中編
あれから十年の月日が流れた。
施設を取り巻く状況は激変し、『彼』の研究は世界的に有名になっている。なにしろ、全世界で億に届こうという数の人たちが、被験者……いや、利用者となっているのだ。
はじめは肉体を捨てることに抵抗を感じていた人たちも、死への恐怖を衝動的に感じたときにこうした施設のことを思い出すのか、続々と訪れてきて、脳髄だけになって夢の世界へと旅立ってゆく。
また、病気になった人や、事故で失明したり身体を欠損した人々なども、是非にと申し込んできたりするし、利用者は増える一方。施設は増設に次ぐ増設で、技術者たちと作業員たちは寝る間もないほどだった。
結果、ここだけで希望者を引き受けるのは限界が来て、五年過ぎた頃から施設の研究は全世界に公開・拡散されることになった。そして、ここよりもはるかに大規模な施設が世界中に作られていった。
そのおかげで、ここに訪れる人はだんだんと減っていき、ついには途絶えてしまった。
そうなってから、残ったスタッフたちも処置を受けていった。もちろん、彼らに処置を施したのは私だ。
そして、ここに残ったのは私一人と、脳髄が二万個ほど、ということになった。
宗教的、人道的な見地から施設の存在を否定する人たちも当然いたため、世界的に騒動もあったし、この施設に妙な団体が押しかけることもあったが、政府の偉い人が何とかしてくれたらしく、今では落ち着いている。
「ふう……休みなしで仕事っていうのも、ちょっとキツいなあ」
デスクの前に座り、ひとりごとをこぼす。
私はあの日、彼の後任としてこの施設の管理者となることを依頼された。
「私にかわって、ここを訪れる利用者に処置を施してあげて欲しいのです。そして、処置を受けた人間がどのような夢を見ているか、精神状態に大きな問題が出ていないかモニターして、そのつど対応をしていただきたい」
そう言われても、あまりに責任の大きな話なので引き受けるつもりにはなれなかった。そもそも脳科学とか脳医学とか、そういった学問について私は専門外だったし、なぜこんな役に選ばれたのか、さっぱりわからなかった。
素直に疑問をぶつけると、彼の答えはこうだった。
「いや、専門知識なんていらないのですよ。ほとんどのことは機械がやるので、あなたがやらねばならないことはほぼありません。機械の操作も簡単なものです。モニタリングについても、まあ保険というか、利用者へのアフターサービス的な意味合いでしてね。実は、必ずしも必要ではありません。
まあ、あなたなら適任でしょう。この施設に興味があったというなら、処置後の人々の様子には興味があるのではないですか?」
彼の言葉は的を射ていた。
実のところ、私は不老不死になりたかったのではなく、それを実現しようとする研究そのものと、そして不老不死になった人々の心理に興味があったのだ。
結局、大学を辞めてでも引き受ける価値はある、という結論を出して、私は今ここにいるのだった。
もはや新規に処置を受けにくる人間もいないため、私の管理者としての役割はほぼ終わっている。彼の言った通り、ほとんどのことは機械がやってくれているし。仮に、私が不慮の事故や病気などで死んでしまっても、この施設は何も問題なく動き続けていく。
つまり私はもうここで仕事をしなくてもいいのだが、それでも利用者のモニタリングを続けている。
それは彼のあとを引き継いだことへの責任感のせいもあったが、もちろん好奇心が最大の理由だった。
私が普段いる管制室では、被験者がどんな夢を見ているのか自由にモニターすることができる。それによれば、処置時に老齢だった人を除けば、全員がいまだ意識を保っているようだった。
ただ、気になることがあった。はじめのうちは、それは平和なものだったのだけれど、管理を引き継いで数年経った頃から、「生まれ変わりたくない」と訴える利用者がぽつぽつ出始めてきたのだ。
この脳髄たちは夢の中で死ねば新しい人生をスタートできるのだが、厳密には死を体験しているわけではないらしい。「死」と判定された瞬間、しばらく意識混濁状態となり、その後に新規人生の設定モードへと移行するのだ。
死を体感している時間は一切ない。そもそも本当の意味で死んだことのある人間などいないのだから、死をリアルに体験させることなど不可能なのだ。
彼らは生き続けることになる。
するとどうなるかというと、生きることに飽きてくるようなのだ。
まあ、分からないではない。彼らの体感では、私が一年ここで過ごしているあいだに、千二百年も経過しているのだ。生きることに疲れ、死んで楽になりたいと思う者が出てくることもあるだろう。
しかし、本当に死ねば二度と生き返ることはできない。死を体験させるには、脳を死なせるしかないのだが、そんなことをすれば当然、再び蘇生させることなど不可能だ。
彼らの望みをかなえるすべはなく、放置しておくしかない。私には、生まれ変わりたくないと訴える人たちの生命維持を停止させる度胸はなかった。
私はモニターを流し見ながら、まずいコーヒーを一口飲んで、ため息をつく。
「結局のところ、生きるということも苦痛だものね」
死ぬことに対する恐怖も、生まれてこなければ味わわなくて済んだものだ。
人は、死ぬことを「楽になる」と表現することもある。
死への恐怖にさいなまれるという苦を長い時間をかけて味わうのが生なのか。
まあ、そのへんのことは私なんかが今さら考えなくても、大昔からいろいろな宗教やら哲学やらで説かれてきたことだが。
「自我なんてものが宿るから……いろいろと面倒なことになる」
さて、今日も利用者の様子をモニターしていかねばならない。機材のメンテナンスもだ。一人しかいないので仕事は多いが、メンテナンスは機械の方であらかたやってくれるので楽ではある。
文句を言われることもない。彼らの生きている世界を気楽に覗き見するだけだ。
今日チェックする被験者第一号は、生前に病魔に侵されて余命いくばくもなかったという青年だ。
現在、この人は女性としての人生を送っているようだ。舞台設定は二十一世紀の日本。自分だけは決して病気にならない設定らしい。
「ようしっ、今度の大会こそレギュラーをとって試合に出てやるぞー!」
ジャージを着た女子高生が、元気に声を上げてテニスラケットを振るう。部活の仲間たちに囲まれ、スポーツに汗を流していた。彼……いや彼女かな、紛らわしいけど、とにかくこの人はこうやって、健康的な人生を送っていくんだろう。
第二号は、夫と息子に先立たれて失意の底に沈んでいたとき、たまたまこの施設を知ったという中年女性。
彼女は、中世のフランスで貴族として暮らす美青年になっていた。何人もの妾を持ち、放蕩者として知られているということだ。
「ふふっ、もっとたくさんの美女をここに侍らせたいものだ。まだまだ私は満足できないな」
被験者となって初めての人生では、夫と息子が死ななかったIFの世界を生きて、穏やかに亡くなったそうだ。
でも、今はご覧のとおり、遊び人としての人生を謳歌しているみたい。
第三号は……ここの所長だった『彼』。
今はどうしているのかというと、実に楽しそうである。
「ははは! 好き勝手に研究に没頭でき、しかも金や健康の心配をしなくていいというのが、これほど爽快だとは! 生前の自分に感謝しなくてはな、苦労した甲斐があったというものだ!」
普通は生まれ変わるたびに前世の記憶を消去し、新規の人生を始める画面に戻った際にすべてを思い出す設定にしている人が多いのだが、彼の場合は、常にすべての記憶を保持し続けているようだ。知識欲の塊のような人だったみたいだから、それも当然か。
それにしても、私の知る限り、彼は何度生まれ変わっても研究者になっている。だけど、もちろん彼が今やっている研究は現実世界に一切残らない。そのことが研究者として虚しくはないんだろうか?
どうも天才の考えることというのは分からない。研究することそのものが目的なのかな、彼は。
第四号。時間的に、この人を今日は最後にしておこう。生前はごくありふれた、客観的に見て何の問題もない人生を送っていたけれど、典型的なタナトフォビア、つまり死恐怖症にかかった男性だ。
今回の人生は、有名な戦国武将として生きているようで、今日は合戦で大きな傷を負ってしまったらしく苦悶の声をあげている。
痛いだろうし、この時代じゃあ、負ければひどい死に方をすることだってあるだろうに、なにが楽しいのかな。
でも、生まれ変わる際に五十パーセントの率でこの時代を選んでいるから、きっと肉体があった頃から憧れていたんだろう。
「ふう……ま、今日もわりと楽しかったかな」
覗き見するときは、その被験者と視覚・聴覚を共有する。その他の五感はシンクロしないが、それでも結構な臨場感だ。
被験者によって多種多様な時代、環境が選択されているから、なかなか飽きずに楽しめる。
中には完全にランダムに人生が始まるように設定している人もいて(アフリカの貧困層や中世の被差別階級など、悲惨な境遇に産まれることも多いのに、物好きなことだ)、そういう人の人生は先の予想がつかないだけに、生まれ変わるたびに、今回はどんな人生になったんだろうと新鮮さを楽しむことができる。
ともあれ、私は仕事を終えて外に出た。
景色は、十年前とたいして変わっていない。もともと限界集落だったものが、完全に無人になってしまったという程度だ。
ここには高齢者しか住んでいなかったのだが、半数は被験者となり、あとは普通に生活して自然死していったり、引っ越していったりした。
この無人の土地で、私は一人で施設を管理し続ける。
まあ、半分遊んでいるような仕事だけれど……




