暗闇、不死、わしは塩サバを味噌ぶりだぞ
あのな、味噌ってのは身体に良いんだ。
爺さんがそう言った。あまり興味の無い話だったが、俺はもうかれこれ長い間爺さんの話を聞いていた。
ガキ共が晩飯に塩サバを食っていてもな、わしはな、わしはほら、わしは塩サバを味噌ぶりだぞ。わしだけガキ共と別に味噌ぶりを作らせるんだ。
知らねぇよ、と言いたいが、やはり年上にはなかなか逆らえない。どこの世界でもそれは変わらない。ましてはこの爺さんは俺のご先祖様なのだ。会った事はなかったが、それはそれは偉い人らしい。
それでな、わしは味噌のお陰で長生きしたワケだ。わかるだろ? 近所じゃ不死身なんじゃないかと言われたもんだ。まぁ実際、不死になったんがな。な、わかるだろ?
ポジティブと言えばポジティブではあるが、その不死のお陰で俺は延々と長話に付き合わされているのだから、不死と言われても余計にうんざりするだけである。
世の中嫌な事もあったろう? わしも長生きしてて、死んだ方が良いと思った日もあったさ。でもな、死んだら終わりだろ? 生きてりゃ何とかなったりするんだよ。何ともならない時もあるけどな。
爺さんは笑っているらしい。こんな話、何の為にもなりゃしない。今さら爺さんから学ぶ事なんて有りはしないのだ。
何ともならなくてもな、時間ってのは過ぎていくんだ。何ともならない時ってのは、死んだ時だけなんだよ。生きてるって事は、何とかなったんだよ。そう思わねぇか? やっぱ人間生きてるの一番だよ、死んだって良い事ねぇよ。
全く、今まさに痛感している次第である。
だからな、1回だけ何とかしてやる。2度は仏様も許しちゃくれねぇ。良いか、1回だけだぞ。わしの話をよく聞いたろ? 覚えちゃいねぇだろうが、まぁ、何とかもう1回頑張ってみろ。
爺さんの声が暗闇に溶けていく。果ての無い遠くから響くようにして、爺さんの最後の声が響いた。
2度とこっち来るんじゃねぇぞ。
俺は目を覚ました。橋から飛び降りて三日が経っていたらしい。
白い天井の下に見知った家族の顔と知らない顔が並んでいる。知らない顔はどうやら医師や看護師のようだ。
意識がある事と体調についての質問を何とか首の動きだけで答えていると、横から母親が首を突っ込んできた。
「何か欲しい物ある? 食べたい物は?」
訊かれて俺は、理由はわからないが、無償に食べたい物がある事に気付いた。
答えようとすると喉が痛み殆ど声は出ないようだったが、俺は何とか口を開いてそれを伝えようと試みた。
味噌の──。
了