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 東京メトロ赤坂見附駅までエスカレーターで下りて、そのまま地下通路を通って永田町駅に向かう。半蔵門線のホームには、ちょうどモノレールが滑り込んで来るところだった。

 森脇はそれに飛び乗り、出入り口付近に立つ。閉まるドアの上部に液晶画面が設置されていて、ニュースが流れていたので見入っていた。

『日本の月面都市カグヤ市では、月面移住五十周年を記念して盛大なイベントが催されています。月への入植が始まって五十年目を迎える今年、ついにカグヤ市の人口は八〇〇万人を突破し、首都東京に迫る勢いとなりました』

「国内第二位の都市が月面にあるなんて、すごいよな」

 ニュースの音声を受けて、近くの男の子が恋人らしい女の子に話しかける。

「へぇ、すごいね。他の国はどうなの?」

「アメリカのアポロシティや、ヨーロッパ連合のアプリルブルグとかもでかいぜ」

「私もカグヤに住みたいな」

「うちの大学、カグヤにキャンパスを作ってくれないかな」

 二人の会話が車内アナウンスでかき消される。駅に到着したようだった。降りる人と入れ替わるように七人掛けのシートに座り、腕時計を見る。

 午後六時半過ぎ。

 彼の頭の中は、どうしてツクヨミが巡航艦に空コンテナをぶつけるという行動を取る判断をしたのか、その理由を推測する事にほとんどを費やしていた。

 携帯電話が振動する。

 液晶画面に指を滑らせると、メールが届いている事を知らせてきた。

 森脇はメールボックスの中の、未開封メールを指で叩く。開封されたメールの内容は、シャトルの出発時刻と、座席番号、そして彼の名前だった。

 明日の午後には宇宙にいるのかと思うと、不安はより強くなった。

『次のニュースです。石田大統領がシベリア共和国の選挙結果にコメントを発表しました』

 ニュースが気になったが、彼の降りる駅にモノレールが到着したので、シートから立ち上がりホームへと足を踏み出す。

 地上に上がったところで、妻が手を振っているのを見つけた。

「おかえりなさい」

「ただいま。どうしたの? よく帰る時間が分かったね」

「これから帰るってメールくれてたでしょ? 会社からここまでだいたい三十分くらいだからね。買い物ついでに待ってみたのでした」

 見れば彼女の手には、食料品店のロゴが入った紙袋が下げられていた。

 並んで歩きながら、電話で簡単に話した出張の内容を詳しく妻に伝える。話を聞きながら、次第に表情を硬くする妻の横顔に、突然の出張だけではない苛立ちを感じた森脇は、言葉を止めて妻を見た。

「どうしたの? 亮君」

「いや、奈美が怖い顔するからさ」

 妻は誤魔化すように笑う。森脇は彼女の荷物を奪うように持つと、見えてきた自宅のほうに顔を向けた。

「一週間くらいで帰れるから、そんなに怒らないでよ。それとも、またツクヨミにヤキモチをやいてるのかな?」

 ふざけた口調で話した彼は、奈美の顔が赤面するのを見てとった。図星だったのだろう。彼女は照れたように笑い、自宅のカードキーを玄関に差し込み、認証番号を打ち込んだ。

 玄関が開き、夫を先に中へと入れる。

「お風呂入っちゃて。その間にご飯を作るから」

 森脇はうなずいて、靴を脱ぎ衣裳部屋へと向かった。スーツの上下を衣装ダンスにしまいながら、着替えの部屋着を取り出して風呂場に向かう。リビングの奥、キッチンから良い香りが鼻を刺激した。どうやらカレーのようだ。

 風呂からあがり、食卓の椅子に座ると、やはりカレーライスが出された。奈美の作るカレーはいつも、前日に作られ、一日寝かされた状態で食卓に出される。

「どうして亮君が行かないといけないの?」

 どんなに説明したところで、感情で気に入らないとなると決して納得する事はない。結局は森脇が妻をなだめて機嫌を取らないといけない。

 食器を片づけ、自動食器洗浄機に押し込み電源スイッチを押す。お湯を沸かして紅茶の用意をする。これから数時間、妻の期限を取る努力をしなければならない。これも家庭円満の為だと呟き、彼はネットで買い物をしている妻の背中に笑みを向けた。

 リビングに戻った彼の目に、ニュースを報じるテレビ番組が入る。

「シベリア共和国では総選挙の結果、保守系与党が大勝しました」

 アナウンサーに視線を転じられたコメンテーターが難しい顔をつくる。

「最近、シベリアでは日本による北方領土回復の動きに対して反発が強まっていました。さらに海底資源を巡っての交渉も暗礁に乗り上げた今、こういう政治の動きがあるという事は開戦へ一気に動きかねませんね」

「もともとシベリアの連立政権は開戦派でしたが」

「今回の選挙で、連立の中心的政党が一党で過半数を超える議席を確保しました。連立を組んでいたシベリア平和党が開戦に反対をしていたので、これまでは慎重論でしたが、今後はどうなるか」

「日本は現在、中華共産党支援の為に大気圏外に宇宙艦隊を展開していますが、そのような情勢でもシベリアと戦争状態になり、これに勝利するというのは可能でしょうか?」

 今度は軍事専門家らしき男がそれに答える。

「シベリア共和国は旧ロシアの軍隊を持っているとはいえ、日本宇宙軍に対抗する手段は持っていません。それこそ、開戦に至れば一週間ともたないでしょう」

 戦争か……

 森脇はどこか遠い国での出来事を見るかのような自分に驚きながらも、ここ数十年で飛躍的に軍備拡大を推し進めた自国の状況に危惧を覚えながら、妻の隣に座った。


 森脇と上田を乗せたシャトルはカグヤ市の入港ゲートを潜った。

 人口八〇〇万人。国内第二の都市となったカグヤ市は、その市街地全てが地下に築かれている。地表には民間の港の他、軍港があり、民間人は入港チェックを受けるとすぐに地下へと降りて行くのだが、二人の場合は違った。

 荷物を空港スタッフから受け取った二人の背後で、軍服を纏った背の高い女性士官に出迎えられた。彼女は梶本紗由里少尉と名乗り、二人を向かえに寄こされたのだと説明をした。長身の森脇でさえ、胸を張って敬礼してみせた彼女の背丈に驚いたのだから、上田が唖然としているのも無理がない。

 軍用地上車に乗り込み、軍港へと四車線の道路を走る。後部座席に座った二人に、運転席の彼女がルームミラー越しに笑みを浮かべた。

「初めてですか?」

「いえ、何度か……」

 一八三センチの森脇とそう変わらない身長の梶本少尉は、うなずきながら視線をフロントガラスに向けた。

「でも、今回はすぐに軍港から出発するんですよね」

 彼ら二人は、第二ステーションの周辺宙域に留まる巡航鑑への搭乗を軍部から求められていた。

 初めてカグヤ市に来たと言っていた上司は、物珍しさから車窓の外を流れる月面の光景に目を奪われていた。一言も話さない。代わりに森脇が軍人とのコミュニケーションを取るはめとなった。

 苦手だ。堅苦しいのは嫌いなのだ。

「休憩の後、出発して頂くようになってます。第一層はそんなに大きくないですよ。ほとんどが貨物の集積所なので……。上司の方に第三層をご案内したかったですね」

 梶本少尉の言葉に上田が照れくさそうに笑った。

「第三層は何があるんです?」

「地下第三層から五層までが居住区ですから。東京をイメージして作られた町並みは、緑地と商業施設のバランスが絶妙で、とっても気持ち良いですよ」

「女の子受けしそうですな」

 上田の声に梶本少尉が笑った。どうやら堅苦しい人ではなさそうだと森脇は安堵する。

「そうですね。確かに……。こう見えても私だって女の子ですから好きですよ」

「ははは、こう見えてもって謙遜しなくてもいいでしょ。背は高いけど美人なんだから。もし俺があと十五センチくらい背が高かったら、必死にアピールしてたかな」

 上田の冗談に彼女は目を細めて笑っていた。

「あら、私は身長の事は気にしません。男性が気にさえしなければね」

 彼女の言葉に上田が笑う。森脇がつられて笑った時、地上車の前方にカグヤ宇宙軍基地が見えてきた。

「もうすぐ到着です。第二艦隊の母港ですからね。よければ宇宙空母をご案内しましょうか?」

 彼女の申し出に上田が目を輝かせてうなずいていた。まるで子供だと苦笑した森脇は、二人に

「遠慮しときます。俺はちょっと酔いました」

と伝えた。梶本少尉がルームミラー越しに森脇に視線を向ける。

「医務室にご案内します。宇宙酔いはなめていると怖いですからね。早目にお薬を飲んだほうがいいと思いますよ」

「ありがとう。そうして頂けますか?」

 案内役の女性が親切な人で良かったと、森脇は感謝しながら目を閉じた。重力のある施設内や第二層以下ならともかく、宇宙港やその関連施設しかない第一層は重力が弱い。シャトルに乗っていた時から気分があまり良くなかったが、地上車と呼ばれる車両に乗ってそれがさらに悪化したようだった。

 三人が乗った地上車は、カグヤ宇宙軍基地のゲートに近づく。そこには機甲歩兵が立っていて、頭部をすっぽりとロボットのようなヘルメットで覆っている。目の部分の光学レンズが怪しく光っていた。地上車の後部座席を覗きこんでくる。

 特殊なアーマーで全身を保護した機甲歩兵は、兵士の生存率と火力を格段に高めた。日本軍が世界で初めて正式採用し、現在では歩兵といえばこの機甲歩兵の事だと、隣で嬉しそうに話す上田に驚いた。

 まさか軍事オタクだったとはね……。

「第二艦隊、特殊機甲歩兵小隊所属、梶本です。お客様をお連れした」

 梶本少尉の差しだしたメモリカードを受け取り、機甲歩兵が、アーマーの左上腕部に装着されていたPDAに差し込む。立体映像が映しだされ、それは指令書のように森脇には見えた。

「失礼しました。お通りください」

 機械音声。

 どうやら特殊アーマーを着こんでいるのは、人間ではなく軍用アンドロイドのようだ。

 梶本に連れられ、医務室に入った森脇は、軍医の診察を受けて酔い止め薬を出された。

「食間に二錠ずつ飲んでくださいね。あと、これを飲んでも治まらないようなら、三半規管を人工のものに変えたほうが良いでしょうね」

「はあ……」

 さらっと恐ろしい事を言われて、森脇は錠剤の入った瓶を握りしめて基地内の通路に出た。上田は梶本少尉の案内で宇宙空母を見に行っているはずだ。四十過ぎて童心を刺激された上司をよそに、彼は仮眠室を借りて中に入った。時間になればお呼びがかかるはずだ。それまではゆっくりと寝させてもらっておこう。

 それにしても、臓器や身体の部位を人工物に取り換える事が当たり前になってきている。特に人気があるのが心臓らしい。心筋梗塞にならない人工心臓は高齢者を中心に人気があるらしい。医学の進歩は留まる事を知らない。その内、脳味噌以外は全部人工物なんて当たり前の世の中になるのではないかと考えながら、森脇は水のペットボトルで錠剤を飲み込むと、簡易ベッドの上で大の字なる。着替えの入ったバッグをベッドの下に押しやって目を閉じた。


「森脇さん。時間ですよ」

 身体を揺すぶられて瞼を開くと、そこに梶本少尉の笑顔があった。腕時計を見ると眠ってから三時間が経過されていた。どうやら出発の準備ができたらしい。伸びをして立ち上がり、バッグを掴んで彼女の後を歩く。既にバイオスーツを着ていた梶本少尉の向こうで、同じくバイオスーツを着込んだ上田の姿があった。

「これ、すごいなぁ。宇宙空間でも動けるうえにこのフィット感。身体を動かすのも自然に出来る。すごい」

 上田が何度もすごいと連発しているバイオスーツを森脇も着る。個室に入って上下のアンダーウェアを着こみ、その上に白色のバイオスーツを着る。それは身体にぴったりと密着してきて、まるでウェットスーツを着た時の感触に似ている。小笠原で水上スキーをした時に着たあの感触を思い出す。ウェットスーツと違うのは、バイオスーツは体温を常に一定に保つ効果があるうえに、アンダースーツは吸水性が抜群だという事だろう。梶本が個室の壁越しに教えてくれたが、戦闘中はこれを着たまま小用をするのだという。女性の口からそんな話をされて逆に恥ずかしくなる。

「最後にこれを被ってください」

 個室から出たところでヘルメットを渡される。機甲歩兵のしていたヘルメットをもっと簡素化した、アイスホッケーのゴールキーパーマスクのようなデザイン。頭部は伸びる素材でバイオスーツと同じ素材であると思われる。

「では、行きましょう」

「酸素タンクとかは背負わないんですか?」

 上田の質問に、梶本がヘルメットを装着しながら笑う。

「ステーションに乗り込む前に背負いましょ。今からだと重いですよ」

 照れ笑いをしたらしいが、マスクのせいで上田の表情は分からなった。目の位置にある赤く光るレンズの光が不気味に光った。少しの光りがあれば、それを増幅してどんな場所でも昼間のように映し出すそのレンズは、基地内の明るさで装着すると少しだけ目が痛い。

「じき慣れますよ」

 梶本の言葉に、考えていた事を見透かされた森脇は苦笑した。ヘルメットの内側にはマイクとイヤホンも装備されているらしく、鮮明に会話ができる。

 何事も軍事技術の転用だと、どこかの技術者が言っていたが、それもあながち間違っていないのだろう。

 梶本の後を続いて、宇宙軍基地のドックに入った森脇は、そこに居並ぶ第二艦隊の艦艇群を見て度肝を抜かれた。白銀のボディに赤い日の丸が横腹に描かれた巡航艦や駆逐艦、そして宇宙空母。これは軍事オタクでなくとも胸が躍る。なんの為に月まで来ているのかを忘れてしまう。

 きょろきょろとしながら、彼が上田の後を歩いていると、上田の声がイヤホン越しに聞こえてきた。

「すごいだろ。この軍港を母港とする艦艇がずらりだぜ。第一艦隊は地球衛星軌道上の軍事ステーションが母港だからな。ま、第二艦隊に比べたら規模は小さいらしい」

「第一艦隊って、今は確か地球の大気圏外に展開しているやつですか?」

「おお、そうだ。地球の大気圏外すれすれに配備されて、中国大陸を狙っているらしい。共産党軍に対立するゲリラ部隊にレーザー砲の照準を向けてるんだってさ」

「へえ、てっきり日本政府は共産党を嫌ってると思っていましたよ」

「それは建前だろ? シベリアの事で共産党と日本政府は利害が一致しているからな。敵の敵は味方ってな」

「アメリカは何も言わないんですかね?」

 イヤホンから上田の笑い声が聞こえてきた。

「そんな事は言えないだろ。ドル安で日本やヨーロッパ連合に迷惑かけまくったんだ。その迷惑被った国の一つ、日本が自前でその損をシベリアで取り戻そうって言うんだ。どの口で文句を言えるかってんだよ」

 上田の言い方が可笑しかったのか梶本の笑い声もイヤホンを通して聞こえてくる。

「どこで仕入れた情報ですか? お詳しいんですね」

「ははは、知り合いがマスコミにいてね。最近の日本政府は太平洋戦争前にそっくりだってうるさく言ってるんだよ。けど、俺に言わせたら大きく違うね。当時の日本はマスコミも日本政府に協力して、その責任を放棄していた。けど、今の日本でそんな事はならないよ。俺の知り合いがそうやって騒いでる時点でね」

 搭乗ゲートを歩きながら、梶本が笑いながら上田に反論する。

「でも、上田さんは先ほど、日本のシベリア侵攻は経済的損失を取り戻すには仕方がないというような言い方でしたけど。それって、太平洋戦争前の政府と同じ意見ですよ。資源を自力で手に入れるために侵略は仕方ないって」

 彼女は輸送シャトルの中に二人を招き入れた。座席に二人が座ったのを確認して、操縦席に座っていたパイロットに、親指を立てて見せる。

「ま、シベリアが欲しくてやってるんじゃないんだ。狙いは資源だもんな。日本も露骨に侵略やる国になってしまったって事か」

「上田さん。ここはその日本の軍隊の真ん中ですよ」

「ああ、これはその……」

 シャトルが轟音を発して飛び出す。月の基地から飛び出した輸送シャトルは、第二宇宙ステーションへと闇の空間を進む。

 時折、シャトルの自動砲塔が、航行コース上のデブリにレーザーを撃ち込む。

「またデブリですか?」

 梶本少尉の声に、パイロットが笑い声を立てた。

「多いですよ。月と地球の周りはゴミだらけって事ですよ。人間はゴミを作る生き物ですよねぇ」

 パイロットのふざけた口調に、上田が豪快に笑っている。森脇は顔をしかめて、再び襲ってきた宇宙酔いに耐えていた。

 よく呑気でいられるもんだ。

 彼の愚痴は誰にも聞かれることは無かった。


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