなかった。
甘い人生ばかり選んで送っている人たちは充実しているようだから操作の必要はないけれど、これからも、精神が不安定になってきた人に対しては、必要な処置をしてあげなければならない。
しかし、私自身はどうするべきなんだろう。
以前はそうでもなかったけれど、最近は正直言って死への不安はある。彼らと同様、処置を受けて半永久的な生を謳歌してみたい気持ちもある。その欲求は、少しずつではあるけど日増しに高まっている。
その気持ちにブレーキをかけているものがあるとすれば……
やはり、彼らを毎日見ているからなのだろう。
いずれ、彼らのように肉体を捨てたことを後悔する日が来るかもしれない。
そう思うと、踏み切れないものがあった。
それにしても、人間は頭が良すぎる。
頭がいいことは幸せなことでは決してないだろう。ずらりと脳髄が並ぶ施設内の光景を見ると、そう思わざるをえない。
死への恐怖を慰めるために、人間は今までどうしてきたか。宗教で死後の世界を教えられたり、物語を作ったりといったことを『彼』は挙げたが……他にも、子供を作るというのもそうだろう。何しろ遺伝子を残すのは本能なのだし。
そういうこともあって、あの取り乱していた男性も、子供のことを口に出したのかもしれない。
しかし、子供を作ったとしても、それはあくまでも子供。他人だ。自分ではない。
自分が死ねば、やはり自我は無くなる。
しょせん、どんな抵抗も恐怖を和らげるだけにすぎないといえる。
本当に不老不死を実現するまで、人類の、死との戦いは続くのだろう。
まあそれも、こんな不完全な技術に逃げ込んでしまった今となっては、実現の可能性は低くなってしまったけれど。
らちもないことを考えて、私はその日も穏やかに眠りについた。
さて、私の人生は、あと何年続くのだろう。
■エピローグ
「ふふっ……そういうことだったのね」
目の前に広がる設定画面を見て、自嘲的な笑い声をあげる。
そうだった。思い出した。
もう一度、自分の人生を体験しなおしてみたい、と設定して始めたのだ。
今回は老衰死したから、終わり方が違ったけれど、それ以外はおおむね、肉体があった頃の自分を追体験できていたように思う。
こんな退屈な後半生を繰り返してみようと思ったぐらいだ。私は今の環境に、とても飽き飽きしているのは間違いない。
今、見てきた『私』のように、外から私のことをモニターしてくれている人は、果たしているのかな?
まあ、まずいないだろうということはわかっている。もう外からの干渉で死ぬことはできず、私は脳の寿命が尽きるまで、永遠のような長い時間を生きていくしかないわけだ。
さて、今度はどんな人生を送ろうかな。
死への恐怖を感じなくて済むのは、とても幸せなことだ。
完




