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森脇は機関室の天井部近くの足場の上で、上田を庇うように梯子の下を睨んでいた。
底辺部から機関室へと侵入した特殊機甲歩兵一個小隊と、民間人二人はあれよあれよという間にどんどんと上へ上へと後退してしまった。
おぞましい化け物というべきだろうか。
数十分前……。
彼らの前に姿を現したそれは、まるで映画やゲームに登場するクリーチャーのようにグロテスクで、凶暴で、残忍だった。
異変に気付いた先頭のアンドロイドが、化け物に向かってレーザーガンのトリガーを引いたのが発端だった。十ミリの銃口から飛び出した、凝縮された熱エネルギーの弾丸が、化け物の頭を撃ちぬいた瞬間、化け物はのけぞるように倒れた。
「何だ? これは何だ?」
「やったか?」
「これはいったい何だ?」
イヤホンを通じて隊員達の混乱した声が森脇の鼓膜に届いた時、倒れていたはずの化け物がゆっくりと起き上がる。床に両の手の平、両足の足裏をぴたりとつけた格好で這いつくばると、四股で身体を持ち上げる。黒目だけの目と、穴が開いただけの鼻、そして唇のない口、皮膚を剥ぎとったかのような頭部と体は全体的に赤く滑っていた。その顔の中心部に、レーザーガンによって開けられた穴が開いており、ドロリとした赤黒い液体がその穴から滴り落ちる。大きさは人間ほどもあるだろうか。それがゴキブリを連想させるかのように素早く手足を前後させて、先頭に立つアンドロイドに突進した。
化け物は跳躍するとアンドロイドに抱きつき、その首に食らいついた。
バイオスーツを貫き、宇宙空間でも耐えられる強化皮膚をかみ砕いた化け物は、人工血液をまき散らすアンドロイドの首から牙を離し、小隊に向かって口を開いた。
赤い人口血液が、化け物の口の中から溢れだし、糸を引く。
「撃て! 撃ち殺せ!」
呪縛を解かれたかのように梶本少尉が絶叫し、前衛を務めるアンドロイド達が一斉にレーザーガンのトリガーを引き続ける。
まるで無表情の人間であるかのような化け物の頭部が、レーザー弾によって細切れになる。さらに化け物の肩、胸にまでレーザー弾が撃ち込まれ、踊るようにのけぞった化け物はようやくアンドロイドから離れた。
梶本少尉が倒れたアンドロイドに駆け寄ると、赤い人工血液を首から噴き出しながら、そのアンドロイドが片膝をついて立つ。痙攣する化け物にレーザーガンを連射した。
「下がってください」
機械音声を発して、機能停止寸前のはずのアンドロイドが梶本少尉の前に立ちはだかった時、ドアに空いた穴から、二体目の化け物が姿を現した。
黒く穴が開いたような目をこちらに向け、床に這いつくばり接近してくる。
ベタベタと気味の悪い音が激しく大きく闇を裂いた。
先頭のアンドロイドが梶本少尉を後方へ跳ね飛ばすのと同時に、アンドロイドは化け物に背後から羽交い締めにされた。
「後退を!」
機械音声には感情が入らない。にも関わらず、そのアンドロイドが必死に呼びかけてくるのを感じた森脇は、床に倒れた梶本少尉を抱き起こし、引きずるように後退した。レーザーガンの発射音に混じり、何かを行儀悪く啜る音が聞こえる。顔を挙げた森脇の目に、
レーザー弾を浴びながらもアンドロイドの人工血液を啜る化け物が映った。
強烈な嘔吐感に襲われながら、ヘルメットを脱いだら終わりだという本能にしがみついた。彼は食道を駆け上がって来る胃液を無理やり飲み込みながら、梶本少尉を後衛まで引きずる。
「大丈夫……」
ようやく立ち上がった彼女は、レーザーガンに撃たれながらもアンドロイドに取りつき人工血液を啜る化け物を見た。表情は見えないが、イヤホンを通じて聞こえて来た彼女の悲鳴が、ヘルメットの下にあるだろう梶本少尉の表情を森脇にも容易に想像させる。
「〇〇一、機能停止」
無感情の機械音声が聞こえて来る。アンドロイド達は息絶えるその瞬間、自らの死をこんなにも淡々と伝えてくるものなのか……。
仲間のアンドロイドごと化け物を蜂の巣にした小隊は、穴の向こうでうごめく気配を感じ取り、すばやく移動を開始した。梶本少尉が叫ぶ。
「上に登って!」
「下に行くのでは?」
浜田の声に上田の同調する悲鳴混じりの声が聞こえる。
「下に行けば上から落ちて来られたら防ぎようがない。天井部分には手動ハッチがあるはず! そこまで行きなさい」
田中が先頭に立ち後退を始める。
足場と足場を立体的につなぐ梯子を登り、走り、また登る。カンカンという足音が何重にも鳴り響き、それに銃声が重なる。
「〇〇二、機能停止」
「ウソだろ! おい!」
森脇は誰に聞かせるわけでもなく叫ぶと、最後の梯子を登った。田中が手動ハッチを懸命に操作している。ハッチの下にある足場は、三人立つのがやっとの状態で、残りの隊員達は、次々と現れる化け物にレーザーガンを撃ちこみ続けている。
暗視レンズ越しに死闘の様子を見ていた上田が、引きつるような悲鳴をあげた。彼が指差した先には、化け物の死体にむらがり、それを貪り食う数体の化け物が見える。脚を噛みちぎり、腹を食い破り内臓を引きずり出して食べているその様は、二人にヘルメットを脱がせて嘔吐させるに十分なものがあった。
げえげえと胃液を吐きながら、咳込むのが治まるのを待たずにヘルメットをすぐに装着する。
「開いた!」
田中が天井部のハッチを開き、レーザーガンを向けて中を窺う。
「クリア。自分が先に行きます。遅れずついて来て」
森脇は上田を先に行かすと、隊員達が登って来るのを待つ。
「早く!」
化け物に追われながら、隊員達が足場の上を駆け抜ける。佐川軍曹が梯子から姿を現したのを確認し、森脇は梯子に足をかけ、悲鳴をあげる筋肉を叱咤しながら駆け上った。
「〇〇三、機能停止」
またかよ! ちくしょう!
森脇が怒りにも似た感情のままに手足を動かしていた時、これまでと違った人間の悲鳴が耳に飛び込んできた。
「うわああ!」
「浜田!」
梶本少尉が部下の名前を叫ぶ。
下を見ようとするも、すぐに続く佐川軍曹に「進め」と怒鳴られる。
「よし、ハッチを開ける」
田中の声が続けて聞こえて来た。
「くそぉ! 痛ぇ!」
浜田の苦悶がイヤホンからこぼれる。
上田の下にピタリとついたところで、森脇も止まる。体中が悲鳴を上げていた。体力も限界だ。それ以上に、イヤホンから聞こえて来る浜田の呼吸が痛々しく、さらにそれが恐怖を掻きたて、気付けば彼は失禁していた。
「少尉! 先に! お前らも行け! 皆を守ってくれ!」
「浜田! 浜田!」
「早く行け! ハッチを閉めるのが必要だろうが! 早く行ってくれぇ!」
「浜田―!」
残酷にもマイクは下で何が起こっているのかを正確に伝えてきた。
負傷した浜田二等兵は上官と無傷のアンドロイドを守る為に、化け物が迫る機関室に残る判断をしたのだ。
「開いた!」
頭上の田中が声を発し、同時に上田が動き出す。
森脇も最後の力を振り絞り、梯子を登りきった。床に身体を投げ出し荒い呼吸を繰り返しながら、田中がすばやく室内を確認している様子を暗視レンズが捉えていた。
「クリア。ここはどうやら天体観測室のようだな……」
見れば巨大な天体観測用の望遠鏡が設置されていた。
「浜田……。浜田……」
梶本少尉のすすり泣く声が止まない。
「ハッチを閉じたぞ。イヤホンを切ってくれ。頼む」
浜田の声が聞こえてくる。
それでも全員が登りきるまで、イヤホンを切ることが出来ない。這い出て来た佐川軍曹に手を貸そうとしている上田の隣に座りこみ、疲労困憊といった佐川軍曹を二人で必死に手繰り寄せた。
イヤホンから聞こえていたレーザーガンの発射音が消えた。
「弾切れ……」
浜田の声がぽつりと届いてきた。
森脇の隣に田中が駆け寄って来て、佐川軍曹を抱き起こし、梯子を登って来る梶本少尉と三体のアンドロイドを待つ。
「ぐわあああ!」
浜田の絶叫。
森脇は目を閉じた。イヤホンを切りたい。しかし、梶本少尉がまだ来ない! 全員の確認が取れるまで、ヘルメットを脱ぐことは出来ない!
「ぐわあ! あああ…… 痛…… ああ……」
ズルズルと何かを啜る音と、ぐちゃぐちゃと咀嚼する音が浜田の声に混じる。
「あ……ああ……があ!」
バキンと硬い何かが砕け折れる音が、浜田の絶叫に混じる。上田がヘルメットを脱ぎ、床にまた嘔吐していた。咳込みながら涙を流しながら、上司は腰を折った状態で嗚咽まじりの嘔吐を止めない。
「ああ……あうう……」
ぐちゅり。くちゃくちゃくちゃ……ずずず……。
聞きたくない! 聞きたくないんだ。早く上がって来てくれ。
森脇は祈るように床のハッチを睨む。ヘルメットの中に液体を啜る音、肉を咀嚼する音が内蔵イヤホンから流れて来る。
ぐちゃぐちゃ……ずるる……。
梶本少尉の腕が、観測室の床に現れた。
上田を除く全員で彼女を引っ張り上げると、誰もが忌々しげにヘルメットを脱ぎ捨て、壁に向かって投げつける。
「浜田……許してくれ」
佐川の濡れた声が薄暗い観測室の中に沈んだ。
非常灯のみが灯る部屋の中で、森脇はすすり泣く佐川の隣にしゃがみこみ、それまで堪えていたものを一気に吐き出すように派手に胃液をぶちまけた。
涙で滲んだ視界には、美しすぎる宇宙が広がっていて、やけにシュールなその光景に彼は見入っていた。まるで遭遇した現実が、無かった事にできるかのように目を閉じ、再び開いてみる。
アンドロイド達が上がりきり、その内の一体が泣き崩れる梶本少尉に何かを差し出した。それを受け取り、涙を拭った彼女は、手の平の上で鈍く光る浜田二等兵の認識証をしばらく見つめ、突然立ち上がると狂ったように絶叫した。