異世界、令嬢、その次に流行るもの
流行する物語を見ていると、その時代の人間が何を欲しがっているのかが、少しだけ見える。人は、自分がすでに持っているものを物語の中でまで欲しがったりはしない。空気を好きなだけ吸える能力で無双する主人公はいないし、水道水がいつでも出る家に転生して歓喜する物語も、たぶん流行らない。
欲しがるのは、自分には足りないと思っているものだ。金。才能。地位。承認。自由。愛情。若さ。だから、なろう系の流行を順番に眺めていくと、単なるジャンルの変遷とは少し違ったものが見えてくる。人間が「何を持っていない」と感じてきたのか。その歴史である。
最初に大きく流行ったのは、異世界転生だった。現実では特に評価されない。仕事もうまくいかない。女の子にもモテない。人生を今から立て直そうと思えば、何年かかるか分からない。
そこで主人公はどうしたか。努力した。――のではない。死んだ。
昔の主人公なら三年間修行するところを、なろう主人公はトラック一台で解決したのである。転職では足りなかったので転生した。そして異世界へ着くと、不思議なことが起きる。現実では三十年間誰にも発見されなかった才能が、水晶玉に手を置いて十五分ほどで発見される。
「こ、この数値は……!」
受付嬢が震える。異世界最大のチート能力は《鑑定》ではないのかもしれない。自分の価値を十五分で見つけてくれる人間がいることである。
異世界転生とは、単に魔法が使える世界へ行く物語ではない。自分を評価してくれない世界から、自分を評価してくれる世界へ移動する物語だった。それまでの物語では、主人公が世界に適応する必要があった。異世界転生では、世界のほうを主人公に合うものへ交換した。これはかなり大きな発明だったと思う。
そして人類は、さらに気づいた。どうせ人生をやり直すのなら、最初から強いほうがいい。神様から能力をもらう。魔力量は桁違い。特殊スキルもある。現代知識まで持っている。
昔なら、修行する。失敗する。工夫する。強くなる。認められる。という工程が必要だった。それが、転生する。強い。認められる。まで短縮された。
幸福になるまでの工程が、どんどん減っている。
その流れの先に、追放ものが現れる。これがまた面白い。追放ものの主人公は、実は最初から有能であることが多い。回復もしていた。補助もしていた。装備も整えていた。実はパーティー全体を陰で支えていた。しかし仲間だけが、それに気づいていない。
「お前は役立たずだ。パーティーから出ていけ」
主人公が出ていく。途端にパーティーが壊滅する。「戻ってきてくれ!」「もう遅い」。ここまで来ると、主人公は成長する必要すらない。
異世界転生では、「今の世界では自分が活躍できない」だった。追放ものでは、「いや、俺は最初から活躍していた。お前たちが気づかなかっただけだ」になる。世界を変えた。能力ももらった。そしてついに、自分を反省する必要までなくなった。
でも、ここにはかなり重要な変化がある。追放ものが満たしているのは、「強くなりたい」という欲望だけではない。「自分の価値を認めなかった人間に、間違いだったと気づかせたい」という欲望である。つまり、能力の問題から承認の問題へ移った。
そして現在、その欲望をさらに別の形で洗練しているのが令嬢系である。公爵令嬢。侯爵令嬢。婚約破棄。冷遇された妻。妹ばかり可愛がる家族。愛人を優先する夫。「君を愛するつもりはない」と言う婚約者。見覚えのある人間が次々と出てくる。
ただ、ここで面白いことが起きている。令嬢系の主人公が困っているのは、ドラゴンに勝てないことではない。魔法が弱いわけでもない。困っているのは、人間から雑に扱われていることだ。婚約者が自分を後回しにする。家族が自分だけを冷遇する。夫が当然のように我慢を要求する。周囲から役割だけ押しつけられる。
そこで令嬢主人公が手に入れる力は、火を吹く能力でも時間を止める能力でもない。「もう結構です」と言える力である。
ここまで来ると、令嬢系の本当の魅力も少し違って見える。単純に「王子様に愛されたい」だけではない。むしろ重要なのは、その前に必ずと言っていいほど、「あなたはもういりません」が入ることだ。
つまり令嬢系が売っている最大の商品は、溺愛ではないのかもしれない。嫌な人間から離れても、自分の人生は終わらないという保証である。
現実では、人間は嫌だからといって簡単には離れられない。会社を辞めれば収入がなくなる。長く付き合った相手と別れれば、それまで費やした時間が無駄になったように感じる。家族と距離を取れば、頼れる場所を失うかもしれない。だから我慢する。
ところが令嬢系では違う。婚約者を捨てても、もっといい相手が現れる。実家を出ても、生きていける。自分を雑に扱う場所から離れても、むしろ人生は好転する。主人公が得ているのは、愛される権利以上に、「ここから出ていっても大丈夫」という自由なのだ。
考えてみれば、金持ちに憧れる理由も似ている。札束そのものを毎晩眺めたい人は、そう多くない。金があれば、嫌な会社を辞められる。嫌な場所から引っ越せる。嫌な依頼を断れる。つまり金が与える最大の力は、「嫌ならやらない」と言えることなのかもしれない。
人間が憧れるのは、支配する者ではない。選べる者なのだ。
そう考えると、なろう系の流行には妙な一貫性が出てくる。異世界主人公は、現実世界そのものを拒否した。追放主人公は、自分を評価しない集団を拒否した。令嬢主人公は、自分を粗末にする婚約者や家族を拒否した。
なろう系は主人公をどんどん強くしてきたように見える。けれど、その力で主人公がやってきたことを見れば、案外ずっと同じなのかもしれない。「ここにいなくてもいい」という選択肢を増やしてきたのだ。
そして現在の令嬢系を見ていると、さらにその先が少し見える。かつての「ざまぁ」では、自分を捨てた男が後悔することが重要だった。元婚約者が没落する。家族が主人公の価値に気づく。夫が泣きながら戻ってきてほしいと言う。主人公は新しい男の隣で幸せになる。
気持ちは分かる。ただ、よく考えると妙なところもある。嫌いな元婚約者が後悔しているか確認する。没落したか確認する。自分がいなくなったあと困っているか確認する。新しい恋人との幸せな姿まで見せに行く。
かなり頻繁に元彼を見ている。そこまで動向を追っていたら、もう半分ファンである。
だから次の欲望は、おそらく「ざまぁ」のさらに先へ行く。「私を捨てたことを後悔しなさい」ではない。「ああ、そういえばそんな人いたね」である。
復讐より無関心のほうが、完全な勝利だからだ。
元婚約者が破滅しようが成功しようが、もうどうでもいい。自分は自分で働いている。好きな家に住んでいる。友達がいる。飯がうまい。そのうち気の合う相手も現れる。物語の重心が、「あいつを後悔させる」から「自分の生活をちゃんと作る」へ移っていく。
おそらく、この「人生再建」が令嬢系の次の大きな核になる。すでに令嬢系の中には、その兆候がある。主人公が店を開く。仕事を始める。領地を立て直す。料理をする。家族との関係を作り直す。つまり、婚約破棄が物語の目的ではなく、物語を始めるためのきっかけになっている。
昔なら、「いい男と結ばれる。だから幸せになる」だった。これからは、「一人でも幸せに暮らせるようになる。その生活の中に、いい男も入ってくる」になる。
男が救済者ではなくなる。追加コンテンツになる。本編クリア後のDLCである。
では、その人生再建がさらに進んだらどうなるか。ここで一つ問題がある。令嬢という設定は便利すぎる。婚約があれば恋愛を描ける。爵位があれば社会的地位を描ける。実家があれば家族問題を描ける。領地があれば仕事を描ける。社交界があれば世間体を描ける。一人の令嬢を置くだけで、人生の問題をだいたい全部用意できる。
現代日本で恋人に「君より幼馴染の女の子のほうが大事なんだ」と言われたら、「じゃあ別れよう」で終わる。三ページである。
しかし公爵令嬢なら、家同士の関係、王家との契約、社交界の評判、相続まで絡む。別れるだけで一巻書ける。だから令嬢系は当分強いと思う。
ただ、「人生を再建する」という快感そのものが十分に育てば、いずれ読者は気づく。
別に公爵令嬢でなくてもよくない?
そこで次の殻が割れる。次に来る可能性があるのは、現代人生やり直し系だと思う。
異世界ではない。魔法もない。王子もいない。三十八歳。仕事はそこそこ。人生に致命的な失敗をしたわけではない。ただ、何となく「あのとき別の道を選んでいたら」と思う。ある日、十八歳に戻る。それだけでいい。
未来の株価を全部覚えている必要もない。神からチートスキルをもらう必要もない。三十八年間生きた経験だけがある。すると、進路、恋愛、家族、友人、仕事、金、健康。人生そのものがゲーム盤になる。
そしてここで、なろう系の歴史が一周する。最初の異世界転生は、「この世界では幸せになれない」という物語だった。だから主人公は、ここではないどこかへ行った。
しかし願望充足を突き詰めていくと、あることに気づく。別に世界そのものが嫌だったわけではない。嫌だったのは、あの選択。あの仕事。あの人間関係。失った時間。衰えた身体。だった。
なら、世界はそのままでいい。人生だけ、もう一度選ばせてほしい。
ここまで来れば、異世界は必要なくなる。
そして、そのさらに先では「若さ」や「身体」そのものがチート能力になるかもしれない。AIが進歩すれば、知識を調べることも、文章を書くことも、翻訳することも、少なくとも今より外部に任せやすくなる。
しかし、「代わりに腹筋を割っておいて」は頼めない。「身長をあと五センチ」も無理だ。「腰痛もついでに」。そのあたりから、AIではどうにもならなくなる。
だから四十歳から十八歳へ戻った主人公が、最初に感動するものは、恋愛でも起業でもないかもしれない。階段を駆け上がる。息が切れない。翌朝、どこも痛くない。
そこで主人公は気づく。
「……チート能力、あったわ」
若さである。
なろう系は長い間、主人公にさまざまなものを与えてきた。魔法。才能。地位。承認。愛情。自由。けれど、その歴史を別の角度から見ると、主人公が幸福になるために我慢しなければならないものを、一つずつ取り除いてきた歴史にも見える。
努力し続けなくていい。自分を評価しない場所に残らなくていい。自分を大切にしない相手と一緒にいなくていい。自分を捨てた人間に復讐し続けなくていい。
その次に取り除かれるのは、「もう人生をやり直すには遅い」という諦めなのかもしれない。
異世界転生は、「ここではないどこか」へ行く物語だった。けれど、人間が本当に欲しかったのは異世界ではなかったのかもしれない。今いる世界のまま、嫌だったものだけを捨てて、もう一度選び直すこと。
だから次の物語は、「ここで、もう一度やる」物語になる。
そして人類は異世界を一周した末、十八歳の膝関節に感動する。




