ありふれた恋
これはありふれた恋のお話で、だけれど僕にはかけがえのない記憶のカケラなんだ。
出会い、寄り添い、悲しみ、別れる。それこそありふれた、恋のお話。
物語は、終わらなければならない。
物語は、ハッピーエンドでなければならない。
だからこれからのお話は、終わりを迎えることはない。
だからこれからのお話は、ハッピーエンドであるはずがない。
これは、どこにでもある、ありふれた恋のお話で。そう、それはとてもよくあることでもある。簡単に言ってしまえば、男女が付き合って遠距離になり別れる。ただそれだけの話。
言うなれば、『なんてこともないようなつまらないお話』で。本当に、オチも何もない。分かってる。自分でも、紡ぐ必要性のカケラもないつまらないお話だということを。だけれど。僕の胸の中に、あれから三年も経ったというのに、残り続けるナニかがある。僕は何度もそれを捨てようとして、その度に忘れることができなくて苦しくて。もう、それは決意だけではどうしようもないほどに、忘れられなくなっている。ありふれた恋のお話なのに。どうして、僕は――
これは今から五年前に始まり、三年前に終わりを告げたお話だ。前置きが長くなってしまったね。聞いてくれるかい? 遠いあの日々のお話を。
まるで、美しい絵画の世界に迷い込んだようだった。午後六時。部活が終わり、太陽が教室を真っ赤に染め上げている。この教室には僕と、黒髪の少女の二人だけが残っていた。そこで彼女は俯きがちに、か細い声をあげる。
「……あの、ね?」
開け放しの窓から、まだ練習を続けている野球部の掛け声がする。
「けっこう、どうしようか迷ったんだけどさ……」
それは、僕が声を出せば割れてしまうような儚さで。
「きっと、今がベストなんだって思うから」
それは、優等生の彼女らしい言い回しだった。
「あの、ね? 私、――のことが、好き、なの」
彼女に真っ直ぐに見つめられて。僕は、彼女の瞳に映るボクを見据えていた。
「――――」
僕自身、驚くほどに落ち着いた声で返事をして。
それが、彼女との日々の始まり。今でも、脳裏に鮮烈に焼きついている記憶だ。
彼女と付き合うことになって、だけれどこれまでの日々からがらんと変わることもなく、僕らは徐々に距離を縮めていった。僕らは受験生で、勉強をしなくてはならなかったけれど、楽しいひとときが無かったわけじゃない。
修学旅行では同じ班になれるよう、先生の目や友達の誘いをかいくぐるか話し合った。当日、班から別行動でデートを楽しんだ。修学旅行から帰ってからも互いにお土産を交換しあった。何気ないその一瞬一瞬が本当に楽しくて。そのときの僕らはずっと笑顔で、この時間がずっと続いていくように、と……。そう、願ってしまうほどに僕たちは満たされていた。
夏休みは受験生ながらも映画を見に行ったり、まだ行ったことのないカフェに出かけてみたりもした。映画は敵対している里同士の忍者が恋に落ち、悲しい結末を迎えるものだった。秋が深まるにつれ、受験モードになったけれど、僕らはそれでも時間を作ってはブラインド・ショッピングに出かけたり、かけがえのない時間を精一杯楽しんだ。
卒業式。僕らは別々の学校に進学することになるけれど、彼女は僕の不安を打ち消すように、『大丈夫だよ』とはにかんで答えてくれた。
卒業して二ヶ月が過ぎた。その間僕たちは一度も会うことが出来ず、毎日メールをするのがやっとだった。
彼女の通う学校で、テストがあった。彼女は優等生。高校は進学校で、そこでの彼女は凡人だった。だから、彼女は必死に勉強した。部活にも入った。部活は夏に発表会があり、入部したばかりでも猛練習をしなくてはならなかった。僕とのメールは次第に数が減り、二日おき、三日おきとなっていた。
『今よりもっと勉強しなくちゃ、ついていけない。ごめんね』
こんなメールばかり、僕に届いて。彼女が辛いというのが分かっていても、何もできることがなくて。それが僕には辛くって。
ある日、僕は訊いた。『学校は楽しい?』って。すると彼女は、『楽しいよっ!』と、すぐにメールを返してくれた。授業についていけなくても。部活が練習に次ぐ練習で大変でも、彼女は楽しいんだって。だから、それが嘘偽りのない答えだって思った。
けれど、それからも彼女からのメールには『勉強や部活が大変で、辛い』って。『押しつぶされちゃいそう』っていう言葉が続いて。……僕には何もできなくて。今の僕は、彼女の重しでしかなくて。だから、僕が出来る、彼女の負担を少しでも軽くしてあげられることは――
僕が彼女との別れを決意したのは、その時だった。けれど、何も出来ない僕なのに、頼ってくれる彼女に僕が別れを切り出すことは出来ない。
だから、僕は考えた。考えて、考えて、考えて。何度も"その後"をシミュレートして。僕は、考え付いた限り最善のフラれ方を実行に移した。彼女が一番、傷つかないやり方。傷が最小限にとどまるように。僕は、わざと、彼女に振られるような酷いことをし続けた。辛くて、辛くて、泣いてしまいそうなほどに苦しくて。心臓が押し潰されるような痛みを味わって。それでも、メールでしか彼女と繋がることができないから。嘘で彩った言葉から、僕のこんな気持ちを汲み取ることなんて出来ないだろう? 大好きで堪らなかったから……、僕はそれを最後まで、彼女が別れを告げるその時まで道化を続けた。そして八月も終わりに近づいたある日、短いメールが届いた。
『別れよう。』
そのメールの意味を理解したとき、僕はとっても嬉しくて、悲しくて、愉しくて、切なくて、どうしようもなくて。けれど時は立ち止まることを知らずにいて。僕の事なんか気にせずどんどん進んでいって。
今でも時折、彼女からメールが届く。僕はその度にどうして、と首を傾げながらも返信をしてしまっている。どうやら、僕と彼女の話はまだ続いてしまっているようだ。そのことが、僕には無性に哀しかった。だから、僕は誓ったんだ。
物語は、終わらなければならない。
物語は、ハッピーエンドでなければならない。
……遠距離で別れた、ただそれだけのお話。ありがとう。僕はキミに話してみて、ようやく忘れられなかった理由が見つけられたよ。それとさ、ひとつ思い出したことがあるんだ。本当の最後はどうか分からないけれど。僕の記憶の中の彼女は、あの日、大丈夫だよと言ってくれた時の笑顔だったこと。それが大切な答えなのだと気づけた僕は、もしかすると、時に置き去りにされたあの日から、ようやく寄り添うように歩を進められたのかも知れないね。
この掌編小説は、四年ほど前に書いたサークル誌の原稿を書き直したものです。
机の引き出しを整理していたら、たまたまサークル誌が出てきたので懐かしくて読み直しました。
お話は突っ込みどころばっかでしたね!
というわけで、書き直して投稿したこの物語。
男女の出会いから別れを書いて、"その後"まで書いています。
こういうのって、ありふれている題材だからこそ、小説の数が多くないと思うのですよ。
ようするに、皆様が読んで面白いと感じる題材か。また、共感を受けるお話であるか。
残念ながら、この小説はそこまで面白いと感じる題材でもありませんし、共感をしていただけるお話でもないと思うのです。
それでも、投稿したのは日の目を見ることが大切であると、そういう風に感じたからでしょう。
さて、掌編小説【ありふれた恋】のあとがきでした。
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます! よろしければ次の作品もお付き合いくださいませー