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はじめまして、旦那さま。  作者: momo
歩み寄り
4/13

後編




 孤児院に出向いたアリシアが、夕刻までに屋敷へ戻って来ない日はこれまでにもしばしばあった。


 たいていの理由は子供の誰かが病気になった時だ。

 子供たちの母親的存在を確保しているアリシアは、全ての子供に平等に接している。子供が病気になった時は必ず側にいて寝付くのを待ってから帰宅するのが常で、それはどの子供が病気の場合も変わりなかった。


 しかし今回は勝手が違う。何が何でも時間までに帰宅するべきだったと、エドアルドの顔色を窺う使用人たちは誰もが皆同じ意見だった。


 今夜とて無断で帰宅が遅れる訳ではない。ちゃんといつもの様に孤児が屋敷を訪れアリシアからの手紙を執事のダリに手渡した。いつもなら時間を見計らってギャンが孤児院に迎えに出向くのだが、手紙には孤児の一人が突然の腹痛に見舞われ、神父が街の医者まで子供を連れて行ってしまった事。子供たちだけを残して帰る訳にはいかないので、神父が戻り次第帰宅するつもりだがいつになるか解らないと書かれていたのだ。


 館の主は執事ではなくエドアルドだ。ダリは食事の席でアリシアの帰りを待つエドアルドにその手紙を手渡した。

 無表情で手紙を読んだエドアルドはそれを懐にしまうと、腕を組んで視線を前に向けたまま質問する。


 「このような事は度々あるのか?」

 「度々と申しますか―――何分相手は子供ですので、熱を出した風邪を引いたとなりますと…まぁ時折…」

 

 歯切れの悪い執事にエドアルドは溜息を落とすともういいと答えを遮る。


 「解った、彼女の事は私が対応する。お前達は仕事に戻ってくれて構わない。」


 エドアルドは何事もなかったかのようにふるまうと、組んだ腕を解いて目の前に並ぶ食事に手を付けた。



 幼少の頃のエドアルドは母親に看病された記憶がない。

 熱を出した、風邪を引いたからと言っても母親は見舞いにも来ず、看病は執事か侍女任せで、母はいつも貴族の付き合いに出かけて行っていた。

 それなのにアリシアは我が子でもないのに心配だからと子供たちの側にいて、昨日帰郷したばかりの主が、夫が待つ屋敷に返ってくる気配がないのだ。


 自分がいるから余計にだろうか?


 子供とは言っても孤児院で一人留守番する訳ではないし、屋敷まで手紙を届ける事が出来る年頃の子供もいるのだ。神父もいずれ戻って来るのだから、アリシアは自分の立場を弁え帰宅するのが当然ではないのか。


 そう考えるとやはりアリシアが戻らないのは自分がいるからだと答えを導き、二人の間にある距離の大きさを実感した。


 アリシアにとって大事なのはエドアルドではなく孤児たちだ。それは付き合いの長さから言っても当然だろうが、解っていても何故か寂しく感じてしまう。見知らぬ女性…ではないが、嫌われるのにはあまり慣れてはいなかった。


 夜の帳が下りてもアリシアは戻ってこない。

 使用人たちには自分が対応すると言ったし、誰かを迎えにやらせるつもりもなかった。だからと言って夜道を若い娘一人で歩かせる訳にもいかない。そう自分に理由付けをすると、エドアルドは馬の手綱を引いて孤児院までの道を進んで行った。














 *****


 闇に浮かぶ小さな明かりは孤児院の窓から漏れている。手頃な木に連れてきた馬の手綱を繋ぐと、エドアルドは躊躇しながらも孤児院の扉を叩いた。


 「リリはどうでし―――旦那さま?!」


 勢い良く扉が開かれると、小さな子供を抱いたアリシアが焦った声で出迎え、そしてエドアルドの存在に驚き目を丸くしている。そのままぽかんと口をあけて驚きのあまり言葉もなくしているようなので、エドアルドは嫌な顔をされなかった事に僅かにほっとして緊張を緩めた。


 「貴方を迎えに来たのだが―――」


 エドアルドはアリシアが腕に抱えて立て抱きにする子供に視線を落とす。くしゃくしゃの巻き毛の幼女で、しっかりと瞼を閉じているが泣いた跡なのか涙と鼻水が乾燥して白くこびり付いていた。乾いた涙と鼻水に代えてか、小さく開いた口からは涎が流れていて、あまりにも微笑ましい光景にエドアルドは優しく目を細めた。


 まさかエドアルドが姿を現すと思ってもいなかったアリシアははっと我に返ると、抱える幼女の背を優しく叩きながらエドアルドを中へと促す。


 「申し訳ありません。実は神父さまがまだ―――」

 「そのようだね。それとその子、涎垂らして寝てるよ。」


 エドアルドが子供を指さすと「まぁ、そうですか?」とアリシアは声を顰めた。そしてエドアルドを残して奥の部屋へと向かって行くので、エドアルドもそれに続いて奥へと踏み入れる。


 暗い部屋に沢山の子供たちが眠っていた。その中にアリシアが幼女をそっと下ろすと少しむずがるが、優しく胸を叩かれてやがて深い寝息を立て始める。

 その慣れた様子にエドアルドはアリシアが孤児院で刻んだ時間の長さを思い知らされた。


 「この子はここに来たばかりで。神父さまがいらっしゃらないからぐずって困っていたのですけれど―――眠ってくれてよかったわ。」


 まだ二歳になったばかりの小さな子供だ。話だって満足にできない幼児が、三日に一度しか顔を出さないアリシアに懐くには時間がかかるだろう。それでも腕の中で眠ってくれた幸福に満たされていたが、こちらの様子を窺うエドアルドに気付いて子供たちが眠る部屋から出て扉を閉める。そうしてエドアルドに向き直ると深々と頭を下げた。


 「神父さまには日が暮れる前に帰るよう言われていたのですが、どうしても子供たちが気になってしまい、わたくしの意思でこちらに残らせていただいておりました。結果的に旦那さまを煩わせてしまい、本当に申し訳ありません。」


 伯爵夫人としての務めを蔑ろにしたのは全て自分の責任、神父も子供たちも全く悪くないのだと必死に伝えようとするアリシアに、自分と言う人間はどれ程独裁的に映っているのかと心配になって来た。

 ほんの少し柔和に接してくれるようになったと思ったのもつかの間、頑なに壁を作ろうとするアリシアにエドアルドはあえて気付かないふりを貫く。


 「気に病む事はない。ここには私の勝手で来たのだし、夫が妻の迎えに来るのも当然の務めなのだから。」


 これが普通なのだとカーシャに刷り込まれた貴族像を壊したくて、エドアルドは自然とアリシアの小さな手を取って包み込んでいた。


 「それにここの設立には貴方が手を尽くしてくれたと聞いている。本来なら母か、領主たる私がやるべき仕事であったはずなのだ。それを率先してなしてくれただけではなく、今もこうして深く気にかけてくれている事に感謝するよ。」

 「そんな旦那さま―――」


 手を取られたアリシアは赤くなりながらも振りほどくことなくエドアルドを見上げていた。まさかこんな言葉を頂けるなんて夢にも思っていなかったのである。

 本当に、エドアルドはアリシアが思っていた人物とはまるで違う―――名実ともに素晴らしい御方なのだと実感し、アリシアは胸の内がつきりと痛むのを感じた。


 「神父が戻るまでの間、私の話に付き合わないか?」


 手を振りほどかれなかったのをいいことに話し合いに誘うと、アリシアは今朝の様に拒絶せず大人しく席に着く。狭い室内がお互いの距離を身近に感じさせ、エドアルドはやっと思うように運び出した事態に御満悦だった。


 











 *****

 

 「貴方は私の妻になるのは嫌だった?」


 突然投げかけられた言葉にアリシアは驚き顔を上げる。

 対して、きわどい質問を投げかけたエドアルドはなんでもない事の様に笑顔で「ん?」とアリシアを見つめていた。


 別に責められる訳ではない様子にほっとしながらも正直に答えていいものかと迷うアリシアに、エドアルドにはやっぱりそうなんだねと心の内を読まれてしまう。

 

 「不躾な質問で悪かったと思うが、貴族社会では顔も知らぬ相手と利益の為だけに婚姻を結ぶのは普通の事なのだから、別に貴方が後ろめたく感じる必要は何もない。」

 

 エドアルドとアリシアの結婚も、莫大な持参金と貴族との繋がりというお互いの利益の為だけに結ばれた関係だ。ここに婚姻当事者である二人の気持ちは何処にも反映されていない。


 「恋人は―――ああ、いたんだ。どんな男だった?」

 「だっ…旦那さまっ?!」


 矢継ぎ早に質問したかと思うとアリシアの表情だけで答えを見つけてしまうエドアルドに、アリシアは怖くなって思わず声を上げた。


 「別に責めるつもりはないから安心なさい。それに私なんて婚姻の事実を知らなかったものだから、この五年で貴方に不誠実な事実を沢山犯してしまっているのだよ。」


 自慢するべき事でも、まして妻である貴方に面と向かって告白すべき事柄でもないがと言いながら、エドアルドはアリシアに話しやすい状況を提供しようと試みていた。

 だがアリシアはその告白に、またもやつきりと胸の内を痛める。


 「やはりお迎えしたい女性が―――」

 「いる訳がないよ。」


 先を紡がせまいとエドアルドは断言した。


 「流石に驚きはしたけどね。だが知らぬ間に結婚していた相手が貴方で良かったと思っている。」

 

 アリシアは何を言っているんだとエドアルドを不審な思いでまじまじと見つめた。

 昨日、エドアルドは初めてアリシアの存在を知った。それから丸一日、嫌な態度しか取っていない自分のどこがどうしてそう思わせるのか。アリシアなりにエドアルドの裏を必死で読もうとしたのだ。


 だがエドアルドには裏も何もない。どうせ誰かと結婚して後継ぎを残さなければならないのなら気の合う相手がいいに決まっているが、それが上手くいかないのが貴族社会なのだ。


 実の所、今回の戦争で多大な功績を残しまくった自分にどこぞの御令嬢を押しつけられるのではないかと冷や冷やしていたほどだ。それが何の音沙汰もなかったのも当然、すでに結婚しているエドアルドに重婚させる訳にもいかない。

 言い方を変えるならアリシアが五年前に自分に嫁いでくれていたからこそ、自尊心ばかりの塊である貴族の娘を押しつけられずに済んだのだ。


 「貴方は屋敷の使用人たち所か、地に落ちていた領民の信頼までも回復させたと聞いている。今日一日見ていて感じたよ。君の隣はとても居心地が良さそうだってね。」


 何よりも子供の態度は嘘をつかない。汚れた子供たちが迷いなく抱きつける存在、それを許せる女性をここで手放して再び手に入れる事が叶うだろうか。

 

 友好的な感情をまっすぐに向けられ、そんなつもりは全くなかったアリシアはただ戸惑うばかりだ。

 五年前に覚悟したとはいえ、今更ながら本当に自分はこの人の妻になるのかと、本当にそれでいいのかと大きな戸惑いと恐怖が襲ってくる。そしてそれと同時に、別の何かがアリシアの心を小さく叩くのだ。


 返答に困るアリシアだったが、ちょうどそこに子供を背負った神父が戻って来てくれてほっとした。

 神父は日が暮れる前に屋敷へ帰るよう諭したはずのアリシアがいて驚いたが、そこにエドアルドの存在を見つけると心から穏やかに微笑んだのだった。

 













 *****


 腹痛を起こし医者にまでかかった子供は重度の便秘だったらしく、薬を飲ませて出す物を出せば瞬く間に回復して眠ったらしい。それを背負って戻って来た神父は詳細を告げると、もう遅いのでと二人を早々に送り出した。


 エドアルドは連れてきた馬にまたがると、馬に乗るのは初めてだと言うアリシアを片腕で引き上げる。相手が初心者でも慣れたもので、緊張のせいか硬くなるアリシアを自分の前に横座りさせると腕を回して固定し、そのまま馬をゆっくりと歩ませた。


 引っ張り上げた瞬間に感じたのだが、アリシアは見た目以上に軽かった。コルセットをしていない腰回りも華奢でちゃんと食べているのかと気になると同時に、エドアルドは良くない原因に思い当たる。

 アリシアの食が細くなったのだとしたら原因は間違いなく自分だろう。領地を長い間ほったらかして好き勝手やっていたのだから、このまま帰って来なくてもよかったのにと思われても仕方がないのだ。それが突然戻ってくるとなると、歓迎しない夫に尽くさねばならない妻の心境はいか程の物なのか。何分男であるエドアルドには嫌な事であるとしか想像がつかないが、当事者でなければ同情しただろう。


 「あの…旦那さま。」


 くよくよ考えているとアリシアから遠慮がちに声がかかった。


 「今日は、ご迷惑をおかけしてしまって本当に申し訳ありませんでした。それと、迎えに来て下さってありがとうございます。」


 下を向いたまま恥ずかしそうに、けれどはっきりと述べられた感謝の言葉を聞いたエドアルドは、この瞬間初めてアリシアが自分に向き合ってくれたように感じた。


 昨日の敵対心剥き出しのアリシアはあまりに不自然すぎる。恐らく今この腕に囲うアリシアこそが本物の彼女なのだろう。屋敷の使用人や孤児、そして神父に見せるアリシア自身をこうも早くに感じ取れようとは―――けして単純ではないはずのエドアルドだが、やはり心を開かれると嬉しいものだ。


 「気にするな。こうして迎えに赴くのも意外と楽しいものだ。」


 これが日中の迎えならアリシアが馬に跨る事はなかっただろう。そうなるとこのように接近して話をする機会もなかったし、ありがとうの言葉も聞けず仕舞いだったに違いない。腹痛を起こした子供には悪いがそのおかげで二人の関係が一つ歩み寄れたように感じて、エドアルドは神父に背負われて戻って来た子供にこっそりと感謝した。

 

 「あの…ではこれからも孤児院への訪問をお許し頂けるのですか?」


 アリシアは都に住まっていた折、貴族の夫人が慈善事業で孤児院を訪問する姿を目撃した事がある。でも彼女らのそれはあくまで義務としてやっているもので、孤児たちを訪問し言葉をかけてもまったく感情がこもっていなかった。金銭の援助を宣言するとすぐに踵を返して去っていく。それが貴族社会の普通だと認識しているアリシアは、自分の行動がその貴族社会に反する物だと十分に理解しているのだ。


 だからこそアリシア自身が頻繁に孤児院に赴いているのを、出来るならエドアルドに知られたくはなかった。秘密にできるとは思っていなかったが、知られるのももう少し先だろうと予想していたのに。

 けれどエドアルドの態度を見ていると、けしてアリシアの行動を制限するような人にも思えなかった。義母の様にアリシアを卑下するでもなく、しかりつけるでもない。だから確認の為に、本当に大丈夫だろうかとの意味を込めて不安を投げかけたのだ。


 暗闇の中で表情を読むのは困難だったが、エドアルドはアリシアの不安をすぐに理解した。貴族社会においてエドアルドが嫌いな部分をアリシアはおかしいと感じ、己が正しいと思う行動をとっているのだ。それを歓迎しない訳がない。


 「勿論だ、否定する理由があるか?」

 「ありがとうございます、旦那さま。」

 

 当然とばかりに答えを出してやると、アリシアが嬉しそうに声を上げ顔を綻ばせたのを感じる。暗闇でその表情をエドアルド自身に向けられなかったのが残念でならなかったが、腕の中のアリシアから力が抜けたのが解りエドアルドも嬉しくなった。


 エドアルドはアリシアの腰に回した腕に力を込めるとそのまま自分の方へと引き寄せる。


 「だっ、旦那さまっ?!」


 引き寄せられたアリシアが焦りの声を上げ、馬上であるのも忘れたのか回された腕から逃れようと身を捩って暴れ出す。だからといってエドアルドが態勢を崩す訳もなく面白そうに声を上げて笑うと、今度は抗議の声が上がった。

 

 エドアルドは夫婦なのだからこのくらいと口にしかけたが、実際にそれを口にするとせっかく歩み寄ってくれたアリシアからまたもや離縁の話が持ち上がりそうなので止めておく事にする。

 

 「離して下さい旦那さまっ。離して―――降ります、降ろしてくださいっ!」

 「暴れると落ちるぞ。」

 「って―――きゃぁっ、旦那さまっ!!」


 降ろせと抗議の声を上げるアリシアだったがエドアルドが馬の腹を蹴り駆けさせると、今度は不安定な乗り様がとたんに恐ろしくなり、無意識にアリシアの方から腕を回してエドアルドにきつく抱き付いた。


 暗闇とて手綱捌きに迷いはない。調子にのって馬を速めるとアリシアから更なる悲鳴が上がり、エドアルドは愉快そうにアリシアを抱きとめながら笑って夜の闇を駆け抜けた。









  



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