木根 楽さまとの共作となっておりますが、世界観や設定はほとんど彼女の発案です。
宇宙ステーションに入るまでの部分は全て彼女の執筆で、共同で書いたのはそれ以降の部分になります。
警報が鳴り響く。
男は簡易ベッドから跳ね起きると、まだすっきりとしない頭を振りながら上着を羽織って、ボタンも止めずに部屋から飛び出した。
重い頭に、警報音が響いて痛い。
「第四区画破損。第四区画破損。同区画を閉鎖。クルーは直ちに避難をしてください」
女性の声が警報に重なって聞こえる。
男は通路を管制室に向かって走る。彼はこの宇宙ステーションの責任者だった。
途中、数人の所員とすれ違うも、お互いに事情の分からぬまま喚き合い離れる。男が睡眠を取っていた隙の出来事だったのだ。けたたましい警報で叩き起こされ、理由も分からぬまま走っている。
管制室のドアが通路の先に見えてきて、男は苦しげに呼吸をしながら走る速度を落とした。
認証パスワードを打つ手が震える。
二重のドアが開いた時、管制室はスタッフ達の阿鼻叫喚で満ち溢れていた。
「住居ブロックは全て封鎖!」
「機関室と連絡が取れない!」
スタッフ達が大型スクリーンを睨みながら、色彩鮮やかなコンピュータ群の間を走り回る。
何が起きたのだ?
「所長!」
中年の女性スタッフが男を見つけて走り寄って来た。
「状況は?」
女性スタッフが口を開こうとした時、あれだけ騒がしかった警報が止む。管制室にいた数十名のスタッフが、動きを止めて様子を伺うようにお互いを見つめあっていた。
「まず、医療施設のあった第二区画で異常が発生しました」
男の前に立っていた女性スタッフが声を出した。
「この時は、遺体射出装置の異常のみだったので、スタッフを向かわせて確認と、必要があれば修理をする指示を出しました」
女性スタッフはこのステーションの上級管制官だ。
「ところが、医務室に向かったスタッフから内線で連絡が入り、私がそれに出た途端、彼らの悲鳴が……」
女性の顔が悲痛に歪む。
彼女はそれから、すぐに同僚に応援に向かうように依頼し、彼女自身は大型モニターでステーション内の異常を目で追った。
最初こそ、医療施設に限定されていた赤い異常発生マークだったが、同僚達が応援に向かった頃には、画面全体が真っ赤に染まっていた。誤作動かと思ったがそうではなかった。
「もっと早くに警報を出せなかったのか?」
「それが……、あっと言う間の事で……。それに最近はデブリ駆除の度に警報が鳴るのがうるさいとの理由で、警報レベルを三に引き上げていましたから……」
「そうだったな」
男が、苦虫を噛みつぶした様な表情を作りうなずく。
危険レベルは五段階で、当初はレベル二『ステーションに無視できない危険、脅威が発生もしくは接近の可能性がある』という段階で警報装置が発動する設定になっていた。ところが、このステーションがある月周辺には、開発計画時の宇宙ゴミがまだ大量に残っており、レベル二では三〇分に一度のペースで警報が鳴るので、
「これではいざ警報が鳴った時に、またかと思って危機感も生まれやしない」
と所長である男自身が、警報装置の発動レベルを危険レベル三に引き上げたのだった。
危険レベル三は、『ステーションに危険、脅威が発生もしくは接近した可能性大』となる。レベル四だと可能性大が発生したという断定的文面で終わり、レベル五はそれこそ『逃げ出せ』というレベルになる。
大きな振動が男を襲った。立っている事が困難になり、彼は壁に手をついて膝を折る。耳に届く爆発音が、彼の表情が固まらせた。
「ツクヨミ、ステーション内の状況を知らせろ。一体、何が起きている」
男がステーション管制システムに呼び掛けると、ツクヨミと呼ばれた管制システムが女性の声で応じた。
「当ステーションは著しく機能を失いつつあります。医療スペースの外壁破損。医療スペースの隔壁を遮断しました。危険レベルを五に引き上げます。クルーは直ちに脱出用シャトルに搭乗してください。三〇分後に脱出シャトルを射出します」
男は呻いた。テロという単語が脳裏に浮かぶ。しかし、こんな研究目的のステーションをテロの標的にして何の意味があるのだろうか。確かに、表沙汰に出来ない研究もあるが、どうせ狙うなら軍事目的の宇宙ステーションを狙えばいいのに。
システムであるツクヨミの音声は感情がなく、それがかえって恐怖を煽る。管制室にいたスタッフ達は慌ただしく動き、壁に設置されてあった宇宙空間でも活動のできるバイオスーツを引っ張り出し、お互いに着せ始めた。
中年の女性が差しだしてきたそれを着た男は、管制室の外に出た。そこで若い女性が近づいて来ているのを視界に捕えた。その女性の名前を呼ぶ。
「吉田主任」
彼女は新型アンドロイド研究チームの主任で、彼の恋人だった。
血で染めた頬をそのままに、うつろな表情で近づいてくる彼女は、右肩と腹部から出血しているらしく、ユニフォームが赤く染められていた。駆け寄ろうとした時、ツクヨミの声が通路内に響き渡る。
「SOS信号をカグヤ市に発信。五時間後に脱出シャトル回収班とGLH25ポイントで接触。クルーは直ちに脱出シャトルに搭乗してください」
男が恋人を腕に抱きとめた時、彼女が大きく目を見開き、
「嫌!」
と叫んで、彼の腕を必死に振りほどこうとした。
暴れる彼女を必死に抱きしめる。数人のスタッフが助けに駆けつけて来た。
「所長、急がないと」
「わかっている。鎮静剤を持ってきてくれ!」
叫ぶように言った彼の指示で、一人の女性が物品保管庫に向かって走り出した。
男は恋人を抱きしめたまま、シャトル用ゲートに向かうスタッフ達の最後尾をゆっくりと歩く。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
吉田主任は身体を激しく震わせながら、寝言のようにそればかり繰り返す。鎮静剤を取りに行ってくれた女性スタッフが、銀色に輝く注射器を数本、握りしめて帰ってきた。
「モルヒネ、鎮痛剤も取ってきました。すいません。止血スプレーがなくて……」
「いや、助かった。ありがとう」
二人が強張った笑みを交わした時、シャトル用ゲートに向かっていた集団の前方で、ざわめきが起こる。それは瞬時に大きくなり、パニックと化したスタッフ達が、男達のほうへと慌てふためき向かって来た。
「どうした? 何があった?」
誰も答えない。必死に逃げ惑う集団に揉まれるように男も後退し、焦る気持ちと不安に鼓動が早くなる。
その時、ステーション全体が大きく揺れた。スタッフ達が悲鳴をあげ、お互いに揉み合いながら床に倒れる。
管制システムが何か言っているが、そんなものを確認している余裕もなく、倒れまいと必死に壁にすがりつく男の近くで、絶叫が起こった。
今度は何だ!
男が恋人を抱き直し、声のした方向に目を向けると、そこには見たこともないものがいた。
「うわああ!」
彼は一瞬で生命の危機を感じ取った。生きるために頭ではなく身体が反応した。恋人を抱きかかえ、まだ少し揺れる通路を管制室に向かって走った。よろめき立ち上がろうとするスタッフ達に向かって「逃げろ!」と叫び続ける。しかし、彼の背後では絶叫の連鎖が湧き起こった。
管制室から隣の区画に伸びる通路に、ツクヨミの声が響く。
「冷却システムパワーダウン。発電量自動調整。現在六〇パーセント」
所長は管制室に向かう直前で、考えを改めた。管制室では食糧も医薬品も何もない。これでは恋人は助からない。
彼は咄嗟の判断で方向を変えると、逃げ惑うスタッフ達とは違う通路に入り、物品保管室の前に立つ。背後を振り返り、左右を確認しながらパスワードを入力し、中に入る。
「ステーションをスリープ状態にします」
管制システムの声を聞きながら、物品保管庫の中で恋人を寝かせ、収納されていたプラスチックの箱を次々と開ける。ベッド用カバーを取り出し、腕の力で引きちぎると、恋人の患部をそれで丁寧に拭いた。何か鋭い刃物で刺されたような傷。特に腹部はまずい。この位置では肝臓が傷ついている可能性が高い。
彼は苦しそうに喘ぐ恋人の額に手を置いた。熱があると感じ、解熱剤を探すべく立ちあがった時、恋人のか細い声が彼の名前を呼ぶ。
「お願い。これから私の言う事を記録して」
彼女の額には大粒の汗がいくつも浮かび、目の下にはくっきりと隈ができていた。唇は青ざめ、長くない事を男も悟る。
収納箱の中から、今では滅多に使わなくなったメモ帳とペンを取り出し、彼女の傍に座った時、管制システムの声が耳に届いた。
「発電システムパワーダウン。脱出シャトル射出不可能。ツクヨミは一部機能を停止。安全確保に残余エネルギーを集中します」
男が最悪の事態に目を閉じた時、物品保管室のドアが激しく叩かれた。切羽詰まった様子でドアを叩く誰かは、何か叫んでいるようだが、恋人の頼みを優先しようとしている男はそれを無視する。しかし、目だけを動かしドアを見る彼女を見て、彼は立ち上がりドアを開いた。
「閉じて! ドアを閉じて!」
駆け込んできたのは、彼の為に医薬品を取って来てくれた女性スタッフだった。彼女は男の脇を倒れながらすり抜け、床の上に倒れた。喘ぎながらすぐに顔をあげる。その目が大きく見開かれた。
男はその視線の先をみるべく振り返った。
突然、視界が闇に閉ざされ身体を何かに引っ張られる。急速に意識が薄れていく中で、ドアが閉まる音が確かに聞こえた。