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「森脇課長、二十階の会議室に来てください」
内線で呼びつけられた森脇亮太は、パソコンをログオフの状態にしてデスクから離れた。携帯電話を掴んで自分の部屋から出た時、秘書の有森紗枝がちょうどコーヒーを運んで来てくれたところだった。
「あ、お出かけですか?」
残念そうな表情を浮かべた彼女に、森脇は笑みを作って首を左右に振る。彼女の手にはコーヒーカップが持たれていた。どうやら、淹れてくれたらしい。
「加藤に呼ばれた。会議室に行ってくるよ」
「わかりました。じゃあ、帰って来られてからコーヒーを淹れ直しますね。これは私が頂きます」
軽く手を振って彼女から離れ、エレベーターホールへと向かう。ガラス張りになった通路の窓ガラスからは、春の風物詩である満開の桜が目に飛び込んでくる。それを楽しみながら長身の体を軽やかに弾ませて通路を進むと、込み合うエレベーターホールが見えてきた。四基あるうちの一基が、彼の到着と共に両開きの扉を開く。それに乗り込み、
「何階ですか?」
と尋ねてきた女性に
「二〇階をお願いします」
と伝える。同じ会社の人間であることは間違いないが、名前は分からない。
エレベーターの中で、役員用会議室に呼ばれた理由を推測する。何か問題でも起こしただろうか。いや、心当たりはない。賞賛される事はあったとしても、注意を受けるような事などないはずだ。
二〇階は役員専用のフロアで、エレベーターから降りると、美しい女性が彼を出迎えた。光を反射して白く見える瞳で、彼女がアンドロイドであると分かる。
「ご案内いたします」
機会音声と呼ばれる独特の声でそう告げた彼女は、彼を先導して歩き、一つの会議室の前で止まった。この会議室は防音や盗聴対策の施された会議室だと森脇は知っていた。
女性アンドロイドがドアをノックすると、
「どうぞ」
と声が返って来た。加藤成留の声だ。彼とは同期で仲も良く、お互いに優秀だと認め合っている。
会議室の中へと入った森脇に、居並ぶ役員達の視線が注がれた。
「森脇君。よく来てくれた。まあ、座ったらどうかね」
会議室の奥に座る社長の藤堂が、隣の椅子を彼に勧めてくる。さすがに困った森脇に、加藤が目配せをしてきた。
「いいから座れ」
彼の目はそう言っていて、森脇は困惑しながら社長の隣に座る。
「半年前に竣工した第二宇宙ステーションを知っているね?」
藤堂の質問に、森脇は「ええ」と答える。
「当社の管制システムを導入してもらっていますから。それに、その管制システムは私のチームによるものです。何かあったのですか?」
森脇はアンドロイドによって運ばれてきたコーヒーを、勧められるがまま口にした。
「トラブルが発生したようでね」
専務の佐々木が、モニターを指差す。
会議室の中央、立体モニターに映像が映し出された。
「これは、つい三時間前に撮影されたものだ。撮影したのは、日本宇宙軍の巡航艦だ」
佐々木が目配せをして、加藤が映像を再生させた。
闇に浮かび上がる白銀の球体が第二宇宙ステーションだと分かる。太陽光、太陽風パネルに覆われた直径5百メートルの多目的宇宙ステーション。そのドッグ入り口にゆっくりと接近する巡航艦の艦橋から撮影した映像らしい。
「ステーションから入電。繋ぎます」
巡航艦のクルーが声を発した。
「こちら第二ステーション。当ステーションへの接近を禁止します。繰り返します。当ステーションへの接近を禁止します」
女性の声が会議室に響き渡り、それが森脇の表情を固まらせる。
「ツクヨミの……」
「そうだ」
そこで映像を停止させた藤堂は森脇を見た。
「巡航艦に警告を与えたのは、当社の管制システムだ。これを踏まえて続きを見てくれ」
息を飲む森脇は、瞬きすらもどかしく映像に見入った。
巡航艦の艦長は、ステーションからの警告を無視し、接舷用の小型シャトルを巡航艦から切り離した。くるくると回転しながら宇宙空間を進む小型シャトルは、方向転換用アポジモーターを忙しく作動させ、正面を向くと白銀の球体へと進む。
「こちら第二ステーション。当ステーションは非常に危険な状態にあります。接近しないでください。接近をした……」
そこでツクヨミの音声が消えた。巡航艦の艦長が、クルーに指示をして通信を切断させたからだ。
「危険な状態だから、スタッフを助けに行くんだろうが」
艦長の言葉に、艦橋内に失笑が湧きおこる。
第二ステーションで何があったのか。
森脇は映像を見ながら、それを考えていた。
だが、彼の思考が答えを導きだすより先に、映像の中で激しく警告音が鳴り響く。
「艦長! 第二ステーションからコンテナが射出されました! こちらに向かって来ます!」
「当たるか?」
「衝突コースです!」
「回避だ! 弾幕張れ! 撃ち落とせ」
「間に合いません!」
艦橋の中で激しく点滅する赤色灯と警告音に満たされ、クルー達の喧騒が重なる。
森脇は動機が激しくなるのを感じた。
「シャトルは?」
「回避! 回避しました!」
「コンテナ、二個……三個目射出! 駄目です! かわしきれません」
「全員、衝突に備えろ!」
艦長の絶叫に一瞬遅れて、画面が激しく揺れた。
一度……二度……三度!
「被害状況、知らせ」
艦長が絶叫する。
「左舷、居住区破損。左舷シャトルゲート破損! 推進剤タンク破損!」
「破損したタンクは切り離せ! 破損区の人員は速やかに退避! 隔壁封鎖!」
警報がさらに激しさを増し、右往左往する艦橋に通信が入る。
「こちら第一機甲歩兵小隊。第二ステーションに到着しました」
艦長がマイクを掴む。
「よし、任務を遂行しろ」
「了解」
小型シャトルは無事に第二ステーションに到着したらしい。
「負傷者一〇名。死者、行方不明ともにありません」
クルーの報告を聞いた艦長が、額を手の平でぬぐう。同時に警告音も止まった。
そこで映像が終了した。
「……という事だ。軍部から相当な抗議がきている。君、行って説明をしてくれんか」
藤堂の言葉に、森脇は目を閉じた。
最悪だ。
これまで築いてきたキャリアが、この事故で崩れたと彼は悟った。
しかし……
「社長。確かにツクヨミが巡航艦に向かってコンテナを射出したのは分かりました。しかし、これは巡航艦が彼女の警告を無視したからで……」
「お前、本気で言っているのか?」
佐々木の目がすっと細まる。
森脇は押し黙った。
藤堂は森脇の肩に手を置いて、彼の顔を窺い見る。
サラリーマンとはよく言ったものだ。サラリーで拘束された人生を送る人間。昔の日本人はまさしく真実を端的に言語化してくれたと森脇は声に出さず愚痴る。
「心配しなさんな。お前は俺のおまけで付いてくればいいんだ」
この会議室に場違いな口調は、森脇の上司で、システム開発部取締役本部長の上田が発したものだった。
「ただ、細かなところはお前さんでないと分からん。まさか平の社員を連れていくわけにもいかんだろ」
創業以来、システム開発を一手に引き受けてきた上田の言葉に、佐々木が開きかけた口を閉じる。
「ということで森脇。お前と俺は明日、カグヤ市に出張だ。問題が解決されるまで帰ってくるなとの指示だから、そのつもりで準備してくれ」
森脇はぐらりと揺れた自分の身体を、懸命に椅子に押し付け、あえぐように息を吐き出した。
上田に誘われ本社ビル一階にあるコーヒーショップに入った森脇は、吸いなれない煙草を吸いこみむせた。それを見て上田が豪快に笑う。
「シャトルに乗ったら地球に帰ってくるまで禁煙だからな。今日ぐらい付き合って吸え」
そう笑った上田に涙目で笑みを返しながらも、森脇は自分の開発した管制システムのことを考えていた。
「部長、ありえないんです」
「それは俺も分かってる。ダブル、トリプルどころじゃないチェックをして納品したシステムだ。運用開始から一年経った今になって、こんな初歩的なミスが発生するなんてありえん」
「そうなんです。なにせツクヨミは日本国民の生命と財産を守るという大前提の元に、思考を組み立てていく人工知能ですから、それが……」
上田はコーヒーの入ったカップをテーブルに置くと、咥えていた煙草を灰皿に押しつけた。ほとんど吸っていない。
「あの映像が撮影されるより六時間も前に、第二ステーションからカグヤ市の宇宙軍基地にSOSが発信されていたらしい」
「ちょっと待って下さい。その事は少しも触れてなかったじゃないですか。さっきの会議で」
思わず大きな声をあげた森脇は、周囲の視線を感じて赤面した。
「ま、関係ないと思われたんだろうな。だが、大いに関係アリと俺は思っている。ツクヨミが狂って巡航艦を攻撃したのなら、そもそもSOSを出した説明がつかない。ステーションで異常が発生したから、SOSを出した。しかし、巡航艦が到着する頃には、事情が変わって、外部からの接触は危険だと判断した。それこそ、コンテナぶつけるくらいの覚悟でな。だから――」
「ツクヨミに不具合があるのではなく、ステーション内の状況がそうさせていると?」
「他に説明つくか?」
「いえ」
森脇はコーヒーを啜り、煙草を灰皿で消す。
「部長、軍は俺達が謝ればそれで何も求めてないって思ってないですよね」
「まあ、システムをシャットダウンして、異常を調べろと言ってくるだろうな。賠償やらはその後だろ」
「部長もご存じのように、ツクヨミシステムは閉鎖型管制システムです。外部からのアクセスは不可能ですから、中に入らないとどうにもなりません」
上田はうなずき、二本目の煙草に火を点けた。
「ツクヨミが外部からの侵入を拒むほどの問題を抱えたステーションに、うちの技術員達を送りこむわけにはいかん」
「同感です。しかし、どうします?」
「最悪、俺とお前の二人でいくしかないだろ」
はやりそうなるか……。
森脇の情けない顔を見て、上田が歯を見せて笑う。
「部長、僕は新婚ですよ。勘弁してください。仕事より家庭や命が大事です」
「お前さえよければ、誰かが危ない目にあってもいいのか?」
そう言った上田は、笑ってはいても目は真剣だった。
「部長……」
「ま、最悪はそうなるというもんだ。シャットダウンの方法を軍に教えれば、向こうがなんとかするだろ?」
そうあって欲しいと願うような気持ちで席を立った森脇は、出張準備という名目で帰ることにした。沈んだ気持ちで腕時計を見ると、午後六時を少し過ぎたあたりだった。彼は携帯電話を操作して、妻に帰宅を知らせるメールを送る。
メール送信完了画面を見て、森脇は大きく息を吐き出した。