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土居さん

作者: こだま


「土居さん」


部屋でひとり、呟いてみる。

胸が静かに音をたてている。

明らかに動揺している。


あれからもう3日も経っているのに、私の頭は土居さんのことでいっぱいだった。


7日前、大学の教職過程で私はとあるデイサービスの老人介護施設に5日間の実習をうけに行った。これまで経験したことのない介護。初めて味わう疲労感とやりがい。1日1日は長く感じたが、終わってみればあっという間だった。


土居さんは、その施設の職員である。歳は三十だが、もっと若い感じがする。他の職員に中年女性の方が多いからだろうか。利用者さんの前ではいつもお調子者で、まるで孫のような存在なのに、ミーティングや会議では一変してリーダーシップをとる。ダレた空気になれば一蹴し、議論を前へ進める。その一方で自分のミスは認めず、素直に謝らない態度が、周りの中年女性職員に「かわいくない」などとひんしゅくを買ったりもする。


「あれで酒が入ると甘えるのよ。」

と最終日に女性職員から聞いたから、さぞ面倒くさい男なのだろう。



「コブ付きバツイチ。」



この言葉が頭の中で何度も反復する。

よりにもよって、「コブ付きバツイチ」。



土居さんには、ほとんどはじめから好意をもった。学生を気遣って声をかけてくれる気さくさが嬉しかった。好意といっても、若い教育実習生を慕う生徒のような、なんてことのない好意だ。


だが、日を追うごとに土居さんに会うのが楽しみになっていく自分に、ブレーキをかけることは出来なかった。

土居さんはそれに拍車をかけるように、自分の話をし、私の勤務態度を誉め、私のことを聞いた。時には私をからかい、笑ってくれた。

私はそのどれもが嬉しくて、だめだと思ってはいても、浮つく気持ちを抑えられなかった。



ある日、利用者さんを迎えに行くのに、土居さんの車に当たった。

その車中で利用者さんが

「土居くんのとこは、いくつくらいになった」

と聞き、土居さんが

「ん…6歳だわ」

と答えていた。

私はそのとき土居さんが内心言いたくないような、ごまかした言い方をしたのが引っかかったが、そんなことよりも結婚して子供までいるという事実にはっきりと傷つくのを感じた。


その日1日、土居さんにはあまり近付けなかったし、顔も合わせられなかった。今思うと、少しムッとしていたかもしれない。



翌日も、どういうわけか土居さんの車に当たった。今回は少し遠くのお宅が割り当たっていて、ふたりきりの時間が長かった。


土居さんはいつも通り自分の話をし、私の勤務態度を誉め、私のことを聞き、時にからかった。

がっかりした気持ちを引きずってはいたものの、やっぱり土居さんの隣は居心地がよくて、楽しくて、嬉しかった。


利用者さんのマンションの廊下で土居さんは、話の続きを話すような口調で

「俺バツイチなんだ」と切り出した。

「えっ」と聞き返したら

「コブ付きバツイチ。最近バツついた。ほんと、最近。」

と笑いながら言った「コブ付き」という言葉は初めて聞いたけど、「子持ち」の意味だってことはすぐにわかった。

何も返せないでいると「だから俺もうやることなくなっちゃった。俺、もう全部やりつくしたんだ。もうほんと、やりつくしたな」

笑いながら、早口で話す土居さんがなぜか、とてつもなく愛おしくなった。


土居さんの、人よりちょっと波のある人生とか、こうして介護士として働いてる姿とか、でもやっぱりやんちゃな名残とか、すべてが私にとって魅力だった。



最終日の実習も無事に終え、職員の方がこれから向かう会議会場と近い所に住んでいる私を車に同乗させてくれた。

女性職員ふたりは、もう終わったとばかりに、話を切り出す。


「で、学生さんは施設の男性職員だと誰がタイプ?」


迷わず「土居さん」と答えたかったが、躊躇した。

土居さんは一番若く見えるし(実際は違うのだけれど)女子学生には人気が高そうだけれど、私が他の子と同じように、軽い気持ちで答えてるととられるのは癪だった。



だが、それでも、正直に答えたい。もしかしたらこれを聞いた職員さんが、冗談混じりに本人に伝えてくれるかもしれない。

私の好意、慕情を、少しでも彼に知ってほしい。



「私は…みなさん、素敵でしたけど、んー、土居さんかな…」






この気持ちが、土居さんに届いているのかはわからない。



「土居さん」

私はもう一度つぶやく。


たった5日間の恋。

短い私の夏休み。



「土居さん、すき」


いつになれば忘れられるだろう。会うこともできず、連絡もとれない、ただ思うだけの恋。



「会いたい、土居さん」



私はただ、夜空に向かって泣くことしか出来なかった。

処女作です。短い小説でしたが読んで感想を頂けると嬉しいです。

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