表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

紫のびいとろ

作者: 生谷爽志

                          


『昨日未明、鎖窯海岸付近で男女の水死体が発見された。崖から飛び下りた形跡が見つかっている。二人共二十代前半との見解で遺書は見つからなかったが二人の左手の薬指をきつく結い合っていたことから心中とみなされる。なお、女性は妊娠していた模様。身元を調べると共に、警察は亡くなった理由を探っている──鎖窯新聞より引用』


 

 恋に堕ちるのは重力ではない。立石麻衣子(たていしまいこ)はアルバートアインシュタインの言葉を思い出した。でも崖から落ちるのは間違いなく重力のせいで、麻衣子は鎖窯海岸の険しい崖を思い浮かべた。目の前の記事が歪んで見える。どうしてこんなことになってしまったのか。

麻衣子は記事の男女とは知り合い以上の仲なのである。なのであった。

兄妹のように仲むつまじい姿で、学生時代から付き合っていた。二人の笑顔が麻衣子の頭をかすめ、麻衣子は唇を噛み締める。

そして新聞を抱え泣き崩れた。 

まさか自分が二人の心中の謎を暴くなど、白昼夢にも思わないだろう。



       * * *              


 心中した男女のうち、男は海原ミキト(かいばらみきと)、女は上月紫江(こうづきしえ)といった。

二人共、麻衣子の高校時代からの同級生。二人の交際の始まりは高校三年生に遡るので、約六年間付き合っていたことになる。

ミキトは高校卒業後、自営のガラス工房で修行を重ね父親の跡を継ごうとしていた。紫江は体が弱く床に伏せがちで、せっかく入学した短大にもあまり通えないまま、二年前に卒業し自宅で療養中だった。はずだった。

 どうしてこんなことに──。

自問自答の中麻衣子は麻衣子は目覚めた。どうやら泣き崩れたまま気絶するように眠ってしまったらしい。時計を見た。午前七時十分。六時半に麻衣子が新聞を居間に持ってきて、父よりも先に眺めていた。そしてあの記事を見つけたのだ。

肩にネズミ色のブランケットが掛けられている。多分母だろう。

涙で滲んだ新聞を広げながら、もう一度記事に虚ろな視線を向ける。

──心中とみなされる──

嘘でしょう? なんで、ミキトと紫江が……。

麻衣子の頭に浮かびあがる矛盾の文字。

『あのね、ミキトがプロポーズしてくれたの! 今は無理だけど、ミキトが一人前のガラス職人になったら結婚しようって!』

フラッシュバックする紫江の声。まるでガラス細工のような繊細な体躯。そんな紫江をいつも盾になるように寄り添い守っていたミキト。

二人で幸せになるんじゃなかったの……?

また麻衣子の目に涙が湧いてきた。

「麻衣子……」

母だ。ふくよかな体を揺らし、顔を青く染めながら台所から出てきた。多分、もう誰かから聞いて知っているんだろう。

「ミキト君達のこと……」

「ん……」麻衣子は曖昧な返事をし、素早く涙を拭いた。

「とりあえずご飯食べなさい。仕事から帰ってくる前に、礼服出しておくから。……今夜、お通夜だって」どうやら電話があったらしい。

「そう」

朝食は食べず味噌汁だけ流し込んだ。ぐしゃぐしゃになった新聞に、家族は何も言わなかった。



 麻衣子は町内の図書館に司書として勤めている。普段は穏やかな職場も今日ばかりは違った。小さな町の大きな事件で持ちきりだった。

利用者に公開するための新聞をみんなで回し読みし、それぞれガセも混ざったような情報を交換しあう。

『女の方がデキてたって』

『でも体弱かったらしいわよ』

『海原工房の息子さんとでしょう……まだ若かったのにねぇ』

『そういえばそこの奥さん』

『浮気の噂があったわね……』

麻衣子は唇を噛み締めた。とても悔しかった。二人の思いが汚されている気がして。悲しかった。

麻衣子は何も知らない自分が、恨めしかった。



 ミキトのお通夜の会場には、麻衣子以外の同級生はいなかった。小さな町故、みな殆ど都会に出てしまった。

海原工房の親方、つまりミキトの父親の知り合いが半数を占めている。

客に丁寧に頭を下げている、ミキトの父親。胡麻塩頭が特徴で、小柄だか体にはガラスを細工するため必要な筋肉が備わっている。いつもならそれに寄り添うはずのミキトの母親が、今日は見えない。


 麻衣子が紫江のお通夜に行こうと、席を立ち歩き出した時だった。

「麻衣子さん……」

ミキトの父親が麻衣子を呼び止めた。

「はい」

「今日は、わざわざありがとうございました」深々と頭を下げた。胡麻塩頭がよく見える。

「いえ……」

「同級生では麻衣子さんだけなので、きてくださってあの子たちも喜んでいると思います」

「それはよかった……あの……今日おばさんは?」

「あ、……ちと体調崩しちまって」 

なぜかうろたえた。

「そう、ですか。お大事に」

無理もない話だ。          そして、ミキトの父親が泣き出したので麻衣子は一瞬焦った。自分が何か言ったのかと。だけどそうじゃなかった。

「俺は何てことを……二人を、ミキトと紫江さんを殺したのは俺だ」 



       * * *



                            



 紫江から麻衣子への手紙


「まいちゃんへ。

まいちゃん、お元気ですか?

そういえばまいちゃんにお手紙を書くのは初めてですね。

なんだか緊張していしまいます。

 最後に会ったのはいつでしょうか。

確か二カ月前、ミキトからプロポーズされたことを打ち明けた時でしょうか?


 あの時──ミキトからプロポーズされた時は、すごく嬉しかった!まいちゃんも知っていたと思うけど、ミキトは高校時代漫画みたいにモテた。文化部所属だったけど、ガラスを練って鍛えた体は肩に程良い筋肉が募って逆三角のシルエット。垂れ目がちな童顔とハスキーな声のギャップ。ちょっと毒舌で善と悪に敏感で、なぜか憎めない。モテるタイプでした。

言い寄ってくる女の子達は私のことを知っててもお構いなしで、雌猫みたいにミキトに色目使って。でも、ミキトは私を選んでくれた。私が良いと言ってくれた。

神様の存在を確信した瞬間でした。


長々と惚気てごめんなさい。

語尾もぐちゃぐちゃですね。こういう時、文才があるまいちゃんがうらやましいな。

まいちゃんは、なぜ私がお手紙を出したのか掴みかねているでしょう。

実は私もこのお手紙を出すべきか、迷っているのです。

でも、伝えなければならないことがあります。

もしかしたら最後のお手紙になるかもしれないから。


まいちゃん、私の病気についてどこまで知っているでしょうか。

幼稚園から遠足に行ったことはなく、流行りの感染病にはいつも一等先に罹る私。高校でも修学旅行には行けませんでしたね。

出席日数ギリギリで進級し、三年生のある日……私は死にかけました。

まいちゃんは覚えていますか?

十二月の寒い日。教室にはよくある煙突ストーブ。元々肺に欠陥のある私は、その日たまたま薬を飲むのを忘れてしまっていました。

 咳き込みながら意志が遠くなる中、あぁ自分はここで死ぬんだ。最後までクラスメートに迷惑かけてしまったな。みんなごめんなさい。こんなことなら、あの人に告白しておけばよかった……。



──目が覚めたら一面の白。

天国かと思ったら病室の天井でした。

涙に濡れた顔で私を覗き込む両親。

なんでも、気絶した私をミキトが保健室へ運んでくれたそう。

びっくりしましたよ、だって違うクラスだったもの。

私の母親から連絡を受けたミキトは駆け付けるなり、私を抱きしめそして交際を申し込みました。

びっくりでしょう?

私はお礼も忘れて息をするのも忘れて、また苦しくなってミキトが背中をさすってくれて。

夢かと思いました。それか死後のうつつではないかと。

私は夢ではないかと問いました。

ミキトは夢ならば今すぐ君を攫うと言いました。

こんな欠陥女やめた方がよいと言いました。

頬を叩かれました。

君に足りないものは全部僕が補う。二度とそんなことを言わないでくれ。と。

私の両目から何かが出て、ミキトの顔が歪んで見えました。

返事は、と聞かれました。


もう書かなくてもまいちゃんにはわかるよね。

断るわけないじゃない。

欠陥品が痛くなるくらい、ミキトのことを慕っていたから。


また、惚気になってしまいましたね。

どうか読むのを止めないでください。


もし、まいちゃんがこのお手紙を読んでいることならば、私とミキトはもうこの世にいないことになります。

まいちゃんは悲しむでしょうか。こんなことを書いたら失礼、悲しむに決まってますよね。

理由をひどく知りたいと思っているでしょうね。でも、言えないのです。

まいちゃんにだけは……と思っていましたが、やっぱりミキトとの秘密です。

あ、訂正します。私とミキトと、もう一人。

私の中には、赤ちゃんがいるのです。

愛しいあの人の子。

この子も道ずれにしないといけない……そう考えると、私の運命を呪わずにはいられません。だけど仕方ない。全ては神様が決めたこと。

私とミキトは、結ばれちゃいけない運命だったの。



このお手紙は、やっぱり出すのやめます。意味がわからないしこれ以上、まいちゃんを困らせたくない。

最後まで我が儘な私でごめんなさい。

短い人生だったけど、まいちゃんに愛されてミキトに愛されて、私は幸せでした。


最後に一つだけ、女の子が生まれたら

まいちゃんのまとミキトのみで、まみとつけるつもりでした。馬鹿みたいだよね。



          海原紫江



       * * *

        



        



 びいどろの鳴る音がする。頭の中に木霊する。気の抜けるぽっぴん、ぽっぴん。最後に聞いたのはいつだっけ。



 麻衣子はミキトの父、辰雄(たつお)の告白で混乱したまま紫江の通夜会場へ向かった。

「俺はなんてことを……二人を、紫江さんとミキトを殺したのは俺だ」

嗚咽まみれに泣き崩れる胡麻塩頭。聞き取れない謝罪の言葉を繰り返していた。

とりあえず辰雄を宥め、紫江の通夜に行ってまた来ると行ってきたのだ。

──嘘でしょう? どうしておじさんが……。

紫江たちを殺さなくちゃいけなかったの?


 紫江の通夜会場、上月宅には紫江の短大の同級生がちらほら見かけられた。やつれた顔の紫江の両親……麻衣子を見つけると母親が駆けてきて、

「麻衣子ちゃん……」

麻衣子に抱きついてきつく礼服を握り締め嗚咽を漏らした。

麻衣子は痛いほど気持ちがわかる。優しく、背中をさすった。

止まるところを知らない涙。

それを見て周りから啜り泣きが聞こえてきた。

私だって泣きたい。でも今のままじゃまだ泣けない。

再び麻衣子の頭に辰雄の言葉。

 啜り泣きの奥から紫江の父が現れた。長身痩身の色黒で掘りの深い顔立ち。でも少したれ目。

「あゆ子、ここは任せて少し奥で休んでいなさい」

母親、あゆ子は何も言わず目元を拭って自宅へ引っ込んだ。

「お見苦しいところをすみません……」

「……いえ、お気持ちはわかります」

よく見れば目の下が窪み輪郭がシャープ、まるで彫刻品のような表情だ。

どうしよう。

聞くべきかな。

『心当たりはありませんか』って。

麻衣子の葛藤。

でも心の中の何か──遠慮や同情とは違う何かがそれを阻んだ。

「今回のことは」

父が沈黙を破った。『今回のこと』は無論二人の心中のことだろう。

「自分の行いの罰なのでしょうね、きっと」

麻衣子は心鬱な雰囲気の中対峙している男性──紫江の父の言ったことが全く判らなかった。

自分が何を指しているのかも。

「それって……」

「麻衣子ちゃん」

瞼を腫らしたあゆ子が戻ってきた。

「これね、昨日あの子の机の引き出しから見つかったの。麻衣子ちゃんへのものらしくて、私はまだ見てないわ」

麻衣子はあゆ子から白い封筒を受け取った。



『私からまいちゃんへ』



      * * *

   



 紫江からの手紙を読み終えた麻衣子は運転しながら泣いた。ワイパーも利かなかった。

(紫江……紫江……。

結ばれちゃいけない運命って何?

二人は愛し合っていたんでしょう?)

──そのことが、ミキトの父が言っていたことと関係あるのか。

それを確かめるため、麻衣子は海原工房へ車を走らせた。

 

 

 普段はガラスを溶かす熱気に包まれている工房。今はただひっそりと、ミキトの父に空間を貸していた。

「紫江さんのお通夜は、どうでしたか?」

「短大の時のお友達もいらして……。おばさんがお気の毒なくらい、大変そうでしたが」

ミキトの父はああと低く呻いたような声を上げた。

「あの……」

麻衣子は口が縫い合わせられているかのように重く感じられた。

「なぜ、おじさんは……」

ミキトの父はう、うぅと呻いた。泣いた。

胡麻塩頭が震える。



「あの子は、あの子達は………血が、繋がっていたんです」



       * * *



「あの子は、あの子達は……血が、繋がっていたんです」



……ちょっと待って、

「え……?」

わあわあと泣き喚くおじさん。

胡麻塩頭が激しく震える。

「じょ、冗談……何かの間違いですよね?」

嘘だ嘘だ嘘だ嘘よ。きっと……。

「…………!」

泣きながら首を振るおじさん。嘘だと言って。お願いだから。

「……少し、落ち着いたらいかがですか」


確かそんなことを言って、なだめてその場しのぎをした気がする。



 あの日から三日後、おじさんが落ち着いた頃を見計らって工房に会いに来た。

おじさんは、呆けた表情で座っていた。

「……あぁ、麻衣子さん」

胡麻塩頭をポリポリ掻く。

「こんにちは」

ただ頷くと、真っ白い綿に包まれたものを差し出した。

「これ……」

紫のびいどろだった。

「ミキトの、最後の作品です」

「綺麗……」

紫江の好きな色だわ。

「多分、あいつはこれを紫江さんに……」

「そうですか……あの、」

「全て、お話します。私の罪と、二人の運命について」


 「これは、ミキトが生まれてからわかったことなんですが私には妊娠させる能力がないんです」

うなだれながら話す、おじさん。

「無精子症というのでしょうか、とにかく、ミキトは私の子供ではなかった」

一つ一つの言葉を、頭に染み込ませる。「ではミキトは誰の子供なのか。私は妻を憎み恨みました。誰に孕ませられたのかもわからない子供を、私との間に出来た子供として……。妻は気づいていないようでした。今も。多分これからも、ミキトは自分と私の子だと思っているでしょう。」

理屈はわかっても、理解できない。

心が拒否していた。

「私は妻に打ち明けようかと、何度も躊躇いました。でも出来なかった。ミキトのこれからと妻の面目なんて建て前。本当は自分のくだらないプライドを守るために……。だから言えなかった。そのせいで、こんなことに……」

まさか。

「じゃあ、ミキトの本当の父親は……」

「妻の不倫相手だった、紫江さんの父です」

おじさんはまた泣き崩れて、語尾は何を言ってるのかわからなかった。

「そんなことが……」

つまり二人は、腹違いの兄妹だったということ……。

「私が先に、二人が交際する前に打ち明けていたらこんなことには……二人を殺したのは私なんです」

ああ、なんてこと……。

「二人が腹違いってことを知っていたのは……」

「私だけです」

「ではなぜ、二人が気づいたのでしょう……」

「これは推測ですが、病状な紫江さんが妊娠した時に二人の間の子供はどれほど健康になるのか調べる為に二人の遺伝子を掛け合わせ調べたらしいんです。多分その時に……」

六年愛した人が、自分の腹違いの兄妹だと知った時どんな気持ちだろう。

想像もつかない。確かめる術もない。

「それで二人は……」

ミキトと紫江の赤ちゃん。

生まれてきてはいけない、許されない……。

すべて、目の前の男を始め自分勝手な大人たちのせいで……。

でも、責めても二人は還らない。

黙って立ち去ろうとした。

あからさまな怒りを感じとられないうちに。

「これを……」

震える手で紫のびいどろを握らされた。

何も言わず受けとり、工房をあとにした。


獣のような叫びが響いた。



 二人が命を絶った、鎖窯海岸。

びいどろを鳴らしてみる。

ぽっぴん。ぽっぴん。

──ああ、最後。これで最後で構わないから。今だけ、二人を偲んで泣かせて。

二人じゃないか、三人。



ぎゅっと握った。

綺麗な菫色。

海岸へ向かってぶん投げた。

ぱりんと鳴って、何も聞こえなくなった。




    紫のびいどろ 完



 


響きだけでタイトルを決めました。←

昨年GREEで連載していた作品です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ